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日本の紙幣研究・1946年以前②

2009/12/01(Tue) 20:48

日本の紙幣の研究・和気清麻呂



はたして日本の紙幣の肖像となる人物の選定基準は一体何を基準にしているのだろうか?
日本国家国民の歴史が反映されているのだろうか?
直江兼次や織田信長、豊臣秀吉とか歴史上の知名度ある人物が選ばれているのなら、こんな疑問はわくはずもない。



日ユ同祖論を論拠に日本の紙幣を見るとおぼろげに見えてくるものがある。



かつてアインシュタインは日本を訪れた時、意味深な言葉を残している。

「近代日本の発達ほど、世界を驚かしたものはない。
この驚異的な発展には、他の国と異なる何ものかがなくてはならない。
果たせるかなこの国の、三千年の歴史がそれであった。
この長い歴史を通して、一系の天皇をいただいているということが、今日の日本をあらせしめたのである。
私はこのような尊い国が、世界に一カ所位なくてはならないと考えていた。
なぜならば世界の未来は進むだけ進み、その間幾度か戦いは繰り返されて、最後には戦いに疲れる時がくる。
その時人類はまことの平和を求めて、世界的な盟主を挙げねばならない。
この世界の盟主なるものは、武力や金力ではなく、凡ゆる国の歴史を抜き越えた、最も古くまた尊い家柄ではなくてはならぬ。
世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰る
それはアジアの高峰、日本に立ち戻らねばならない
吾々は神に感謝する、吾々に日本という尊い国を、作って置いてくれたことを。」
(アインシュタインの予言 - Wikipedia)※偽書説、捏造説など諸説ある。



度重なる空襲と自身が手掛けた原爆で破壊しつくされた日本の戦後復興を見て感動した言葉だと捉えがちだが、違った見方をすれば天皇家と古代ユダヤの関係がおぼろげに見えてくる。ユダヤ人科学者アインシュタインが遠く離れた島国で同胞の血が粛々と受け継がれてきたことに感動していることが言葉の端々に表れているともいえる。万世一系・天皇家と古代ユダヤの関係は確定的とはいえない。ただ重要なエレメントになる。皇室の三笠宮がオリエント学と称して古代ユダヤと日本・天皇家との関係を研究していることにもそれは表れている。



和気清麻呂

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和気 清麻呂(わけ の きよまろ、733年(天平5年) - 799年4月4日(延暦18年2月21日))は奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚。備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)出身。氏姓は当初、磐梨別公(いわなしわけのきみ)[1]、のち藤野真人、和気宿禰、和気朝臣に改めた。磐梨別乎麻呂(または平麻呂)の子。従三位・民部卿。(和気清麻呂 - Wikipedia)



古代ユダヤのことを知らなければ和気清麻呂という日本書紀に出てくる人物がなぜ日本の紙幣に肖像がかざられたのか知る由もない。



■ 道鏡に皇位を譲ろうとした称徳天皇に待ったをかけた和気清麻呂。

神護景雲3年(769年)5月、道鏡の弟で大宰帥の弓削浄人と大宰主神の習宣阿曾麻呂(すげのあそまろ)は「道鏡を皇位に付ければ天下は太平になる」という内容の宇佐八幡宮の神託を奏上し、自ら皇位に就くことを望む(続紀没伝)。称徳天皇は宇佐八幡から法均(和気広虫)の派遣を求められ、虚弱な法均に長旅は堪えられぬとして、弟である和気清麻呂を派遣した。

清麻呂は天皇の勅使として8月に宇佐神宮に参宮。宝物を奉り宣命の文を読もうとした時、神が禰宜の辛嶋勝与曽女(からしまのすぐりよそめ)に託宣、宣命を訊くことを拒む。清麻呂は不審を抱き、改めて与曽女に宣命を訊くことを願い出る。与曽女が再び神に顕現を願うと、身の丈三丈、およそ9mの僧形の大神が出現。大神は再度宣命を訊くことを拒むが、清麻呂は「天の日継は必ず帝の氏を継がしめむ」という大神の神託を大和に持ち帰り奏上する。

道鏡を天皇に就けたがっていたと言われる称徳天皇は報告を聞いて怒り、清麻呂を因幡員外介にいったん左遷、さらに「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」と改名させて大隅国へ配流し、姉の広虫も「別部広虫売(わけべのひろむしめ)」と改名させられて処罰された。

その後、この年の10月1日に詔を発し、皇族や諸臣らに対して聖武天皇の言葉を引用して、妄りに皇位を求めてはならない事、次期皇位継承者は聖武天皇の意向によって自ら(称徳天皇)自身が決める事を改めて表明する。

宝亀元年(770年)に女帝が死去すると、皇太子は白壁王と決定され、道鏡は下野国の薬師寺へ左遷(配流)された。なお、この時(宝亀元年8月21日)の白壁王の令旨に「道鏡が皇位をうかがった」とする文言があるものの、具体的に道鏡のどのような行動を指すのかには全く触れられていない。(宇佐八幡信託事件 - Wikipedia)


万世一系を継承するべき天皇家を道鏡に乗っ取られそうになり和気清麻呂は待ったをかけたわけだ。称徳天皇は憤慨し和気清麻呂はわけべのきたなまろと改名させられ九州の端っこに左遷されたが道鏡に皇位をゆずることはなかった。辛うじて万世一系は保たれた。古代ユダヤ的な解釈で言えば功労者になるわけだ。



古代ユダヤの関係で言えば和気清麻呂は平安京遷都を建言した人物でもあった。
その平安京はエルサレムではないかとする説もある。



■ 日本に古代ユダヤのエルサレムを築いた和気清麻呂

和気清麻呂公
http://ww36.tiki.ne.jp/~wakeasomi/newpage3.html
天平5年(733)備前国藤野郡(現和気町)に生まれる。奈良の都に武官として出仕、近衛将監となる。
神護景雲3年、僧道鏡が皇位を望むとき、宇佐八幡宮(現宇佐神宮)に勅使として詣で、神託を受け復奏、その野望を阻み国家の危機を救った。
その後、桓武天皇の信頼を得て、摂津大夫・民部卿として長岡京の造営、摂津・河内両国の治水工事に当たった。
延暦13年(794)和気清麻呂公の建言により平安京に遷都。造営大夫として新京の建設に尽力した。
また、和気清麻呂公は、備前美作両国の国造を兼ね、延暦7年、和気郡の河西に新しく磐梨郡(現赤磐市)を独立させ、農民の便宜をはかった。

日本後紀には「人と為り高直にして、匪躬の節あり」「故郷を顧念して彼の窮民を憐れみ、忘るることあたはず」と称えられている。延暦18年(799)に67歳で没した。



和気清麻呂は平安京の父とも言えるわけだ。



Part9 『日本のエルサレム』
http://www.geocities.jp/shimaguni_konjyo/column_shinto_09.html
平安遷都
「794(鳴くよ)うぐいす平安京」
日本人なら誰もが知っているこの有名な世紀の一大プロジェクトにも秦氏は深く関係している。

平安京の造営長官は藤原小黒麻呂。藤原北家(※1)の人間で山背派(※2)。

直江兼次や織田信長、豊臣秀吉とか歴史上の知名度ある人物が選ばれているのなら、こんな疑問はわくはずもない。
そして彼の妻は秦氏だった。そしてその父は秦氏のなかでも有力者秦島麻呂である。山背国では知らないものはいないほどの地元の名士であった。
彼は遷都のための土地提供、そして資金までも提供した。

秦氏が古代イスラエル人の末裔であると見られていることは以前にも書いた。
東へ東へと移住し、そして海を渡った彼らはある記憶が重なった。
かつてモーセに率いられエジプトを脱出し、海を渡った彼らの先祖は「約束の地」カナンでエルサレムを建設した。

日本にやってきた秦氏も日本にカナンを見た。そして彼らの先祖が行ったように、そこに「平安京(エル・シャローム)」を建設した。
エルとは都・京、シャロームとは平安という意味のヘブライ語である。
すなわち、平安京とはユダヤ人の聖地「エルサレム」そのものなのだ。
((引用終わり))


■ 秦氏が古代イスラエル人の末裔・秦氏
Part3 『秦河勝公とは?』
http://www.geocities.jp/shimaguni_konjyo/column_shinto_03.html
秦氏は、しばしばユダヤとの関係が言われる一族である。この赤穂(あこう)という地名も古代イスラエルの港町アッコーからとったのではないかとさえ言われている。
(引用終わり)

秦氏によるユダヤ文化の導入:
http://www.ne.jp/asahi/davinci/code/history/japan/index1.html
ここで、最も驚くべきことは、大和朝廷を建て上げるために天皇家を大いに助けた秦氏一族は、クリスチャン、しかも、ユダヤ教的な(あるいは、ユダヤ人の)、しかも、原始キリスト教徒(一部、景教徒も含む)であったことである。
それは、秦氏が設立にかかわった宗教的な建物や習慣に、ヘブライ語や旧約聖書の儀式・慣習といったユダヤ性だけではなく、新約聖書からの教理や教えが、秦氏が渡来した初めから含まれているからである。
(引用終わり)



古代ユダヤの流民であると論じる識天皇家の混血を阻止し、古代ユダヤのエルサレムを模した平安京を京都に築いた和気清麻呂が日本の紙幣の肖像を飾るのか。それこそ日ユ同祖論の一つの証拠ではないか、と思わずにはいられない。



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Tag:紙幣研究 日ユ同祖論 

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