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2011年を超えてはいけないゲームに文字通り体を張って参加させられていた平田信。

2012/01/11(Wed) 14:16

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2011年大晦日。今にも日付が変わってしまうといった頃合いに、一人の重要手配犯が丸の内署に出頭した。500万円の懸賞金がかけられていた重要指名手配犯、平田信である。オウム真理教事件に係わる重要参考人として顔写真付きの手配ポスターが日本のあちこちで貼られていた三人の特別手配犯の一人である。

16余年の逃走の果て、平田はどうしても2011年の内にされなければならなかった。

平田はランナーなのか?

後ろを振り向かずに、ただゴールに向かって全速力で走り続ける。『2011年を超えたら失敗』的なゲームに参加させられていたのではなかったか。

だから、当方は、いつもよりも平田は拉致監禁されていたのではないか、と疑ってしまうのである。


“オウム” 平田容疑者を NHKニュース

東京の公証役場の事務長の監禁致死事件などで、平成7年に特別手配されていたオウム真理教の容疑者が、31日の夜遅く、東京の丸の内警察署に出頭し、警視庁は監禁致死の疑いでしました。平田容疑者は、「事件から時間がたったので、一区切りつけたかった」などと話していて、容疑の一部を否認しているということです。

タイホされたのは、オウム真理教の幹部だった容疑者(46)です。平田容疑者は、31日午後11時50分ごろ、東京の丸の内警察署に出頭しました。

警視庁の調べによりますと、平田容疑者は平成7年2月28日、東京・品川区の公証役場の事務長だった假谷清志さん(当時68)を品川区内の路上でレンタカーに乗せて監禁したうえ、山梨県上九一色村の教団施設で薬物を注射して死亡させたとして監禁致死の疑いが持たれています。

平田容疑者は、この事件の翌月に東京・杉並区のマンションで時限式の爆発物が爆発した事件にも関わっていたとして2つの事件で全国に特別手配され、警視庁などが行方を捜査していましたが、31日夜、丸の内警察署に1人で出頭してきたということです。

調べに対し平田容疑者は、出頭の理由について、「事件から時間がたったので一区切りつけたかった」などと話しているということです。また、容疑については、「車を運転していただけだ」などと一部を否認しているということです。

警視庁は、平田容疑者が教団の起こした一連の事件でどのような役割を果たしたのかや17年近い逃亡中の足取りなどについて調べることにしています。また、すでに時効になった警察庁の國松元長官が狙撃された事件についても事情を知っている可能性もあるとみて捜査することにしています。

--転載ここまで--


ある意味、カイジの世界だ。2011年の大晦日に開放され、『今年のうちにされなければ全てが終わる』的なゲームのランナーとして、平田は走りだしたのだ。




とにかく、2012年元旦はオウム真理教の重要手配犯の一人である平田信の話で持ちきりであった。日本の至る所で顔写真付きの手配ポスターが掲げられ、知名度でいえば有名芸能人レベルであるのにもかかわらず、16年もの間、『失踪』していた稀代の逃亡犯は大晦日という年の節目にひょっこり現れたことも甚だ奇妙であるが、それにしても、あっけない幕切れであった。

まるで、二年七ヶ月の歳月を経て、ひょっこり大阪南港のフェリー乗り場待合室に現れた市橋達也の如しである。

そして当方はこう思わざるを得ない。オウム真理教麻原彰晃の側近でボディガード的な立場にあった平田は16年間も彼自身の意志で逃亡を続けたのだろうか。本当は、全ての罪を着せるべく拉致され監禁されていたのではないか。島流しのごとく、誰にも見咎められない場所に連れ去られ、何重もの遮断壁の中に閉じ込められていたのではないか。

しかしながら、平田が自らの意志で自首を決断したとして、完全無罪を見込んでいれば16年の逃亡の末、自首に至ったことにも説明が付く。

オウム真理教事件に係わる重要被告の公判は2011年11月の遠藤誠一死刑確定を最後に全て結審している。先に取り上げた記事の中にもあるように、オウム事件は一つの区切りを迎えている。平田の供述により、影響されるものではない。

平田に掛けられた嫌疑は目黒公証役場刈谷さんに対する監禁致死容疑であるが、刈谷さん死亡に関わった直接証拠はない。

そもそも、被害者の死体は挙がっていない。死体が挙がっていなければ殺人が適用できる訳が無い。

刈谷さん事件の前に宗教学者爆破事件の容疑者としてタイホ状が取られてはいるが、重要なのは地下鉄サリンに係わる嫌疑や射撃手として国松長官狙撃事件の嫌疑はかけられていたものの、タイホ状は出されていない。すなわち風伝により嫌疑はあっても証拠がない状態だ。

つまり、オウム事件が発覚した当時から行方不明であったことは間違いないのだが、地下鉄サリン事件に関わった証拠も刈谷さん監禁致死に関わった証拠も存在しない。計画を実行した一人だの直接関わっただのはすでに結審したオウム幹部たちの証言からである。

ヒラタは法廷戦術で理論武装し、下手なことをしゃべらなければ、無罪の可能性すらあったということだ。

平田が無罪を勝ち取るとすれば、自首後の取り調べに否認、黙秘し、調書に捺印せず、公判で無罪を訴えることである。さすれば、場合によっては容疑は否定できる。刈谷さんの死亡に係わる証拠も、オウム真理教が起こしたと言われている(当方はそうは思わない)重大事件に係わる証拠も一切存在しないのだ。

大晦日の賑わいに紛れては自首したのだが、やはり、無罪の見込んでいたからこその決断で有り行動でなければ説明のつけようがないのだが、しかし、実際は、平田は法廷戦術も無罪になるための理論武装も身に付けていなかったようだ。かつてオウム擁護派であった宗教学者の島田裕巳に対する爆発物取締罰則違反容疑については、全面的に認めてしまっている。



【平田容疑者】アレフ関係者ら聴取へ 爆破事件「責任取る」と関与認める 警視庁
2012.1.4 01:36

 オウム真理教元幹部の容疑者(46)がされた東京・目黒公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件で、警視庁は3日、平田容疑者の逃亡を長期間にわたり手助けした支援者がいるとの見方を強め、教団主流派団体「アレフ」の関係者などから任意で事情聴取する方針を固めた。平田容疑者は逃亡当初、教団側から逃走資金を受け取り、女性信者(49)と一時潜伏していた形跡があることから、アレフなど教団関係者からの任意聴取は不可欠と判断したとみられる。

 一方、宗教学者の島田裕巳さん(58)元自宅が爆破された事件について、平田容疑者が「「そのことについて責任を取るために来た」と関与を認める説明をしていることが3日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は爆発物取締罰則違反容疑で再する方針。

 警視庁によると、平田容疑者は潜伏先について「人に迷惑がかかるから言わない」と話した。職業については「働いていない」としたが、現金約10万円を所持していた。整形手術も施さず、容姿は手配時とほぼ変わっていなかった。

 警視庁はこうした状況から、1人で16年10カ月にわたり逃亡を続けることは困難で、逃亡を手助けした支援者がいるとみている。任意聴取はアレフなど教団関係者のほか、平田容疑者の知人らも対象に幅広く行われるとみられる。聴取は参考人としてだが、支援者と判明すれば犯人蔵匿や犯人隠避罪が適用される可能性もある。

 また、「仮谷さんを拉致した車に複数の元教団幹部らが同乗していた」と供述したことも、捜査関係者への取材で分かった。平田容疑者が挙げた人物は井上嘉浩死刑囚(42)らで、警視庁は平田容疑者の役割などについて事情聴取する方針。

--転載ここまで--




自ら有罪になるようなことを口にするのは、どうも解せない。平田はどうも、一つの情報も得ない場所に監禁されていたのではないだろうか。伝聞以外に知り得る情報は得られなかった。そんな場所で平田は16年の大半を過ごしたのではないだろうか。

無罪を勝ち取るために出頭したのでなかったとしたら、平田はなぜ16年の逃走をフイにするようなことをした?そもそも自分の意志で逃走を続けたのか。組織的に拉致され監禁されていたのではなかったか。




ランナーは大晦日の賑わいに紛れて出頭した。しかしながら、ランナーの大晦日の行動が詳述されていくにつれ、そのあまりにも不可解な行動に首をかしげてしまうのである。平田はどうしてもされたかった。されなければならなかった。はっきりいって、その執拗さは常軌を逸している。なにが平田をここまでさせたのだろうか。



【平田容疑者】平田容疑者 警視庁本部で門前払い 「特別手配の者です」に「交番行って」
2012.1.3 08:11

 警視庁丸の内署に出頭してされた平田信容疑者(46)が当初、東京・霞が関の警視庁本部を訪ね、警備で庁舎前に立っていた機動隊員に名乗り出て出頭しようとしていたことが2日、捜査関係者への取材で分かった。隊員は人物照会や身柄確保などの対応を取らなかったことから、警視庁は問題がなかったか詳しい経緯を調べる方針。

 捜査関係者によると、平田容疑者は12月31日午後11時35分ごろ、庁舎正門に来て、警備中の隊員に「平口です。出頭してきました」と告げた。しかし、隊員は「近くに丸の内署や交番があるから、そこへ行ってください」と指示。平田容疑者が「特別手配されている者です」と言っても、聞き入れなかった。

 平田容疑者はその後、約650メートル離れた丸の内署へ徒歩で向かったとみられ、同11時50分ごろ、丸の内署の宿直署員に名乗り出た。

※警視庁と丸の内署間は信号を見て大体十分の距離と見ていい。
警視庁 から 丸の内警察署 - Google マップ


 隊員は警視庁に「髪が長く茶色で、顔もふっくらしているように見えた。身長も180センチもないように見え、手配書の平田容疑者とは別人と思った。年明け直前でいたずらも多い時間帯なので、悪質ないたずらと判断した」と話している。

 警視庁によると、平田容疑者は髪は伸びていたが、整形はしていないとみられ、顔の特徴や体形も手配時とほとんど変わっていなかったという。

--転載ここまで--




【平田容疑者】「ずっと国内にいた」 警察へ10回電話も話し中
2012.1.4 01:30

 平成7年2月の東京・目黒公証役場事務長監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、(まこと)容疑者(46)が3日、接見した弁護士2人に16年10カ月の逃亡生活について「ずっと国内にいた」と話していることが分かった。滝本太郎弁護士が明らかにした。出頭日の行動に関しては、JR大崎駅から警視庁大崎署に行った説明しているというが、それ以前の足取りは明らかになっていない。警視庁は周辺の駅の防犯カメラや切符などを分析し、足取りの裏付けを進める。

 滝本弁護士によると、平田容疑者は12月31日午後9時ごろ、JR大崎駅から大崎署に着いた。署内への入り方が分からなかった上、自分の手配ポスターも見つからず、署員の姿もなかったため「捜査本部ではないのかな」と思い、同署への出頭をあきらめたという。

 大崎駅へ戻る途中の公衆電話から、警察当局が教団特別手配容疑者の情報提供を求めるフリーダイヤルに電話すると、話し中でつながらなかった。電話は約10回したという。

 その後、「ヒラタの担当はどこか」と自ら110番通報。指示された警視庁本部に行くことにした。
 警視庁本部へはJR山手線を利用して恵比寿駅に行き、地下鉄日比谷線を経由して霞ケ関駅から向かった。同日午後11時35分ごろ、本部庁舎前で警備の機動隊員に「ヒラタです。出頭しにきました」と告げたが、悪質ないたずらと判断され、丸の内署や近くの交番に行くよう促されたため、歩いて丸の内署に行き名乗り出た。

 その際「僕って背が高いでしょ」と玄関前にいた女性署員に言うと、「嘘? 本当にそうなの」と驚かれ、署内に引き入れられたという。

 平田容疑者のこれらの行動については、フリーダイヤルへの架電を除いて警視庁でも確認している
 滝本弁護士は大崎駅以前の足取りに関しては「ノーコメント」としたが、逃亡生活について平田容疑者は「ずっと国内にいた」と話しているという。

 一方、捜査関係者によると、12月31日夜に平田容疑者と似た人物が新幹線のJR品川駅改札口付近を歩いている姿が防犯カメラに写っていたが、映像を分析したところ別人と判明した。

--転載ここまで--



出頭する理由はなんにせよ、一度門前払いを食らった時点で諦めてしまわないか。しかし、平田は大崎署の入り方が分からなかったことで諦めることなく、次に霞が関にある警視庁本部を目指すことになる。そして警視庁でも無下に扱われ、そこでも諦めきれずに丸の内書を目指すことになる。平田の、これほどまでの『出頭しなければならない使命感』はいったいなんなのか。

平田は本当に自分の意志で逃亡し、16年もの長きにわたって姿を晦ましたのだろうか。


平田はランナー?




次に記事は平田が出頭時所持していたものの中に三万数千円分のハイウェイカードが含まれていたことを報じたものである。



【平田容疑者】出頭時にハイカ所持 逃亡生活解明の手掛かりか
2012.1.5 08:13

 1995年の公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、容疑者(46)が出頭時にハイウェイカード(ハイカ)3万数千円分を持っていたことが5日、捜査関係者への取材で分かった。

 ハイカは2006年3月いっぱいで廃止されたが、警視庁は使用履歴が17年近くに及ぶ逃亡生活を解明する手掛かりになる可能性があるとみて解析を進める。

 捜査関係者によると、平田容疑者は現金約10万円と着替えなどを持っていたが、ハイカについては所持の理由を明らかにしていない。

 東日本高速道路によると、残っている金額分は自動料金収受システム(ETC)への付け替えや払い戻しを受け付けているが、払い戻しは郵送のみで受け付けている。
 
--転載ここまで--



ハイウェイカードは当の昔に廃止されている。2006年である。ハイウェイカードで高速料金を支払うことは不可能だ。なのに、なぜ平田は所持していたのだろうか。

ハイウェイカード廃止に伴う払い戻しの期限は設定されておらず、以下のページにあるPDFに必要事項を記入して郵送、後日指定口座に振込という手はずを踏むことになる。

首都高速道路株式会社|ハイウェイカードの払戻し等について
http://www.shutoko.jp/inquiry/tel/coupon/coupon_back.html

つまり、平田が所持していた3万数千円分のハイウェイカードはいつでも払い戻せるのは確かだ。高速道路を利用する目的で所持していたわけではなく、あくまでも換金用として所持していたのかもしれない。

出頭時、このハイウェイカードが換金されていなかったという事実を突き詰めれば、16年間の逃亡生活の間、全く金に困らなかったのか、あるいは、平田自身が自由にできる口座がなく、換金したくても出来なかったかの二通りが考えられる。他方で、平田はハイウェイカードが廃止されていたことすら知らなかったのではないかという疑念が浮上する。


そして、平田が上京する前に、大阪に居たことが判明する。



平田容疑者「奈良で就労」情報 警視庁、現地に捜査員
2012.1.8 08:56 [オウム事件]

 東京・目黒公証役場事務長の監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、(まこと)容疑者(46)の逃走生活に関して、「2年前に奈良県で働いていた」といった情報が警察に寄せられていることが7日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は大阪に加え、奈良県にも捜査員を派遣した。

 平田容疑者がアパートなどに潜伏していた可能性もあることから、大阪府を中心に不動産業者らからも事情を聴き始めている。

 また、平田容疑者は昨年12月31日に新大阪駅から上京して出頭する前、奈良県方面から大阪市営地下鉄御堂筋線に乗車。その際、不審な途中下車を繰り返しながら新大阪駅に移動していたことも新たに分かった。

 奈良県橿原(かしはら)市から移動し、途中の大阪・天王寺で教団関係者と接触したという情報もあることから、橿原市から天王寺までをつなぐ近鉄南大阪線の橿原神宮前駅から防犯カメラの映像や切符を回収して分析を進めている。

 ほかにも、御堂筋線を中心に約30駅の防犯カメラの映像も分析している。

 捜査関係者によると、御堂筋線の天王寺駅となんば駅ホームの防犯カメラに、マスクをつけた平田容疑者に似た人物が写っていた。乗っていた電車を1度降りて再乗車したとみられるが、改札を出る姿は確認されていないという。

 新大阪駅には、同線の途中で乗り換えをする必要はないことから、平田容疑者が何者かと接触するため、あえて下車した可能性もあるとみられる。


 平田容疑者が出頭時に着ていたダウンジャケットやシャツのタグが取り外されていたことも判明。タグに記載された製造元から潜伏先が特定されるのを避けるため、外したとみられる。

--転載ここまで--




【平田容疑者】教団関係者と接触か 奈良・橿原から天王寺へ
2012.1.7 07:00更新

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 東京・目黒公証役場事務長監禁致死事件で、16年10カ月の逃亡の末にされたオウム真理教元幹部、(まこと)容疑者(46)が、警視庁丸の内署に出頭してから7日で1週間。接見した弁護士には教団や麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=との決別を強調するなど冗舌に語るものの、取調官にはときに敵意をむき出しにするという平田容疑者。奈良県橿原市から新大阪を経て出頭したとみられ、大阪・天王寺で教団関係者と接触したとの情報もあり、警察当局で確認を急いでいる。

「全面戦争」名残

 「他人に迷惑をかけるので」。捜査関係者によると、平田容疑者はしばしば供述を拒むという。事件について「犯行計画は知らなかった」と犯意を否認。取調官の質問に答えず、にらみつけることもあった。

 一方、接見した滝本太郎弁護士を通じてみえる顔はまったく違う。「(麻原死刑囚の)法廷での情けない態度を知って、教団への気持ちが離れた」「自分は非常に罪深い人間」「社会に大きな不安を与えてしまいおわびの言葉もない」。率直に反省の弁を口にしている。

 ある捜査幹部は「事件当時、警察とオウムは『全面戦争』をしていた。警察に対する不信感や敵対心は簡単にぬぐえないのだろう」と分析する。

弁護士には冗舌

 警察には話さなかった出頭までの足取りについて、弁護士には話し、報道などを通じて知った警視庁が後から確認したこともある。

 出頭前に警察のフリーダイヤルに10回以上電話して電話中だったことや110番通報したことも主張したが、それも警視庁は当初聞かされていなかった。急いで確認したところ、その時間帯、フリーダイヤルへの着信はなかった。

 また、平田容疑者は取り調べ中に「寒い」と漏らすことが多いという。取り調べ場所の大崎署は3年前に建設されたばかりで、暖房設備は新しい。取調官はワイシャツ姿で取り調べに当たっており、ある関係者は「異常な寒がりようだ。相当暖かい場所にいたので、寒暖の差を感じるのではないか」と首をひねる。

 捜査関係者らの間では「海外で、南方に潜伏していたのではないか」との観測も出ている。

御堂筋線で新大阪

 出頭前の足取りも、徐々に絞り込まれている。

 捜査関係者への取材では、平田容疑者は昨年12月31日に出頭した直前、奈良県橿原市内から大阪市内の天王寺駅に移動し、教団関係者と接触したとの情報もあり、警察当局は確認を急いでいる。

 その後、地下鉄御堂筋線を利用してJR新大阪駅に行ったという。警視庁の捜査では、新大阪駅とJR山手線の品川駅構内で防犯カメラに平田容疑者の姿が写っているのが確認されている。

 警視庁は平田容疑者が新大阪駅から東海道新幹線でJR品川駅に行き、大崎駅から大崎署に寄った後、恵比寿駅を経由して霞ケ関駅から警視庁本部、丸の内署へ移動したとみている。

 警視庁は平田容疑者が関西地方に潜伏していた疑いがあるとみて、大阪などに捜査員を派遣。御堂筋線の駅の防犯カメラの映像を収集して分析するなど、平田容疑者の足取りを詳細に調べている。

 また、平田容疑者は逃走直後、教団から1千万円の資金を受け取ったとされるが、逃亡生活を組織的に支援した者がいる疑いもあるとみて、オウム真理教から分派した「アレフ」関係者らから任意で事情聴取を進める。大崎署捜査本部の陣容も60人から100人態勢に増強した。

 警視庁幹部は、オウム事件で特別手配中で現在も逃走している高橋克也(53)、菊地直子(40)両容疑者の潜伏先についても、「平田容疑者の潜伏先が分かれば、2人の逃走経路も割り出せる可能性がある」と期待を寄せている。

--転載ここまで--



なぜ、大阪で出頭しなかった?

なぜ、東京を選んだ?

なぜ、2011年のうちに捕まらなければならなかった?執拗に。諦めず。

2011年大晦日の夜、大崎署から警視庁本部、交番から丸の内署まで渡り歩き、出頭への意欲をのぞかせたわけだが、なぜ、大阪で出頭しなかったのか。

十六年間逃げ果せた平田は出頭を決意する。だが、警察は取り合わなかった。平田は大崎署での出頭を諦めたおり、警視庁本部に向かうことになるのだが、ここで意味深な行動を取る。恵比寿駅から東京メトロ日比谷線に乗り換え、霞が関駅で降りている。東京メトロ日比谷線、さらには霞ヶ関駅。平田は大胆にも地下鉄サリン事件の軌跡を辿っているのである。しごくシンボリックである。

平田は東京でされる理由があったはずだ。その理由はわからないが、少なからず言えるのは、平田は大阪ではされるような行動を取らなかったということだ。御堂筋線の防犯カメラで確認された平田に似た人物はマスクを着用していたという。少なくとも大阪に居た平田は注意を払いながら行動していたことは明らかだ。




平田は、平田自身の元へ情報が一切入ってこない環境に置かれていたのかもしれない。そう思わせたのが、平田の麻原に対する現状認識である。すでに廃人と化し会話すらままならない麻原彰晃の現状を全く把握していないようだ。オウム事件以降のオウム真理教内部に潜入したドキュメンタリフィルム『A』『A2』、両映画の監督、森達也が書き下ろした『A3』などに目を通してはいないようだ。森達也自身、法廷で奇声を発する麻原を目の当たりにして、詐病ではないという結論に達しているのだが、事件当時の印象をもって詐病だと決めつけていることは注目に値する。どうも、自ら見聞きした情報を元にしているとは言い難い節がある。







【平田容疑者】麻原死刑囚は「詐病だと思う」 平田容疑者、弁護士に話す
2012.1.7 14:36

 東京・目黒公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、容疑者(46)が、一連のオウム事件の裁判で意味不明な発言を繰り返すなどした元教祖の麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=について「詐病だと思う。そういうことをする人間だ」と話していることが7日、接見した滝本太郎弁護士への取材で分かった。

 滝本弁護士によると、平田容疑者は接見の際、5年前に麻原死刑囚の写真を捨てたことに改めて触れ、「なかなか捨てられず、裏返しにしてハサミで何回も切って、小さくして捨てた」と話した。

 接見中は号泣しており、仮谷さん事件について「平成8年ごろ、仮谷さんの奥さんがテレビで『雨が降ったら、いまでも夫から電話がありそうな気がする』と話すのを聞いて、申し訳なくて、申し訳なくて泣いた」と説明したという。

 今月1日の時の自分の写真が、6日になって公開されたことについては「当然出ると思った。いままで出なかったのが不思議だ」と話した。

 逃走中だった18年に父親が死亡した後も、家族には「連絡していない」と話したという。これまで出頭しなかった理由については、実行犯として疑われたことがある7年3月の警察庁長官銃撃事件を改めて挙げ、「長官事件のが怖くて出られなかった」と説明したという。

 長官銃撃事件については22年3月に公訴時効を迎えており、平田容疑者は関与を否定している。

--転載ここまで--

平田容疑者「麻原の法廷での態度を見て不信感」(12/01/04) - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4AVtbRw_qpw


続く。



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