Home  > Archive > 2012/03

Archive list

2012/03Archive list

原子力業界の不思議な事件・311以降のまとめ

2012/03/30/(Fri) 14:38

原子力業界の不思議な事件・福島便槽内変死事件
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-315.html



最近になってこんな話が出てきた。

sc0015.png


石井紘基議員が刺殺された理由は、石川県の原発用地買収を調べていたからだという。石井紘基刺殺事件は2002年10月に発生したのであるが、中部・関西・北陸電力と三電力会社キモ入りで推し進めてきた珠洲原子力発電所の白紙凍結は2003年12月である。真偽はともかく、石井議員がすっぱ抜いていても不思議ではないし、石井紘基刺殺事件自体が原子力業界の不思議な事件であっても不思議ではない。

今回のブログエントリでは311以降の原子力業界の不思議な事件をまとめてみたい。




2012年2月19日、「週刊東洋経済」編集長が東京都迷惑防止条例違反(いわゆる痴漢)で逮捕された。20代と30代の女性会社員の下半身を触った疑いである。


時事ドットコム:「週刊東洋経済」編集長を逮捕=電車内で女性の下半身触る-警視庁
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201202/2012021900015

 電車内で女性の下半身を触ったとして、警視庁大森署が東京都迷惑防止条例違反容疑で、「週刊東洋経済」編集長の三上直行容疑者(46)=横浜市磯子区峰町=を現行犯逮捕していたことが18日、同署への取材で分かった。容疑を否認し、「酒を飲んでいて覚えていない」と供述しているという。
 逮捕容疑は17日午後11時すぎ、JR京浜東北線の大井町-大森駅間を走行中の電車内で、20代の女性会社員の下半身を触った疑い。
 同署によると、三上容疑者は電車内で30代の女性会社員の下半身も触っていたという。男性会社員に取り押さえられ、同署員に引き渡された。(2012/02/19-01:28)

--転載ここまで--


これはただの痴漢事件なのだろうか。どうも胡散臭い。

「週刊東洋経済」編集長は17日(金曜日)深夜23時に逮捕されたのだが、その週の月曜日、2月13日発売の号では『東京電力 偽りの延命』と題し、福島第一原発事故の当事者であり事業主の東京電力を糾弾する特集が組まれているのである。


10000019_01_132_L.jpg
2月13日発売の号の中吊り
↓↓
虎の尾を踏む
↓↓
編集長逮捕
↓↓
翌週の「週刊東洋経済」
5843b927.jpg
2月20日発売の号の中吊り




この、分かりやすいはなんというか。




「週刊東洋経済」の中で何かが変わったことは確かなようだ。痴漢容疑で逮捕された編集長は東京電力という虎の尾を踏んでしまったのだろう。逮捕されたのはJR大井町駅~大森の間であるが、大井町駅の隣が、かの植草一秀氏が嵌められた品川駅である。「週刊東洋経済」は編集長が逮捕されて明らかに何かが変わった。雑誌の中吊りを二枚並べてみれば、それは一目瞭然である。

「週刊東洋経済」の編集長は嵌められたのか?

誰だってそう勘繰りたくなる。



次は2012年1月4日に報じられた三重県南伊勢町議、上村康広さんが変死した事件である。この事件は自殺として片付けられたが、いかんせん不可解である。


南伊勢町議が車内で死亡 散弾銃が暴発か

 3日午後2時45分ごろ、三重県南伊勢町古和浦の牧場の駐車場で、同町議上村康広さん(64)が乗用車の運転席で胸に銃弾を受け、血を流して倒れているのを家族が見つけ、119番した。上村さんは搬送先の病院で死亡が確認された。

 伊勢署によると、上村さんが所有する散弾銃が車外の運転席近くで見つかった。薬きょうが近くに残されるなど直前まで銃を使っていた形跡があり、車の外から撃たれた跡がないことなどから、伊勢署は銃が暴発した可能性が高いとみて調べている。

 同署によると、上村さんは3日午前10時半ごろ、カラス駆除のため、経営する牧場に1人で自宅から出掛けた。胸のほかに目立った外傷や衣服の乱れはなかった。車内から天井に向け弾が当たった痕があり、発見時に車のドアは開いていたという。

 上村さんは1991年6月に旧南島町議として初当選し、99年6月に同町議会議長に就任。地元に中部電力が建設を計画し、後に断念した芦浜原発の反対運動を主導した。(共同)

--転載ここまで--


銃身が長い散弾銃で自殺できるだろうか。

上村さんは中部電力芦浜原発の建設を主導した、いわば反対のリーダー的存在であった。本当に自殺だろうか。そもそも散弾銃で自殺などできるのだろうか。

原発建設反対派の主導的立場にあった町議が変死体で発見され、自殺として片付けられる。まさしく、原子力業界の不思議な事件である。




もう一つ、2012年1月26日に報じられた千葉科学大学危機管理学部の小川信行教授が神戸市中央区で変死した事件を取り上げておきたい。今回の中で、最も象徴的な原子力業界の不思議な事件である。


千葉科学大教授が北野の路上で病死 神戸 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120126/hyg12012602050002-n1.htm

2012.1.26 02:04

20120225103448_120.jpg

 25日午前2時55分ごろ、神戸市中央区北野町の路上で「急病の男性がいる」と通行人(25)から119番があった。生田署員が駆けつけたところ、男性が倒れており、病院に搬送されたが死亡が確認された。

 同署によると、男性は千葉科学大(千葉県銚子市)危機管理学部の小川信行教授(68)。行政解剖の結果、死因は病死と判明した。小川教授は独立行政法人「防災科学技術研究所」(三木市)で24日午後に開かれた会合に出席するため23日から同区北野町のホテルに宿泊していた。

 同大によると、小川教授は地震工学が専門で、日本原子力学会などに所属しているという。

--転載ここまで--


小川教授は日本原子力学会に所属し、核燃料安全専門審査会に名を連ねている。

Screen Capturefff


これだけでも原子力業界の不思議な事件なのであるが、小川教授はこれだけではなかった。原子力プラントの耐震に関する研究、さらには聞き配管系の耐震安全裕度評価に関する研究をしていたのである。

東電は相も変わらず『想定外の津波が福島第一原発の三炉が壊れた原因』だと言って憚らない。多くの専門家が津波到達前に地震で壊れていたのではないかと指摘しているし、外部電源喪失だって重要な原因の一つである。しかし東電は地震も外部電源喪失も福島第一原発事故の主因であることを頑なにまで認めようとしないのである。







とにかく東電は、「想定外の津波で原発が壊れた」ことにしないといけないのである。地震と外部電源喪失が事故の要因であっては困るのである。

以前エントリした福島第一原発事故の真相に迫る! 8 主蒸気逃し安全弁が機能不全に陥ったわけで触れたが、福島第一原発の一号機に関しては地震や津波、外部電源喪失以外に、もう一つ原因があるのではないかと考えている。非常用復水器の戻り配管が接続されている再循環ポンプ配管がその部分である。

311の本震によりスクラム停止した1号機は津波到達までに非常用復水器が起動した。その際に、非常用復水器タンクに貯められていた冷却水(常温水)は接続先である再循環ポンプ配管に向かって一気に流入することになる。

1号機の非常用復水器は作業員が55℃/hを遵守すべく手動で止めたと説明されている。だが、当方はそうは見ない。理由は、非常用復水器を起動させた時の再循環ポンプ入り口の温度差である。


201112260652442f4_20120330143128.jpg


150℃と130℃。非常用復水器が起動し、再循環ポンプが常温の水で一気に冷やされたのだが、55℃/hどころの騒ぎではない。脆性破壊と老朽化を踏まえれば、再循環ポンプ配管は致命的なダメージを受けていても不思議ではない。しかし、悲しいかな、東電も事故調も、このことには全く触れていない。

小川信行教授は、非常用復水器起動による再循環ポンプ配管の配管破断に触れてしまい、暗殺されたのではないか。そう考えるのは邪推だろうか。



関連記事
スポンサーサイト



Tag:福島第一原発事故 

Category:原子力業界の不思議な事件

comment(1trackback(0

フクイチ3号機の大爆発はプルトニウム240の過早爆発ではなかったか。補足

2012/03/30/(Fri) 01:00



フクイチ3号機の大爆発はプルトニウム240の過早爆発ではなかったか。
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-392.html



http://d.hatena.ne.jp/eisberg/20111127/1322433832

 私は、福島第一原発事故のヒバクシャです。私の住む飯舘村(※)にプルトニウムが降ったのです。放射能は目に見えませんが、もし見えるならば、私の体は今、ドイツの街を輝かせるクリスマスの飾りのように光っていることでしょう。

※ 飯舘村は30キロ圏外でありながら猛烈に汚染されている地域
o0620056211633922487.jpg


 事故が起こってすぐ、私は原発がおかしい、何かが起こっているのではと強く思いました。そして、新聞に三号機の爆発が発表された3月14日、私は慌てて村役場に飛んで行きました。「原発はどうなっているのですか」と問いただすと、「大変なことが起きている。空間放射線量が40マイクロシーベルトを超えている」という説明を受けました。驚いた私が部屋を出ようとすると、役場の人はこう言うのです。「誰にも言わないでくれ。村長に口止めされているんだ



 しかし、私はすぐさま部落に帰り、言うなと口止めされたことなど気にせずに部落の人に危険を知らせました。翌朝、3月15日の朝、6時半に地区の人が続々と集まって来ました。そのとき、外は雨が降っていて、そのうち雪に変わりました。後でわかったことですが、ちょうどその頃、飯館村の放射線量は100マイクロシーベルトを超えていたのです。それを知らせてくれたのはジャーナリストの方です。大勢のジャーナリストが村に来ていたのです。私は、地区の住民に言いました。「外にはなるべく出るな。どうしても出なければならないのなら、マスクをしろ。肌を出すな。外から帰ったら玄関で服を脱ぎ、風呂に入るかシャワーを浴びるかしろ。畑の野菜を食べてはいけない。換気扇を回すな」と。そのとき、北西の風が吹いていました。飯館村は原発からの放射能の風をまともに受けてしまったのです。



 私は、ジャーナリストをかき集め、訴えました。「飯館村を避難対象にしてくれ。どうか、それを報道してくれ」。しかし、それはかないませんでした。避難を希望する者がいるなら避難してもよいが、村は避難対象にならないと言われたのです。ですから、一部の人しか避難しませんでした



 これは公式に発表された村の放射線量です。3月15日の午前6時20分のところを見て下さい。44.7マイクロシーベルト/時と書いてあります。ジャーナリストから知らせてもらった数値は100マイクロシーベルト以上です。なんという違いでしょう。公の発表は正しい数値ではないのです。嘘の報道をしているのです。



 そして、国や県から、専門家達が次々に村にやって来ました。みんな口々に、大丈夫だ、安心しろと言います。しかし、その少し後に、今度は別の大学の先生のチームがやって来て、村中の放射線量を測りました。先生は「おそろしい。こんなところに住んでいてはいけない。私達が集めたこのデータを村長のところへ持って行ってください。避難しなければなりません」と言いました。しかし、村長は「このデータは公表しないでくれ!」と叫んだのです。村長は村を守ろうとしました。村をゴーストタウンにしたくなかったのです。



 そのまま二ヶ月半もの時間が経過しました。避難せずに住み続け、子ども達を被曝させてしまいました。その後、村は計画避難区域に指定されましたが、その前日の4月10日には国の方から偉い学者がやって来て、安全だと言っていたのです。それなのに、翌日の11日になると、「危険だ!避難しろ」と突然言われ、村民は怒りました。



 私は酪農家です。この写真は私が事故後に牛乳を捨てているところです。毎日、牛乳を捨てました。村が避難の対象となったとき、牛は連れて行ってはいけないと言われました。私達は泣く泣く酪農を諦めることになりました。この酪農家の奥さんは、牛が乗ったトラックを「ごめんね。ごめんね」と言いながら追いかけました。そしてこの若者は、東京生まれで、どうしても酪農がやりたくて村へ移住して来た人です。飯館で10年間酪農をやって、ようやく軌道に乗ったとき、それを諦めなければならなくなりました。彼はそれが悲しくて泣いているのです。飯館村では、村人がみんなで力を合わせ、良い村作りに励んで来ました。日本一美しい村に推薦され、認められた村です。その村が放射能に汚染されました。



 そして、ある日、私がもっとも恐れていたことが起こりました。相馬市の同じ酪農家の友人が自殺したのです。この写真に写っているのは友人が亡くなる前に壁に書き残した言葉です。「原発さえなければ」と書いてあります。「2011年6月10日 1時30分 大変お世話になりました。私の限度を超えました。ごめんなさい。原発さえなければと思います。残った酪農家は原発に負けずに頑張って下さい。仕事をする気力を無くしました」。時期を同じくして、隣の地区の102歳のおじいちゃんも自殺しました。南相馬市の93歳のおばあちゃんも「墓へ避難します」と書き残して自殺しました。こういうことが次々に起きたのです。これからも起こるでしょう。



 これは7月下旬の私の自宅の雨どいの線量です。27,62マイクロシーベルト/時と出ています。現在、村民はみな避難していますが、我々は24時間体制でパトロールしています。雑草が伸びきって、温室の屋根を突き抜けています。これが今の飯館村の姿です。



 私は、国が原子力を推進して来たのだから、国は事故の対策をきちんと取ることができるのだろうと思っていました。ところが、事故が起こって、今頃、どうやって除染をしたらよいかの実験をやっているのです。私達村民は、村に戻れるのかどうかもわからない状態です。でもただ一つ、はっきり言えることは、私は子どもや孫を飯館村へは絶対に返さないということです。飯館村の面積の70%は山です。家の周りや農地をいくら除染しても、山の除染はできませんから、山から放射能が移動して来るのです。我々は今から何年か後に、村を捨てる決断をしなければならないかもしれません。可哀想なのは子ども達です。子ども達は飯館村というステッカーを一生背負って生きて行かなければなりません。広島や長崎の被爆者とおなじように、差別を受けることになるでしょう。そんな差別の起きない社会を私達はなんとしてでも作っていかなければなりません。



 今回このようにしてドイツを周り、私はドイツは素晴らしい国だと思いました。なぜなら、福島の原発事故の危険をきちんと見極め、ドイツは脱原発を決めたからです。それにひきかえ日本という国は、こんな事故が起こってもなおかつ、原発を再稼働するという。それどころか、原発を輸出しようとすらしているのです。そんなことは絶対に阻止しなければなりません。これからは、日本人も声を大きくし、戦っていかなければならないのだと思います。

---------------------抜粋
関連記事

Tag:福島第一原発事故 

Category:福島第一原発事故

comment(0trackback(0


▲このページのトップへ