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核燃料で莫大な経済的享受を授かってきた者達は、そのツケを自らが払う気など全くに無い。

2012/11/30(Fri) 16:45

今年(2012年)の9月11日、日本学術会議が『高レベル放射性廃棄物の処分について』の回答を発表した。日本学術会議は、その二年前の2010年9月に、内閣府原子力委員会から「高レベル放射性廃棄物の処分に関する取り組みについて」という審議依頼を受け、2年を費やして取りまとめたものである。

http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-k159-1.pdf

中身はちょいとややこしいのだが、この回答を受けて、菅政権下において内閣官房参与として原発事故対策に関わっていた田坂広志氏は、『日本の原子力政策におけるセプテンバーイレブン(911)』とその重要性を指摘している。田坂広志氏は、三菱金属の原子力事業部で高レベル放射性廃棄物の処理・処分プロジェクトに従事していた専門家である。


http://skmts-all.tumblr.com/post/36107725105/9-11

9月11日、日本学術会議が政府に対し、衝撃的な提言をしました。
この日本では、高レベル放射性廃棄物や使用済み燃料の地層処分方式による最終処分を行うべきではなく、排出量の総量規制と数百年の長期貯蔵を行うべきである。その提言です。
すなわち、この提言が意味するものは、すべての原発は、早晩、稼働できなくなるということであり、
「原発ゼロ社会」は、選択の問題ではなく、不可避の現実だ
ということです。
この現実から目を背けることなく、「原発ゼロ社会」に向けての政策的準備を直ちに始めるべきです。

---------------------抜粋


つまり、原子力業界がずっとずっと棚上げにしてきた使用済み核燃料および再処理の過程で生成される高レベル放射性廃棄物の最終処分問題を日本の知性が集結して取り組み、2年を費やして議論した結果、地震国日本で地層処分による最終処分場は作れないと判断したのである。




当ブログでは、311以降に更新したほとんどの記事が原発事故に関するものである。INESレベル7に位置づけられている福島第一原発事故に被災した当事国の一庶民として無関心でいられなくなったこともあるが、それ以上に日本の原発政策に怒りを覚えているのである。基本、当方のブログで記事を書くモチベーションは怒りの感情である。もともと原発に関する知識も全くないズブの素人であったが、学べば学ぶにつけ、考えれば考えるほど、ブログの記事が原発事故に関する内容に傾倒せざるを得ないほどに、当方は溢れ出る怒りを覚えているのである。


先般、自民総裁安倍との党首討論で、議員定数削減に野党が賛成するなら解散するなどと言い出し、野党が合意した折に、豚が衆議院を解散した。議員定数削減というあまりにもチープな政治課題を取引の具にすること自体、もはや羞恥心の欠如と言わざるをえないが、史上稀に見る総理大臣の愚行はいずれ断罪されるだろう。近いうちに近いうちに嘘つき続けてきたのは一体なんだったのか。とにもかくにも、12月半ばにも衆院選挙が開かれることになった。選挙権を行使する有権者の一人として、脱原発・反TPP・反消費増税を政策に掲げる党に投票するつもりであるが、日本未来の党結党により、民自公維新との対立軸がより鮮明になってきた。

日本の原子力政策は、本来解決しておかなければならない最終処分問題を半世紀もの間棚上げにしてきた。未来には高レベル放射性廃棄物を安全かつ永久的に処分する技術が確立されているだろうという安直な考えのもと、年数兆円という経済的な享受に授かってきた。戦後日本を隷従させてきたアメリカの軍事的戦略もあるのかもしれないが、福島第一原発事故を被災してなお、原発がもたらす経済的な享受に授かろうなどというのは言語道断ではないか。そもそも日本は広島長崎を原爆の実験台にされた国であり、非核三原則の旗を掲げてきた。福島第一原発事故というのはまさしくターニングポイントであり、矛盾と欺瞞と詭弁に満ち溢れた原子力産業から足を洗う絶好のきっかけであったはずだ。にもかかわらず、日本の政権与党は大飯原発3号機4号機を再稼働するという愚を断行した。こんな政党に日本の政治、日本の未来を託せるわけがない。


有権者の一人として政治に求めるのは、核の最終処分問題を今すぐ解決し、未来に付け回さないために法制化することである。もはや長らく原子力産業の享受に授かってきた一人ひとりが考えるべき問題で、確実に、TPPや消費増税よりも優位な政治課題であるはずなのだ。社会保障なんかよりも、ましてや議員の定数削減などというあまりにもチープな政策よりも、核のゴミ問題を未来に付け回さないための法整備が何よりも優先するべき課題なのである。

ところで、脱原発という言葉にスピン的な違和感を感じている。○○年後までに脱原発というのは、それまでの間は原発で核燃料を燃やすことの裏返しであり、現に、民主党も規制委員会が安全だと判断したプラントについては随時稼働させるといっている。使用済み核燃料および高レベル放射性廃棄物の最終処分問題が不可避であり、アカデミズムの集大成が日本で最終処分場は作れないと判断した結果、使用済み核燃料を生み出すべきではないと帰結しているのであり、何年後かに原発から脱せれるかどうかを問うているのではなく、ゴミ捨て場が作れないのだから核のゴミを生み出すなと問うているのである。脱原発ではなく、『使用済み核燃料を生み出さない=核燃料を燃やさせない』のである。

日本に原発プラントが輸入され核の火が点されてから半世紀、日本は原子力産業が生み出す数兆円の享受に授かってきた。その裏では、使用済み核燃料および高レベル放射性廃棄物の最終処分問題が棚上げにされてきた。最も先に決めなければいけない取り決めを後回しにし、超大な経済的享受が生み出す、それこそ計り知れない負の負債を未来に付け回すのである。それでもなお原発推進とかいっているのは、もはや、倫理的な感性を疑わずを得ない。
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