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市橋達也の法廷ライブ・7月12日第六回公判(1)~(4)被告人質問
2011/07/12/(Tue) 18:31
【英国女性殺害 市橋被告求刑(1)】「逮捕されれば、死刑になる」逃げ続けた被告、罪の重さは? - MSN産経ニュースhttp://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110712/trl11071211420004-n1.htm
2011.7.12 11:41 (1/5ページ)
(10:00~10:20)
《千葉県市川市のマンションで平成19年、英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判が12日午前、千葉地裁(堀田真哉裁判長)で始まった。リンゼイさんの両親は証人尋問で「日本で許される最高刑を」と極刑を求めており、検察側の求刑内容に注目が集まる》
《午前中は市橋被告に対する被告人質問。検察による論告求刑や、弁護側の最終弁論は午後に予定されている》
《午前10時1分、リンゼイさんの父、ウィリアムさんと母、ジュリアさんが入廷する。5日にわたる公判を経て、なお疲れた表情は見せず検察側の席に座った》
《続いて市橋被告が弁護側後方の扉から姿を見せる。これまでの公判では、リンゼイさんを死亡させたことについて、絶えず反省の弁を述べてきた市橋被告。ただ「殺意」については一貫して否定し、リンゼイさんの遺体を土に埋めるなどの工作についても「(なぜやったのか)分からない」とあいまいな証言を繰り返してきた。この日で最後となる被告人質問では、何を語るのだろうか》
《午前10時4分、裁判員らが入廷し、堀田裁判長が開廷を宣言する。市橋被告はゆっくりと証言台に移り、男性検察官による被告人質問が始まる》
2011.7.12 11:41 (2/5ページ)
検察官「犯行場所となった自宅マンションですが、賃貸でなく親族の持ち物だったということでいいんですよね」
被告「そうです」
検察官「両親から月いくら仕送りを受けていましたか」
被告「12万円だったと思います」
《犯行時、市橋被告は28歳で無職だった》
検察官「警察に逮捕されたのは今回の事件が初めてですか」
被告「いいえ。前にも1度あります」
検察官「財布を盗んだ後、逃げようとして相手にけがを負わせた事件ですね」
被告「マンガ喫茶の店内に財布が落ちているのを見つけて持って逃げようとしました。それを見つけた人ともみ合って、階段から落ちました。それで私は逮捕されました」
検察官「相手にけがをさせましたね」
被告「はい」
検察官「26歳のころの事件ですね」
被告「はい」
検察官「身柄拘束は何日間でしたか」
被告「14日だと思います」
検察官「そのときは両親が示談にしてくれたんですよね」
被告「そうです」
検察官「釈放されたとき、今後一生犯罪をしない気持ちでいましたか」
《しばらく押し黙る市橋被告。震えた声で答え出す》
被告「その覚悟がなかったと思います。私はあのとき、刑務所に入るべきでした」
《マイクを通じ、市橋被告の「フー」という荒い息づかいが聞こえる》
検察官「端的に答えてください。もう二度と犯罪を起こさないという気持ちでしたか」
被告「そう思いました」
2011.7.12 11:41 (3/5ページ)
《続いて、検察官はリンゼイさんを誘い出す口実となった「英会話の個人レッスン」に関連し、市橋被告の英会話への思いについて質問していく》
検察官「あなたは英会話スクールに通っていましたか」
被告「通っていません」
検察官「留学の予定は決まっていましたか」
被告「決まっていません」
検察官「英語の試験では良い成績を取ることができましたか」
被告「できませんでした」
検察官「当時の交際相手とは結婚するつもりでつきあっていましたか」
被告「いいえ」
《矢継ぎ早の質問に市橋被告は淡々と答えていく》
検察官「逃げているときのことについて聞きます。逮捕状が出て、指名手配されていたことは分かっていましたか」
被告「分かっていました」
検察官「平成21年11月10日に逮捕されるまで、自ら出頭しませんでしたね」
被告「はい」
検察官「あなたは逃げ始めた際、4、5万円の現金を持っていましたね」
被告「そうです」
検察官「もともとあなた自身が持っていたものですか」
被告「『もともと』というのはどういう意味ですか」
検察官「質問を変えます。あなたは逃げているとき、無賃乗車をしたり、自転車を盗んだりしていますね」
被告「はい」
検察官「逃げ通すために整形手術もしましたね」
被告「そうです。逃げるためです」
《市橋被告の息づかいがまた激しくなる。「はあ、はあ」という声が漏れ出す》
検察官「沖縄の島でも暮らしましたね」
2011.7.12 11:41 (4/5ページ)
被告「はい」
検察官「逃走している間、被害者が殺害され、容疑者が逃亡中という報道は聞きましたね」
被告「はい。聞きました」
検察官「一生逃げ通すつもりだったんでしょ」
被告「逃げていたかった…。そう思いました…」
《11日の被告人質問で、市橋被告は事件発覚直後に警察官を振り切って逃走し、2年7カ月にわたり出頭しなかったことを「責任を取ることが怖かった。『誰だって逃げる。誰だって逃げるんだ』と言い聞かせて逃げていた。本当に卑怯(ひきょう)だった」と証言している》
検察官「そうやって逃げている中、仮に逮捕されたら、どのぐらいの刑を受けると思っていましたか」
被告「リンゼイさんの苦しみを考えると…、死刑になると思っていました」
検察官「(大阪のフェリー乗り場で)逮捕されたときも、逃げるために沖縄に行こうとしていたんですよね」
被告「沖縄の小屋で死のうと思いました」
《自ら「死刑」に言及し、自殺を図ろうと考えていたことも明かす》
検察官「あなたは逮捕されたあと、黙秘だけでなく食事も取りませんでしたね」
被告「はい」
検察官「警察官からDNA鑑定に必要な口の中の細胞を取らせてくれないかと頼まれ、応じませんでしたね」
被告「断ったと思います」
検察官「断った結果、裁判官の出した令状によって強制的に採血されましたね」
被告「そうだと思います」
検察官「(口内の細胞採取を)なぜ断ったのですか」
2011.7.12 11:41 (5/5ページ)
被告「事件のこと以外はすべてお話しするつもりはありませんでした。だから断ったと思います」
検察官「DNAの鑑定に協力すれば、しゃべらなくても事実解明されていくと思いませんでしたか」
被告「思いませんでした」
検察官「そもそも事実が解明されることが嫌だったんじゃないですか」
被告「それは嫌ではありません。私が嫌だったのは、私が一方的に事件のことを話すことが嫌でした。リンゼイさんはもう何も話せません。それだけが嫌でした」
《男性検察官は市橋被告が出版し、印税をリンゼイさんの遺族に支払うとした手記について質問する》
検察官「出版ということはあなたが、原稿を長々と書いたわけですよね」
被告「書きました」
検察官「そうやって書いているとき、出版したら遺族の方がどう思うと考えていたんですか」
被告「そんなことをすれば、リンゼイさんのご家族は嫌悪感を覚えて、私のことを絶対に許さないと思いました」
検察官「原稿を書いているときに思っていたんですね」
被告「思いました」
検察官「リンゼイさんのお母さんが『本は殺人の成果物で、1ペニーももらいたくない』と(11日の)法廷で言ったのを聞きましたね」
被告「聞きました」
《市橋被告は声を荒らげる》
検察官「その話を聞いたあと、今も(印税を)受け取ってほしい?」
被告「はい。できれば受け取ってほしい…。いつでもいいです。できれば受け取ってほしい…」
《弁護側によると、逃亡生活をつづった手記の印税は約912万円に上るという》
検察官「リンゼイさんのお母さんの証言を聞いたあとも考えは変わらない」
被告「迷います…。はあ…。でも、私ができるだけ責任を果たしたいという気持ちは、書いていたときと変わらないです」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは市橋被告をじっと見つめている。何を思うのだろうか》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(2)】「付き合うってなんですか」「ハグする関係…」疑問抱き、被告から逆質問 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110712/trl11071212050005-n1.htm
2011.7.12 12:05 (1/4ページ)
(10:20~10:45)
《平成19年3月に英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=が殺害された事件で、殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、市橋被告への検察側の被告人質問が続いている》
《男性検察官は市橋被告が出版した手記についての質問を続ける。市橋被告はこれまでの公判で「印税を被害弁償に充てたい」と述べているが、リンゼイさんの父親のウィリアムさんは「娘を殺しておいて、それをネタに金を稼いでいる。一銭もほしくない」と強く反発している》
検察官「書く前に、遺族が書いてほしいと思っているか確認していますか」
被告「確認していません。弁護士の先生にも(書くことを)反対されました。申し訳、ありませんでした…」
《市橋被告の「はぁ、はぁ…」という荒い息づかいが響く》
検察官「裁判が終わった後に出版するということは考えなかったのですか」
被告「できる限り早く、(印税を払うことで)責任を取りたくて…。それだけを思っていました」
検察官「親に被害弁償を頼もうとは考えなかったのですか」
被告「私は前の事件で親にお金を出させて…」
《この日の公判で、市橋被告が26歳のとき、漫画喫茶で落ちていた財布を盗もうとした際、見とがめた人ともみ合いになり、相手を負傷させて逮捕された過去が明らかにされている》
2011.7.12 12:05 (2/4ページ)
被告「被害者の方に示談をしてもらいました。刑務所に入りませんでした。私はそのときにもう悪いことはしないと思ったけど、甘かったぁ…」
「そういう気持ちが今回の事件につながった面もある。私はもう親に頼ることは、絶対にしたくはありませんでした。だから取れる責任は、自分ができる責任はなるべく早く果たしたいと考えていました。しかしそれは浅はかでした。申し訳ありませんでした」
《女性通訳が傍聴するリンゼイさんの両親のために英語に通訳している最中、依然として荒い市橋被告の息づかいが法廷内に響く。ここで検察官が、リンゼイさんの両親の男性代理人弁護士による被告人質問を求め、堀田真哉裁判長は「15分程度に収めてください」と許可した》
代理人弁護士「漫画喫茶の事件で示談の金額はいくらでしたか」
被告「分かりません。教えてくれませんでした」
代理人弁護士「聞かなかったのですか」
《ここで市橋被告の弁護側が「すでに検察官が聞くなどしており、適切ではない」と異議を唱えるが、検察側は「質問内容は重複していない」と応酬。堀田裁判長は左陪席と右陪席の裁判官と話し合い、「検察側の質問と重複しない範囲で質問を許可します」と注文した。代理人弁護士は堀田裁判長に深く一礼してから質問を再開する》
代理人弁護士「逃走中、『(捕まったら)死刑になる』と思っていたということですが、殺すつもりがなかったのにどうして死刑になると思ったのですか」
2011.7.12 12:05 (3/4ページ)
《市橋被告側は「殺意はなかった」と訴えており、裁判では殺意の有無が最大の争点となっている》
被告「私はリンゼイさんの命を奪ったからです」
代理人弁護士「事件当時、交際していた女性がいましたが、付き合うようになったきっかけは何ですか」
被告「性格が合ったからです」
代理人弁護士「彼女に近づくとき、似顔絵を描いたのではないですか」
《市橋被告はリンゼイさんと初めて会ったとき、リンゼイさんの似顔絵を描いている。代理人弁護士は市橋被告が女性に接近する手段として、似顔絵を使っていたとみているようだ》
被告「似顔絵を描いたことは何度もあります」
代理人弁護士「その彼女のことは置いておいて、ほかの女性に似顔絵を描いたことはありましたか」
被告「女性にも、男性にも、友達にも、知り合いにも、先生にも、知り合った人には何枚も描いています」
《代理人弁護士は通訳を行う女性通訳の顔と、法廷内の時計を交互に見つめる。残り時間をかなり気にしている様子だ》
代理人弁護士「女性に限ったら、外国人も含まれますか」
被告「含まれています」
代理人弁護士「何人くらいの外国人女性に似顔絵を描きましたか」
被告「外国でホームステイしたときに…」
代理人弁護士「いやいや、日本の話」
《腕を組み、いらだった表情で市橋被告を見つめていた代理人弁護士は割り込んだ》
被告「何枚か描いています」
2011.7.12 12:05 (4/4ページ)
代理人弁護士「その中で連絡先を聞いた人はいますか」
被告「ありません。リンゼイさん、リンゼイさんから…」
代理人弁護士「はい、ないということで結構です。あなたは外国人女性と付き合ったことはありますか」
被告「付き合うということはどういうことですか」
《逆に質問をする市橋被告だが、少し間を置いて「ちょっと待ってください」と言葉を続けた》
被告「さっきの質問ですが、私は私が日本語を教えて、英語を教えてもらう仲の白人女性がいました。その人から連絡先を教えてもらっています。すみません」
代理人弁護士「付き合うという言葉の意味ですが、あなたの言葉でいうなら『親密な付き合い』ということです」
《市橋被告はこれまでの公判で、事件当日にリンゼイさんを自宅マンションに連れ込む直前の心境について「このままリンゼイさんと親密な関係になれたらいいな、と勝手に思っていました」と述べている》
被告「親密な関係とはハグする関係の…さきほどの女性とはハグしたり、抱き合ったりする関係でした。肉体関係はありませんでした」
《代理人弁護士による被告人質問が終わり、弁護側が被告人質問で漫画喫茶の事件が不起訴処分になったことなどを確認。堀田裁判長が休廷を宣言した》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(3)】裁判員から逃亡生活に質問相次ぐ 千葉→青森→四国の遍路道 整形は自分でも - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110712/trl11071213010007-n1.htm
2011.7.12 13:00 (1/4ページ)
(11:19~11:40)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判。予定時間を約15分過ぎ、午前11時20分ごろに再開した。市橋被告に対する裁判所からの質問が始まる》
裁判長「続いて裁判所から尋ねます。何か質問はありますか」
《堀田真哉裁判長は周囲の裁判員に顔を向けて尋ねた。6人の裁判員はいずれも男性で、傍聴席から向かって左から1~6の番号が記されたカードを首から下げている。4番の男性裁判員が手を挙げた》
裁判員「逃走後、いつぐらいに整形を思い浮かべ、いつ行いましたか」
被告「(思い浮かべた時期は)具体的には言えません。私は警察の方から逃げました。東北の青森まで逃げました。そして、リンゼイさんが生き返ると思い、四国の遍路道を回りました。途中、もう生き返らないと現実が分かり、働こうと思いました。顔を変えなければ、働けないと。いつごろかは正確に思いだせません」
《通訳の女性が話す途中に市橋被告が口を挟んだ。何か付け加えたいようだ》
2011.7.12 13:00 (2/4ページ)
被告「すいません。病院へ行って顔を変えようと思ったのはその通りです。警察の方から逃げたあと、自分で自分の顔を変えようと思って、自分でしています」
《市橋被告は逃亡生活を記した手記の中で“自己整形”したことを詳述している》
《市橋被告は事件後、東京・上野のコンビニエンスストアで裁縫道具を購入。近くの大学病院の障害者用トイレで鼻を細くするため、糸のついた針を鼻の左右に突き通し、鼻をチャーシューのように巻いたという》
裁判員「あなたは、事件までに人のためにボランティアや社会貢献したことはありますか」
被告「ありませんでした」
《続いて、3番の男性裁判員が質問した》
裁判員「リンゼイさんのご家族が来日して、自首を呼びかけたり、昨日出廷した(千葉大学時代の恩師の)本山(直樹)証人の自首の呼びかけは知っていましたか」
《事件発生後、すでに市橋被告の犯行が明らかになり、指名手配されていたため、本来は自首でなく出頭という形になるが、法廷では「自首」という言葉が使われた》
《11日の公判で、証人として出廷した千葉大大学院の本山名誉教授は市橋被告に空手を指導。本山さんは21年11月、自身のホームぺージに「市橋達也君に告ぐ」と題し、自主的な出頭を呼びかけている》
2011.7.12 13:00 (3/4ページ)
被告「逃げている間にリンゼイさんのご家族が来日したニュースは聞きました。ご家族や本山先生が自首をすすめたことは聞きませんでした」
《続いて6番の男性裁判員が、市橋被告の「逮捕される直前に死のうと思った」とする証言について質問した》
裁判員「どうして逃走を続けていたにもかかわらず、死のうと思ったのですか」
被告「最後はもう、逃げることはできないと思いました。でも、まだ、逃げたかったんです。だったら、沖縄の島の小屋に戻って、あとは死ぬしかないと思いました」
《市橋被告は、「死のう」と思った理由について言及しない。「逃げたい」と「死にたい」という思いの中で葛藤(かっとう)があったのだろうか》
裁判員「もう1点。逮捕されたときにどう思いましたか。逮捕されたときの気持ちを教えてください」
被告「死に場所が変わっただけだと思いました」
《続いて裁判所側で唯一の女性、左陪席の裁判官が強い口調で質問した》
裁判官「事件現場のマンションは、まだ戻れるようになっているんですか」
被告「分かりません。しかし、出ることはありません」
《「出る」とは刑務所から出ることを意図しているのだろうか》
2011.7.12 13:00 (4/4ページ)
裁判官「この法廷で、あなたは『被害者の気持ち』と何度も言っていますが、初めて被害者の気持ちを考えたのはいつですか」
被告「リンゼイさんに悪いことをしたといつも思っていました。しかし、気持ちを考えたのは仕事を始めて、苦しかったときにリンゼイさんはもっと苦しかったんだと初めて考えました」
《リンゼイさんの母、ジュリアさんは熱心にメモを取っている。右陪席の男性裁判官はリンゼイさんを結束バンドで拘束し、乱暴するなどした犯行当時の状況について質問した》
裁判官「結束バンドを収納棚から取り出したとき、顔はどちらに向いていましたか」
被告「顔は棚を向いていました」
裁判官「あなたが、被害者の手首や足首を拘束した場所は具体的にはどこですか。見取り図を示しますので指でさしてください」
被告「ここです」
《市橋被告は玄関と廊下の境目にある脱衣所前をさした》
被告「その後、4.5畳の和室でも手足に(結束バンドを)はめています」
《男性裁判官は、リンゼイさんを拘束するまでの市橋被告の体勢を確認。言葉では伝わりにくく、堀田裁判長は首を大きく傾け、頭の中でイメージしているようだ》
【英国女性殺害 市橋被告求刑(4)】粘着テープにからまる髪をハサミで切断「リンゼイさんは悲しそうな顔」 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110712/trl11071213290008-n1.htm
2011.7.12 13:27 (1/3ページ)
(11:40~12:00)
《英国人英会話講師のリンゼイ・アン・ホーカーさん=当時(22)=に対する殺人と強姦(ごうかん)致死、死体遺棄の罪に問われた無職、市橋達也被告(32)の裁判員裁判の論告求刑公判は、右陪席に座る男性裁判官の質問が続いている》
《市橋被告は証言台に座り、じっと前を見すえたまま、ゆっくりだがはっきりとした口調で質問に答えていく。法廷の両サイドに設置された大型モニターには、犯行現場となった市橋被告のマンションの間取りが映し出されている》
裁判官「リンゼイさんを4・5畳の和室のどこに、どのように運びましたか」
被告「4・5畳の和室のどこと指し示すことはできません。(図面の)『毛皮様のもの(毛皮のようなもの)』と書かれたところに、抱きかかえたリンゼイさんを置いたと思います」
裁判官「あなたの部屋から切断された45センチの結束バンドが見つかっていますが、これはあなたが被害者の手足を拘束したもので、被害者の求めに応じて切断したものということですか」
被告「そうです」
裁判官「あなたの部屋には切断された30センチの結束バンド10本が見つかっていますが、何に使用して、なぜ切断したものですか」
被告「30センチの結束バンドは手首や足首にはめようとして使っていたものです」
《ここで、市橋被告はしばらく考え込むように数十秒間黙り込み、そしてこう続けた》
被告「45センチの結束バンドがなくなったと思い、30センチのものをどうにかしてはめれないかと思い、輪っかにしてみたりしたことはあります。なぜ、切っているかについては正確に言うことはできません」
「というのも、輪っかにしたのは26日の目が覚めた後切っているはずだからです…。そのとき様子ははっきり覚えていません」
2011.7.12 13:27 (2/3ページ)
《続いて、男性裁判官は市橋被告がリンゼイさんの頭部に巻いた粘着テープについて質問した》
裁判官「粘着テープについて1点だけ尋ねます。口の周りをぐるっと巻くようにして巻いたテープはなぜ外そうと思ったのですか」
被告「口から頭を巻くようにテープを巻いた後、リンゼイさんが口をもごもごし、唾液でテープがすぐに外れました。それをみてすぐに外そうと思いました」
裁判官「粘着テープはうまく外れましたか」
被告「できませんでした」
裁判官「どうやって外したんですか」
被告「頭に着いていたものを外そうとするとリンゼイさんが『痛い!』と言いました。そこで粘着テープからはがれる髪の毛は1本ずつ外しました。からまってどうしても外れない髪の毛は台所からキッチンばさみで1本ずつ切りました。リンゼイさんは悲しそうな顔をしています…。そうやってリンゼイさんの髪の毛を外しました」
《髪の毛の外し方について、市橋被告の詳細な説明を女性通訳が翻訳し始めると、リンゼイさんの母、ジュリアさんはおもわず両手で顔を覆った。父のウィリアムさんは肘をつき、一段と険しい表情になっている》
裁判官「4・5畳の和室には被害者の血液が付着していますが、思い当たることはありますか」
被告「私は先ほど4・5畳の和室に運んだときに毛皮様のものの所に置いたと言いました。そのとき身体のどこかから出血していたのを私は見ていません。出血の痕があったと言われましても、そのときに付いたものか、いつ付いたものかは正確にはお答えできません」
《最後に堀田真哉裁判長が質問を始めた》
2011.7.12 13:27 (3/3ページ)
裁判長「私の方から尋ねます。被害者の立場にたって考えることが不足していると言いましたが、具体的にどの点が不足していると思いますか」
被告「私は加害者です…。リンゼイさんのご家族が今まで私のせいでどれほど苦しんできたか、今もこれからもどんな気持ちで暮らしているか…。想像することができます」
《証言台に座る市橋被告はうつむき、ときおり声を詰まらせながら堀田裁判長の質問に答える。膝の上に置かれた両手は小刻みに震えている。そして声を絞り出すようにこう続けた》
被告「でも、加害者の私にはすべてが理解できないと思う。リンゼイさんの苦しみについて想像すれば苦しくなる…。息ができなくなる…。リンゼイさんはもっと苦しかったと思う。リンゼイさんのご家族のことを考えると震えて怖くなる。自分がどうすればいいか分からない。しかし、すべてを分かることは私にはできません。だから、昨日そういいました」
《堀田裁判長の質問はこの1点のみで終了。検察側、弁護側に追加の質問がないかを確認し、被告人質問の終了を告げた》
《市橋被告は証言台から立ち上がった後、堀田裁判長らに一礼し、前を見ながら後ずさるように被告人席に下がり、着席した》
裁判長「これで証拠調べを終了し、双方のご意見をうかがっていくことにします。午後は1時30分に開廷ということでよろしいでしょうか」
《検察側、弁護側ともに小さくうなずき、休廷に入った。市橋被告は刑務官3人に囲まれ、やや足早に退廷していった。午後からは検察側の論告が行われる》
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- 市橋達也の法廷ライブの補足・解説 (2011/07/07)
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Category:市橋達也の法廷ライブ
市橋達也の法廷ライブ・補足、解説2
2011/07/12/(Tue) 18:14
市橋達也の法廷ライブの補足・解説http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-274.html
今回のブログエントリでは第二回公判の証人尋問に登場した頭髪の一部を緑色に染めた女性医師について検証する。その後に、弁護団の再鑑定の結果はいずこ?という謎を解いてみたい。
第二回公判
市橋達也の法廷ライブ・7月5日第二回公判(1)~(3)
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-272.html
市橋達也の法廷ライブ・7月5日第二回公判(4)~(8)
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-273.html
第二回公判
---------------------------------[抜粋]
裁判長「それでは開廷いたします」
《堀田裁判長に促され、本日の証人であるリンゼイさんの遺体の司法解剖を担当した女性医師が左側後方から入廷してきた。小柄で眼鏡をかけ、髪は一部緑色に染めている》
《堀田裁判長は名前や生年月日などを確認した後、女性医師に証人としての宣誓を読み上げるよう求め、女性医師は宣誓した》
《それでは始めます。証人(女性医師)はリンゼイさんの司法解剖を担当しましたね》
証人「はい」
《女性通訳が、早口でリンゼイさんの両親に英語で通訳していく》
《続いて、検察官は大型モニターに、女性医師の所属と資格をまとめたものを映し出した。それによると、千葉大大学院医学研究院法医学教室に所属。資格は医師、医学博士。専門は法医学となっている》
《次に、女性の経歴についても確認した上で尋ねる》
検察官「そうすると、法医学の勤務は12年ですか」
証人「はい」
検察官「これまでに何体くらい司法解剖を担当しましたか」
証人「およそ60から70件です」
[中略]
《傍聴席から見える大型モニターは消えたが、証言台席と、裁判員、検察官、弁護人らの前にある小型モニターには写真が映し出されていくようだ》
検察官「まず顔面の写真について説明してください」
証人「(1)と書いてある部分は、右目の周りが皮下出血、いわゆるあざがみられます。皮下を開けると、筋肉が挫滅、つまりつぶれている状況です。
(2)と書いてあるところも、皮下を開けると皮下脂肪に出血がありました。[中略]
(3)は鼻のところの皮膚がへこんでいます。圧痕(あっこん)がみられました。
(4)は表皮剥脱(ひょうひはくだつ)といって皮膚の表の層が取れている状態です」
[中略]
弁護人「今までの経験についてお聞きします。今まであわせて、700~800の遺体を解剖してきたということでよいですか」
証人「介助を含めればもっとやっていますが、若いころは少なかったので、主執刀は400くらいかと。正確には覚えていませんが」
---------------------------------[抜粋]
---------------------------------[抜粋]
裁判長「それでは開廷いたします」
《堀田裁判長に促され、本日の証人であるリンゼイさんの遺体の司法解剖を担当した女性医師が左側後方から入廷してきた。小柄で眼鏡をかけ、髪は一部緑色に染めている》
《堀田裁判長は名前や生年月日などを確認した後、女性医師に証人としての宣誓を読み上げるよう求め、女性医師は宣誓した》
《それでは始めます。証人(女性医師)はリンゼイさんの司法解剖を担当しましたね》
証人「はい」
《女性通訳が、早口でリンゼイさんの両親に英語で通訳していく》
《続いて、検察官は大型モニターに、女性医師の所属と資格をまとめたものを映し出した。それによると、千葉大大学院医学研究院法医学教室に所属。資格は医師、医学博士。専門は法医学となっている》
《次に、女性の経歴についても確認した上で尋ねる》
検察官「そうすると、法医学の勤務は12年ですか」
証人「はい」
検察官「これまでに何体くらい司法解剖を担当しましたか」
証人「およそ60から70件です」
[中略]
《傍聴席から見える大型モニターは消えたが、証言台席と、裁判員、検察官、弁護人らの前にある小型モニターには写真が映し出されていくようだ》
検察官「まず顔面の写真について説明してください」
証人「(1)と書いてある部分は、右目の周りが皮下出血、いわゆるあざがみられます。皮下を開けると、筋肉が挫滅、つまりつぶれている状況です。
(2)と書いてあるところも、皮下を開けると皮下脂肪に出血がありました。[中略]
(3)は鼻のところの皮膚がへこんでいます。圧痕(あっこん)がみられました。
(4)は表皮剥脱(ひょうひはくだつ)といって皮膚の表の層が取れている状態です」
[中略]
弁護人「今までの経験についてお聞きします。今まであわせて、700~800の遺体を解剖してきたということでよいですか」
証人「介助を含めればもっとやっていますが、若いころは少なかったので、主執刀は400くらいかと。正確には覚えていませんが」
---------------------------------[抜粋]
この、頭髪の一部を緑色に染めた女性医師は、さも自分がリンゼイさんの主執刀だと言わんばかりに説明するが、千葉大大学院医学研究院法医学教室の2007年当時といえば大御所、岩瀬博太郎教授が主執刀ではなかったか。岩瀬博太郎教授は法医学の著作もあり、現代の司法解剖に鋭くメスを入れるAI導入派の稀有な存在である。

07年当時、岩瀬教授を差し置いて主執刀は有りえるか? かすかな疑問が謎を深めていく。では、2007年3月28日の岩瀬博太郎教授には先約があり、リンゼイさんの司法解剖はこの頭髪の一部を緑に染めた女性医師が担当したのだろうか。答えはこんなところにあった。本山直樹教授のブログ、2010年10月18日(謝罪の手紙の直後)の記事ではこう書かれている。
2010年10月18日
---------------------------------[抜粋]
今日は菅野弁護士の事務所を訪ねて、その後の支援金207,000円をお渡ししてきました。今日は第6回の公判前整理手続が行われましたが、検察側が強姦致死・殺人の根拠としていたリンゼイさんの死亡推定時刻を、事件の起こった3月25日午前10時ちょっと過ぎというのを取り下げて、26日夜までに死亡と変更したとのことです。
[中略]
警察はマニュアル通り遺体を検分して、死亡時刻の推定に重要な直腸温度(19.6℃)を測定記録し、その後遺体を冷蔵庫に保管してしまったので、28日に千葉大学医学部法医学教室の岩瀬博太郎教授によって遺体解剖が行われた時には死亡時刻を推定することは不可能な状態でした。そこで、死後2日以内というような幅のある推定になったようです。検察側は、強姦致死・殺人が行われたとする自分たちの見立てに不都合な警察による直腸温度の測定記録を出さなかった(隠した?)のを、弁護側の証拠開示要求で開示せざるを得なくなり、さらに弁護側が検死報告書を別の大学の法医学教室の教授に再鑑定してもらった(私たちが提供した支援金が使われた)結果などに対して、死亡推定時刻を変更せざるを得なくなったようです。
---------------------------------[抜粋]
当局はリンゼイさんの司法解剖を岩瀬博太郎教授に嘱託したことは明らかであろう。そもそも、以下のPDFファイルでは、---------------------------------[抜粋]
今日は菅野弁護士の事務所を訪ねて、その後の支援金207,000円をお渡ししてきました。今日は第6回の公判前整理手続が行われましたが、検察側が強姦致死・殺人の根拠としていたリンゼイさんの死亡推定時刻を、事件の起こった3月25日午前10時ちょっと過ぎというのを取り下げて、26日夜までに死亡と変更したとのことです。
[中略]
警察はマニュアル通り遺体を検分して、死亡時刻の推定に重要な直腸温度(19.6℃)を測定記録し、その後遺体を冷蔵庫に保管してしまったので、28日に千葉大学医学部法医学教室の岩瀬博太郎教授によって遺体解剖が行われた時には死亡時刻を推定することは不可能な状態でした。そこで、死後2日以内というような幅のある推定になったようです。検察側は、強姦致死・殺人が行われたとする自分たちの見立てに不都合な警察による直腸温度の測定記録を出さなかった(隠した?)のを、弁護側の証拠開示要求で開示せざるを得なくなり、さらに弁護側が検死報告書を別の大学の法医学教室の教授に再鑑定してもらった(私たちが提供した支援金が使われた)結果などに対して、死亡推定時刻を変更せざるを得なくなったようです。
---------------------------------[抜粋]

http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200702_673/067306.pdf
---------------------------------[抜粋]
鑑定受託者には死体解剖保存法第2条に定める
解剖医の資格は必要とはされないが、実際上は、
大学医学部又は医科大学の法医学教室の教授又
は助教授に嘱託されている。
---------------------------------[抜粋]
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鑑定受託者には死体解剖保存法第2条に定める
解剖医の資格は必要とはされないが、実際上は、
大学医学部又は医科大学の法医学教室の教授又
は助教授に嘱託されている。
---------------------------------[抜粋]
とも書かれている。つまり規定はないが大概は法医学教室の教授に司法解剖の執刀は嘱託されると言うわけだ。例外がなければ、所轄千葉県警主導のもとに行われたリンゼイさんの司法解剖は、事件当時千葉大大学院医学研究院法医学教室の教授である岩瀬博太郎教授に嘱託されるのが筋だ。
では、岩瀬博太郎教授はリンゼイさんの司法解剖を執刀したのだろうか?
岩瀬教授の著作「法医学者、死者と語る」を紹介したブログの記事を引いてみたい。そこには「法医学者、死者と語る」P55にはこう書かれてあるという。
http://blog.zaq.ne.jp/mainiti/article/352/
---------------------------------[抜粋]
「日本の解剖率の低さは日本人が解剖嫌いが原因ではない。ほかの国も日本人以上に解剖が嫌い。解剖率の低さは無責任行政と人出・設備不足の表れにすぎないのだ。英国人の方の解剖をしたが、遺体を極力傷つけないよう大使館経由で再三要請があった。」
---------------------------------[抜粋]
疑いようがないであろう。英国人の司法解剖はそう多くはない。---------------------------------[抜粋]
「日本の解剖率の低さは日本人が解剖嫌いが原因ではない。ほかの国も日本人以上に解剖が嫌い。解剖率の低さは無責任行政と人出・設備不足の表れにすぎないのだ。英国人の方の解剖をしたが、遺体を極力傷つけないよう大使館経由で再三要請があった。」
---------------------------------[抜粋]
では、この頭髪の一部を緑に染めた女性医師って一体誰なのよ?という話になる。
http://ameblo.jp/tomblo-0/entry-10923155670.html
---------------------------------[抜粋]
竪山辰美被告に対する第5回公判が千葉地裁で開かれ、千葉大法医学教室の早川睦医師が証人として現れた。
早川先生は髪の毛の一部が緑色をしていて、白髪の波床裁判長並みに目立っている。
ただの主婦なら「派手なおばさん」と片付けられそうだが、医学博士であるという事実がそうはさせないね。
アッパレです。
---------------------------------[抜粋]
竪山辰美被告の裁判で登場した千葉大大学院医学研究院法医学教室の医師も頭髪の一部を染めていたという。名前は早川睦。千葉大大学院医学研究院法医学教室に所属していることは間違いないようだ。プロフィールは、---------------------------------[抜粋]
竪山辰美被告に対する第5回公判が千葉地裁で開かれ、千葉大法医学教室の早川睦医師が証人として現れた。
早川先生は髪の毛の一部が緑色をしていて、白髪の波床裁判長並みに目立っている。
ただの主婦なら「派手なおばさん」と片付けられそうだが、医学博士であるという事実がそうはさせないね。
アッパレです。
---------------------------------[抜粋]
http://www.m.chiba-u.ac.jp/class/houi/staff/staff_hayakawa.html
こんな感じ。ピカチュウを顔写真に使っているが、派手なおばさんと見て間違いないだろう。
リンゼイさんの司法解剖は岩瀬博太郎教授が執刀を担当したのではなかったか?所見も岩瀬教授によるものにではなかったか?市橋の第二回公判で証人尋問に招かれた早川医師が、リンゼイさんの司法解剖に関わっていたことは否定こそ出来ないものの、岩瀬教授の立場以上では無かったはずだ。
岩瀬教授は著書で「英国人の方の解剖をしたが、遺体を極力傷つけないよう大使館経由で再三要請があった」と露骨な外圧に遭ったことを明かしている。リンゼイさん司法解剖は顔以外はメスを入れられなかったのではないか。ウィリアム・ホーカーさんがかつてタイムス紙に「僅かの隙間を残して全身アザだらけだった」と語っていることからもリンゼイさんは拷問に遭っていた。生前、全身アザだらけになるほどの拷問を受けていたはずである。この部分がばっさり切られているのはいささか腑に落ちないものであるが、イギリスの外圧に遭い岩瀬教授をしてまともに司法解剖できなかった背景があることを指摘しておきたい。
話を元に戻す。
さて、早川睦医師のうさんくささに気づかせてくれたのが、第二回公判の終盤に差し掛かったところで、早川医師が何気なく放った一言と、それに対する周囲の反応であった。
第二回公判
---------------------------------[抜粋]
裁判長「問題ないということが確認できましたので続けます」
《女性裁判官の質問に戻った》
裁判官「顔面や手首に粘着テープの痕跡があったということですが、それ以外の場所ではなかったのですね」
証人「その他の場所については鑑定書が手元にないので」
《女性医師は申し訳なさそうに答える。検察官から小さなざわめきが起きた》
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裁判長「問題ないということが確認できましたので続けます」
《女性裁判官の質問に戻った》
裁判官「顔面や手首に粘着テープの痕跡があったということですが、それ以外の場所ではなかったのですね」
証人「その他の場所については鑑定書が手元にないので」
《女性医師は申し訳なさそうに答える。検察官から小さなざわめきが起きた》
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法廷ライブの記者ですら検察官のざわめきは見過ごすことはできなかったようだ。鑑定書が手元にないと答えられない?リンゼイさんの司法解剖を執刀したのではなかったか?「あの派手なおばさんは自分で何を言っているか分かっているのか?」検察官たちのざわめきが聞こえているようである。早川医師の「鑑定書が手元にないので」の一言でトリックに気づくことができた。
そもそも、リンゼイさんの死亡推定時刻は26日夜に変更されたのではなかったか。
25日10時過ぎだという検察側の見立ては論外だとして、26日未明までリンゼイさんは生きていたとする弁護団の主張すら否定されてしまったのではなかったか。
現弁護団の弁護費用を拠出している『市橋達也くんに適正な裁判を支援する会』代表である本山教授のブログで『さらに弁護側が検死報告書を別の大学の法医学教室の教授に再鑑定してもらった(私たちが提供した支援金が使われた)結果などに対して、死亡推定時刻を変更せざるを得なくなった』と指摘していたことは一体なんだったのか。
この時教授は、「支援金の中から50万円が拠出された」と報告していたはずだ。すでに330万円集められた支援金を教授の元に寄せた支援者に対し、教授はブログで市橋の近況や弁護団の弁護活動状況を報告している。デタラメを書くわけがない。
弁護団は検死報告書(死体検案書)を証拠開示請求し、別の法医学教室に鑑定を依頼しているのに、リンゼイさんの死亡推定時間を26日夜だとする法医学教室の鑑定結果は、どこに消えてしまったというのだろうか?
公判前整理手続で検察、弁護人、裁判官と三者納得ずくでリンゼイさんの死亡時間が変更されたのではなかったか。証拠としては取り下げてしまったということなのだろうか?
岩瀬博太郎教授の代打として証言台に立つ早川睦医師が検察、弁護団とともにしきりに訴えていたのが市橋がリンゼイさんを窒息死させた可能性である。窒息は3~5分で死に至るのだが、これらは全て急性窒息の説明である。他方、弁護団が再鑑定を依頼した別の法医学教室では、リンゼイさんの死因は“遷延性窒息”と鑑定されている。この話もどこかにすっ飛んでいった。
遷延性窒息に関しては、以下のPDFファイル
http://ir.twmu.ac.jp/dspace/bitstream/10470/13621/1/3011000014.pdf
昭和35年とは少々古いが、こんな風に説明している。
---------------------------------[抜粋]
窒息とは呼吸が阻止されるために起る障害である。窒息に関する従来の大多数の研究は,急性窒息すなわち法医学的には,総死,絞死,捷死に見られるように呼吸阻害後5~6分で死に至るものを対象としている。
然し窒息死の中には急性ではなく,極めてまたはやや緩慢な経過を辿って死を招来するものがある。[中略]また別の場合として,首つり自殺の途中で紐が切れ,失神中に救出手当をされたが及ばず数時間を経過して死亡した場合とか,他殺時,絞殺した犯人が,死んだと思って紐をゆるめて逃走してから,被害者は息を吹き返したが数時間後に死亡した例などがある。
急性窒息とは異るこれらの緩慢な経過を持つ窒息に対して,どういう名称をあたえるかは諸家により一致していない。慢性窒息,緩性窒息,亜急性窒息,遷延性窒息等の種々の用語を見るのである。しかし遷延性窒息という用語は,絡死,絞死などの際,一且息を吹ぎ返したが後数時間以上経て死亡するという例の如く,急激な頸部胸部の圧迫にもかかわらず,急性の死を免れて死期が遅延した場合に用いられた例もあり,そういう場合の用語として妥当であるように思われる。
---------------------------------[抜粋]
窒息とは呼吸が阻止されるために起る障害である。窒息に関する従来の大多数の研究は,急性窒息すなわち法医学的には,総死,絞死,捷死に見られるように呼吸阻害後5~6分で死に至るものを対象としている。
然し窒息死の中には急性ではなく,極めてまたはやや緩慢な経過を辿って死を招来するものがある。[中略]また別の場合として,首つり自殺の途中で紐が切れ,失神中に救出手当をされたが及ばず数時間を経過して死亡した場合とか,他殺時,絞殺した犯人が,死んだと思って紐をゆるめて逃走してから,被害者は息を吹き返したが数時間後に死亡した例などがある。
急性窒息とは異るこれらの緩慢な経過を持つ窒息に対して,どういう名称をあたえるかは諸家により一致していない。慢性窒息,緩性窒息,亜急性窒息,遷延性窒息等の種々の用語を見るのである。しかし遷延性窒息という用語は,絡死,絞死などの際,一且息を吹ぎ返したが後数時間以上経て死亡するという例の如く,急激な頸部胸部の圧迫にもかかわらず,急性の死を免れて死期が遅延した場合に用いられた例もあり,そういう場合の用語として妥当であるように思われる。
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公判の議題に上がった窒息死、つまり、3~5分程度で死に至る窒息とは急性窒息のことである。他方、ここでは慢性窒息、緩性窒息と例を出し、中でも”急激な頸部胸部の圧迫にもかかわらず,急性の死を免れて死期が遅延した場合”が遷延性窒息となる。ひとえに窒息死といっても、急性窒息と遷延性窒息とでは雲泥の差があるということだ。
第二回公判の証人尋問の中でも、以下に抜粋する部分は重要である。
---------------------------------[抜粋]
弁護人「被害者の顔に鬱血(うっけつ)ははっきり出ていたのですか」
証人「顔面には著明でなかったです」
裁判長「著明でないとはどういう意味ですか。かみ砕いて説明してください」
《専門的なやりとりが続く中、堀田裁判長が口を挟んだ。裁判員が話題についていけていないことを危惧(きぐ)したようだ》
証人「はっきりということではないということです」
《専門用語が多いせいか、女性通訳の通訳スピードも落ちている》
弁護人「まぶたの裏に溢血点(いっけつてん)は出ていましたか」
証人「認められませんでした」
---------------------------------[抜粋]
弁護人「被害者の顔に鬱血(うっけつ)ははっきり出ていたのですか」
証人「顔面には著明でなかったです」
裁判長「著明でないとはどういう意味ですか。かみ砕いて説明してください」
《専門的なやりとりが続く中、堀田裁判長が口を挟んだ。裁判員が話題についていけていないことを危惧(きぐ)したようだ》
証人「はっきりということではないということです」
《専門用語が多いせいか、女性通訳の通訳スピードも落ちている》
弁護人「まぶたの裏に溢血点(いっけつてん)は出ていましたか」
証人「認められませんでした」
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リンゼイさんが頸部圧迫により急性窒息で死に至ったとしたならば、顔面の鬱血や瞼の裏に溢血点が認められてしかるべきである。窒息の三大要素が満たされながらも、顔面の鬱血もとまぶたの裏の溢血点も認められなかったということはどういう事か?リンゼイさんは急性窒息以外の窒息で死に至ったとも受け取れる。遷延性窒息であったと見るほうが妥当であろう。
弁護団は公判前整理手続で死体検案書や検死報告書を証拠開示請求し、独自に別の法医学教室に再鑑定を依頼した。1)リンゼイさんの死亡時刻は26日夜であること。2)死因は遷延性窒息であること。これらはリンゼイさんが死に至る前、生きながらに砂で埋められ窒息死した可能性を示し、さらに事件発覚当時ベランダに運び込まれたバスタブの中でリンゼイさんはまだ生きていた可能性をも示している。
教授がブログでこの再鑑定に際し、50万円支援金から拠出したと報告しているように、ちゃんとした法医学教室に再鑑定を依頼したのであろう。3~5分で死に至る頸部圧迫での窒息に際し見られる顔面の鬱血がはっきりと視認できず瞼の溢血が認められないことから遷延性窒息と鑑定したのではないか。犯罪の一連性を訴え空白の時間を認めない捜査側が度外視していた直腸測定の記録から死亡推定時刻を26日夜と推したのではないか。これら弁護団が別の法医学教室に再鑑定させた結果を議題に乗せないのは解せない。はたして市橋を最大利益のために弁護活動しているのか?というそもそもの疑問がある。
リンゼイさんは拷問され土の中で生き絶えた。再鑑定は闇に葬られ、全てを市橋達也に押し付けて、事無きを得ようとしている。
なぜ、捜査当局はリンゼイさんが拷問された痕跡に消極的なのだろうか。拷問の痕と市橋との因果関係を立証できなかったからではなかったか。ただ一つ言えることは、法廷で示された証拠をもってしても、市橋達也は大阪南港で逮捕されるまでの2年7ヶ月、殺人と強姦致死で逮捕状が取られることはなかった。これは疑いようがなく事件のファクトである。
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Category:市橋達也の法廷ライブ