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北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 2 蓮池透の東電での経歴。

2012/11/09/(Fri) 09:31

北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 1 蓮池透が『北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ』と主張し続けた意味。


前回のエントリでは北朝鮮による日本人拉致問題で、核武装や武力攻撃を過激に主張していた蓮池透が斜陽であった原子力産業の核燃サイクル、MOX燃料推進に深く関わっていたことを指摘した。北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ。北朝鮮はテロ国家であり拉致被害者奪還のためには武力攻撃も辞さない構えで取り組むべきだ。日本の核武装議論にも繋がる過激な主張を繰り返していた中心人物が、実は原子力ムラの役者だったのである。

なぜ、蓮池透は弟蓮池薫帰国後も拉致問題に関わり続けるのか。拉致被害者家族連絡会から除名された後、何かの心変わりがあったのだろうか、強硬路線から一転、対話を重視する柔軟な論調を主張するようになる。

余談であるが、2009年8月に「安全保障と防衛力に関する懇談会」が「防衛大綱の見直しに向けて報告書を提出している。「安全保障と防衛力に関する懇談会」は麻生総理の私的諮問機関であったが、座長をつとめていたのが東電会長の勝俣恒久であった。なぜ、日本の安全保障の諮問機関の座長が東電会長なのか。東電が日本一のプルトニウム保有企業だからである。

この視点に立つと、蓮池透がなぜ強硬路線をもって拉致問題解決を訴えてきたのか。拉致問題を軍事的課題にすり替えて武力攻撃や日本の弱腰外交や安全保障の問題に口を出してきたのか、おぼろげに見えてくるものがある。

福島第一原発事故が起きて、蓮池透は間もなく、自身が東電社員であったことをカミング・アウト、、『私が愛した東京電力』を著した。本の中では東電での経歴が詳しく記されている。以下は、『私が愛した東京電力』からの抜粋である。なおタイトル括弧内は記載ページ、注釈は註を付けて示した。ちなみに、MOX燃料推進の旗本である日本原燃で何をしていたのかについては、その内容には一切触れていなかった。



一度目の福島第一原発勤務-入社後二週間で(P35)

入社して二、三週間くらい全体研修があり、それが終わると福島第一原発へ行けという辞令をもらいました。一九七七年のことです。~中略~ 配属は保修課という東電特有の名称の課で、いまはないと思いますが、そこで計測制御装置のメインテナンスをすることになりました。~後略


計器類のメインテナンスが仕事(P40)

一回目の福島への赴任の間の保修課での仕事は、大きく分けて運転中と点検中の作業がありました。水位計などの計器は非常に繊細なものなので、基本的には運転中は触らないのですが、故障があったりすると、運転員から修理してくれと要請が来ます。それを直すのが保修課の仕事です。 ~後略

私たちは「計装グループ」と呼ばれていました。「計装」とは、計測制御装置の「計」と「装」で、略語です。大きく分けると、プロセス計装と核計装というものがあり、さきほどの水位や圧力、流量等はプロセス計装に属します。核計装というのは、原子炉のなかの中性子を測る計器等を意味します。そういうものをメインテナンスするのですが、校正だけでなく、修理したり交換したりします。原子力施設のなかには、ほかにいろいろな放射線計測器がありますが、そういうものを校正して、正しい値を示すような作業をしていました。

私たちが福島第一原発にいたころは、SCC(ストレス・コロージョン・クラック、応力腐食割れ)というトラブルがあり、原子炉近くの配管に相当その症状が出ていて、補修工事の最盛期でした。そういう工事が大々的に行われていたので、発電所とは名ばかりでほとんど発電しておらず、稼働率は大変低かったのです。それに、SCCの原因がわからず、対策をどう打ったらいいのかがわからない状況が続き、やっと対処方法が見つかり、新しい組成の金属に取り替えようという工事を盛んにやっていたのです。その後SCCは克服して、だんだん稼働率が上がっていったのです。発電しない原発は”金食い虫”ですから、稼働率を上げろというのが至上命令です。稼働していれば一日に何千億円か何百億円かを生み出すはずが、稼働しなければマイナスです。~中略~

換気空調系の制御設備について、私が点検工事を起案して、稟議書を書いて予算を付けて初めて点検したということもありました。みんなぼろぼろに錆びていて、「何だ、この錆は?」と、ボンッと蹴飛ばしたら、バラバラと落ちたことがありました。それまでは空調系の制御設備は点検をしていなかったのですが、GE社の説明書を見るとちゃんと手順が書いてあるわけです。やはり検査を受けないといけないのではないかと思って、急いで説明書を翻訳して、どうやって試験をするか考えました



輸入された技術=原発 (P42)

いま、福島第一原発で事故が起きて、その問題点は何かが分析されていますが、原発の技術がアメリカから輸入されたものであって、日本で育った技術ではないという問題も指摘されています。原子炉の設計をしたのは、初期ではGE社で、後に日本の日立、東芝、三菱が担当するようになりますが、東電はそれをオペレーションしているにすぎず、今回の事故処理にも設計側の企業があまり入っていなかったことも、問題だといわれています。

一号機はすべてGE社にお任せでした。車や建売り住宅と同じで、自分たちは何もしないでただお金を出してプラントを買うのです。「ターンキー契約」といって、GE社が全部プラントをつくり、最後に「どうぞ」とキーをもらうわけです。日本側は運転員が「起動」といって、キーを差し込んで運転を開始します。引き渡しのときに運転マニュアルやメインテナンス・マニュアルを置いて行くのですが、全部英語でした。定期検査をやるにしても、まず手順書や要領書がない。そういうものを作る必要がありました。GE社の説明書を翻訳して日本の試験手順書にするのです。私もけっこうつくりました。旧通産省の立会い検査がよくありますから、立会い検査手順書もつくらないといけないので、日々それに追われていました。とにかく原子力は英語ばかりで、その上略語が多く、覚えないと仕事にならないところがあり、苦労しました。(註・フクイチのメインテナンスマニュアルを蓮池透自身が翻訳し作り上げたという部分は注目に値する。そもそもアーミテージに直談判するぐらいだから、英語はペラペラなようだ。)



本店勤務---安全審査、コスト削減の嵐 (P47)

その後七年間本店勤務になりました。一九八〇年に原子力開発研究所に異動になったのです。高速増殖炉の研究をやれといきなりいわれて、畑が違うので面食らってしまいました。福井県敦賀市に建設予定の高速増殖炉「もんじゅ」(旧動力炉・核燃料開発事業団)の安全審査がさかんに行われている時期でした。
そこで私は、高速増殖炉やプルサーマルの研究に携わることになりますが、ここで得た知見が、のちに「原発は自滅する。フェイドアウトするしかない」と私に確信させるベースになりました。そのことについては、次の章でお話することにします。

研究所といっても名ばかりで、自分の手で研究するわけではなく、すべて外注で、メーカや研究所に委託研究するのです。せいぜいで共同研究です。委託研究というのは一〇〇%費用を東電が出すのですが、共同研究は五〇%を東電が、五〇%をメーカも出すものです。私がしていたのは、早くいえば予算管理のようなものです。委託手続きを契約して、打ち合わせして報告書をもらい、それが契約書に合っているかどうかをチェックして、成果が出たかどうかを確認する、その繰り返しです。研究所にいる人は、研究員とか主任研究員といった名前は付いていますが、原子力技術の研究者というわけではないのです。実験室があって実験しているわけでも何でもない。研究所というのが恥ずかしい思いがしました。

そこに三年間いた後に、原子力計画化に異動になりました。本店内異動で、そこで今度は、旧通産省対応をやることになりました。安全審査です。研究所にいたころは、メーカから見ると私がお客さんで、だから偉そうにしていられたわけですが、相手がお役所になると偉そうにしていられないのです。「あれしろ、これしろ」といわれて、「はいはい」と言うしかなくて、大変でした。

安全審査とは、基本的には原発の設置の許可を得るための審査です。今あるプラントの変更もありましたが、中心は増設でした。このころは、原発がどんどんできた時期です。それと同時にコストダウンの嵐が吹き荒れていたときでした。これ以上安くできない、これ以上削ったら安全性に影響が出るくらいのギリギリのところまでやらされました。何十億削減とか、何パーセント削減といった目標が上からおりてくるのです。自分たちで考えるのですが、考えても埒が開かないときにはメーカにコストダウンのアイディア提供を頼みました。メーカも自分で売る物を安くするなどということはやりたくないので、まともにはやってくれないだろうと思いながらも、こちらは真剣でした。

原発の設計というのは、常に多重性を求められていて、安全評価をするときには「単一故障」を考えています。つまり、一台は故障をするという前提があるので、二台ないと機能は発揮できない設計思想になっているのです。私たちはコスト削減のために、そこに手をつけたのです。例えば安全系、非常用炉心冷却系とか、ポンプとか、機械類は必ず二つがセットになっています。ポンプやモータ、ファンといった「動的機器」と、配管などの「静的機器」がありますが、動的機器と静的機器の故障率を比較すると、もちろん動的機器の方が圧倒的に高い。ですから動的機器はどうしても二台必要です。しかし静的機器は故障率が低いから、二ついらないじゃないかということになり、そこを削ったのです。

原子炉格納容器のなかにスプレイするリング状の配管がありますが、それまでは一つのポンプから一個のリングに、もう一つのポンプから二個目のリングにというように、別々に水を送っていました。ところが静的機器は故障しないからリングは一個でいいだろうということになり、リングを一つ減らして、二台のポンプで一つのリングに水を送るようにし、コストダウンしたのです。そのリングが壊れたら全然水が来なくなりますが、「壊れない」という論理です。そういうものを減らす理屈をこねてコストダウンして本当にいいのか、という思いはありました。しかし、とにかく原子力部門はお金を使い過ぎだという批判が社内的にあり、原子力関連の人は問題視されていましたから、コスト削減を頑張らなければならない雰囲気がつくられていました。

原発のコストダウンの嵐が吹き荒れた後に、ABWR(改良型沸騰水型軽水炉)が入ってきました。この改良型はもともと従来の型よりも建設費は安いといわれていました。しかしだんだん高くなってきて、どんどん比べる相手を変えていきました。より高いものと比べるようになっていったのです。

その後は、ほとんど増設がないので、運転期間延長とか、あるいは定期検査の短縮とか、運用面で力を入れ、稼働率を高めることをしてきました。アメリカには「何年何月まで」という原発の「運転許可」制度があります。今回の福島第一原発の事故後、もう延長は認めないと決定した州もあります。しかし、日本の安全規制には「いつまで」という期限がありません。ですから極端な話、可能ならば一〇〇年運転してもいいのです。運転延長は”究極のコストダウン”と言うことができます。福島第一原発一号機の寿命は四〇年という暗黙の了解がありましたが、稼働率を高めるために一〇年間の延長を経産省に申し出て、承認を得たのです。そうしたら運転開始四〇年目の今年、ああいう事故が起きたのです。



二度目の福島第一原発勤務(p51)

 トータルで三二年間東電に勤めたなかで、五年半ほど福島第一原発勤務で、残りの二六、七年が本店勤務、あるいは本店付の電力中央研究所、日本原燃など、どちらかというと東京勤務の方が多かったです。

 一回目の福島勤務が三年半で、また七年たってから福島で勤務することになりました。一九八九年(註・蓮池透34歳)のことでした。東電内部では副長(一般の会社で係長)というのですが、現場の副長は管理職ではありませんでした(本店では副長以上は管理職)。二度目の福島にいる間はずっと副長でした。そのときはメインテナンスはやらずに、技術系の筆頭課である技術課という部署で、技術系部門をとりまとめる窓口をしていました。いわゆる何でも屋で、見学者対応、VIPが来る時の対応、定期検査の計画を各部から出してもらい旧通産省に説明に行くとか、定期検査報告書を各担当部から集約して旧通産省に報告に行くとか、そういうことをやっていました。

 もう一つの大きな業務は、発電所に関する図画、取り扱い説明書、許認可関係の資料などの図書管理でした。発電所の図書館のような業務です。ライブラリの受付の女性にこういう資料を出してほしいとお願いすると、検索して出してくれるという、普通の図書館と同じシステムでした。発電所にはけっこうな量の図書があるのです。発電所の図面は改良工事が入ると変わります。変わったものをおおものと図面に反映しなければなりません。その改訂履歴をつけて、何年何月の第何回の定期検査で改良したと、図面をプロに書き換えてもらうとか、簡単なものは自分たちで行うとか、そういうことをやっていました。何かを新設したりすると、新設図面も入ってくるので、それをまたライブラリに登録・追加する作業もやっていました。こういう作業も関連子会社への委託でやっているのですが、図書が膨大なので、大変でした。~中略~ この赴任のときにあまりにも健康志向に走ったせいか、福島にいる最後の方で逆に体調を崩して、自律神経が少しおかしくなってしまいました。そういうなかでまた本店に戻りました。一九八九年のことでした。(註・つまり二度目の福島第一原発勤務は一年満たない期間であったようである。その理由として体調不良を挙げているが、本当の理由は別にあると睨んでいる)

 本店では原子力計画課という、技術系の総括的な部署で仕事をしました。いわゆる技術系の筆頭課でした。

---------------------抜粋


ターンキー契約の件や運転延長の件は当事者としての重みがありなかなか興味深いのだが、ここでは蓮池透の東電での経歴を見てみたい。蓮池透は1977年に東電入社して福島第一原発保修課の計装グループに配属、原発のメンテナンスを主に担当していたようだ。そこから原子力開発研究所に出向し、高速増殖炉やプルサーマルの研究に携わることになり、本店復帰後は原子力計画課に配属されることになる。ここで蓮池透は安全審査における旧通産省(現経済産業省)のカウンターパートになる。安全審査とは原発を増設するための設置許可を得るための審査である。原発はECCSなどの重要安全設備は二台ないと機能は発揮できないのだが、蓮池透はコスト削減のために、ここに手をつけたと明言していることは注目に値する。穿った見方をすれば、原発事故を起こしやすくするために「壊れない」という理屈をつけて無駄という決めつけのもと、設計から排除していったのである。ここに福島第一原発事故との接点を見出すことかできる。原発プラントの設計にある安全設備の配管は「絶対に壊れない」から、二本あるうちの一本は無駄であるから設計から外すといった意思決定に蓮池透は関わっていたのである。

さて、前回、今回と、北朝鮮による日本人拉致問題で弟を拉致された蓮池透について取り上げた。北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故をむすぶ点と線の本題に入る前に外堀を埋めた格好だ。参考までに頭の片隅にいれておいて欲しい。続く。
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Category:北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線

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北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 1 蓮池透が『北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ』と主張し続けた意味。

2012/11/09/(Fri) 07:41


蓮池透。1978年に拉致されたとされる蓮池薫の兄で、1997年から2005年まで北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の副代表を務めていた。福島第一原発事故以降、自らが東電社員だったことをカミング・アウトし、各地の講演会に引っ張りだこである。

蓮池透 - Wikipedia

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プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その3 事件発生当日の正午ごろに購入した二個のサラダという記事の最後の方でも軽く触れたが、蓮池透は安全審査における東電側の責任者で通産省のカウンターパートでもあった。他方で東電OL殺害事件の被害者である渡辺泰子さんは通産大臣渡辺美智雄のカウンターパートであったことでも知られている。

蓮池透の経歴の中で、最も看過できないのは、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の事務局長を務めていた当時、日本原燃に出向していたことである。日本原燃といえば悪名高きMOX燃料の製造販売元で、蓮池透は四年間日本原燃に出向した後、東電の原子力燃料サイクル部長の座についている。いわば、日本の核燃サイクル推進に深く関わっていたのである。

「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」
「戦争状態になっても仕方ないと覚悟はできています」
「万が一の時はこちらだってやるべきことはある」
「拉致は国家テロなんですから、日本は集団的自衛権を発動してもいい」

無論、原子力業界は斜陽であった。あいも変わらず、再処理工場から排出される高レベル放射性廃棄物の最終処分問題は棚上げにされたまま、原発ではウラン燃料を燃やし続けていた。そんな中、MOX燃料の促進に携わる立場にいる蓮池透は核武装をも辞さない構えで拉致問題の解決に取り組むよう過激な発言を繰り返していた。今一度、その意味を考える必要がある。

311以前、日本で核武装の議論が盛んに行われていた。少なからず、北朝鮮による日本人拉致問題の影響を受けていたはずだ。つねづね拉致被害者家族会、救う会は北朝鮮拉致に対し力づくで奪還せよ、と過激な発言を繰り返していた。核アレルギーが根強い日本で核武装に対する議論が巻き起こったのも、拉致問題に業を煮やしてのことであったわけだし、核武装を議論する土台づくりに一役買ったことはいうまでもない。


救う会、家族会の真の目的
http://gankoniheiwa.tripod.com/yapparine.html

●対共和国外交で強硬派をリードする蓮池透の"危険思想"

所謂拉致問題の過熱とともに、「家族会」事務局長としてその発言力を増し、いつのまにかこの国の対共和国外交を左右するほどの存在になった蓮池透。
だがその明らかな公人いついても、マスコミはタブーに怯え口をつぐみ続けた。
『噂の真相』だから書くことのできた所謂拉致問題のキーマンの知られざる正体。

 共和国による拉致被害者といわれている人たちが帰国して約半年―――。所謂被害者の家族たちで組織された「家族会」の危険な言動は、ますますエスカレートしている。米国務副長官のアームテージに共和国への強硬姿勢を提言したかと思えば、政府に対しては経済制裁を執拗に迫り、マスコミや外務省には口汚く罵詈雑言を浴びせる。そのしせいはまるで、「被害者の救出」という本来の目的をすっかり忘れてしまったかのようだ。
 そして、そんな政治集団と化した「家族会」の中心的存在となっているのが、所謂拉致被害者・蓮池薫さんの兄「家族会」で事務局長としてメディアや政府に対して徹底した強硬路線を陽動し、今や、この国の共和国外交を左右する存在にまでなっているのだ。しかもここにきて、『奪還 引き裂かれた二十四年』(新潮社)と題する手記まで出版する有様―――。
 だとしたら、メディアもそろそろ、この蓮池兄、蓮池透という人物をきちんと検証してみるひつようがあるのではないか。今や蓮池兄は世論はもちろん所謂拉致問題や朝日関係の行方にも大きな影響を与えるオピニオンリーダーなのだ。もはや立派な「公人」たる人物の思想や言動を検証するのは、ジャーナリズムとして当然の社会的責務ではないのか。
 いや、それ以上に、この蓮池兄を検証しなければならない大きな理由がある。それは、この人物の言動がまさに、「所謂拉致問題の解決」とは別の危険な目的を持っているのではないか、と思わせるものだからである。


●共和国との戦争まで口にしはじめた蓮池透

 たとえば、そのひとつのあらわれがマスコミに対する異常なまでの「報道統制」のやり方だろう。大手社会部記者が振り返る。
 「『家族会』や『救う会』はこれまで、意にそぐわない報道に、恫喝としか思えない行動を繰り返しているが、実はそれを主導してきたのは蓮池さんなのです。フジや朝日、毎日がキム・ヘギョンをインタビューした際は、報道した3社を記者会見や取材から締め出せとまで言っていたし、『週間金曜日』の曽我ひとみさんの家族へのインタビューの時も、『一マスコミが出過ぎたことをするな』とまで言い放っていたほどですからね」
 もっとも、当初はこうしたマスコミに対する強硬しせいも、帰国した5人の所謂被害者を守るための熱意のあまりだと思われていた。だが、その後、当の所謂被害者達が口を開きはじめると、蓮池兄の動機はまったく別のところにあることがわかってきたのである。
 「当の所謂被害者はその後の会見で『(子ども達のインタビューは)ありがたい』と発言してましたからね。ようするに蓮池さんたちは、共和国を利するということがいやだっただけなんじゃないか。『週間朝日』の地村保志・富貴恵さんインタビューの一件で、激怒したのもそう。あのインタビューの中で、地村さんたちが共和国を擁護するような発言をしたことが許せなかったというのが理由でしょう。実際、蓮池さんはマスコミの報道を統制する一方で、共和国を攻撃するためには、薫さんのプライバシーを公開したり、彼らを窮地に追い込むような情報を流していますからね」(前出・大手紙社会部記者)
 こうした理不尽な圧力はマスコミに対してだけではない。周知のように、「家族会」の会長である横田滋さんがこれまで、3度にわたって訪朝の意思を表明しながら、その都度、断念に追い込まれているが、これもすべて蓮池兄による強硬な反対の結果なのだ。内情に詳しいジャーナリストもこう首をひねる。
 「『家族会』は所謂被害者の家族のために作った組織なんですから、当然、本人達の意向を優先すべきだし、結果的には横田さんの訪朝が所謂拉致問題の解決を促進する可能性もある。ところが、蓮池兄は『救う会』の佐藤勝巳会長らとともに横田さんに『共和国を利するだけだ』とプレッシャーをかけまくり、横田さんが訪朝の断念を表明せざるをえない状況に追い込んでしまったんです」
 そして、きわめつけともいえるのが、訪米や経済制裁のようきゅうといった最近の動きだろう。
 この行動は、核開発をめぐる多国間協議がはじまった状況で、一歩間違えば、米ブッシュ政権の共和国への武力により侵略を後押しする、きわめて危険なもの。しかも、蓮池兄は問題解決とは逆の結果を招くとしか思えないこの「経済制裁」というようきゅうに固執し、その言動をエスカレートさせていっているのだ。
 「そもそも3月の訪米も言い出したのは蓮池さんなんですが、この時、蓮池さんはアーミテージから『拉致はテロ』との言質を得たことに勢いづいて、『外務省にも同じことをいわせろ!』と川口外相との面会をようきゅうするんです。しかも、川口がテロ認定や経済制裁を拒否すると、蓮池さんは激怒。逆にその言動を激化させていった。しかし今、『経済制裁』なんかをやれば、共和国がさらに態度を硬化させるばかりか、共和国にいる所謂被害者の肉親を窮地に追い込むようなことになりかねない。こんな政策をようきゅうするというのは、もはや蓮池さんは所謂拉致被害者の奪還よりも共和国と戦争をしたがっているとしか思えませんね」(大手紙政治部記者)
 そう。蓮池兄の目的は「所謂拉致問題の解決」ではなく、この国と共和国との対立を激化させることにあるのではないのか―――。そんな疑念が拭いきれないのである。実際、すでに蓮池兄は様々なメディアで「共和国との戦争」を容認すような発言をおこなっている。
 「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」「戦争状態になっても仕方ないと覚悟はできています」「万が一の時はこちらだってやるべきことはある」・・・・・。
 そして、最近のある論壇誌のインタビューでは、こんな台詞なで口にした。
 「拉致は国家テロなんですから、日本は集団的自衛権を発動してもいい」


●蓮池透の知られざる危険な「本業」

 とうとう、共和国への武力攻撃まで主張しはじめた蓮池兄―――。
 しかし、である。だとすれば、こうした彼の発言は一体、どこから来るのか。
 以前から蓮池兄を取材している地元記者がこう語る。
 「当然、金正日体制打倒を目的とする『現代コリア』や『救う会』の影響もあるでしょうが、それだけではない。蓮池さん自身にも、そういう体質、つまり国家主義的な『思想背景』があるんですよ。というのも、蓮池さんの勤務先はあの会社ですからね」
 あの会社―――。そう。インタビューや著書などでは自分の職業を「エネルギー関連」としかいわずに詳細を伏せている蓮池兄だが、実はあの「東京電力」の社員なのである。
 「蓮池さんは1977年に東京理科大学を卒業後、東京電力に入社し、現在も社員として同社に在籍しているはず。蓮池さんの実家のある新潟県柏崎市は原子力発電所がある所で知られていますが、電力会社は地元の融和のために原発のある地域の住民を積極的に採用していますからね」(前出・地元記者)
 蓮池兄はたんに巨大電力会社の社員というだけではない。東京電力といえば、昨年、福島や柏崎の原子力発電をめぐってトラブル隠しが次々に発覚。世論の厳しい批判を浴びているが、彼がこの会社でやっている仕事というのはまさにその原子力発電、それも最も問題が多いといわれる「核廃棄物(使用済燃料)再処理」に関わるものなのだ。
 たとえば、ここに本誌が入手した資料があるが、それによると、蓮池兄のここ数年の所属部署・肩書きは以下のようなものである。

 1997年 東京電力・原子燃料リサイクル研究室 副研究室長兼主管研究員
 1988~1999年 同 バックエンドグループマネージャー 主管研究員
 2000年 同・原子力技術部 リサイクル技術センターリサイクルグループ グループマネージャー
 2001年 同・原子力技術部 フロントエンド技術グループ マネージャー

 そして、2002年から蓮池兄は「JNFI」という、各電力会社などが出資して設立した核廃棄物関連企業に出向。現在は同社で、燃料製造部副部長の職にある。
 その仕事の内容について東京電力関係者がこう証言する。
 「蓮池さんはこの数年、プロトニウムの生産や使用につながると大きな問題になっている核廃棄物再処理に関するプロジェクトを一貫して担当しているんです。とくにJNFIに出向してからは、例の国家的プロジェクトである『プルサーマル計画』の中心的役割を担っている。というのも、現在、JNFIは『六ヶ所再処理工場』内にプルサーマル計画に不可欠な『MOX』という燃料の加工工場建設を計画しているんですが、蓮池さんはその許認可申請の担当者なんです」
 なんということだろう。「六ケ所再処理工場」といえば、周知のように、青森県六ヶ所村に現在建設中の「プルトニウム生産工場」で、「この国で最悪の核施設」と呼ばれる場所。そして、その中でも蓮池兄が担当している「プルサーマル計画」というのは、そのとてつもないデタラメぶりと危険性から、今、原発反対派のもっとも激しい批判を受けている計画ではないか。
 原子力問題に詳しい評論家がその危険性をこう解説する。
 「六ケ所再処理工場は核廃棄物からプルトニウムを排出する施設なんですが、このプルトニウムというのは、通常の原発が燃料として使っているウランの1億倍の毒性を持つうえ、少量で簡単に原子爆弾が作れるというきわめて危険なシロモノ。また、その過程では、通常の原発1年分の放射能がたった一日で出るといわれており、英仏では周辺に白血病が多発しているという事実もあります。しかも、政府と電力会社が97年に立ち上げた『プルサーマル計画』はこの六ヶ所村で抽出したプルトニウムを使ってMOXという燃料を生産、それを既存の原発の燃料に使用するという計画なんです。既存の原発は燃料がウランであることを前提に作られているのに、それにプルトニウムを使うというんです。実際、専門家からは『プルサーマル計画』によってチェルノブイリ級の事故が起きる可能性も指摘されていますし、この方式は大量の放射性廃棄物を発生させるという問題もある。実際、この国以外のほとんどの国はその危険性を考えて、すでに『核廃棄物再処理』や『プルサーマル計画』から撤退しはじめているのが実情なんですから」
 まさに百害あって一利なし、国民の生命を脅かすだけの最悪の計画ということらしい。そして繰り返すが、蓮池兄はその国民の生命を脅かす最悪の計画の許認可申請の担当者、つまり旗ふり役なのである。


●蓮池透とこの国のプルトニウム保有

 だが、本誌が今回、蓮池兄の職業に注目したのは、単純に危険なプロジェクトの旗振り役を平気で務めるそのメンタリティを指弾したかったからではない。実を言うと、この蓮池兄がかかわっている「核廃棄物再処理」「プルサーマル計画」という実情そのものが、まさにその国家主義的思想にもとづいている部分があるからだ。先の評論家が語る。
 「実は今、政府や電力会社が強引に進め、蓮池さんが旗ふり役を務める核廃棄物再処理やプルサーマル計画というのはあん全だけでなく、コスト的にもまったくメリットがないんです。だからこそ、他国は次々と撤退しはじめているわけですが・・・・・。ところが、この国だけはかくも無謀な計画に今も突き進もうとしている。そしてその背景には、政府の『まずプルトニウム保有ありき』という方針があるんです。敗戦国であるこの国はIAEA(国際原子力機関)から民生品目的以外のプルトニウム保有を禁じられていますから、その保有のための大義名分をたてなければならない。それで無理矢理なんのメリットモないプルトニウムを使った発電に固執しつづけてきたというわけです。では、なぜ政府がそこまでプルトニウム保有に意る___。答えは一つ、プルトニウムが核兵器製造に不可欠な原料だからでしょう。政府は将来の核武装に備えて、どうしてもプルトニウムを保有しておきたんですよ」
 核武装のためのプルトニウム保有?にわかには信じがたい話だが、しかし、これは思い込みでも陰謀史観でもない。
 あるベテラン政治家評論家も、この国のプルトニウムによる発電計画が核武装の意思と密な関係にあることをこう指摘する。
 「この国ではじめてプルトニウムを使った原発(高速増殖炉)の計画が立ち上げられたのは、岸信介が首相だった58年。直前に、岸は国会で『我国は核兵器を保有できる』と発言して物議をかもしているが、この計画は、明らかに将来の核武装を見越してのものだった。冷戦下で自主独立を勝ち取る、核武装は不可欠と考える岸に、戦前の国策社会的体質を引きずる電力会社が全面協力していったという図式だよ。しかも、このプルトニウム使用路線は、その後も佐藤栄作、中曽根康弘という『核武装論者』によってより推進・強化されていったという経緯がある。当然、今も、自民党や経済産業省の官僚、そして電力会社の幹部にこうした最初の動機は受け継がれているはずだ」
 ようするに、この国も核開発が指摘されている共和国を責められない状況かにあるというわけだが、問題は、蓮池兄がその「核武装」という国家主義的動機に裏打ちされた計画のど真ん中で仕事をしてきたという事実だろう。原子力産業の関係者もこう語る。
 「実際、原発や核廃棄物再処理にかかわっているキャリアや技術者には、国家主義的な考え方をする人間が多い。中には実際に『核武装』を口にする人間もいますしね。また一方では、反対運動の矢面に立たされてきたために、平和主義者に対する憎悪が激しいのも特徴です(笑)。蓮池さんもこういう連中の中にいたわけですから、そういうものの考え方に感化されていても不思議はありません」
 しかも、蓮池兄にはもう一つ、勤務先の東京電力という問題もある。
 たとえば、蓮池兄が東京電力の一社員でありながら、ここまで所謂拉致問題に専念していることに対して「仕事のほうは大丈夫なのか」という心配の声をよく聞くが、どうもこの「家族会」事務局長の活動の背景には、「会社のお墨付き」があるようなのだ。
 当の東電社員がこう語る。
 「そう聞いています。それもウチの社長が蓮池さんを直接、社長室に呼び、自ら『仕事のことは気にしなくていいから、思いっきりやってくれ』といった、と」
 これだけを聞くと心温まるエピソードだが、この「お墨付き」がほんとうに人道的な理由によるものかどうかはきわめて疑わしい。というのも東電は数ある電力会社の中でも、そのすさまじい情報操作や謀略体質でつとに知られている企業だからである。実際、東電の内情に詳しい経済誌編集幹部はこう語る。
 「たしかに、東電の幹部連中は蓮池さんの過激な政治的発言にも眉をひそめるどころか、むしろ大喜びしているからね。本人の意思とは関係なく、蓮池さんを政治的に利用しようとしている可能性は考えられる。たとえば、蓮池さんの担当している『プルサーマル計画』は現在、導入が予定されている高浜、福島、柏崎刈羽などの各原発の地元で、市民団体の猛烈な反対が起こり、頓挫状態だが、蓮池さんを使って地元の柏崎刈羽を突破口にするという作戦もありえるし、将来的には、彼を政界に送り込んで、電力業界と核保有勢力の代弁者にすることも考えられる」


●蓮池透の宣伝部隊と化したマスコミ

 次から次へと出てくる蓮池兄の危険なバックボーン―――。しかも、すでに「共和国との戦争」「集団的自衛権の発動」といった台詞がこの人物自身の口から出てきていることを考えれば、こうした危険なバックボーンがこの先、一気に全面に出てくる可能性も十分にあるうるだろう。原発におけるプルトニウムの使用、そして核武装・・・・・。
 ところが、この国のマスコミはこんな危険な人物の言いなりとなって、いまだに足元に平伏してしまっているのが実情なのだ。
 「いや我々も気がついてはいるんです」
 こう語るのは民法報道局関係者だ。
 「たしかにその報道統制ぶりや政治的発言については、我々の間でも『やりすぎだ』という批判の声が根強い。でも、だからと言って蓮池さんの意にそぐわない報道をしたらそれだけで取材拒否ですからね。下手をしたら、『週間朝日』のように、バッシングを仕掛けられて、ボロボロになりかねない。だから分っていても、批判やスキャンダルなんて絶対にできないんですよ」
 最近では蓮池兄をめぐってこんなことが起きている。実は数か月前から蓮池兄が毎週末に新橋場外馬券場で馬券を買っているという噂が囁かれていたのが、ここにきて『週間ポスト』と『フライデー』が場外馬券場を張り込み、蓮池兄の撮影に成功したというのだ。ところが、2紙ともせっかく撮った写真を自主規制でボツにしてしまったのだという。
 また、この3月中旬には、NHKがよりによってセミナーの講師に蓮池兄を招聘。こんな政治性の強い人物に社員の研修をさせたあげく、メディア批判まで語らせたという。
 「実はNHKは、朝日首脳会談以前に蓮池兄に2時間以上もインタビューしたことがあったんですが、彼の政府批判が偏り過ぎていたので放映ではまったく使わなかったんです。そのため、それ以降取材拒否を宣伝され、関係が悪かった。そこで所謂共和国による拉致の報道ができなくなると焦ったNHKは透さんに平謝りし、何とか取材拒否を取り下げてもらったんです。セミナー講師を依頼したのは、つまり彼のゴマすりというわけですよ」(NHK関係者)
 いやはや涙ぐましいまでの気の遣いよう、自粛ぶり―――。
 ようするに、この国のメディアはこんな危険な人物の批判をタブーにしているどころか逆に宣伝部隊になりさがっているのである。
 実際、例の手記『奪還』をめぐっても、テレビ・新聞・雑誌がこぞってインタビューつきでこれを紹介する特集を組み、今や蓮池兄の顔を見ない日はないという状態だ。
 「発行元の新潮社が蓮池インタビューとセットにして、各社に手記のパブリシティ企画を持ちかけてきているんですが、どこも今後のことがあるので、その申し出を断れないんです」(前出・民放報道局関係者)
 だが、この「家族会」事務局長がほんとうに将来、共和国への武力による侵略、さらにはプルトニウム使用や核武装実現に向けて政治的影響力を持つようになったら、マスコミは一体どう責任をとるつもりなのか。
 今からでも遅くはない。マスコミはこの共和国との戦争を叫ぶ人物の正体をそろそろ見極めて、その危険性をきちんと指摘すべきではないのか。

---------------------抜粋


蓮池透は弟蓮池薫帰国後も、拉致問題解決に取り組み、時に当時の米国国務長官アーミテージに直談判したこともあった。武力攻撃すら主張した。

北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ。時に過激に発言し、強硬路線を主張する蓮池透は、今世紀最大の嘘である核燃サイクル推進に深く関わっていた。この事実は、けして無視できるものではなかった。続く。


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