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野田の消費増税国際公約が富士山を噴火させる??

2012/01/29/(Sun) 07:30

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菊をくわえる野田。なぜに菊??


311クライシス、福島第一原発事故における日本政府の対応は、まさに犯罪的だった。エダノの「ただちに影響はありません」、「格納容器は健全です」、ヤマシタ某の「100ミリ以下なら安全です。放射能は笑顔の人にはきません」等々、あまりにも愚劣な言葉で国民を騙し、正しい情報を国民に与えようとしなかった。チェルノブイリ事故を軽く凌駕した未曽有の原発事故を前に、安全安心を繰り返し、国民に無駄な被曝をさせ続けた。

まさに犯罪的であった。

菅直人は311発災翌日、福島第一原発に視察に入りベント作業を遅らせた。一国の総理大臣が現地視察するというときに、放射能を大気に放出するベントが出来るわけがなかった。こんなことすら気が付かず、『僕は原子力に詳しいんだ』と言ってのける菅直人は、ただの馬鹿であった。

ただの馬鹿である菅直人を、早急に総理の椅子から引き摺り下ろさなければ、福島第一原発事故の終結にむけた対応など出来るわけもなく、ただただ悪化させるに違いなかった。

2011年6月2日、内閣不信任決議当日のことを覚えているだろうか。あの時は、決を取る直前までどう転ぶか分からなかった。与党からも多くの議員が賛成票を投じると見込まれていたからだ。誰もが菅おろしを切望していた。菅直人側に立つマスメディアの慌ただしさがそれを物語っていた。

結果はどうなったか。与党議員から反対票を投じたのは松木謙公議員ただ一人であった。直前に離党した横粂も入れればたった二人。当然のように、内閣不信任案は否決された。

チリのプジェウエ火山が噴火したのは、翌々日の事だった。


2011年6月2日内閣不信任案否決からの菅首相「(退陣の)約束はしてません」からのチリのプジェウエ火山噴火
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-263.html


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ニホンジンノ怒リガバクハツシチャッタヨ


あれから半年以上が過ぎた。日本の総理大臣が菅直人から野田佳彦というホモ野郎に変わった。こいつは最低なホモ野郎だった。





首相、消費増税を国際公約…TVでダボス会議に : 政治 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20120128-OYT1T00674.htm?from=main1

野田首相は28日、ダボス会議に都内のスタジオからテレビ会議方式で参加し、消費税率引き上げを柱とする社会保障・税一体改革について、「先送りしない政治を実践する。持続可能な社会保障制度を構築し、財政規律を維持するため、消費税引き上げを含む改革を必ずや実現する」と強調した。

消費増税実現を改めて「国際公約」としたものだ。

(2012年1月29日01時24分 読売新聞)

註・最後の部分は元々、『消費増税実現に向けた決意を海外に示し、改めて「国際公約」としたものだ。』となっていたが、修正され、「決意を海外に示し」という部分が削除されている。

--転載ここまで--


日本は今、クソみたいな最低なホモ野郎が総理大臣の椅子に座っている。もちろん、与党民主党の議員連中が担ぎ上げたのである。このホモ野郎は、政権交代時に民主党が『消費増税はしない』とマニフェストに掲げたにも関わらず、なんだかんだ理由をつけて、消費増税を断行しようとしてる。ただの嘘つきである。嘘つきのホモ野郎である。日本国民との約束を反故にして、国際公約として消費増税を掲げているのである。

ことさら、頭に来るのは以下の記事である。消費増税のかわりに低所得者層へは毎年一万円支給されるそうだ。

消費税8%上げ時、低所得層に1万円支給検討  :日本経済新聞


今までずっと我慢して我慢して我慢してきたんだけれど、俺はほんとに、今の政治家共は皆殺しにしなきゃいけないと思っている

by 中山一也at611新宿原発やめろデモより


さて。菅直人への日本国民の怒りがチリのプジェウエ火山を大噴火させたように(w)、ホモ野郎の消費増税国際公約、ならびにホモ野郎を担ぎ上げた与党議員への怒りが富士山を爆発させないか本気で心配している。


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富士山から蒸気!富士山噴火の兆し?「ありえない話」ではない | すべては気づき
http://sekaitabi.com/mtfuji.html

地震・津波情報|NHK

35.5 139 - Google マップ

本当に大丈夫だろうか。
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白ユリの系譜2 三橋祐輔と武藤亜澄

2012/01/25/(Wed) 23:10

新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件 - Wikipedia

渋谷区短大生切断遺体事件 - Wikipedia


2006年
12月16日 新宿区西新宿7の路上で上半身が発見。
12月28日 渋谷区神山町1の空き民家の庭で下半身を発見。
12月30日 武藤亜澄の死亡推定日
2007年
1月03日 夜十時半頃、武藤亜澄のバラバラ死体が発見される。
1月04日 合宿先で二男武藤勇貴を任意で連行、死体損壊容疑で逮捕。
1月10日 三橋祐輔の妻三橋歌織を死体損壊容疑で逮捕。


三橋祐輔と武藤亜澄。二人は2006年暮れから2007年初頭にかけて発覚したバラバラ殺人事件の犠牲者である。

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新宿渋谷エリート殺害事件の被害者である三橋祐輔の勤め先は「・ジャパン」という名前からしてハゲタカである。

渋谷短大生切断遺体事件の被害者である武藤亜澄は、高峯駆の名で芸能事務所に籍を置く女優の卵であった。本人は中川翔子のようなグラビアアイドルを目指していたという。

先のブログエントリで、二人が知り合いだった可能性について触れた。なぜそう思ったのか。両事件が同一犯の仕業である可能性を突き詰めていき得た結論であった。

三橋歌織、武藤勇貴は容疑を全面的に認め懲役に服している。

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三橋歌織に関しては、共犯者の一味であることは否定できないのだが、武藤勇貴は犯罪に全く関与しなかった可能性が多分にある。

というのも、武藤亜澄バラバラ事件で警察は、『勇貴が亜澄と口論になって木刀で襲撃し風呂場に顔を沈めて殺害。そのまま風呂場でノコギリでバラバラにした』と見立てているのだが、当の証拠である木刀とノコギリを警察は紛失させてしまっている。

渋谷の妹殺害、のこぎり・木刀を特捜本部紛失…廃棄か [読売新聞] white
http://www.asyura2.com/07/nihon22/msg/229.html

狡猾なことに事件3日後の07年1月7日(科学鑑定に出す前。裏付けがとれていない)に発覚していたにもかかわらずプレス発表が2月9日である。事件からひと月経過した後だ。ここで指摘しておきたいのは、この不始末のプレス発表が武藤勇貴を殺人容疑で追起訴した後に行われたということだ。つまり、事件を検察に丸投げした後に、『裏付けがとれていない木刀とのこぎり無くしちゃったけれど、武藤勇貴が自分でやったって言っているんだから、別に良いじゃない』と宣っているのである。

結果どうなったか。なんと第一審で武藤勇貴の二重人格が認定され、別人格が亜澄をばらばらに切断したとして死体損壊が無罪になっているのだ。(二審では有罪。懲役7年から12年にアップ)武藤勇貴の公判の様子については【ザ・事件】にまとめられているので、そちらで一読願いたい。本当に武藤勇貴が犯人なのだろうかという疑念が湧いてくるだろう。

ザ・事件 渋谷妹バラバラ殺人事件
http://jiken.is-mine.net/SibuyaImoutoBarabara/0.html




さて。二人が知り合いだった可能性については白ユリの系譜で軽く触れたが、三橋夫妻の渋谷区富ケ谷のマンションから武藤亜澄の住む武藤歯科医院まで2キロ離れていないということがある。

距離説明  マップ説明 

被害者の拠点地がしごく近接しているのである。

二人が接点を持てば、ある意味、意気投合しただろうものを以下に抜粋する。

http://blog.livedoor.jp/sames/archives/50859839.html
---------------------抜粋
三橋祐輔さんは、歌織と結婚する直前までハセキュー似の彼女と同棲していて、結婚まで考えていたという。その当時に浮気をしていて、相手はAVに出ている女優T・Mとの事。ソフト系からSM系まで数本の作品に出演している。特に人気の作品は、メイドという設定でご主人様に折檻され、縛られ吊るされ激しく陵辱され・・・といったSMもの。
---------------------抜粋

http://cybar.cocolog-nifty.com/ginga/2007/01/post_92f1.html
---------------------抜粋
アンミラのバイト / 2006年11月09日(木)
してるんだょ
今日は朝からアンミラ / 2006年11月11日(土)
アンミラのバイトしたあと四ッ谷石響に向かってます。
---------------------抜粋

註・アンミラはアンナミラーズのこと。秋葉原のメイド喫茶のお手本。

images (5) 

http://d.hatena.ne.jp/masayakato/20070108
---------------------抜粋
2006年02月28日
00:01
1: るーしあ
よろしくですw
うちは家が厳しくてバイトとかできないんで
愛人の良さに嵌ってしまった女の子です。(笑
親には「友達と遊びに行くー」っていって
貢いでくれる人には「12時までに帰らないと親に怒られちゃう」って伝えておけば丸く収まるし、現金+欲しいもの貰えるし、楽だなって。
でも一人じゃちょっと足りないんでどうやったら愛人になれるのかなみたいな話が出来るかなーと思って入ってみましたw
---------------------抜粋


武藤亜澄が三橋祐輔の愛人になれたとしても、ふたりだけの秘密だろう。二人共亡くなった今、誰も確かめようがないことだ。




同時期に、しごく近隣で発覚した両事件であるが、被害者がバラバラに切断されていたという点に注目したい。手口が相似しているのである。


三橋祐輔
○新宿で発見された人間の一部は頭部や腕、下半身が欠損した上半身であった。全裸で、左手の肘から先と右手首が欠損し、へそから約5センチ下で下半身が切断されていた。
○渋谷の空き民家の庭で発見された下半身は俯せで植木鉢が置かれていた。
○町田市の芹が谷公園で頭部が発見される。
●新宿渋谷ともに遺棄現場には大量の血液が流れた形跡が見られなかった。
●三橋歌織は渋谷区富ケ谷のマンション自室の居間で死体を切断したと供述しているが、捜査が入った段階ですでにリフォームがされており、自宅の居間からは遺体を切断した場所の裏付けになる大量の血液が流れた形跡は見つからなかった

武藤亜澄
○左右均等に15パーツに分断され、四つのポリ袋に入れられていた。
○両乳房と下腹部が切り取られていた。
○内蔵が胸部から取り出され、プラスチックケースで収納箱に保管されていた。
○頭髪ならびに陰毛が剃り落とされていた。
●浴室で殺害、死体損壊行為に及んだと見られていたが、浴室には大量の血液が流れた形跡は見られなかった


●は血抜きされていた可能性である。つまり、両事件ともに、供述とは別の場所で血抜きされたか、もしくはバラバラに切断されたと考えたほうが整合性が取れる事件なのである。

さらに武藤亜澄は左右均等に15パーツに切断され、頭髪や陰毛が剃毛されていた。さらにさらに、両乳房と下腹部を切り取られ、内蔵を胸部から取り出し収納棚に保管するといった異常なものだった。さながらブラック・ダリアである。

しかしながら、現場の歯科医宅二階の廊下や三階の洗面台などで血痕が確認されてはいるものの、遺体を切断したとみられる風呂場からも、血液反応はほとんど出なかったという。

三橋祐輔の上半身と下半身が発見された現場からは大量の血液が流れた形跡は見つかっていないし、三橋歌織の供述によれば死体損壊したと見られる居間からは同様に大量の血液が流れた形跡は見つかっていない。すなわち、両事件の被害者が自宅居間や浴室などではなく別の場所で血抜きされバラバラに切断された可能性を示している。


さらに、両者には無視できない共通点がある。死体の一部を入れた袋の口が開いていたことである。


http://blog.goo.ne.jp/kuropanda_001/e/fd89dbf0a50865da44b639f88736b3db
---------------------抜粋
遺体は2枚重ねにした東京都指定のゴミ袋(90リットル)の中に入れられていた。~略 ゴミ袋は口が開いたままで、道路の縁石に接する場所に放置されていた。~略 男性は「白っぽいビニール袋の口が開いていて、首のない人間の上半身が見えた。~略
---------------------抜粋

http://www.asyura2.com/0610/nihon21/msg/594.html
---------------------抜粋
~略 調べでは、遺体は十数カ所で刃物のようなもので切断され、黒や透明のポリ袋3袋に入れられ、3階の部屋の隅にあるクローゼット付近に置かれていた。袋の口は縛られていなかった。~略
---------------------抜粋

補足・武藤勇貴は合宿先で逮捕されている。発見されたくないならば、なぜ、ポリ袋の口を閉じてから出掛けなかったのだろうか。


発見されるバラバラ殺人事件というのは合点が行かない。大荷物を小荷物にすることで処分の軽便化を図り、効率よく死体を処分するために死体をバラバラに分断するのではないか。

粗大ごみの冷蔵庫の中に死体をまるまる入れて処分するよりも、細かく分断して一般ゴミに混ぜたほうが効率よく死体を処分できるのは当然だ。

死体をバラバラに分断する行為は、死体の存在そのものを隠滅させるために行われるもので、死体であることを認識させないために最大限の注意がはかられてしかるべきである。

なのに、袋の口が開いていたとはどういうことか。

三橋祐輔の上半身が発見された西新宿7丁目は昼夜絶え間なく人が流れる場所である。それも、ゴミ捨て場ではない路上に放置されていたのである。発見させるために、わざわざ中身を見せつけているのである。

三橋祐輔の上半身が発見された西新宿7の路上。
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なれば両事件は個人の思惑などではない。見、せしめるために、組織的な思惑で起こされた事件なのではないか。



白ユリの系譜 シンボリックに読み解くあの猟奇事件~


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Category:白ユリの系譜

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ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」

2012/01/24/(Tue) 22:37




ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」1/7



ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」2/7



ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」3/7



ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」4/7



ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」5/7



ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」6/7



ニュースの深層2時間スペシャル「2012年 原発の運命」7/7







【おまけ1】
上杉隆2011-3-27東電会見-プルトニュウム質問



【おまけ2】
林剛平報告+小山昭夫・小出裕章・今中哲二各氏の議論




福島第一原発事故で誰も死んでいないという欺瞞

放射能はいらない



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Tag:福島第一原発事故 

Category:福島第一原発事故

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白ユリの系譜 シンボリックに読み解くあの猟奇事件

2012/01/21/(Sat) 03:58

9の系譜 今田勇子から酒鬼薔薇聖斗に渡されたバトン

[怖い噂 vol.9]でリンゼイ事件の疑惑を検証


プロの犯罪集団によって発覚した猟奇事件のほとんどは真犯人にたどり着くことはない。プロであるがゆえ、現場に証拠を一切残さないのである。プロの犯罪集団による事件は、未解決のまま迷宮入りするか、犯人をでっちあげて事件を解決するかの二者択一しか無い。

プロの犯罪集団は現場に証拠を残さないが、証拠の代わりに残す物がある。しるしである。その犯罪がプロの手により行われたことを示すマークである。犯行の手口であったり、日取りであったり、場所であったり。しるしは難解なパズルを解く一つのピースである。プロの犯罪集団は見たものだけが認識できるしるしを現場に残すのである。

しるしは、時に見せしめるために残される。

ベトナム戦争の時、米軍兵士はベトコンの死体にトランプのカードのようなものを置いていった。

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デスカードである。

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見、せしめるためのしるし、その端的な例である。




2007年3月26日の夜22時頃、千葉県市川市の新日本サンライズ406号室のベランダで、NOVA英会話講師リンゼイ・アン・ホーカーさんの遺体が発見された。

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リンゼイさんが発見されたのは、ベランダに運び込まれたバスタブの中だった。前傾座位の状態で、全身を隠すように園芸用土で埋められていた。両足首はインシュロックタイプのプラスチックバンドで縛られていた。全裸だった。

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事件翌日、千葉県警は捜査本部を行徳署に設置。406号室の居住者、市橋達也を”死体遺棄容疑”で全国指名手配する。そして、二年七ヶ月の時を経て、市橋達也は大阪南港フェリーターミナル待合室で身柄を確保される。

大学卒業後の市橋君の写真 

昨年2011年7月、市橋達也に対する第一審公判が開かれた。判決は無期懲役。有期刑を狙う弁護団は控訴し、間もなく控訴審は開かれるだろう。一審公判については、市橋達也の法廷ライブの補足・解説市橋達也の法廷ライブ・補足、解説2市橋達也の法廷ライブ・補足、解説3/市橋達也に無期懲役判決にまとめた。罪状認否で強姦と死体遺棄を認めてしまった市橋達也に勝ち目はない。なぜ全身アザだらけになるほど、リンチを加えたのか。なぜベランダにバスタブを運び込み、園芸用土で死体を埋めたのか。象徴的な観点から注目するこれらの2つの命題を市橋達也は全く説明できなかった。彼は何を隠し、何を守ったのだろうか。



この事件は単なる強姦殺人事件では説明が付かないことが2つある。2つの事柄は、実は象徴殺人の観点からいえば重要なピースである。その一つに、彼女の遺体に残された全身のアザがある。

被害者遺族が英紙のインタビューで、「鈍器で一日以上システマチックに暴行を加えられたようなアザが、体中に残されていた。」と、検死報告書を読んだ感想を残している。つまり、リンゼイさんは拷問、もしくはリンチを長時間加えられ、死に至らしめられたのである。

ところがどうだろうか。日本の当時の報道では、首を絞められ窒息死したことだけが取り上げられ、全身のアザについては極めて矮小化されて報じられている。先の市橋達也の一審公判でも、全身のアザについては見事にスルーされた。

快楽が犯罪の動機であるならば、なぜに拷問を加える必要があるのだろうか

鈍器で一日以上、全身がアザだらけになるほど拷問を加えられた挙句、半死状態で埋められ窒息死する。言葉にしただけでも末恐ろしい。もし、彼女の遺体に象徴的な意味が込められていたとしたら、単なる強姦殺人事件であるわけがない。裏切り者の粛清、あるいは報復である。見せしめ的なメッセージだ。

さすれば、もう一つの事柄、”なぜ、ベランダにバスタブを運び込んだのか”の説明が付く。迅速に事件化し、彼女の残虐な殺され方を見、せしめるためだ。



なぜベランダに運び込んだのか。先の市橋達也の公判でも、事件報道でも論理的な説明がなされていない。それらについてはNOVA英国人講師殺害事件・追記2/ベランダに置かれたバスタブの検証でも詳しく書いた。

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ベランダに不自然に置かれたバスタブの映像はニュースで何回も流されただけに記憶している方も多いだろう。通常、現場検証中の事件現場というのはブルーシートで目隠しがされる。

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市橋達也の冤罪検証・事件発覚当時、リンゼイさんは生きていた―新たに判明した事実が物語る捜査当局の重大な過失。に詳しく書いたが、死亡案件は現場検証まで現場は手付かずで放置される。ブルーシートで覆われていないベランダの映像は、少なくとも事件翌27日午前10時20分以前に撮られたものであり、当日未明の午前1時から何も変わっていない。バスタブの中の遺体はまだ取り出されていない状態なのである。

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つまり、残虐に殺された遺体を間接的に見せつけられているのも同じことである。いい気分はしない。

見せしめ。組織が支配力を維持するために公開処刑を見せつけているのではないか。さながら中国の公開処刑。反逆の芽を摘むために、あるいは裏切り者を粛清、報復する目的で見、せしめられているのではないか。

無論、万人は知る由もない。しるしに込めたメッセージを読み解けるごく一部の人々に取っては、背筋が凍る、身の引き締まる事件だっただろう。例えば、NOVA関係者だ。



リンゼイ事件と同時期に、警視庁組織犯罪対策5課がNOVA本体を組織的に麻薬密売に関与したとして捜査していたことはあまり知られていない。事件の2ヶ月前、2007年1月31日に報じられたNOVA講師6人一斉検挙を受けて、ナイジェリア人(六本木によくいる黒人)が逮捕されたのは事件の二週間前3月8日である。逮捕から起訴(捜査終了)まで23日であることを考慮すれば、3月26日に発覚したリンゼイ事件は警視庁組織犯罪対策5課がNOVA本体を懸命に捜査している最中の出来事なのである。無関係なわけがない。

だがしかし、このことは、事件の捜査を千葉県警が担当し、市橋達也の単独犯行と見立てることで闇に葬られた形になる。

千葉県警は市橋達也一人だけを執拗に追いかけ、結果として二年七ヶ月の間に10万人以上の捜査員を動員した。この為体の責任は、もちろん、誰も取っていない。

警視庁組織犯罪対策5課はNOVA本体が麻薬売買に関わっていると見立てていた。あわよくば、全国1000校近くあるNOVA英会話教室に所属する英会話講師全員が監視下に置かれていた可能性だって否定できない。なのに、なぜ、警視庁組織犯罪対策5課はリンゼイ事件にほっかむりをしたのだろうか。

NOVA講師一斉逮捕に至る経緯も不可解であった。前年11月に六本木で職質され大麻とコカインの不法所持で逮捕されたアメリカ国籍の男が、「NOVA講師たちにパシられた」と共同正犯を訴えたことから埼玉の6教室に所属する英会話講師6人が検挙されたのだ。発端となった六本木の案件はとっく起訴され捜査が終わっていたのである。それをわざわざ蒸し返して警視庁組織犯罪対策5課が捜査を担当している。マル暴担当の狙いはNOVA本体であることははっきりしていた。

NOVAが急速に拡大路線に舵を切ったのは、文科省が打ち立てた英会話の義務教育必須化に向けたネイティブスピーカーの需要を見込んだものだった。結果として業界シェアトップを不動のものにし、NOVAうさぎなどで知名度も高かったマンモス企業NOVAはハシゴを外され、坂道を転げ落ちるように破綻に突き進んでいった。

そんな中にリンゼイ事件があったわけだ。



見せしめとしてリンゼイ事件を俯瞰した場合、ジャスダック上場のNOVAに対する企業テロという側面が見えてくる。現に、NOVA創業者である猿橋望氏は、2007年に入るまで自社株の70%を一族で占有していた。三角合併によりハゲタカの企業乗っ取りがあからさまに横行する中、全国に1000校の英会話教室を展開するマンモス企業NOVAは企業防衛していたのである。

業界全体の受講者数の半数以上を占めるシェアトップのNOVAであったが、2007年に入るとすぐにNOVA講師一斉逮捕、東京都と経産省の立入検査、一部業務停止命令などが相次ぎ、猿橋望氏は資産の切り崩しを余儀なくされることになる。そして、リンゼイ事件から半年が経ち、NOVAは会社更生法を申請、事実上破綻することになる。

「今まで日本でこんな経済事件はあったでしょうか。誰が仕組んだのか、全くわからない」NOVA破綻直後のインタビューで猿橋望氏は自らの潔白を訴えた。やがて、猿橋望氏は業務上横領の容疑で逮捕され、実刑判決が下されることになる。現在は上告中である。忸怩たる思いだろう。





本当に市橋達也が犯人なのだろうか。

当方がいえるのは、市橋達也がリンゼイさんを殺害した証拠がなく、ましてや拷問を加えた証拠もなく、延10万人以上を動員した捜査の甲斐なく、二年7ヶ月、逮捕5日前まで市橋の足取りすらつかめなかった事実である。

市橋達也でないとしたら誰が犯人なのか。

その辺は良くわからない。ただ、リンゼイ事件の真犯人が現場に数々のしるしを残していったのは確かだ。

その中の一つに明確なしるしがある。以下は市橋達也の冤罪検証の記事を書き続けた当時にメールで教えてもらった情報だ。


---------------------抜粋

市橋の逮捕当時の未明に撮影に行った記者が事件現場のマンションの入り口脇の植え込みの根元に無造作に切っただけのユリの花の束が置かれているのを映して見せて
「白いユリの花がこのように置かれています。(造花ではなかったです)
逮捕の一報をTVかラジオのニュースで知った方が置いていかれたのでしょうか?」
と当日の昼のニュースで流していた局がありました。

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フジかTBSだった。立った一回流れただけでその後一切流れませんでした。
大きいのではなく小さい白いユリで「こんな時期にユリが咲くか?」と思ったのでよく覚えています。

そして逮捕と同時に置かれた意味を考えました。

被害者は海外の方で現場に住んでいた訳でもなく既に3年近く経つ現場にしかも深夜にまるで人目を避けるように花を置くだろうか?と。

一般の人が夜中にユリの花を調達できる訳もなく、深夜に持っていく理由もない。

どうして供えたければ日が昇ってから堂々と行けばいい。
(それでももう片づけれられ、事件から3年も経ってる現場に普通の人が(被害者家族であっても)深夜に置く事は考えにくい。と思ったのです。

真面目・・(註・市橋達也に関する一番まともな2ちゃんスレッド)に何度か書きこんだこともあったのですが見た人が少ないのか(平日昼のニュースだったため)反応が今いちで。
自分的にはリンゼイさんの弔いではなく市橋へのメッセージではなかったのかと思えてなりません。
「お前は終わったぞ」と。

---------------------抜粋


市橋達也は事件発覚直後から失踪し、2年7ヶ月の逃亡生活の果て、大阪南港のフェリーターミナル待合室で身柄を確保されたのだが、その当日の夜、市橋達也の居宅であり、事件現場でもある福栄のマンションに中継カメラが入り、マンション入り口に置かれていた白ユリの花束を映しだしたという。2009年11月10日深夜である。

白ユリの花束。誰がどんな意味を込めて置いていったのだろうか。

当初は、市橋達也のメールアドレス、whitecoverに関係あるのではと思っていた。whitecoverは直訳すると白い蕾。そんな意味を込めての花束を置いていったのか。そう思っていた。しかし、白い蕾は白ユリも含めていると読めるが微妙に違う。

2007年初頭に発覚した2つの猟奇事件を調べたときに、はっとした。白ユリ。これは真犯人が残した明確なしるしではないか。その驚きは、なんと伝えたらいいのか分からない。

2007年初頭に発覚した2つの事件とは、新宿渋谷エリート殺害事件渋谷短大生切断遺体事件である。片や妻が、片や兄妹の二男が捕まり、それぞれ結審し懲役に服している。

新宿渋谷エリート殺害事件
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渋谷短大生切断遺体事件
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2つの事件の被害者はバラバラに切断されたという点で一致する。さらに、時期的に重なる。この二人は知り合いだった可能性はないか。事件現場の位置関係を以下に示す。

距離説明
サムネイル。クリック拡大。

マップ説明

新宿渋谷エリート殺害事件の夫妻と渋谷短大生事件の兄妹の居宅は2キロ離れていない。むろん、ご近所さんだ。顔見知りであっても否定できない。

実に、2つの事件は白ユリに象徴される事件である。新宿渋谷エリート殺害事件の容疑者として逮捕された三橋歌織は白ユリ女子大を卒業している。他方、渋谷短大生事件の被害者である武藤亜澄は白ユリ学園出身である。


凋落するお嬢様-バラバラ殺人に見る沈み逝く中流: ありのままの現実 :
http://sober.cocolog-nifty.com/blog/2007/01/post_0b0d.html

ネット上では「白ユリの評判が下がることは間違いない」なんて書き込みがされている。立て続けに起きた遺体切断事件で、いずれも、お嬢さま学校で知られる「白ユリ」の出身者が関係していたからだ。妹バラバラの方は被害者の武藤亜澄さん (20)が東京・千代田区の白ユリ学園小・中学校、夫バラバラは加害者の三橋歌織(32)が同・調布市の白ユリ女子大を卒業し……。

---------------------抜粋


白ユリは新宿渋谷エリート殺害事件と渋谷短大生切断事件の象徴である。市橋達也が逮捕された日の深夜に現場マンション入口に白ユリの花束を置いていったのは、2つのバラバラ事件を起こした真犯人が残していったメッセージなのではないか。このしるしに気づいた時、2007年初頭の2つのバラバラ事件とリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件が同一犯によるものと思えて仕方がなかった。3つの事件の犯人は冤罪ではないか。冤罪でなくても代理出頭に近い形で犯罪を押し付けられたのではないか。三人は、犯罪の片棒を担いだ自責の念から容疑を認めたか、あるいは犯罪を全く無関係のまま、犯罪を押し付けられたのか。

話をリンゼイ事件に戻す。さっきの情報提供者からは以下のページも教えてもらった。



市橋青年を助けてあげてください?: 日々是いじくり★
http://ijikuri.asablo.jp/blog/2009/11/24/4719440

会社帰りの鶴川駅前一人の老婆が何か言いながらチラシを配ってた。あまり興味はないが、進行方向の邪魔をする形で立っていたので後で捨てようとは思いながらも受け取っておいた。

B5ノートの上半分に手書きしたメモをコピーしたようだ。えーとなになに?

市橋青年を助けてあげて下さい
‥‥誰ですか? 難病の患者さんかな?

「英会話教師は権力者の依頼でミタマが命を取って市橋青年の
マンションベランダに置いてある浴槽に運んだとミタマが伝えています」
以上のことと、市橋容疑者は何もしていないので釈放してあげて欲しい
千葉行徳警察署にお電話でお伝えさせて頂きましたら、自供を重視すると
警察の方に言われて取り合って頂けませんでした。

‥‥電波な婆さんか? ん~まだ続きがあるな。

このままでは市橋青年は殺人犯に仕立て上げられて就職も難しくなるのでは
ないかと心配しています。この様に訴えているという人がいるのだということを電話で
いいと思いますので、行徳警察署に伝えていただけませんでしょうか。よろしくお願い申し
上げます。(以上のことをテレビ局、新聞社等にも伝えて頂けませんでしょうか。よろしく
お願い申し上げます)           大北 何某

こんなの受け取っちゃった私が可哀想!

足利事件のように冤罪を主張する内容かと思ったら、よりにもよってミタマとは‥‥老人の楽しみを邪魔する気はないけど、こういうのは他人に迷惑をかけないようにやれっ! 行徳警察署もこんなのの相手をさせられたんじゃ可哀想だ。念の為に書いておくけど、この記事を読んでも行徳警察署、テレビ局や新聞社に電話してはいけません。社会の迷惑です。

註・ミタマとは天理教の教義にもある。

老婆心ながら忠告しておくけど、市橋容疑者の就職を心配する前に自分の頭と老後を心配した方がいいと思うぞ。まあこの手の人物は自分が正常だと信じて疑わないもんなんだけどね‥‥。こんなことをする人間が実際にいるってことが判ったことは収穫かな。

ブログネタを提供してくれたことだけは感謝しておく。とっとと失せろ。

--転載ここまで--



鶴川駅は天理教支部に囲まれている。おそらく、市橋達也を助けて下さいとびらをまく老婆は天理教に関係が深いのかもしれない。市橋達也は本当に犯人なのだろうか。鶴川駅前でビラを配る老婆のエピソードは、そう考える一つの根拠である。。市橋が逮捕された日の夜にテレビカメラに写ることを意識して現場マンション入口に白ユリの花束を置いたとするならば、それは真犯人のしるしなのではなかろうか。その答えは、ここまで読み進めてくれた一人ひとりが決めることである。


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少し強引に平田信と市橋達也を結びつけてみる

2012/01/18/(Wed) 07:38

※FC2ブログのエディターの不具合で文字列が消える(しかも虫食い)現象が起きるため、カタカナ表記にしたりといろいろ試してます。先のエントリでは『平田』が消えたこともあり、『平口』に置き換えていたのだけれど、『平田容疑者』にすれば消えないこともわかり、この記事ではそう表記しています。他にも個人名などが消えている可能性があり、読みづらいかと思いますが、何卒ご理解のほどを。m(_ _)m



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2011年12月31日23時50分。あと10分で新年という年の節目に、オウム真理教の特別手配犯、平田容疑者は丸の内署で身柄を確保された。

その直前、平田容疑者は霞が関にある警視庁本部庁舎で「ヒラタです。出頭してきました。特別手配されている者です」と名乗り出るもイタズラだと勘違いした警備隊員に門前払いされる。23時35分。丸の内署で身柄を確保される15分前である。

平田容疑者は警視庁本部への出頭を諦め、丸の内署に向かうことになる。

警視庁本部庁舎 から 丸の内警察署 - Google マップ4


警視庁本部から丸の内署までは直線で約650メートルだが、日比谷通りと内堀通りの交差点を縦横に渡らなければならないことを考えると、どんなに急いでも最低10分はかかるだろう。15分のうち、移動時間を考慮すれば、丸の内署についてから署内に引き入れられるまでに要した時間は5分である。

たった5分。コーヒーを飲みながらたばこを一本吸い終えた程度の短い時間である。

平田容疑者は、警視庁本部同様に、出頭を申し出た丸の内署の門番署員に門前払いされたに違いない。しかし、平田容疑者は諦めず食い下がった。『「僕って背が高いでしょ」と玄関前にいた女性署員に言うと、「嘘? 本当にそうなの」と驚かれ、署内に引き入れられたという。』と産経配信の記事で報じていることを見ても、平田容疑者は必死にタイホを懇願したことが分かる。

【平田容疑者タイホ】「ずっと国内にいた」 警察へ10回電話も話し中
http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/120104/crm12010401340000-s.htm

悪戯だと取り合わない署員に対して、呼吸を整える間もなく、息も切れ切れに、『とにかくタイホしてくれ』と土下座せんばかりの勢いで自首を申し出たのだろう。

このように、平田容疑者の大晦日当日の足取りを追っていくと、強迫観念めいた『タイホへの執着心』が浮き彫りになってくる。時間的にみても、平田容疑者は新年を迎える前にタイホされたかったとしか考えられない行動をとっている。

タイホされることへの執着心をいえば、平田容疑者は警視庁本部に寄る前に大崎署にも立ち寄っている。大崎署は目黒公証役場假谷さん拉致事件の捜査本部を置く署である。大崎署での出頭を諦めた平田容疑者は110番して自身の出頭先の指示を請い、警視庁に出頭することを決める。

平田容疑者が大崎署に現れたのが夜21時頃。警視庁本部で平田容疑者の姿が確認された深夜23時半過ぎである。その間に平田容疑者はオウム真理教の情報提供フリーダイヤルに10回ほど電話したらしいが、話し中でつながらなかったという。

なぜ、平田容疑者はこうまでしてタイホされなければならなかったのか。

曲がりなりにも、16余年逃亡を続けてきたのではなかったか。

一億総監視の中、人目のつかない所で、息を殺して生きてきたのではなかったか。

なのに、『一区切りを付けたかった』という安易な理由で、それまでの逃亡生活を棒に振るような行動に打って出たのか。

大晦日深夜に警視庁本部で門前払いされた平田容疑者は諦めなかった。大晦日のうちに、新年を迎える前にタイホされなければならなかった。警視庁本部から丸の内署で身柄を確保されるまでに要した15分という短い時間が、平田容疑者に時間的なプレッシャーがあったことを示している。

平田容疑者のタイホされるための行動は、ある意味強迫観念めいてすらいる。


2011年大晦日当日、平田容疑者は新大阪駅から新幹線に乗り上京してきたという。白いニット帽にマスク姿。平田容疑者は大阪では怪しまれない程度に顔を隠し、慎重に行動していた様子が伺える。平田容疑者は500万円の賞金首である。少しでも目立ってしまえば即通報につながるリスクがあるのは確かだ。

新大阪駅の防犯カメラ
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平田容疑者は上京してから警察署行脚することになるのだが、丸の内署の防犯カメラに写る平田容疑者はニット帽とマスクはしていない。報道によれば、上京後に処分したという。

丸の内署の防犯カメラ
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あまりにも、大胆不敵である。

上京後、平田容疑者はニット帽とマスクを捨て、『オウム手配犯の平田容疑者です。出頭しにきました。タイホしてください』と大崎署、警視庁本部、丸の内署を渡り歩くことになる。この差異は一体なんなのか。

別に上京しなくとも、大阪で出頭すればいい話ではないか。

平田容疑者がどこでタイホされようと、取り調べを担当するのは大崎署に置かれている捜査本部か、あるいは警視庁である。大阪でタイホされようと、沖縄でタイホされようと、東京でタイホされようと、北海道でタイホされようと、東京に身柄を移されることには代わりがない。結局どこでタイホされても同じことだと言えるのだが、平田容疑者は大阪では慎重に行動し、上京してから、自らタイホを懇願する不可解な行動を取ることになる。

平田容疑者は東京でタイホされることにこだわりを見せた。言い換えれば、大阪でタイホされたくない理由は一体なんなのかということである。

今一度言う。

平田容疑者は2011年を超えてはいけないゲームのランナーだったのではないか?

500万円の賞金首が、新年を迎える前に東京で自首するゲーム。平田容疑者の周りにはゲームを楽しんでいる大人がいて、成功するか失敗するか、賭けている様が目に浮かぶ様である。

2011年の大晦日に突然解放され、東京でタイホされるべく上京した平田容疑者の16余年の逃亡生活は、自ら望んだものだったのだろうか。平田容疑者は拉致監禁されていたのではないだろうか。どこか、人目につかない場所で誰とも会話することなく、ずっと独りで過ごしていたのではないだろうか。



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今年2012年1月10日、大崎署に『平田容疑者のことを匿っていた』というオウムの女性元信者が出頭した。そして、犯人蔵匿(ぞうとく)容疑でタイホされることになるのだが、彼女は平田容疑者と16年8ヶ月一緒にいたと説明しているという。

オウム事件:出頭の元信者の女タイホ「16年8カ月一緒」 - 毎日jp(毎日新聞) :
http://mainichi.jp/select/today/news/20120111k0000m040080000c.html

先のブログエントリで平田容疑者が協力者をかばっている可能性を指摘したが、どうやら考えを改める必要があるようだ。

女性元信者が出頭して以降、今に至るまで平田容疑者の16余年の逃亡生活が少しずつ明らかになってきているのだが、当方は眉に唾をつけざるを得ない。『教団から匿う資金をもらい、残金が800万円』、『失効した平田容疑者信の免許証や衣服を持参』、『偽名で働き、偽名で部屋を借りた』等々、女性元信者は完黙する平田容疑者の代わりに喋りすぎている節がある。中には、アメリカドラマのプリズンブレイクをレンタルビデオで借りて一緒に見たと報じるものもある。プリズンブレイクは主人公が刑務所に入り、死刑囚の兄貴を救い出すという脱走劇である。さも平田容疑者がタイホ後に脱走を模索していたとでも言いたげである。

【平田容疑者タイホ】斎藤容疑者が免許証提出、携帯の通話記録解析も
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120111/waf12011122560038-n1.htm

【平田容疑者タイホ】斎藤容疑者供述「当初1年、大阪市内に」 出頭時は800万円所持
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120113/waf12011301530003-n1.htm

平田容疑者「プリズン・ブレイク」見ていた :
http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/220114004.html

女性元信者の出頭に際して、そのきっかけを作ったのはかつてオウム真理教に毒ガスで襲撃されたという滝本太郎弁護士である。本当に毒ガスで攻撃されたのなら死んでなければおかしいのだが、滝本弁護士は1月2日に平田容疑者と接見し、弁護人として選任されたというのだが、以下の記事では、瀧本弁護士の働きかけにより平田容疑者から協力者の存在や連絡先を引き出し、出頭させたことが分かる。

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【平田容疑者タイホ】防犯カメラ〝伴侶〟追い詰め(1/2ページ) - MSN産経west :
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120112/waf12011211550012-n1.htm

滝本弁護士から「あなたをかくまった人を明らかにした方がいい」との進言を受けて、女性元信者の連絡先や自宅住所を明かしたというが、そもそも、平田容疑者自身が協力者の存在については完黙しているということを念頭に置いて考える必要がある。当方には、滝本弁護士が警察に協力しているとしか思えない。そもそも女性元信者を見つけ出すのは警察の仕事である。弁護士が平田容疑者の協力者に対して出頭を働きかけたところで、平田容疑者にプラスになることは何一つとしてない。平田容疑者の刑が軽くなるとか、嫌疑が晴れるとか、平田容疑者にとって有利に働くのならば話は分かる。

そして、滝本太郎弁護士は、女性元信者が犯人蔵匿の容疑でタイホされた直後に、平田容疑者の弁護人を辞任することになる。

【平田容疑者タイホ】弁護人の滝本氏が辞任「利害対立恐れ」
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120111/waf12011121200036-n1.htm

なぜに公判で対立する必要があるのか。平田容疑者が完黙する中、16余年の逃亡を裏付ける女性元信者を出頭させた真意はなんなのか。瀧本弁護士の行動にしろ、女性元信者の証言にしろ、いかんせん解せないものである。実のところ、平田容疑者が完黙したことを踏まえて、すでに女性元信者の出頭と滝本弁護士の派遣は予定されていたのではないかと訝ってしまうのである。

滝本弁護士が女性元信者に出頭させたことにより、平田容疑者が窮地に立たされたことは間違いない。


平田容疑者を匿っていたという女性元信者は福島、宮城、仙台と原発がある土地を渡り歩き、出頭するまでは東大阪市に潜伏していたという。当該部屋からは平田容疑者の指紋が見つかっているが、数えるほどしか確認されていない。さらにいえば、平田容疑者は部屋から一歩も外へ出ず、いわば軟禁状態だったはずなのに、室内に平田容疑者が潜伏していた痕跡が無かったという。

オウム事件:平田容疑者、居室に指紋数個のみ - 毎日jp(毎日新聞) :
http://mainichi.jp/select/jiken/news/20120114k0000e040182000c.html

【平田容疑者タイホ】室内に平田容疑者容疑者の痕跡なし 衣服はなく布団も1組だけ 潜伏先マンション
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/120111/waf12011116290032-n1.htm

警察の捜査が入る前に、平田容疑者の指紋を綺麗に拭き取ったとでも言いたいのだろうか。であるならば、平田容疑者を匿っていたという女性元信者はなぜ出頭時に平田容疑者の衣服を持参したのだろうか。平田容疑者と一緒に逃げてきた証拠だからである。だとしたら、女性元信者は部屋から平田容疑者の痕跡を消す必要は全くない。本当に潜伏先のマンションで平田容疑者と一緒に暮らしていたとするならば、証拠隠滅する理由が全く無いし、数個の指紋以外、平田容疑者の生活痕が何も出てこないということにむしろ違和感を覚えてしまう。

平田容疑者は、本当に東大阪市に潜伏していたのだろうか。協力者については何もしゃべろうとしない平田の代わりに16余年の逃亡生活を証言する女性元信者は平田容疑者のためになると思っているのだろうか。確実に言えることは、平田容疑者の罪を少しでも軽くしたいのであれば、出頭などせず、裁判が終わるまで逃げ回っている事以外にない。本人が完黙しているのだから当たり前だ。


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平田容疑者は大晦日当日、新大阪駅に向かう時、地下鉄御堂筋線の本町駅から電車に乗り込んだという。それを報じたのが以下の記事である。


平田容疑者 最寄り駅避け出頭
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120117/k10015318823000.html

1月17日 6時19分

オウム真理教の元幹部平田信容疑者の逃亡を助けていたとしてタイホされた元信者の女が、去年の大みそかに平田容疑者が出頭する際、東大阪市の自宅の最寄り駅ではなく、6つ離れた別の駅から地下鉄に乗ったと話していることが、弁護士への取材で分かりました。警視庁は、潜伏場所の発覚を免れようとしたとみて調べています。

オウム真理教の元信者の斎藤明美容疑者(49)は、教団の元幹部の平田信容疑者を東大阪市内のマンションの部屋にかくまって逃亡を助けていたとして、犯人隠避の疑いで10日、タイホされました。平田容疑者は、去年の大みそかに警視庁に出頭しましたが、その際、2人が住んでいた東大阪市のマンションの最寄り駅ではなく、そこから6つ、距離にしておよそ7キロ離れた大阪市内にある地下鉄御堂筋線の本町駅から地下鉄に乗ったと話していることが、16日夜、斉藤容疑者と接見した弁護士への取材で分かりました。本町駅までは2人で一緒に2台の自転車に乗って向かい、このうち1台は、平田容疑者が出頭を決めたあとの去年12月上旬に新たに購入したということです。最寄り駅を避けた理由について、斉藤容疑者は「平田容疑者が私の居場所を分からないようにしたかった」と話しているということで、警視庁は、潜伏場所の発覚を免れようとしたとみて、出頭までの詳しい経緯を調べています。

--転載ここまで--


記事は大晦日当日、平田容疑者が新大阪に向かう時、潜伏先マンションの最寄り駅である大阪市営地下鉄高井田駅を利用せずに7キロ離れた地下鉄御堂筋線の本町駅から電車に乗り込んだことを伝えるものである。女性元信者から聞いた話を滝本弁護士が報道陣にリークしたようだ。

記述の中でとかく胡散臭いのは『本町駅までは2人で一緒に2台の自転車に乗って向かい、このうち1台は、平田容疑者容疑者が出頭を決めたあとの去年12月上旬に新たに購入した』と説明する部分である。この話が事実であるならば、なぜ、自転車一台で二人乗りをしなかったのか?という素朴な疑問が浮かび上がる。平田容疑者は出頭を決意しているわけだから、一台の自転車は乗り捨てられたことになる。さらには、平田容疑者が出頭を決意してから自転車をもう一台購入したというが、ならばタクシーを利用する選択肢もあったはずだ。

別の記事では『駅近くの防犯カメラに、2人に似た男女が映っていたという。』と報じている。

御堂筋線本町駅まで2人で自転車 平田容疑者、斎藤容疑者 防犯カメラに似た男女 - MSN産経ニュース :
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120116/crm12011622450018-n1.htm

防犯カメラに写る二人は、本当に平田容疑者と女性元信者なのだろうか。そもそも、大晦日の日に平田容疑者が本町駅で乗り捨てた自転車は本当に存在するのだろうか。存在していたならば警察はとっくに回収しているだろうし、ちゃんと裏付けを取ってもらいたいものである。



大晦日当日、なぜ平田容疑者は地下鉄御堂筋線本町駅から電車に乗り込んだのか。当方は、平田容疑者が潜伏先マンションから本町駅に向かったというよりも、別の場所にいて、本町駅で新大阪駅に向かう路線に乗り換えたのではないかとみている。

例えば、大阪南港フェリーターミナルから新大阪駅を目指した場合、ちょうど本町駅で乗り換える必要がある。本町駅を中心に位置関係を示したのが以下の地図である。

本町駅(大阪) - Google マップFF
クリック拡大

中央のピンは地下鉄御堂筋線本町駅。上のピンは新大阪駅。右が潜伏先マンションの最寄り駅である大阪市営地下鉄高井田駅。左下のピンは、大阪南港フェリーターミナルを示している。以下の地図は大阪南港から新大阪駅までの乗り換えルートを示したものである。

Google マップ - 地図検索DEGFE


大阪南港のフェリーターミナルといえば、市橋達也が身柄を確保された場所である。

もちろん、ただの偶然に過ぎないのかもしれない。



かつて当ブログではリンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の容疑者だった市橋達也が冤罪である可能性を検証した。

二年7ヶ月を経て大阪南港のフェリーターミナル待合室で身柄を確保された時、市橋は「自分はやっていない」と捜査員に告げたという。市橋が南港フェリーの待合室に居たのは、次の潜伏先である沖縄に向かおうとしていたからだと報じられた。しかし、那覇行き琉球エキスプレスの出航時間は23時で、市橋の身柄が確保されたのは夕方18時40分頃。さらに四時間以上待ち続ける必要があった。

フェリー乗り場の待合室で熟睡するなど、懸賞金1000万円の日本一有名な逃亡犯が取る行動にしては、あまりにも無防備すぎやしないか。市橋は通報された時、待合室の硬い椅子をまたぐように居眠りしていたという。いや、居眠りというよりも熟睡に近い状態だ。少なくとも市橋が居た場所のすぐ後ろにはゲームコーナーがあり、仮眠を取るのに適した場所ではない。市橋は、寝ながら、新しい潜伏先のことを考えていたのだろうか。いや、なぜ自分がここにいるのか、それすらも判別できないほどに意識が朦朧としていたのではないだろうか。

なぜ、市橋達也を例に挙げたかというと、平田容疑者信の出頭を比較してみた場合、その類似性が無視できないからである。自らの意志と関係なく、連れ去られ、人目につかない場所で拉致監禁されていた可能性を見出してしまうのである。

http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-category-35.html


2011年大晦日深夜に出頭し假谷さんに対する監禁致死容疑でタイホされた平田容疑者であるが、どうやら監禁致死容疑ではなく、タイホ監禁容疑で起訴されるようだ。1月20日に起訴される見通しだという。

【平田容疑者タイホ】致死罪適用見送り タイホ監禁罪で起訴へ - MSN産経ニュース :
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120118/crm12011801320000-n1.htm

タイホ監禁容疑で起訴された後、爆発物取締罰則違反容疑で再タイホされることになる。今後の成り行きを慎重に見守っていきたい。

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Category:オウム特別手配犯平田の出頭

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少し平田が出頭した大晦日23時50分という時間にこだわってみる。

2012/01/14/(Sat) 02:35

2011年を超えてはいけないゲームに文字通り体を張って参加させられていた平田信。

2011年を超えてはいけないゲームに文字通り体を張って参加させられていた平田信。2

今回のブログエントリは、先に逮捕されたオウム真理教特別手配犯の一人である平口信が出頭した大晦日の夜について突き詰めていきたい。"2011年を超えてはいけないゲーム"のランナーとして平口が強制参加させられたという視点。平口は、どうしても2011年のうちにタイホされなければならなかった。平口が東京に姿を見せた後の足取りを追っていくと、その異常なまでのタイホされることへの強迫観念めいたものが浮き彫りになっていく。

そして、こう考えざるを得なくなる。

平口はなぜ、ここまでして、タイホされなければならなかったのか。

平田は”2011年を超えてはいけないゲーム”のランナーではなかったか。




2011年大晦日。平口はJR大崎駅を出ると大崎署に向かったという。午後21時のことである。署に門番がいなかったことや署の入り口が分からなかったことで平口は大崎署に出頭することをあきらめた。そして、オウム真理教専用情報提供フリーダイヤルに10回くらい電話をかけるも繋がらず、110番報し、自身の出頭先の指示を仰いでいる。

平口は恵比寿駅から日比谷線を乗り継いで霞が関駅を降り警視庁本部に向かうことになる。もう、新年まで一時間を切っていた。

警視庁本部庁舎前
警視庁本部庁舎前

「平口信です。出頭しに来ました」

大晦日が明けようとしている頃合いである。まさか警視庁本部庁舎を警備する警備隊員も、まさかオウム真理教の特別手配犯の一人が出頭してくるなどと微塵も思わなかっただろう。平口に応対した警備隊員はイタズラだと思い、平口を日比谷公園前交番か道路を挟んで向かい側にある丸の内署への出頭を促した。

警視庁本部庁舎 から 丸の内警察署 - Google マップ2

警備員は取り合ってくれない。もう時間がない。平口は諦め、警備隊員に促された先の丸の内署に向かった。警視庁本部で平口が確認されている時間は23時35分である。もう、30分を切っている。

丸の内署は警視庁本部庁舎前から900メートル、徒歩11分の距離にある。

<警視庁本部庁舎 から 丸の内警察署 - Google マップ3

途中大きな交差点が2つあるが、日比谷公園前交番がある交差点は三車線以上が交わる交差点なので、信号に引っかかれば、数分はロスすることになる。平口は焦っただろう。

平口はどうしてもタイホされたかった。姿を暗ませた16余年をフイにしてでもタイホされなければならなかった。まるで命を賭けたゲームのようだ。大事なものを失うゲームのランナーとして、平口は今年中にタイホされなければならなかった。

日比谷公園を尻目に、平口は半ばかけ出すように丸の内署方面に向かっていったに違いない。

警視庁本部庁舎 から 丸の内警察署 - Google マップ4

平口は息を切らしつつ、丸の内署の門番の女性署員に自分がオウム真理教特別手配犯の一人、平田信であるとアピールした。

警視庁本部庁舎 から 丸の内警察署 - Google マップ

門番の女性署員は毎年恒例の、酔っ払いの悪い冗談だと思っていた。タイホされてこい。悪乗りした連中の罰ゲームの舞台に選ばれることもある。平口が必死に指名手配犯の平口だと訴えた所で門番の女性署員は取り合わなかった。もう、残すところ、あと何分かで新年を迎えようとしていたのだから当然といえば当然である。

「僕って背が高いでしょ」

平口は183センチメートルと長身であった。

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平口は、「捕まえてくれ、新年が始まる前に。」必死な思いでタイホを懇願した。やがて、平口信の身体的特徴の中に長身であることを思い出した女性署員は、平口かも知れないと職業的な直感が働き、所内に引き入れることになる。23時50分、日付が1月1日にかわる10分前だった。あと10分で2011年が終わり、新年を迎えようとしていた。

平口は、なぜ、タイホされることに執着したのだろうか。

特に、警視庁から丸の内署までの形跡をたどっていくと、もはや焦りしか見えてこない。

警視庁本部庁舎で平口の姿が確認されたのは23時35分。丸の内署で門番に署内に引き入れられ身柄を確保されたのが23時50分。平口が”2011年を超えてはいけないゲーム”のランナーだと考えた場合、ひとまずのゴールを迎えたことになる。

平口は一体何を体を張って守ったのだろうか。

平口がタイホされてから10日が経ち、元オウム女性信者が平口を匿っていたと大崎署に出頭した。

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彼女は弁護士に引き連れられ出頭し、犯人秘匿容疑でタイホされた。

平田が口を割らなかったのだから、名乗り出なければ罪に問われることはなかった。なのに、なぜは出頭したのだろうか。自らの身が無事であることを知らせるには有効だと思ったのだろうか。あるいは、彼女自身が治安当局に身を委ねることを望んだのだろうか。

福島、宮城、青森と、原発がある県を渡り歩き、平口を一歩も外に出さなかったとは逮捕前にコメントを弁護士に託した。彼女は、ゲームの人質になっていたのではないだろうか。

16余年の長い歳月を誰にも見咎められず逃げ果せた平口は、ドジを踏んだのだろうか。そんなわけはない。明らかに、強迫観念めいている。

さらにいえば、新大阪駅の防犯カメラでは平口は白いニットにマスク姿で人相を隠していたが、東京では警察署行脚でタイホを懇願する。白いニットとマスクは捨てている。なぜ大阪でタイホされることを避け、東京でタイホされなければならなかったのだろうか。

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平口は大崎署での出頭を諦めたあと、山手線で恵比寿、恵比寿駅から日比谷線を利用し地下鉄霞ヶ関駅で降り、警視庁に向かった。日比谷線と霞ヶ関駅は地下鉄サリン事件の象徴的な場所である。平口はなぜこのルートを選択したのだろうか。所持金10万円と使えないハイウェイカード3万円分。他にも行き方があっただろう。

平口のタイホを切望する執念の奥に、いったい何があるのだろうか。

そこまでして、自らのタイホと引換に、得るものがあるのだろうか。

「迷惑かかるから言わない」と高をくくった平口に対し、女性信者は出頭時に800万円の現金と自分が平口を匿っていたという証拠として平口の失効した免許証を持参したという。

斎藤容疑者800万円所持「教団からの残金と貯金」
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220112051.html

オウム元出家信者の女 平田容疑者の免許証を持参
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220112000.html

オウム元出家信者の女はある意図をもって『平口を匿っていた』と出頭してきた。平口が『匿ってくれたのは彼女』と言っているのではなく、本人は協力者の存在に関しては黙秘中である。女性信者の意図は今のところ妄想するしか無い。

今日未明付けで、『平田容疑者「プリズン・ブレイク』観ていた』という見出しの記事が配信されたが、正確にはレンタルしたのは女性信者である、逮捕前のひと月に借りたビデオが28本で、プリズンブレイクシリーズが含まれていたようである。

平田容疑者「プリズン・ブレイク」観ていた
http://news.tv-asahi.co.jp/ann/news/web/html/220113058.html

どうも、平口に16余年明確な意図をもって逃亡を続けた卑怯な犯人だという印象を刷り込みたいようだ。

かの島津論文ではオウム真理教のことを『海外諜報機関のフロント』だと説明している。オウム真理教とは教義もクソも宗教ではないのである。

2012年1月2日、平口のもとに面会に訪れた瀧本太郎弁護士は、オウムの毒ガス攻撃を受けたという。平口のもとにオウム被害者である弁護士を寄越したのは誰なのか。瀧本弁護士は、女性信者を大崎署に出頭に付き添った数日後、平田の弁護士を辞任することになる。理由は女性信者の弁護士を引き受けたからだという。どうも胡散臭い。瀧本とかいう弁護士も含めてだ。16余年の間、罪から逃れたいという明確な意志を持ち逃亡を続けたという印象操作するために現れたと考えるのは邪推だろうか。ひとまず平口が起訴されてから、”なぜ、平口はランナーとして走りだしたのか”を考えてみたい。



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注・平口→平田
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福島第一原発1号機の爆発は単なる水素爆発では説明つかない。

2012/01/12/(Thu) 00:01

福島第一原発一号機と三号機の爆発

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福島第一原発事故で最初に建屋が爆発した1号機は、水素爆発が原因だったと説明している。しかし、はたして、単なる水素爆発で、ミサイルが突っ込んできても大丈夫なように堅強に設計されている原子炉建屋の、5階部分の四方の壁と天井部分が木っ端微塵に吹き飛ぶのだろうか。

鉄筋コンクリートの原子炉建屋の壁は厚さ1メートルにもなる。1号機を上空から見れば、オペレーションフロアと呼ばれる原子炉建屋の5階部分が綺麗サッパリ無くなっている。建屋を支保する鉄骨すら一部はぐにゃりと変曲している。

img_274152_4904315_12.jpg


1号機の爆発


1号機の爆発の際に、建屋から外に向かって扇状の雲が一瞬発現している。これは爆発が超高温の熱波と衝撃波が目に見える形で現れたものだとみている。

福島第一原発一号機と三号機の爆発 - 憂いの果てに ~次gg男坊のアフォリズム~

超高温の熱波と衝撃波が原子炉建屋のコンクリート壁が一瞬で粉砕、あるいは昇華し、周囲に巻き上げられることになる。

福島第一原発 爆発の瞬間 Explosion at Fukushima nuclear plant - YouTube


以下の動画でも爆発直後に雲が瞬間的に発現している。



福島第一原発一号機と三号機の爆発 - 憂いの果てに ~次男坊のアフォリズム~





10000 tons of explosive - YouTubeg

10000 tons of explosive - YouTube

10000 tons of explosive - YouTubeff


ロシアの新型爆弾
ロシア、「真空爆弾」(12日) | Video | Reuters.com



ロシア気化爆弾 ロシア気化爆弾2 ロシア気化爆弾3

ロシア気化爆弾4 ロシア気化爆弾5 ロシア気化爆弾6





1号機が水素爆発して、原子炉建屋の5階部分と天井が木っ端微塵に吹き飛んだ。厚さ1メートルにもなるコンクリート壁が綺麗サッパリ消えてなくなり、鉄骨すらぐにゃりと変形させた。さらには爆発したときに一瞬だけ扇状の雲が発現している。

これらの事象は単なる水素爆発では説明つかないはずだ。

水素爆発と水素爆弾の爆発を混合しているとしたら、それは誤認である。

水素爆発と水素爆弾による爆発は全く違う現象だ。前者は化学反応で、後者は10000000度(一千万度)がトリガーとなり発生する核融合反応である。


原子力発電の仕組み
http://www.hiroshima9.com/suiso/suiso.html

 まず理解してほしいのは、「水素爆発」と「水素爆弾」はまったく異なる、ということです。
ある程度圧縮された水素と酸素の集合気体に火をつけると水素が急激に燃焼します。この瞬間燃焼が爆発現象になります。これが水素爆発です。爆発後に水素と酸素とが結合して水ができます。ゆえに、水素爆発は化学反応です。

他方「水素爆弾」は核爆弾で、二つの水素核が融合した際に発生するエネルギーを爆弾に利用したもので、これは化学反応ではありません。(「水素爆弾」を参照)

---------------------抜粋


ウラン爆弾と水素爆弾の相違(核分裂爆弾と核融合爆弾)
http://www.hiroshima9.com/suibaku/suibaku.html

水素核を融合させるには、水素ガスの温度を1千万度以上に、または圧力を地球の大気圧の1千億倍にしなければなりません。1千度ではなく、1千万度なのです。

中略

石油を燃やしたところで発生する温度は1千度以下であり、火薬を爆発させても、とても1千万度というような超高温にはなりません。
そこで使用されたのが、実は「原子爆弾」なのです。
水素核を融合させるために、原子爆弾の核分裂反応から生じる高温・高圧を利用しているのです。

中略

まず、原子爆弾が爆発(核分裂)し、その爆発によって生じる1千万度という高温と高圧によって水素が核融合を起こしてエネルギーを発生し、そのエネルギーが他の水素核にも再度核融合を生じさせる核融合の連鎖反応が生じ、大きなエネルギーを生み出すのです。

さらに、これらの爆発によって生じた高温・高圧は、容器となっているウラン238にも核分裂を起こさせ、ウラン235の核爆発、水素爆弾の爆発、ウラン238の核爆発という3回の爆発が生じることになりますが、これら3回の爆発は1秒の何万分の一という瞬時に発生しますから、殆ど同時に爆発することになり、原爆の何千倍もの破壊力をもった爆弾になるのです。

---------------------抜粋



1号機の爆発は単なる水素爆発なのだろうか。単なる化学反応であのような大爆発が生じるのだろうか。軍用弾頭の使用や、瞬間温度一千万度に達する核爆発、あるいは核爆発がトリガーになった水素爆弾の核融合爆発の可能性は無いのだろうか。


ここで、1号機の爆発を目の当たりにした現場作業員の証言を引いてみたい。昨年末、東京電力は福島第一原発事故の中間報告とも言うべきプレスリリースを発表したのだが、このPDFファイルの最後尾に『現場の声』という別紙がある。

福島第一原子力発電所 被災直後の対応状況について(2011年12月22日)
http://www.tepco.co.jp/cc/press/betu11_j/images/111222p.pdf

1号機爆発時の現場の声クリックで拡大


まず、『消防車の窓が爆風で割れて、』と書かれた部分に注目したい。どれほどの爆発だったのだろう。消防車は火災に特化した特殊車両だ。耐火強化ガラスであるはずだ。それが爆風で割れたのだ。

『それからスポーンと(瓦礫が)とんできた。』と続くのだが、(瓦礫が)と補足されているが無視していい。ただ、何かが飛んできたのは確かだろう。他にも『ロケットのように正面から飛んできた。瓦礫が。』という証言があるが、瓦礫を強調しているのが鼻につく。ロケットと瓦礫は似て非なるものだ。ロケットに似た筒状の何かが猛烈な速度で横切ったのは確かであろう。やもすればカメラの死角から1号機に向けてミサイルが飛んできたのかもしれない。

他にも『一瞬ゆがんで見えた。』という部分や『なんの前ぶれもなく突然中央制御室全体がごう音とともに縦に揺れた。』『部屋全体が白いダストに覆われた。』という部分に注目したい。これらの現象が単なる化学反応である水素爆発で説明が付くのだろうか。




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Tag:福島第一原発事故 

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2011年を超えてはいけないゲームに文字通り体を張って参加させられていた平田信。2

2012/01/11/(Wed) 16:56

前回のブログエントリでは、先の元旦に大騒ぎになった平口信逮捕を考察した。

2011年を超えてはいけないゲームに文字通り体を張って参加させられていた平田信。

『どうにか来年を迎える前に捕まえてください!』平口は土下座せんとする勢いで自首を懇願した。

自首できた平口信は安堵しているのだろうか。それとも新たな脅威に怯えているのだろうか。

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2012年に年が変わる10分前。平口は丸の内署で逮捕される。2012年の10分前にギリギリ間に合った平田信は、一体何を賭けていたのだろうか。出頭と引換に、何を助けたのだろうか。

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16年間閉じ込められたオウム麻原のボディガードは、2011年の大晦日、突然大阪で解放された。

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2012年を迎える前に、東京で自首する。大阪で解放されたランナーはひたすらにゴールを目指す。時間を気にしながら、ただ、ひたすらに、指定された東京中枢を目指す。途中、地下鉄サリン事件の舞台である霞ヶ関駅を寄れ、というミッションのおまけ付きだ。誰かに何かを指示され、ランナーはひたすらにゴールを目指した。


平口が逮捕されて10日経ち、斎藤明美という元信者が出頭した。平口は彼女を守ろうとしたのか。それとも、彼女は自らの危険を案じ、我が身を防護壁の中へと置くことにしたのだろうか。

女性協力者か、檻の中に閉じ込められていた時、平田の面倒を見た看守役か。もしかしたら、平口自身、彼女の顔を見たこともないかも知れない


「【平田信容疑者逮捕】斎藤明美容疑者のコメント全文「偽りの人生終わりに」」:MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/smp/affairs/news/120110/crm12011022090037-s.htm
2012.1.10 22:09

 滝本太郎弁護士が10日明らかにした斎藤明美容疑者(49)のコメント全文は以下の通り。

 本日、私、斎藤明美は平田信に長い間、隠れ場所を提供したことを告白し、自首致しました。皆さんには私の出頭が遅くなったことに深くおわび申し上げます。平田と私とは、私のその罪について、16年の歳月が過ぎ、手配もなくなり、とうに罪がなくなったと思っていました。そこで後日、私は弁護士の方に相談し、12月31日、平田だけ出頭することにいたしました。その結果、かえって今、混乱し、社会にも不安を与えました。

 平田とは面識があって尊敬していました。逃げ始めた当時、平田が関与したという事件も平田との関係も知りませんでした。平田が手配されたことも逃走後に知りました。その後、福島(福島第一第二原発)、宮城(女川原発)、青森(東通原発)、仙台と逃げました。仙台では料亭で住み込みで働きました。その後、大阪に向かい、3カ所で計15年あまり、1年、7年、7年と3カ所に住みました。仲居、喫茶員、事務員の仕事をしましたが、私の知る限り、住まいの移動の時以外、平田は外には一歩も出ませんでした。警察や周囲の方に見つかりそうになるたびに、移動していました。()←筆者注

 私と平田は報道で色々な事件を知り、特に坂本弁護士一家の事件についてオウム教団のしたことだったことに驚きました。教団では教祖麻原は絶対者でした。人の全ての輪廻(りんね)転生を握っていると信じ切っておりました。教団信者には現実感覚がなく、現世は実際に幻と感じていました。異常な世界でした。2人は麻原の法廷での態度に失望しました。平田は仮谷さんの奥さんの言葉を聞いて出頭しようとも悩んでいましたが、私も平田も(平田が)、国松(孝次警察庁長官銃撃)事件の主犯とみられていたことから、国松事件で逮捕されなくなるまでは出ないと決めました。

 昨年の東日本大震災は大きなショックでした。昨年11月末に平田は出頭すると言い始めました。12月31日夕方、私は平田を見送りました。年末年始だからそんなに大きなニュースにはならないだろうとも考えていました。そして平田は私を守ろうという一心でした。

 特に大阪の人にはおわび申し上げます。偽名で勤務し、長く皆さんをだまし続けてきました。その上にさらに迷惑をかけてしまいます。本当に申し訳ありません。家族、親族、友人のみなさまにもずいぶん迷惑をかけました。深くおわび申し上げます。今日、私は自首をしました。オウム事件の被害者の方には長く逃げていて本当に申し訳ありませんでした。今日、私は17年ぶりに本名を名乗りました。私はずっとずっと偽名で生活し仕事をしてきました。そんな偽りの人生は終わりにします。

--転載ここまで--


平口が参加しているゲームはまだまだ続いている。何がこの先待っているかは知る由もない。




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Category:オウム特別手配犯平田の出頭

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2011年を超えてはいけないゲームに文字通り体を張って参加させられていた平田信。

2012/01/11/(Wed) 14:16

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2011年大晦日。今にも日付が変わってしまうといった頃合いに、一人の重要手配犯が丸の内署に出頭した。500万円の懸賞金がかけられていた重要指名手配犯、平田信である。オウム真理教事件に係わる重要参考人として顔写真付きの手配ポスターが日本のあちこちで貼られていた三人の特別手配犯の一人である。

16余年の逃走の果て、平田はどうしても2011年の内にされなければならなかった。

平田はランナーなのか?

後ろを振り向かずに、ただゴールに向かって全速力で走り続ける。『2011年を超えたら失敗』的なゲームに参加させられていたのではなかったか。

だから、当方は、いつもよりも平田は拉致監禁されていたのではないか、と疑ってしまうのである。


“オウム” 平田容疑者を NHKニュース

東京の公証役場の事務長の監禁致死事件などで、平成7年に特別手配されていたオウム真理教の容疑者が、31日の夜遅く、東京の丸の内警察署に出頭し、警視庁は監禁致死の疑いでしました。平田容疑者は、「事件から時間がたったので、一区切りつけたかった」などと話していて、容疑の一部を否認しているということです。

タイホされたのは、オウム真理教の幹部だった容疑者(46)です。平田容疑者は、31日午後11時50分ごろ、東京の丸の内警察署に出頭しました。

警視庁の調べによりますと、平田容疑者は平成7年2月28日、東京・品川区の公証役場の事務長だった假谷清志さん(当時68)を品川区内の路上でレンタカーに乗せて監禁したうえ、山梨県上九一色村の教団施設で薬物を注射して死亡させたとして監禁致死の疑いが持たれています。

平田容疑者は、この事件の翌月に東京・杉並区のマンションで時限式の爆発物が爆発した事件にも関わっていたとして2つの事件で全国に特別手配され、警視庁などが行方を捜査していましたが、31日夜、丸の内警察署に1人で出頭してきたということです。

調べに対し平田容疑者は、出頭の理由について、「事件から時間がたったので一区切りつけたかった」などと話しているということです。また、容疑については、「車を運転していただけだ」などと一部を否認しているということです。

警視庁は、平田容疑者が教団の起こした一連の事件でどのような役割を果たしたのかや17年近い逃亡中の足取りなどについて調べることにしています。また、すでに時効になった警察庁の國松元長官が狙撃された事件についても事情を知っている可能性もあるとみて捜査することにしています。

--転載ここまで--


ある意味、カイジの世界だ。2011年の大晦日に開放され、『今年のうちにされなければ全てが終わる』的なゲームのランナーとして、平田は走りだしたのだ。




とにかく、2012年元旦はオウム真理教の重要手配犯の一人である平田信の話で持ちきりであった。日本の至る所で顔写真付きの手配ポスターが掲げられ、知名度でいえば有名芸能人レベルであるのにもかかわらず、16年もの間、『失踪』していた稀代の逃亡犯は大晦日という年の節目にひょっこり現れたことも甚だ奇妙であるが、それにしても、あっけない幕切れであった。

まるで、二年七ヶ月の歳月を経て、ひょっこり大阪南港のフェリー乗り場待合室に現れた市橋達也の如しである。

そして当方はこう思わざるを得ない。オウム真理教麻原彰晃の側近でボディガード的な立場にあった平田は16年間も彼自身の意志で逃亡を続けたのだろうか。本当は、全ての罪を着せるべく拉致され監禁されていたのではないか。島流しのごとく、誰にも見咎められない場所に連れ去られ、何重もの遮断壁の中に閉じ込められていたのではないか。

しかしながら、平田が自らの意志で自首を決断したとして、完全無罪を見込んでいれば16年の逃亡の末、自首に至ったことにも説明が付く。

オウム真理教事件に係わる重要被告の公判は2011年11月の遠藤誠一死刑確定を最後に全て結審している。先に取り上げた記事の中にもあるように、オウム事件は一つの区切りを迎えている。平田の供述により、影響されるものではない。

平田に掛けられた嫌疑は目黒公証役場刈谷さんに対する監禁致死容疑であるが、刈谷さん死亡に関わった直接証拠はない。

そもそも、被害者の死体は挙がっていない。死体が挙がっていなければ殺人が適用できる訳が無い。

刈谷さん事件の前に宗教学者爆破事件の容疑者としてタイホ状が取られてはいるが、重要なのは地下鉄サリンに係わる嫌疑や射撃手として国松長官狙撃事件の嫌疑はかけられていたものの、タイホ状は出されていない。すなわち風伝により嫌疑はあっても証拠がない状態だ。

つまり、オウム事件が発覚した当時から行方不明であったことは間違いないのだが、地下鉄サリン事件に関わった証拠も刈谷さん監禁致死に関わった証拠も存在しない。計画を実行した一人だの直接関わっただのはすでに結審したオウム幹部たちの証言からである。

ヒラタは法廷戦術で理論武装し、下手なことをしゃべらなければ、無罪の可能性すらあったということだ。

平田が無罪を勝ち取るとすれば、自首後の取り調べに否認、黙秘し、調書に捺印せず、公判で無罪を訴えることである。さすれば、場合によっては容疑は否定できる。刈谷さんの死亡に係わる証拠も、オウム真理教が起こしたと言われている(当方はそうは思わない)重大事件に係わる証拠も一切存在しないのだ。

大晦日の賑わいに紛れては自首したのだが、やはり、無罪の見込んでいたからこその決断で有り行動でなければ説明のつけようがないのだが、しかし、実際は、平田は法廷戦術も無罪になるための理論武装も身に付けていなかったようだ。かつてオウム擁護派であった宗教学者の島田裕巳に対する爆発物取締罰則違反容疑については、全面的に認めてしまっている。



【平田容疑者】アレフ関係者ら聴取へ 爆破事件「責任取る」と関与認める 警視庁
2012.1.4 01:36

 オウム真理教元幹部の容疑者(46)がされた東京・目黒公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件で、警視庁は3日、平田容疑者の逃亡を長期間にわたり手助けした支援者がいるとの見方を強め、教団主流派団体「アレフ」の関係者などから任意で事情聴取する方針を固めた。平田容疑者は逃亡当初、教団側から逃走資金を受け取り、女性信者(49)と一時潜伏していた形跡があることから、アレフなど教団関係者からの任意聴取は不可欠と判断したとみられる。

 一方、宗教学者の島田裕巳さん(58)元自宅が爆破された事件について、平田容疑者が「「そのことについて責任を取るために来た」と関与を認める説明をしていることが3日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は爆発物取締罰則違反容疑で再する方針。

 警視庁によると、平田容疑者は潜伏先について「人に迷惑がかかるから言わない」と話した。職業については「働いていない」としたが、現金約10万円を所持していた。整形手術も施さず、容姿は手配時とほぼ変わっていなかった。

 警視庁はこうした状況から、1人で16年10カ月にわたり逃亡を続けることは困難で、逃亡を手助けした支援者がいるとみている。任意聴取はアレフなど教団関係者のほか、平田容疑者の知人らも対象に幅広く行われるとみられる。聴取は参考人としてだが、支援者と判明すれば犯人蔵匿や犯人隠避罪が適用される可能性もある。

 また、「仮谷さんを拉致した車に複数の元教団幹部らが同乗していた」と供述したことも、捜査関係者への取材で分かった。平田容疑者が挙げた人物は井上嘉浩死刑囚(42)らで、警視庁は平田容疑者の役割などについて事情聴取する方針。

--転載ここまで--




自ら有罪になるようなことを口にするのは、どうも解せない。平田はどうも、一つの情報も得ない場所に監禁されていたのではないだろうか。伝聞以外に知り得る情報は得られなかった。そんな場所で平田は16年の大半を過ごしたのではないだろうか。

無罪を勝ち取るために出頭したのでなかったとしたら、平田はなぜ16年の逃走をフイにするようなことをした?そもそも自分の意志で逃走を続けたのか。組織的に拉致され監禁されていたのではなかったか。




ランナーは大晦日の賑わいに紛れて出頭した。しかしながら、ランナーの大晦日の行動が詳述されていくにつれ、そのあまりにも不可解な行動に首をかしげてしまうのである。平田はどうしてもされたかった。されなければならなかった。はっきりいって、その執拗さは常軌を逸している。なにが平田をここまでさせたのだろうか。



【平田容疑者】平田容疑者 警視庁本部で門前払い 「特別手配の者です」に「交番行って」
2012.1.3 08:11

 警視庁丸の内署に出頭してされた平田信容疑者(46)が当初、東京・霞が関の警視庁本部を訪ね、警備で庁舎前に立っていた機動隊員に名乗り出て出頭しようとしていたことが2日、捜査関係者への取材で分かった。隊員は人物照会や身柄確保などの対応を取らなかったことから、警視庁は問題がなかったか詳しい経緯を調べる方針。

 捜査関係者によると、平田容疑者は12月31日午後11時35分ごろ、庁舎正門に来て、警備中の隊員に「平口です。出頭してきました」と告げた。しかし、隊員は「近くに丸の内署や交番があるから、そこへ行ってください」と指示。平田容疑者が「特別手配されている者です」と言っても、聞き入れなかった。

 平田容疑者はその後、約650メートル離れた丸の内署へ徒歩で向かったとみられ、同11時50分ごろ、丸の内署の宿直署員に名乗り出た。

※警視庁と丸の内署間は信号を見て大体十分の距離と見ていい。
警視庁 から 丸の内警察署 - Google マップ


 隊員は警視庁に「髪が長く茶色で、顔もふっくらしているように見えた。身長も180センチもないように見え、手配書の平田容疑者とは別人と思った。年明け直前でいたずらも多い時間帯なので、悪質ないたずらと判断した」と話している。

 警視庁によると、平田容疑者は髪は伸びていたが、整形はしていないとみられ、顔の特徴や体形も手配時とほとんど変わっていなかったという。

--転載ここまで--




【平田容疑者】「ずっと国内にいた」 警察へ10回電話も話し中
2012.1.4 01:30

 平成7年2月の東京・目黒公証役場事務長監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、(まこと)容疑者(46)が3日、接見した弁護士2人に16年10カ月の逃亡生活について「ずっと国内にいた」と話していることが分かった。滝本太郎弁護士が明らかにした。出頭日の行動に関しては、JR大崎駅から警視庁大崎署に行った説明しているというが、それ以前の足取りは明らかになっていない。警視庁は周辺の駅の防犯カメラや切符などを分析し、足取りの裏付けを進める。

 滝本弁護士によると、平田容疑者は12月31日午後9時ごろ、JR大崎駅から大崎署に着いた。署内への入り方が分からなかった上、自分の手配ポスターも見つからず、署員の姿もなかったため「捜査本部ではないのかな」と思い、同署への出頭をあきらめたという。

 大崎駅へ戻る途中の公衆電話から、警察当局が教団特別手配容疑者の情報提供を求めるフリーダイヤルに電話すると、話し中でつながらなかった。電話は約10回したという。

 その後、「ヒラタの担当はどこか」と自ら110番通報。指示された警視庁本部に行くことにした。
 警視庁本部へはJR山手線を利用して恵比寿駅に行き、地下鉄日比谷線を経由して霞ケ関駅から向かった。同日午後11時35分ごろ、本部庁舎前で警備の機動隊員に「ヒラタです。出頭しにきました」と告げたが、悪質ないたずらと判断され、丸の内署や近くの交番に行くよう促されたため、歩いて丸の内署に行き名乗り出た。

 その際「僕って背が高いでしょ」と玄関前にいた女性署員に言うと、「嘘? 本当にそうなの」と驚かれ、署内に引き入れられたという。

 平田容疑者のこれらの行動については、フリーダイヤルへの架電を除いて警視庁でも確認している
 滝本弁護士は大崎駅以前の足取りに関しては「ノーコメント」としたが、逃亡生活について平田容疑者は「ずっと国内にいた」と話しているという。

 一方、捜査関係者によると、12月31日夜に平田容疑者と似た人物が新幹線のJR品川駅改札口付近を歩いている姿が防犯カメラに写っていたが、映像を分析したところ別人と判明した。

--転載ここまで--



出頭する理由はなんにせよ、一度門前払いを食らった時点で諦めてしまわないか。しかし、平田は大崎署の入り方が分からなかったことで諦めることなく、次に霞が関にある警視庁本部を目指すことになる。そして警視庁でも無下に扱われ、そこでも諦めきれずに丸の内書を目指すことになる。平田の、これほどまでの『出頭しなければならない使命感』はいったいなんなのか。

平田は本当に自分の意志で逃亡し、16年もの長きにわたって姿を晦ましたのだろうか。


平田はランナー?




次に記事は平田が出頭時所持していたものの中に三万数千円分のハイウェイカードが含まれていたことを報じたものである。



【平田容疑者】出頭時にハイカ所持 逃亡生活解明の手掛かりか
2012.1.5 08:13

 1995年の公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、容疑者(46)が出頭時にハイウェイカード(ハイカ)3万数千円分を持っていたことが5日、捜査関係者への取材で分かった。

 ハイカは2006年3月いっぱいで廃止されたが、警視庁は使用履歴が17年近くに及ぶ逃亡生活を解明する手掛かりになる可能性があるとみて解析を進める。

 捜査関係者によると、平田容疑者は現金約10万円と着替えなどを持っていたが、ハイカについては所持の理由を明らかにしていない。

 東日本高速道路によると、残っている金額分は自動料金収受システム(ETC)への付け替えや払い戻しを受け付けているが、払い戻しは郵送のみで受け付けている。
 
--転載ここまで--



ハイウェイカードは当の昔に廃止されている。2006年である。ハイウェイカードで高速料金を支払うことは不可能だ。なのに、なぜ平田は所持していたのだろうか。

ハイウェイカード廃止に伴う払い戻しの期限は設定されておらず、以下のページにあるPDFに必要事項を記入して郵送、後日指定口座に振込という手はずを踏むことになる。

首都高速道路株式会社|ハイウェイカードの払戻し等について
http://www.shutoko.jp/inquiry/tel/coupon/coupon_back.html

つまり、平田が所持していた3万数千円分のハイウェイカードはいつでも払い戻せるのは確かだ。高速道路を利用する目的で所持していたわけではなく、あくまでも換金用として所持していたのかもしれない。

出頭時、このハイウェイカードが換金されていなかったという事実を突き詰めれば、16年間の逃亡生活の間、全く金に困らなかったのか、あるいは、平田自身が自由にできる口座がなく、換金したくても出来なかったかの二通りが考えられる。他方で、平田はハイウェイカードが廃止されていたことすら知らなかったのではないかという疑念が浮上する。


そして、平田が上京する前に、大阪に居たことが判明する。



平田容疑者「奈良で就労」情報 警視庁、現地に捜査員
2012.1.8 08:56 [オウム事件]

 東京・目黒公証役場事務長の監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、(まこと)容疑者(46)の逃走生活に関して、「2年前に奈良県で働いていた」といった情報が警察に寄せられていることが7日、捜査関係者への取材で分かった。警視庁は大阪に加え、奈良県にも捜査員を派遣した。

 平田容疑者がアパートなどに潜伏していた可能性もあることから、大阪府を中心に不動産業者らからも事情を聴き始めている。

 また、平田容疑者は昨年12月31日に新大阪駅から上京して出頭する前、奈良県方面から大阪市営地下鉄御堂筋線に乗車。その際、不審な途中下車を繰り返しながら新大阪駅に移動していたことも新たに分かった。

 奈良県橿原(かしはら)市から移動し、途中の大阪・天王寺で教団関係者と接触したという情報もあることから、橿原市から天王寺までをつなぐ近鉄南大阪線の橿原神宮前駅から防犯カメラの映像や切符を回収して分析を進めている。

 ほかにも、御堂筋線を中心に約30駅の防犯カメラの映像も分析している。

 捜査関係者によると、御堂筋線の天王寺駅となんば駅ホームの防犯カメラに、マスクをつけた平田容疑者に似た人物が写っていた。乗っていた電車を1度降りて再乗車したとみられるが、改札を出る姿は確認されていないという。

 新大阪駅には、同線の途中で乗り換えをする必要はないことから、平田容疑者が何者かと接触するため、あえて下車した可能性もあるとみられる。


 平田容疑者が出頭時に着ていたダウンジャケットやシャツのタグが取り外されていたことも判明。タグに記載された製造元から潜伏先が特定されるのを避けるため、外したとみられる。

--転載ここまで--




【平田容疑者】教団関係者と接触か 奈良・橿原から天王寺へ
2012.1.7 07:00更新

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 東京・目黒公証役場事務長監禁致死事件で、16年10カ月の逃亡の末にされたオウム真理教元幹部、(まこと)容疑者(46)が、警視庁丸の内署に出頭してから7日で1週間。接見した弁護士には教団や麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=との決別を強調するなど冗舌に語るものの、取調官にはときに敵意をむき出しにするという平田容疑者。奈良県橿原市から新大阪を経て出頭したとみられ、大阪・天王寺で教団関係者と接触したとの情報もあり、警察当局で確認を急いでいる。

「全面戦争」名残

 「他人に迷惑をかけるので」。捜査関係者によると、平田容疑者はしばしば供述を拒むという。事件について「犯行計画は知らなかった」と犯意を否認。取調官の質問に答えず、にらみつけることもあった。

 一方、接見した滝本太郎弁護士を通じてみえる顔はまったく違う。「(麻原死刑囚の)法廷での情けない態度を知って、教団への気持ちが離れた」「自分は非常に罪深い人間」「社会に大きな不安を与えてしまいおわびの言葉もない」。率直に反省の弁を口にしている。

 ある捜査幹部は「事件当時、警察とオウムは『全面戦争』をしていた。警察に対する不信感や敵対心は簡単にぬぐえないのだろう」と分析する。

弁護士には冗舌

 警察には話さなかった出頭までの足取りについて、弁護士には話し、報道などを通じて知った警視庁が後から確認したこともある。

 出頭前に警察のフリーダイヤルに10回以上電話して電話中だったことや110番通報したことも主張したが、それも警視庁は当初聞かされていなかった。急いで確認したところ、その時間帯、フリーダイヤルへの着信はなかった。

 また、平田容疑者は取り調べ中に「寒い」と漏らすことが多いという。取り調べ場所の大崎署は3年前に建設されたばかりで、暖房設備は新しい。取調官はワイシャツ姿で取り調べに当たっており、ある関係者は「異常な寒がりようだ。相当暖かい場所にいたので、寒暖の差を感じるのではないか」と首をひねる。

 捜査関係者らの間では「海外で、南方に潜伏していたのではないか」との観測も出ている。

御堂筋線で新大阪

 出頭前の足取りも、徐々に絞り込まれている。

 捜査関係者への取材では、平田容疑者は昨年12月31日に出頭した直前、奈良県橿原市内から大阪市内の天王寺駅に移動し、教団関係者と接触したとの情報もあり、警察当局は確認を急いでいる。

 その後、地下鉄御堂筋線を利用してJR新大阪駅に行ったという。警視庁の捜査では、新大阪駅とJR山手線の品川駅構内で防犯カメラに平田容疑者の姿が写っているのが確認されている。

 警視庁は平田容疑者が新大阪駅から東海道新幹線でJR品川駅に行き、大崎駅から大崎署に寄った後、恵比寿駅を経由して霞ケ関駅から警視庁本部、丸の内署へ移動したとみている。

 警視庁は平田容疑者が関西地方に潜伏していた疑いがあるとみて、大阪などに捜査員を派遣。御堂筋線の駅の防犯カメラの映像を収集して分析するなど、平田容疑者の足取りを詳細に調べている。

 また、平田容疑者は逃走直後、教団から1千万円の資金を受け取ったとされるが、逃亡生活を組織的に支援した者がいる疑いもあるとみて、オウム真理教から分派した「アレフ」関係者らから任意で事情聴取を進める。大崎署捜査本部の陣容も60人から100人態勢に増強した。

 警視庁幹部は、オウム事件で特別手配中で現在も逃走している高橋克也(53)、菊地直子(40)両容疑者の潜伏先についても、「平田容疑者の潜伏先が分かれば、2人の逃走経路も割り出せる可能性がある」と期待を寄せている。

--転載ここまで--



なぜ、大阪で出頭しなかった?

なぜ、東京を選んだ?

なぜ、2011年のうちに捕まらなければならなかった?執拗に。諦めず。

2011年大晦日の夜、大崎署から警視庁本部、交番から丸の内署まで渡り歩き、出頭への意欲をのぞかせたわけだが、なぜ、大阪で出頭しなかったのか。

十六年間逃げ果せた平田は出頭を決意する。だが、警察は取り合わなかった。平田は大崎署での出頭を諦めたおり、警視庁本部に向かうことになるのだが、ここで意味深な行動を取る。恵比寿駅から東京メトロ日比谷線に乗り換え、霞が関駅で降りている。東京メトロ日比谷線、さらには霞ヶ関駅。平田は大胆にも地下鉄サリン事件の軌跡を辿っているのである。しごくシンボリックである。

平田は東京でされる理由があったはずだ。その理由はわからないが、少なからず言えるのは、平田は大阪ではされるような行動を取らなかったということだ。御堂筋線の防犯カメラで確認された平田に似た人物はマスクを着用していたという。少なくとも大阪に居た平田は注意を払いながら行動していたことは明らかだ。




平田は、平田自身の元へ情報が一切入ってこない環境に置かれていたのかもしれない。そう思わせたのが、平田の麻原に対する現状認識である。すでに廃人と化し会話すらままならない麻原彰晃の現状を全く把握していないようだ。オウム事件以降のオウム真理教内部に潜入したドキュメンタリフィルム『A』『A2』、両映画の監督、森達也が書き下ろした『A3』などに目を通してはいないようだ。森達也自身、法廷で奇声を発する麻原を目の当たりにして、詐病ではないという結論に達しているのだが、事件当時の印象をもって詐病だと決めつけていることは注目に値する。どうも、自ら見聞きした情報を元にしているとは言い難い節がある。







【平田容疑者】麻原死刑囚は「詐病だと思う」 平田容疑者、弁護士に話す
2012.1.7 14:36

 東京・目黒公証役場事務長、仮谷清志さん=当時(68)=監禁致死事件でされたオウム真理教元幹部、容疑者(46)が、一連のオウム事件の裁判で意味不明な発言を繰り返すなどした元教祖の麻原彰晃死刑囚(56)=本名・松本智津夫=について「詐病だと思う。そういうことをする人間だ」と話していることが7日、接見した滝本太郎弁護士への取材で分かった。

 滝本弁護士によると、平田容疑者は接見の際、5年前に麻原死刑囚の写真を捨てたことに改めて触れ、「なかなか捨てられず、裏返しにしてハサミで何回も切って、小さくして捨てた」と話した。

 接見中は号泣しており、仮谷さん事件について「平成8年ごろ、仮谷さんの奥さんがテレビで『雨が降ったら、いまでも夫から電話がありそうな気がする』と話すのを聞いて、申し訳なくて、申し訳なくて泣いた」と説明したという。

 今月1日の時の自分の写真が、6日になって公開されたことについては「当然出ると思った。いままで出なかったのが不思議だ」と話した。

 逃走中だった18年に父親が死亡した後も、家族には「連絡していない」と話したという。これまで出頭しなかった理由については、実行犯として疑われたことがある7年3月の警察庁長官銃撃事件を改めて挙げ、「長官事件のが怖くて出られなかった」と説明したという。

 長官銃撃事件については22年3月に公訴時効を迎えており、平田容疑者は関与を否定している。

--転載ここまで--

平田容疑者「麻原の法廷での態度を見て不信感」(12/01/04) - YouTube
http://www.youtube.com/watch?v=4AVtbRw_qpw


続く。



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福島第一原発事故で誰も死んでいないという欺瞞

2012/01/10/(Tue) 15:52



INsideOUT10/19(水)「潜入!福島第一原発 高濃度汚染の真実」







山岡 俊介(ジャーナリスト)かつて武富士と戦い自宅を放火されたジャーナリスト。田中香織変死事件(六本木ヒルズミステリー)では、『事件当時の防犯カメラの記録が残っていない。森ビル関係者が意図的に削除した。』、『司法解剖の所見では、田中香織の死因は溺死だが、ドラッグ死との整合性を持たせるため肺水腫に変わった』等、驚愕する内情を明かしている。

今西 憲之(ジャーナリスト)面白い大阪人。



ニュースの深層11/8(火)「福島原発内部の真実とは?」








http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00214940.html

福島第1原発事故 作業中の作業員が体調不良で倒れ、心肺停止状態で病院搬送

東京電力は、福島第1原発で作業中の作業員が体調不良で倒れ、心肺停止状態になったと発表した。
倒れた作業員は60代の男性で、朝からコンクリートの注入作業を行っていたところ、体調不良を訴え、その後、意識不明となり、心肺停止状態で病院に搬送されたという。
作業員の9日の被ばく量は、0.052ミリシーベルト(mSv)で、体に放射性物質の付着はなかったという。
東京電力によると、放射性物質との因果関係はほぼないだろうという。

--転載ここまで--


この記事の中に『心肺停止状態で病院に搬送されたという。』という部分があるが、東電会見によれば、救急車で搬送されたのではないという。構内車両というが、おそらく所員か協力会社の通勤車であろう。

1月9日午後東京電力記者会見 - Togetter
http://togetter.com/li/239065

早々に放射能との関連を否定的に発表する、あまりにも科学的ではない東電の説明は論外であるにせよ、なぜ、一刻一秒を争う心肺停止という重篤な状況で救急車を要請しないのか。救急車は移動中の蘇生措置に特化した特殊搬送車両だ。動画の中で、『構内は、一日一回は救急車が往来している』と今西氏は明言している。要請すれば救急車は来ただろう。なのに構内車両で搬送するというのはどういうことか。

心肺停止という重篤状態は搬送中の蘇生措置が生死を分ける。なのに心肺停止状態の作業員を病院に搬送する際、救急車を要請しなかった。この作業員をわざわざ見殺しをするような東電の対応に深い違和感を覚えざるを得ない。


asahi.com(朝日新聞社):福島原発作業員が心肺停止に 東電「作業との関連不明」 - 社会
http://www.asahi.com/national/update/0109/TKY201201090255.html




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Category:日の丸に問いかける

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抜け抜けとこのまま逃げおおせるというようなことは私は許したくないと思います。

2012/01/07/(Sat) 17:33





20111229 今年のキーパーソン2人は日本の危機をど... 投稿者 PMG5









おまけ






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