狭山事件から読み解く日本の黒い霧
2012/06/07(Thu) 20:16
脅威の流布。治安当局は、脅威を流布し組織を存続させている。平和過ぎる日本だからこそ凶悪な犯罪や猟奇事件とは無縁なのである。脅威の流布は絶妙の効果を発揮する。今日び小学生は集団登校、親は子に防犯ブザーを持たせる始末である。
今回取り上げるテーマは狭山事件である。概要は上記の動画に加えて狭山事件Wikipediaを見てもらえばおおよそ把握できるだろう。


まず、狭山事件の被害者の遺棄状況でも首と両足に巻かれていたロープが、こびき結びという引っ張ると締まる特殊な結びで結ばれていたことに注目したい。こびき結びはアメリカのカウボーイが投げ縄で用いる結び方だという。
次に被害者宅に届けられた身代金を要求した紙を見ていきたい。

http://www.geocities.jp/sayamadetec/sinsuiri/2kyohakujyo.html

身代金を要求した紙には被害者を誘拐したのは別グループであり、要求通りの金額を指定場所に持って来なかったら別グループが被害者を殺しますよ、と仄めかしている。まず、単独犯行と見立てること自体が間違っている。
警察はこの要求文を書いた人物を特定していた。動画の中でも狭山事件関係者の不審死が取り上げられているが、被害者の遺体が見つかった二日後に自殺したとされる元使用人奥富である。
狭山事件関係者第一の死である。

元使用人は農薬を飲んで古井戸の中に身を投げて溺死したとされているが、その古井戸の底は湿った程度であったという。どうしたら溺死できるのか。有力な容疑者として半ば犯人視されていた元使用人は、警察の取調を受けた後間もなく謎の自殺を遂げるのだが、この辺りの経緯はルーシー・ブラックマン事件で取調を受けた直後に首吊り自殺した村越と同じである。ボロアパートの一室で首吊り状態で発見された村越であったが、口の中に人糞が詰め込まれていた。他方でルーシーさんの遺体にも人糞のようなものが詰め込まれていた。
さらに、身代金を要求する文章の中段に『西武園』という固有名詞が出てくるが、使用人は事件当時、西武運送で働いていた。この辺りの符号も無視できないところではあるが、要求文のなかで取引が失敗に終わり被害者が殺された後、遺棄される場所を仄めかしているところが、誘拐・殺害の実行犯と要求文を書いた人物が同一人物ではない可能性を示している。
西武園の池というのは多摩湖であり、近辺に供給される大事な水資源であった。この辺りは、実は九頭竜伝承との関わりを示唆しているのだが、今回は触れない。
おそらく、元使用人は犯罪の片棒を担がされたのだろう。もしくは手伝わされたのだろう。元使用人に関しては以下のページが詳しい。
狭山事件入門: OG
http://flowmanagement.jp/wordpress/?p=259
さて、次に不審死を迎えたのが、『現場付近で怪しい三人組を見た』と警察に申し出ていた田中登である。この狭山事件関係者第二の死こそ、当方が狭山事件を掘り下げようと考えたきっかけでもある。
狭山事件入門: TN
http://flowmanagement.jp/wordpress/?p=282#more-282
狭山事件において、2番目の変死者が5月11日に「自殺」したTN(当時31歳、狭山市柏原新田在住)です。
TNの「自殺」の状況は下記の通りです。
5月11日午後8時すぎ、台所で夕食の後片付けをしていた奥さんがうめき声がするので奥の間に行ってみると、TNが鶏を殺す時に使う刃先が三角形にとがったナイフで胸を一突きにしてうつ伏せになって死んでいた
TNのすぐ横にはもうすぐ2歳になる子供が眠っていた
隣の部屋ではTNの父が茶を飲みながらテレビを見ていた
ナイフはもともと台所にあったもので、奥さんはいつ持ち出したか気がつかなかった
通常、刃物で自殺する際にはためらい傷が見られることが多いが、そのようなためらい傷は一切なかった
胸を刺す際にはナイフをうまく横にして入れなければ肋骨に引っかかってしまって心臓まで刺さらないが、一突きで心臓を刺し貫いていた。
新聞には、刑札の捜査結果として「市議選問題でさる1日ごろから悩み神経衰弱気味だった」と書かれたが、家族の証言ではそのように選挙に深入りしていたことはなかった
---------------------抜粋
http://flowmanagement.jp/wordpress/?p=282#more-282
狭山事件において、2番目の変死者が5月11日に「自殺」したTN(当時31歳、狭山市柏原新田在住)です。
TNの「自殺」の状況は下記の通りです。
5月11日午後8時すぎ、台所で夕食の後片付けをしていた奥さんがうめき声がするので奥の間に行ってみると、TNが鶏を殺す時に使う刃先が三角形にとがったナイフで胸を一突きにしてうつ伏せになって死んでいた
TNのすぐ横にはもうすぐ2歳になる子供が眠っていた
隣の部屋ではTNの父が茶を飲みながらテレビを見ていた
ナイフはもともと台所にあったもので、奥さんはいつ持ち出したか気がつかなかった
通常、刃物で自殺する際にはためらい傷が見られることが多いが、そのようなためらい傷は一切なかった
胸を刺す際にはナイフをうまく横にして入れなければ肋骨に引っかかってしまって心臓まで刺さらないが、一突きで心臓を刺し貫いていた。
新聞には、刑札の捜査結果として「市議選問題でさる1日ごろから悩み神経衰弱気味だった」と書かれたが、家族の証言ではそのように選挙に深入りしていたことはなかった
---------------------抜粋
なぜ、狭山事件を今回取り上げたのか。狭山事件関係者第二の死の殺害状況が先般取り上げた岐阜幼稚園講師殺害事件と浦安看護師殺害事件と極似しているからである。左胸を一突きでターゲットを仕留める技術。プロの技術である。
ターゲットを一発で仕留めるプロの技術。
狭山事件関係者第二の死は、事件当時現場近辺で三人を不審者を見かけたことを申し出たのに、逆に警察から犯人視され取り調べられた目撃者であった。左胸を刃物で一突きして自殺したとされているが、ためらい傷もなく、かつ肋骨の隙間を縫って心臓に達していたという。
要求文にも書かれていたように、犯人には身代金を要求する文章を書く担当と身代金を受け取り誘拐した子供を届ける車に乗る友達が少なくとも一人は存在したはずだ。そもそも自殺で片付けるのには無理がある。事件の真相が発覚するのを恐れた別グループが暗殺した可能性は本当にないのだろうか。
さて、狭山事件関係者第三の死である被害者の姉の自殺に移る前に、事件現場と主要場所の関係図を示しておきたい。特に赤文字が記入されていない左下の方に注目である。

ジョンソン基地とは現入間基地である。ジョンソン基地は航空基地で終戦後米軍に接収され、後に自衛隊が誕生し共同で滑走路をしようしていた。ここは、毎年のように墜落事故を起こしていた。狭山事件が起こった1963年というのは、ジョンソン基地から米軍が撤退し、自衛隊に管轄を任された年である。他方で、ベトナム戦争のまっただ中でもあった。
この辺りの時代背景が事件を読み解く鍵になるのではないか。
治安当局は脅威を流布し、良好な治安を維持していると嘯く。治安当局としてピラミッドの頂点に君臨するのは軍隊である。自衛隊ではない。在日駐留米軍である。脅威を流布しなければ警察だっていらないし、その延長上で軍隊排除に議論が及ぶことを恐れるがゆえに脅威をばらまくのである。
なぜ、冤罪事件は生まれてしまうのか。
なぜ、松本清張は『日本の黒い霧』を著したのか。
この辺りを頭に入れてから次に進みたい。
狭山事件関係者第三の死は被害者の姉である。この部分に関しては無限回廊の狭山事件が詳しい。
狭山事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sayama.htm
1963年(昭和38年)9月4日、浦和地裁(現・さいたま地裁/以下同/内田武文裁判長)で第一回公判が開かれた。
12月13日、善恵(被害者)の姉の登美恵が近くの極東第五空軍のジョンソン基地に勤めている男(当時26歳)と結婚した。相手の男は2つ年上で兄・健治の同級生であった。ところが、婚姻届を出しても挙式も同居もせず、山下性になった登美恵は依然として中田家にとどまっていた。
3人目の変死者
(翌年)7月14日、善恵の姉の登美恵(24歳)が死刑判決直後から精神に異常をきたし、自宅で農薬を飲んで自殺した。死刑判決がよほどショックだったようだが、これは、登美恵が真犯人を察知してしまったために、陥ったパニックから派生したものと見られている。
>戸籍上の夫だった男はこのとき、フトンに寝かされていた登美恵の遺体を見ている。遺書らしいものがあって、「幸せになって下さい」と書いてあるのを読むが、受け取ったわけではなく、また死因を確かめることもなく、通夜にも葬式にも参列しなかった。のちの公判でこの男は法廷で証言をしているが、「遺書はよく覚えていない」「自殺の理由については深くは考えなかった」「どのような方法で自殺したかも別に訊かなかった」などと答えている。この男は約1年後に別の女性と再婚している。
---------------------抜粋
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/sayama.htm
1963年(昭和38年)9月4日、浦和地裁(現・さいたま地裁/以下同/内田武文裁判長)で第一回公判が開かれた。
12月13日、善恵(被害者)の姉の登美恵が近くの極東第五空軍のジョンソン基地に勤めている男(当時26歳)と結婚した。相手の男は2つ年上で兄・健治の同級生であった。ところが、婚姻届を出しても挙式も同居もせず、山下性になった登美恵は依然として中田家にとどまっていた。
3人目の変死者
(翌年)7月14日、善恵の姉の登美恵(24歳)が死刑判決直後から精神に異常をきたし、自宅で農薬を飲んで自殺した。死刑判決がよほどショックだったようだが、これは、登美恵が真犯人を察知してしまったために、陥ったパニックから派生したものと見られている。
>戸籍上の夫だった男はこのとき、フトンに寝かされていた登美恵の遺体を見ている。遺書らしいものがあって、「幸せになって下さい」と書いてあるのを読むが、受け取ったわけではなく、また死因を確かめることもなく、通夜にも葬式にも参列しなかった。のちの公判でこの男は法廷で証言をしているが、「遺書はよく覚えていない」「自殺の理由については深くは考えなかった」「どのような方法で自殺したかも別に訊かなかった」などと答えている。この男は約1年後に別の女性と再婚している。
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事件当時、被害者の姉には婚約者がいた。婚約者はジョンソン基地で働いていた。被害者の兄の同級生でもあった。狭山事件が起こり、被害者の姉は入籍したが結婚式も挙げず、同居もせず、実家に留まっていた。やもすれば、婚約者と一緒に住むことを拒否したとも受け取れる。なぜ、入籍したのに嫁いでいかなかったのか。また、石川一雄氏の死刑判決後に、なぜ、精神に異常をきたしたのか。ジョンソン基地で働いていた婚約者は被害者の姉の通夜にも告別式にも参加しなかったのか。
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