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プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その3 事件発生当日の正午ごろに購入した二個のサラダ

2012/06/19/(Tue) 09:00

プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その1


東電OL事件の被害者である渡邉泰子さんは、事件現場で発見された時、ツーピースの中にブラウスを着て、ベージュのコートを羽織っていた。下着とストッキングも身に着けた状態だった。現場でレイプされ殺害されたのではない。

「本件死体の頭部、顔面部等に打撲傷、擦過傷があるほか、下顎底部から前頸部及び左右胸鎖乳突筋部にわたる範囲に頸部圧迫痕が認められ、頸部軟部組織出血・甲状腺出血を伴っており、かなり強い力で頸部を圧迫したものと思われる。」

検死報告では、渡邉泰子さんは首を絞められ、一瞬のうちに死に至らしめられたことを想像させる。

口が開いたショルダーバッグの取っ手は、金具部分が40kgの負荷をもって千切られていた。

プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その2 ショルダーバッグの取っ手は40kg程度の荷重で千切られていた

ショルダーバッグの中には財布、コンドーム、そして、手帳が入っていた。

犯人は渡邉泰子さんの手帳に手を加え、内容を改竄したのではないか。そう疑うのも、彼女の髪の毛に絡まるように、ボールペンが発見されているからだ。

この手帳こそ、渡邉泰子さんを街娼たらしめた根拠の一つであり、一審判決でも「本件手帳には、日付欄に当該日の被害者の売春の相手名が記載され、その右側に売春料金が併記されるなどしている。」と触れている。

東電本社企画部経済調査室副長であった渡邉泰子さんは通産省と東電を結ぶパイプ役だった。経済的なエネルギー政策を政府に進言するシンクタンクのような部署の管理職だった彼女の手帳には、接待の予定がびっしり書かれていただろう。

犯人は手帳の内容を街娼の記録のように書き換え、未使用のコンドームを入れた。死後も街娼として貶められるように現場に細工を施し、渋谷区円山町のボロアパートの空き部屋に死体を放置した。このように考えるのは邪推だろうか。

とにかく、渡邉泰子さんのことは死後もスキャンダラスに報じられた。


東電OL殺人事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/touden.htm

昼のエリート・キャリアウーマンには全く別の夜の顔があった。それを知ったマスコミが放っておくわけがなく、泰子のプライバシーは滅茶苦茶にされた。

マスコミは円山町周辺の取材をして、泰子が通りかかった男に声をかけているところや男と腕を組んで歩いている姿を目撃したという話を書いた。東電の管理職である泰子が金目当てで売春しているとは考えられないと、スポーツ新聞や週刊誌はいろんな憶測記事を書き、ある週刊誌は全裸写真まで掲載した。泰子の母親は耐え切れず警察に抗議した。東京法務局は、行過ぎた内容は人権侵害に当たるとして再発防止の異例の勧告を行った。その後、少しは沈静化したようだった。

---------------------抜粋


彼女の体内から精液が検出され、死の直前に性交渉があった。

現場の部屋のトイレから使用済みのコンドームが発見された。

円山町の街頭に立つ渡邉泰子さんの姿が目撃されている。

だから捜査側は『被害者は街娼として客を捕り、事件現場のアパート一室が空き部屋になっていることに目を付けて利用していたに違いない』というストーリーを見立てた。

結果として渡邉泰子さんの死後の尊厳は無茶苦茶に貶められた。本当に無茶苦茶である。

なぜ、渡邉泰子さんは死後も貶められなければならなかったのか。

そもそも、渡邉泰子さんは本当に円山町で客を引く街娼だったのだろうか。



渡邉泰子さんは平成三年頃から円山町で客を取っていたという。しかし、ここに疑問がある。渡邉泰子さんは杉並区西永福在住であり、井の頭線を利用して本社(千代田区内幸町)に通勤していた。企画部経済調査室副長という立場を考えてみても、東電渋谷支社に立ち寄ることもあっただろう。

東電渋谷支社は東京電力館の隣にある。渋谷と原宿の中間辺りに位置するファイアーストリートの一角だ。事件現場と目撃情報、東京電力渋谷支社などを地図にプロットしたのが以下である。

東京都渋谷区円山町16-8 - Google マップ 35.657067 139.694542   Google マップ

東電渋谷支社は井の頭線渋谷駅から距離にして1キロ弱ぐらいだ。徒歩で10分の距離だが、タクシーを利用することもあったろうし、彼女の肩書きを考えれば渋谷支社側が迎えを寄越す可能性もある。

東電渋谷支社にタクシーで向かう場合、道玄坂に出れば簡単に捕まえることができるが、一車線の道路で終日混雑し、脇にそれると複雑に一方通行が絡み合っていることからUターンに適していない。必然的に道玄坂を渡った向こう側で車を待つことになる。そこが道玄坂、少し南に下れば円山町と呼ばれる界隈である。円山町での目撃証言というのは、実に東電渋谷支社に向かおうとする車待ちの彼女を見かけただけに過ぎないのではないか。街娼として客引きをしていたかどうかはともかくとしても、目撃情報ぐらいはあって当然だろう。


渡邉泰子さんは本当に円山町で客を取っていたのだろうか。それとも、彼女の主張もろとも永遠に葬り去ろうとして徹底的に貶められているのか。彼女は誰を敵に回したのであろうか。

渡邉泰子さんは結果として死後も徹底的に貶められた。犯人(を雇った組織)はメディアを使い、円山町の街娼としての虚像を作り上げた。東電に務める傍ら、夜は円山町の街頭で客を取り、奇行を繰り返していた、それはそれは、発案者の品格すら疑うストーリーである。



東電OL殺人事件東京地裁無罪判決
http://tamutamu2011.kuronowish.com/toudennolmuzaihannketu.htm

(三) 本件死体は、身長169センチメートル、体重44キログラムであり、頭
部を東側、下肢を西側に向け、仰向けの状態で、顔面をやや横に向け、上肢は両手を広げた状態であり、下肢は両足をそろえて閉じた状態であった。着衣は、ブラウスの上にツーピース、その上にベージュ色のトレンチコートを着用していたほか、パンティストッキング、ブラスリップ、パンティーを着用していた。
(四) 本件死体頭部左側には、頭毛に接してショルダーバッグ(黒色皮製、開口
部がキンチャク式のもの、以下「本件ショルダーバッグ」という。)が開口部分を上にした状態で置かれており、その中には、V名義の会社発行の勤務証、現金473円が入っている2つ折り財布(以下「本件財布」という。)、現金60円、包装されて未使用の状態のコンドーム28個等が入っていた。なお、後述のとおり、本件ショルダーバッグの取っ手の部分は千切れていた。また、本件死体頭部付近には、容器入リサラダ2個在中の青色ビニール製手提げ袋や、おでん等の食品類等在中の黒色布製手提げ袋も置かれていた。


二 被害者の身上及びその失踪状況

1 遺留されていた前記勤務証等により、直ちに被害者はVであることが判明した。
被害者は、東京都杉並区に暮らしており、大学卒業後の昭和55年4月に会社に入社し、前記井の頭線等を利用して会社に通勤しており、平成9年3月当時は、各種論文を作成するなどの業務に従事していた。また、被害者は、右会社勤務の傍ら、平成3年ころからは、勤務終了後に、東京都渋谷区円山町界隈の街頭に立って客を誘って売春をしたり、なじみの常連客と待ち合わせて、渋谷付近のホテルで売春をするようになったほか、平成8年6月ころからは、東京都品川区西五反田のSMクラブに在籍し、勤務先の休日である土日及び祭日の午後零時30分ころから午後5時30分ころまで稼動し、その後は渋谷区円山町界隈で深夜まで売春婦をしていた。

2 被害者の失踪等(犯行時刻の特定)
(一) 3月8日の被害者の行動
(1) 被害者は、土曜日であった3月8日の午後零時30分ころ、百貨店の食品売場において購入したサラダ等を携行して、前記五反田のSMクラブに出勤したが、客がつかなかったため、午後5時30分ころ、同店を出た。その後の行動は明確ではないが、午後7時ころ、常連客の甲野と約束したJR渋谷駅ハチ公口前で落ちあい、渋谷区円山町のコンビニエンスストア「セブンイレブン渋谷円山町店」に立ち寄っておでんを購入し、午後7時13分ころから午後10時16分ころまで、甲野とともに付近のホテル「プリンス」に滞在して売春行為に及び、道玄坂派出所前の交差点で甲野と別れた。その後、被害者は、午後10時30分すぎころ、渋谷区円山町の青果店前で売春の客引きのため佇立しているところを目撃されたり、同町萩原ビル前付近の道玄坂において4、5人の男に売春目的で声をかけるなどしているのを目撃されたりしていた。

~中略~

(二) 翌9日からの失踪
被害者は、帰宅時間は遅かったものの、それまで無断外泊したことは一度もなかったところ、3月8日に家を出てからは帰宅することもなく、連絡も取れない状態に陥り、翌9日に出勤予定の前記五反田のSMクラブヘも姿を現さず、月曜日である3月10日には勤務先も無断で欠勤してしまった。

三 被害者の所持金の紛失
1 被害者は、甲野と別れる際、同人から、売春代金3万5000円を受領したことが認められるが、甲野の供述によると、被害者に対して1万円札4枚を手渡したところ、被害者からお釣りとして千円札5枚が返されたので受け取ったというのであり、しかも、甲野は、その1万円札4枚を被害者が本件財布の中に入れるのを直接現認していたというのである。
2 被害者は、1万円札4枚を甲野から受け取った後に101号室へ移動していることになるが、その間に、被害者が右現金を費消してしまったことをうかがわせる形跡は皆無である上、本件の犯人とされる者以外の第三者が101号室内に立ち入って右現金を奪ったということも考えられない状況にあった。

---------------------抜粋


渡邉泰子さんは、3月8日当日の正午ごろ、渋谷の百貨店の食品売場において2つのサラダを購入した。彼女は、サラダ2つを購入した直後に拉致されたか、あるいは殺害されたはずだ。というのも、

「 また、本件死体頭部付近には、容器入リサラダ2個在中の青色ビニール製手提げ袋や、おでん等の食品類等在中の黒色布製手提げ袋も置かれていた。 」

2つのサラダは手をつけられずに彼女の遺体の傍らにあった。サラダは買って直ぐに食べるものだ。

他方で目撃者の証言によれば、彼女が最終的に目撃されたのは3月8日夜22時30分頃。サラダを買ってから10時間以上が経過しているのだ。甲野や目撃者の証言が事実であれば、渡邉泰子さんは夜22時半までサラダ2つを持ち歩いていたことになり、生鮮品であるサラダを10時間も食べずに持ち歩くことなんて有りうるかという話になる。

サラダは誰かと一緒に食べるために二個買ったのだろう。渡邉泰子さんは、誰かの元へと向かったはずであり、その道中に拉致されたとも考えうる。




渋谷区円山町 - Google マップ

事件現場が円山町というのも象徴的だ。円山町はかの宰相大平正芳が愛人と密会を交わした場所だ。大平正芳が愛人に産ませた子が、大平明だという。大平明は、事件当時、渡邉泰子さんの直属の上司だった人物で、彼女と恋愛していたと目されるキーマンである。

福岡一家四人殺害事件の犯人が家の表札を持ち帰ったように、仕事を完了した証拠として持ち去った定期入れを暗殺者は依頼主に仕事完了の証明として手渡したのかもしれない。そして、3月12日、彼女の定期入れは巣鴨5丁目で発見される。大平正芳の誕生日も3月12日だ。象徴的な符号を見せる。


誠天調書: 何故に渡邊泰子は消されたのか?死後も徹底的に貶められたのか?だって、彼女はタイミングによっては政治的な爆弾となる恐れがあったからね。
http://mkt5126.seesaa.net/article/216024133.html

http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200904250004/ リンク切れ

東電時代、彼女と同じ職場に勤務していた大平明に会ったときにも感じた。

元総理の大平正芳の三男の大平明は現在、大正製薬の副社長となっているが、
慶応の経済学部を卒業した昭和四十四(一九六九)年に東電入りし、
一時期、彼女の勤務する企両部経済調査課(現・企両部経済調査室)で、
上司として一緒に机を並べた。

捜査当局が押収した彼女の手帳のなかには、
「客」と、それ以外の人物をあわせ、
大平ほか十五名の名前と電話番号が書かれていた
といわれている。

私が大平に会ったのも、
その点について本人から直接確認をとるためだった。

大正製薬の一室で会った大平はソフトな物腰ながら、この点に関しては真っ向から否定した。

「彼女の手帳には、私の名前も携帯電話の電話番号も載っておりません。
私が噂になっていることを心配した私の友人が
捜査当局に連絡をとって問題の手帳を人を介してみてもらった

その結果、私の名前も電話番号もなかったと連絡がありました。
ですから間違いありません。
もちろんこの件で警察の事情聴取を受けたこともありません」

註・証拠品がみれるというのは、それ相応の組織に属し、それ相応の特権の持ち主である。そのような組織は、そんなには多くない。

その後の取材で、警察が押収した泰子の九六年度の手帳にはアドレス帳も含めて、
大平明の名前は載っていなかったことが判明した。

しかし警察が押収した泰子の手帳は九六年度のもの一冊ではないので、
これだけをもって泰子の手帳に大平明の名前がなかったとは言い切れない。

---------------------抜粋


東電OL事件が発生した1997年当時、通産省(現経産省)と東電を結ぶ窓口であった渡邉泰子さんは、通産省内を二分する、原子力エネルギーへの依存を深めていこうとする側と、バックエンド問題で行き詰っていた原子力エネルギーから脱却し、太陽光発電や地熱発電を促進しようとする側の潰し合いを間近で見ていたのであろう。それは、無論、日本のエネルギー政策の分水嶺にあった。結果として地熱発電への補助は打ち切られ、原発依存を深めていくことになった。地熱発電は温泉の延長線上にあり、世界有数の温泉国として知られる日本で有効利用しない手立てはない。なのに、環境省
(国交省)は国立公園法を縦にボーリング調査すら行わせようとしなかった。今日に至るまで地熱発電には消極的である。それはなぜか。通産省内の、かつての内紛時に徹底的に潰されたからだ。

現在は大正製薬の社長である大平明が事件に関わっているかどうかは知る由もない。ただ、C○Aにお友達がいるようなので、事件の真相を知っている可能性はあるだろう。




余談であるが、もう一人、怪しいと睨んでいる人物がいる。その人物は東電OBで、渡邉泰子さんの三年先輩であった。原燃に出向しMOX燃料の促進に深い関わりを持ち、安全審査での通産省とのパイプ役だった男だ。ゴビンダさん釈放の日に、全く事件のことに触れないので、一言ぶつけてみた。


Twitter - jhatajinan- @1955Toru 初めまして-


残念ながら、返事はまだ来ていない。



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Category:原子力業界の不思議な事件

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