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日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故のあれこれ

2010/02/28(Sun) 06:28

1985年8月12日、群馬県の御巣鷹山に日航機123便は墜落した。乗員乗客524名のうち520名、生存者は4名であった。

日本航空123便墜落事故 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%88%AA%E7%A9%BA123%E4%BE%BF%E5%A2%9C%E8%90%BD%E4%BA%8B%E6%95%85



『これまでこのブログでご紹介した事実を総合すると、(日本航空123便墜落事故の)その本質は軍事物資輸送を巡る日米ソを巻き込んだ軍事衝突であり、闇夜の戦闘の秘密、そして政治的弱みを抱えた日本国政府(あるいは裏政府・軍産複合体)が国民を欺くために仕組んだ壮大な虚構なのです。』


日本航空123便墜落事故をこう切り捨てているのは(新)日本の黒い霧というブログだ。事故から25年経てもなお、真相究明している稀有なブログである。ブログ管理人は御巣鷹の尾根に足を運び、ミサイルの信管や軍用ヘリの残骸を拾っては持ち帰り、正体不明の組織にストーキングされ、命の危険に晒されながらも『ただの墜落ではない』可能性を探っている。

このブログの注目すべき点は、コメント欄が『荒れて』きたことにある。とくに最近は荒れに荒れている。2チャンネルにこのブログのスレッドが立った事が原因らしいのだが、コメント欄を掲示板のごとく荒らされている。

神流川発電所に言及した記事のコメント数314。直近の記事には600以上もコメントがついている。コメントの内容を見れば、一目瞭然、中身のない誹謗中傷ばかりである。AA貼付けやコピペ連続投稿など幼稚な嫌がらせもある。組織的な・・・といえば少々大げさだが、数人のチームが手を変え品を変えIDを頻繁に変えてコメントしているのではないかと思われる節がある。記事のコメント全てに長文コピペを貼りつけていくという嫌がらせ以外の何者でもない職業的な臭がするものもある。とにかくタブーの領域に踏み込んでいるのは確かなことであろう。



2010/02/28
JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(3) - (新) 日本の黒い霧 【コメント 314】
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/b7f115bafd76dc1af7477e0a1e74d391

JAL123便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(10) - (新) 日本の黒い霧 【コメント 711】
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/7e253755b1bff9adfda150f4933769b4

JAL123便墜落事故-真相を追う-折れなかった垂直尾翼(1) - (新) 日本の黒い霧 【コメント 298】
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/2ae393ac6bf8cc30807ba140c33183f8



***


■ 4、50人いた生存者

実は墜落当初生存者は4、50名ほどいたという。
「既に自衛隊員が7~80人、いや100人位は来ていました。それを見て、自分たちは一番乗りできなかったと思いましたね。同時に、事故犠牲者の呻き声が谷にこだまし、響き渡っているのがはっきりと聴こえました」
公式発表前(推定午前四時前後)に現場入りした地元民は証言する。
4、50名が生きていた?
奇跡的に四人が助かったのではない…
四人以外は殺された。
現場にいた自衛隊員は人命救助にあたらず、ヘリをホバリングさせて「何か」を回収していたという。
ちなみにレスキュー隊が墜落現場に到着したのは朝の八時半頃とされている。事故から日が出る前に100人位いたとされる自衛隊員は公には報じられていない。
4、50人いた生存者はどうなったと思いますか。質問者の問いに
「それはボクもずっと不思議に思っていたのですが、下山を開始する朝の5時過ぎ頃には、谷の呻き声がピタリと止んでいました。」
大勢いた生存者は四人以外死んでしまったのは事実である。


救出された日の午後3時過ぎ、夫と父と叔父が病室に入ってきました。私は「四人しか・・・・・」と口にしたのですが、夫はすぐに「しゃべらなくていいから」といいました。(生存者の一人・落合由美さんの証言より)



JAL123便墜落事故-真相を追う- 闇夜に蠢くもの(4) - (新) 日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a

日航機墜落事故 東京-大阪123便 新聞見出しに見る25年間の記録
http://www.goennet.ne.jp/~hohri/n-index.htm



***


■ グリコ森永事件と日航機墜落事故

怪人21面相のグリコ森永事件は昭和を代表する未解決事件であるが、1985年8月のJAL123便が御巣鷹の尾根に墜落した日に実は解決していたと見るむきがある。事故と同じ日に「くいもんの 会社 いびるの もお やめや…悪党人生 おもろいで」と、怪人21面相が犯行終結宣言しているのだ。
同便にはハウス食品の社長が乗っていた。
ハウス食品は森永製菓、江崎グリコ、丸大食品などと一緒に怪人21面相に脅迫された会社であった。
怪人21面相から犯行終結宣言を夕刊で見て、ハウス食品当時社長の浦上郁夫氏は先代の墓前に報告するために、JAL123便に乗り合わせたのだという。
グリコ森永事件の黒幕が撃墜予定のジャンボ旅客機に誘い込んだとも言えるのではないだろうか。

当日午後八時過ぎ。トップテンは番組を中断して事故を伝えた。トップテンは江崎グリコが提供する番組であった。これは偶然ではない。江崎グリコ社長に向けてのメッセージであると考えている。江崎グリコ社長は一連の事件の端緒となった誘拐事件で唯一犯人と接触した人物であった。事件は終わった…もう何も穿り返すな…1985年8月12日の終結宣言は日航機墜落事故の520名の犠牲と機体の残骸をもってなしたのだろうか。以後怪人21面相からの脅迫はピタリと止み、2000年2月13日午前零時に時効が成立。事件は未解決事件に名を残すことになる。

事件のキーマンであるハウス食品、当時社長の浦上郁夫氏は御巣鷹の尾根に撃墜されたジャンボ旅客機に搭乗したことで永遠に口を塞がれた。



YouTube - 日航ジャンボ機墜落事故 - Japan Airlines Flight 123 (HQ)
http://www.youtube.com/watch?v=2l7RoQUVJL0

グリコ・森永事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%82%B3%E3%83%BB%E6%A3%AE%E6%B0%B8%E4%BA%8B%E4%BB%B6

浦上郁夫 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%A6%E4%B8%8A%E9%83%81%E5%A4%AB



***


■ 「ワールド・フォーラム」代表の佐宗邦皇氏 死の直前に語った事故の真相

2009年8月の月例会の途中、元日本航空の佐宗邦皇氏が急逝した。倒れる直前、『天皇の金塊』の著者、高橋五郎の質疑応答で日本航空123便ジャンボジェット機墜落事故の話題があがったとき、佐宗氏は事故の真相に触れた。

「現場を見ればわかるんです。映像も見ました。僕は元々日本航空でしたから。この問題はかなり詳しく、自分なりに研究したんですね。最後は、まあ、米軍機に核ミサイルで撃墜されているんですけれども、中性子爆弾の空対空ミサイルだった可能性があるんですね。空中で一回胴体がぽきっと折れているんです。確かに空中でキノコ雲が発して、真っ黒な。それはいろんな角度から確認されているんですね。
隔壁が原因というのは嘘なんですね、尾翼に無人偵察機が突き刺さった状態で、米軍の横田基地に向かって着陸体勢に入っていたんです。ところが、着陸寸前に(米軍側から)着陸を拒否された。
その指令がどこからきているのかが問題。私は中曽根総理(当時)から出ていると見ている。それで横田基地への着陸を認めないから、飛行機はずっと御巣鷹まで追い込まれた(以下略)」

元JAL勤務の佐宗氏の話は事件の当事者だからこそ、ただ単に墜落したわけではないことが現実味を帯びている。



YouTube - 「御巣鷹山の真相について」佐宗邦皇代表WF200908例会
http://www.youtube.com/watch?v=Y-rbgPbmmTo

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