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1995年のもんじゅナトリウム漏れ事故、責任者の不可解な自殺

2011/05/18(Wed) 05:14




【どんなにつらくても自殺しないで、生き抜いて!】もんじゅナトリウム漏れ火災→爆発事故に関連して、自殺に追いやられた職員についての詳細 « 山崎淑子の「生き抜く」ジャーナル
http://enzai.9-11.jp/?p=3499


【怖い噂vol.9】 「東海村JCO臨界事故」の"黒い闇"より抜粋
---------------------------------[抜粋]


 1995年12月8日に、動燃(当時)の高速増殖炉もんじゅで、ナトリウム漏れ事故が発生した。動燃は現場のビデオを公表したが、後にこれが編集されたものだということが発覚する。その後あまりにも虚偽報告や隠蔽工作が
続いたので、動燃は当時の世論から激しい批判を受けることになる。これがいわゆる『もんじゅ事件』である。

 そして、動燃が追加調査を約束した次の日に、社内調査の責任者であり、記者会見にも出席していた総務部次長・西村成生(当時49歳)が、宿泊先のホテル敷地内で倒れているのが発見されるのである。警察や動燃の発表から、メディアは「自殺」と報道した。

 西村さんの死によってメディアの追及が終息に向かったことから、この死は動燃にとって、組織防衛のための生贄のような役割を果たした
 
 ところが、西村成生さんの死には不自然な点があまりに多かったのである。
 
 まず第一に、ホテルの8階からの飛び降りによる自殺、とされている点である。約30メートルの高さから飛び降りたのに、死体の損傷が実に少ないのである。

 さらに驚くべきことは、死亡時間の食い違いである。警察は死亡時刻は1月13日午前5時頃だと発表したが、遺体が収容された聖路加病院の医師が、午前6時50分に測定した深部体温がわずか2時間の間に10度も下がることは考えられず、死亡推定時刻は前日12日の午後10時から13日午前1時頃と推定されるというのである。ホテルへのチェックインは13日午前0時45分頃と報道されているのだが、その時には西村さんはすでに死亡していたことになる。

 警察が自殺と発表しているためなのか、ホテルは宿泊名簿、チェックインの時刻の開示を拒否している。それどころか、自殺のダメを押したと言われている動燃のFAXがあるのだが、その着信の事実があったかどうかさえも開示を拒んでいるのである。

 それだけでなく、西村さんの遺書とされているものにも、西村さん以外の人間の書き込みがあったり、動燃がその内容を歪曲してメディアに伝えたりと、あまりにも不審な点が多かった。

 これらの点から、夫人の西村トシ子さんは真相を追究するための訴訟を起こした。ところが、裁判所は西村さんの主張をことごとく否定し、動燃と西村さんの死にはまったく関係がないとしたのである。

 傍聴した一人が「なにがなんでも原子力を推進しようとする国の強い意志を感じる」と述べているが、あるいはこの素朴すぎる感想の中にこそ、この裁判の真実があるのかも知れなかった。(以上、【怖い噂vol.9】p48より抜粋)


---------------------------------[抜粋]
取材・文 大泉実成(大泉氏の両親が営む大泉工業は東海村JCOから80メートルの距離にあった。大泉氏の両親は被爆による健康被害が生じ、JCOに対して損害賠償の訴訟を起こすも裁判所に否定された。)


誠天調書: もんじゅ・西村(動燃職員)裁判の控訴審判決
http://mkt5126.seesaa.net/article/131632740.html




2011/05/20加筆修正
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