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市橋達也の冤罪検証・リンゼイ・アン・ホーカーさんがストーカーだと思っていたのは市橋達也ではなく、NOVA講師を捜査する行確担当の捜査員たちだったのではないか?

2011/04/30/(Sat) 15:58

2011-03-24 18-13-09
市橋達也は逃亡中に美容整形で特徴的な左頬にある縦にならんだ二つのホクロを除去したと報じられた。

パーカ拡大2
だが実際にはホクロは除去されていなかったのである。

市橋の顔写真を重ねる
市橋達也の整形写真と指名手配の顔写真を重ね合わせると顔の輪郭がぴったり一致するのはなぜか?




市橋達也の裁判の日程がようやく決まった。今年(2011年)7月4日から、同月12日までに6回の公判が行なわれ、同月21日判決公判という超突貫工事のような日程だ。裁判員裁判であるがゆえに、公判回数の少なさは仕方がないことかも知れない。市橋達也のような案件で十分な審議が尽くされないということは致命的である。


リンゼイさん事件、市橋被告の初公判は7月4日 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110419-OYT1T00954.htm
(2011年4月19日20時51分 読売新聞)

千葉県市川市で2007年3月、英国人女性リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)が遺体で見つかった事件で、殺人や強姦致死などの罪で起訴された市橋達也被告(32)の裁判員裁判の公判期日が19日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)での公判前整理手続きで決まった。

 裁判員の選任手続きは6月28日で、初公判は7月4日。5日間の評議を経て同21日に判決を言い渡す。選任手続きから判決まで、休日を挟み24日間の日程。

 検察側はリンゼイさんの首の骨が折れていることなどから、市橋被告に殺意があり、首を絞めるなどして性的暴行を加えた結果、リンゼイさんが死亡したと主張。弁護側は殺意を否認し、傷害致死と強姦罪にとどまると争う方針だ。

[転載ここまで]


本山 


完オチ騒動、謝罪の手紙騒動、手記本出版騒動は、市橋達也の裁判とは全く関係がないことだ。全て市橋達也の意思であるかのように思わせて、実質主導したのは弁護団である。いずれも起訴事実を認めるような内容であるが、市橋達也は取り調べに対し一貫して黙秘していた。

悪徳ベンゴダンが主導した騒動は一般人に『市橋達也がリンゼイさんを殺したのは疑いようのない事実だ』と認識させるのに十分である。そもそも死体遺棄容疑という最高でも懲役三年しか見込まれない痴漢ごとき軽犯罪の容疑者に懸賞金1000万円かけられること自体、理解しがたいことである。そして、市橋に1000万円の懸賞金がかけられることを当然だと、誰もが疑いを持たなかったのである。

悪徳ベンゴダンの主任弁護人を務める、裁判員裁判や検察審査会に詳しい菅野某は千葉大学法科大学院の客員教授でもある。悪徳ベンゴダンは自らが主導した騒動が市橋達也の裁判に悪影響を与えることを知らないわけがないではないか。

どうにか市橋達也を有罪にしたい検察と、それに答える形で悪徳ベンゴダンは謀略の限りを尽くしているのである。悪徳ベンゴダンに資金提供している本山教授ですら、本人は無自覚かもしれないが検察の協力者である。

市橋達也は殺人の嫌疑がかけられながらも逃亡期間中は死体遺棄の容疑者だった。すなわち、捜査側が殺人の証拠を掴むことができなかったから、殺人で逮捕状が取られなかったのである。殺人を視野にいれた死体遺棄容疑は、容疑者の自供こそ唯一最大の証拠になる。とかく市橋達也の案件は事件から2年7ヶ月が経過していることもあり、新証拠発見の可能性はゼロに近い。捜査当局にとって市橋達也の自供こそ、彼を有罪たらしめる唯一最大の証拠になりえたのである。重ねていうが、市橋達也は取り調べに対し一貫して黙秘していた。市橋達也の黙秘の意味を司直関係者が知らないわけがない。そして、自供が取れないまま公判を迎えるとなると、事と次第によっては殺人と強姦致死の罪状には問われない可能性すら否定できなくなるのである。

市橋達也の拘留期限前日、『市橋が完オチしたぞ!』と完オチ騒動を主導したのは悪徳ベンゴダンである。完オチ騒動のどさくさに紛れて検察は市橋達也を殺人と強姦致死で追起訴することになるのだが、検察は市橋が弁護団にした説明と同じ内容だったと説明した。かくして市橋達也の完オチしたとの心象が一般人に深く根付いたわけだが、検察が裁判所に完オチ調書を証拠提出していなかった事実が判明し、驚くほかなかった。詳しくは【完オチした市橋達也の供述調書を、検察は証拠として裁判所に提出していなかった】に書いたのでそちらを参考にしてほしい。

「騒がれ首絞めた」「殺すつもりはなかった。人工呼吸もした」等の悪徳ベンゴダンが記者会見を開いて発表した市橋達也の供述と思われるものは、リンゼイさんの死亡時刻において事実と噛み合わなくなり信用性を失ったことは【直腸測定の記録は隠蔽されていた~でっち上げられた供述調書~】で書いた。

弁護士というのは依頼者の最大利益を考え弁護する立場にあるはずだ。悪徳ベンゴダンに関していえば、市橋達也に最大不利益な行動をしているのは目に見えて明らかである。

悪徳ベンゴダンが主導した完オチ騒動とは一体なんだったのか。はっきりいって、悪徳ベンゴダンはやらなくていいことをやっている風にしか思えない。全く、市橋達也の意思が見えてこないのである。もし悪徳ベンゴダンが主導したこれらの騒動に一ミリでも市橋達也の意思が入っていたとするならば、それはただ単に悪徳ベンゴダンが市橋達也を騙しているのである。そもそもこの弁護団は『弁護費用はかからない』と嘯いて逮捕翌日から接見を重ねたのは事実である。委員会派遣制度により市橋に接見したというが、委員会派遣制度には私選弁護人を6人集めろとは規定されていない。もちろん、手持ちの30万円しかない市橋に6人の私選弁護人を選定する決定権はないのである。あるとしたら、悪徳ベンゴダンが市橋を騙しているだけである

完オチ騒動以降も、謝罪の手紙騒動、手記本出版騒動と、検察の起訴事実を全面的に認めるような内容の、いわば自供調書の代わりに成り得る手紙や手記を、市橋達也の最大利益を考え弁護するはずの弁護団が主導してメディアにリークしているのである。この矛盾は看過できなかった。裁判と全く関係ない悪徳ベンゴダンが巻き起こしたらの騒動は、リンゼイさん殺害の直接証拠もなく、自供調書が裁判所で証拠採用されていない事実をも踏まえれば、市橋達也にとって極めて不利益が生じることであることは言うまでもない。検察の協力者たる悪徳ベンゴダンは、市橋の裁判とは関係ないところで有罪を立証しようとやっきになっているのである。

悪徳ベンゴダンは記者会見場で二度、取り調べの可視化を要請した旨を公表しているが、これはただのポーズである。事実、取り調べの可視化はされていないではないか。

ついでにいうと、リンゼイさんの死亡時間が26日夜だと判明したことを受けて、事件が発覚した時間が近接している(時間がラップしている)こともあり、捜査員が406号室に踏み込んだとき、リンゼイさんはまだ生きていた可能性が浮上した。【リンゼイ・アン・ホーカーさん殺害事件の本質とは?】で示したように、この事件の根底にあるのは捜査員がリンゼイさんに蘇生措置や救命措置を施さず見殺しにしてしまうという(その可能性は否定できない)捜査側の重大な過失が本質にあるのである。406号室に踏み込んだ捜査員はベランダのバスタブの中から出ている手だけをみて死亡したものと判断し、翌日の現場検証までリンゼイさんをベランダのバスタブから取り出すこと無く、放置していたのは【事件発覚当時、リンゼイさんは生きていた―新たに判明した事実が物語る捜査当局の重大な過失】に示したとおりである。この重大な過失を被害者遺族に悟られたくない捜査本部の本音は、考えうる限り最短の時間にリンゼイさんの死亡時間を設定したことが物語っている。検察の「市橋達也はリンゼイさんを部屋に連れ込みすぐに強姦。強姦行為の一連の流れで彼女を死に至らしめた」として25日朝10時ちょっと過ぎに見立てていた。事実は26日夜である。見立てと一日半以上も食い違っている。つまり、殺人と強姦致死の起訴罪状を妥当とする前提が破綻しているということだ。

つまり、市橋達也への裁きというのは、生きている可能性があったにも関わらず手だけをみて死亡したものと判断し救命措置や蘇生措置を施さなかった捜査側の過失をも、仔細に明らかにしなければ全容把握に至るわけがないのである。

悪徳ベンゴダンは、市橋達也を包囲するために組織された捜査側の協力者である。完オチ騒動に始まり、謝罪の手紙騒動、手記本出版騒動と弁護団の謀略により、市橋達也に有罪の裁定が下される外堀は埋められてしまっている。もはや有罪は免れないと当方は悲観的にみているのだが、市橋達也の初公判が開かれる直前に村木事件のような大冤罪事件が発覚しなければ、当方がブログで市橋達也の冤罪検証を促したところで、もはや虚空に叫ぶだけにすぎない。

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被害者のリンゼイ・アン・ホーカーさんと友人

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と、まあ、前置きが長くなってしまったが、今回のブログエントリーは【市橋達也の冤罪検証・二人は親しい間柄にあったのではないか?】の続きである。

市橋達也とリンゼイ・アン・ホーカーさんの関係性については、事件の5日前に二人が初めて顔を合わせたというのが、捜査当局の見立てだ。その中身のでたらめさについては、前回のエントリーで示したが、言葉足らずだった部分を補っていきたい。

前回も示したように、リンゼイ事件発覚から翌未明のうちに配信された第一報では、市橋達也は『知人の20代の男性』、『女性(リンゼイ)の交際相手とみられる日本人男性』と触れられている。さらに、『市橋容疑者と(リンゼイさん)は以前から面識があり、互いのマンションを行き来していた(毎日新聞)』、二人が親しい関係にあったことを示す記事もある。【市橋達也の逃走劇は県警の公式発表後に挿話された1】【市橋達也の逃走劇は県警の公式発表後に挿話された2】では千葉県警による公式発表後に市橋達也の逃走劇はセンセーショナルに報じられたが、事件発覚の翌27日未明の段階で配信された二つの記事では、「市橋達也は当日不在で、事件の何らかの事情を知っているとみて行方を追っている」と、捜査員の制止を振り切り逃げ出したことには一切触れられていなかった。黒木昭雄氏が指摘するように、千葉県警は事件発覚してから緊急配備やタクシー手配を要請していなかったという事実があり、『本当に市橋達也は捜査員を振り切り逃げ出したのだろうか』と思わずにはいられなれない。

市橋達也の逃走劇と同様に、千葉県警による事件の公式発表を境に二人が交際しているかのような内容は、市橋達也のストーキング行為や事件5日前のエピソードにすげ替えられることになった。

とにかく、二人が親しい関係にあったとすればすんなり説明がつくことが多くある。

リンゼイさんの失踪当日、市橋達也が一緒にいたことを示す証拠であるマンションエレベータの監視カメラの映像は一切公開されることはなく、当初の事件報道でメールアドレスの存在はひた隠しにされていた。『二人は親しい関係になかった。愛人関係にもなかった』と断定する割には、二人の親しい関係性を示すのであろう証拠のたぐいは握りつぶしている節がある。市橋の自室の連絡先が書かれた似顔絵にはメールアドレスが記載されていたのだが、英サン誌がマスクしていない似顔絵をすっぱ抜かなければメールアドレスの存在など誰も知る由もなかっただろう。

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日本で公開された似顔絵はご丁寧に一部を隠してある。

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英サン誌が公開した似顔絵。メールアドレスがちゃんと確認できる。

事件発覚前日の25日朝9時45分、行徳駅前の喫茶店を後にした市橋とリンゼイさんはタクシーに乗って市川市福栄の新日本サンライズ行徳に向かうことになる。捜査本部は、市橋がリンゼイさんを無理やり部屋に連れ込み、すぐに強姦し殺害したと見立てたが、二人が親しい関係であったのならば、この見立ては成立しない。お互いのマンションを行き来する間柄であるならば、強引に部屋に連れ込む必要はないのである。現に、エレベーターの監視カメラが記録した二人は抱擁しキスしていたという。市橋がリンゼイさんを強引に部屋に連れ込んだというよりも、リンゼイさん自らの足でマンションに踏み入れたと見るべきではないか。

ここで一旦話を事件の5日前に戻す。『市橋容疑者は21日午前0時40分ごろ、船橋市のJR西船橋駅付近で初対面のホーカーさんに「英会話を教えてほしい」と声を掛けた。同容疑者はそのまま自転車で帰宅するホーカーさんを自宅まで走って追いかけ、ホーカーさんは同居人が在宅中に自宅に入れた。』というエピソードのでたらめさについては前回のエントリーで触れた。市橋達也はリンゼイさんの似顔絵を即興で描き、25日の朝、英会話の個人レッスンの約束を取り付けたと報じられているが、これはその場に居合わせたリンゼイさんの友人の米国人男性(当時27歳)の証言を元に見立てられている。

実は、事件5日前に二人がリンゼイさんの社宅にいるところを目撃したというルームメイトのNさんという同僚の女性が『TVのチカラ最終回 20070630』に出演し、二人が出会ったのは西船橋駅前ではないと証言しているのだ。Nさん曰く、『市橋がリンゼイさんに声を掛けたのは帰宅中の電車(東西線)の中』だという。


2007.06.30 TVのチカラ最終回 3 投稿者 h3gf56trg35dfg
Nさんの証言は0:56から。事件5日前、リンゼイさんの社宅には二人のルームメイトがいたという。

20日深夜から21日未明にかけて、西船橋の駅前でナンパしていた市橋達也がリンゼイさんに「英会話教えて」と声をかけたとする捜査本部の見立てはそもそもがリアリティのない話であったが、でたらめだということが理解していただけたと思う。おそらく、警察に証言した英国人男性はその場に居合わせたわけではなかった。市橋とリンゼイさんを目撃した二人のルームメイトのどちらかから聞いた話を警察にしたのではないか。

しかし、「二人は西船橋駅前で知り合ったのではなく、西船橋駅に向かう東西線の車内から二人は一緒にいた」というNさんの証言が事実であるならば、非常に興味深い。というのも、東京メトロ東西線はリンゼイさんが勤務するNOVA小岩校の最寄り駅であるJR小岩駅には通じていないからである。ようするに、リンゼイさんは仕事以外の用事(プライベート)で東西線を利用したのであり、そこに市橋が搭乗したというのであれば、終電間近の時間帯に郊外のベッドタウンに向かう路線の混雑具合を想像すれば、それは申し合わせた以外説明しようがないからだ。特に西船橋や福栄周辺は都心のベッドタウンとして開発された街であり、終電間近の時間帯に乗客が殺到する光景は想像に難くない。というよりも、そこそこ混雑した電車内でナンパする奴なんて本当にいるのだろうか。

2011-03-24 17-07-21
東京メトロ東西線はJR小岩駅に通じていない。

さて、千葉県警の公式発表を境に、二人の関係性が否定され、市橋達也のストーキング行為が取り沙汰されることになる。千葉県警は公式発表時すでに市橋達也を犯人扱いしていたのだが、この時既に”外国人女性を無差別に狙った、ストーカー犯罪の延長にある殺人事件”と見立て、事件現場の居住者が犯人だと筋道を立てていたことがわかる。『ストーカーの疑い、恋人あてメールに…英美人講師変死 20070329ZAKZAK』『市橋容疑者はストーカーだった…「NOVA」講師殺害 20070329スポーツ報知』、見出しだけをみても市橋達也がリンゼイさんにストーキング行為を働いていたと想像に難くない。次に引く記事も市橋がリンゼイさんにストーキングしていたことを仄めかすものだ。


英国人女性殺害で 日本人バッシング? (2/2) : J-CASTニュース
http://www.j-cast.com/2007/03/28006468.html?p=2
---------------------------------[抜粋]
さらに、大衆紙「ザ・サン」は、ホーカーさんの友人の声として、
「日本人男性は『キモイ(creepy)』ので、(ホーカーさんは)来月には帰国することを計画していた」
さらに東京での同僚の声として
「彼女は、日本人男性のことを、気味が悪いと思ったようです。不適切なジェスチャーや、性的な発言をする人もいました」
との発言を紹介、「日本人男性に問題アリ」と示唆している。
---------------------------------[抜粋]


同様の部分を英紙ザ・サンから抜粋してみる。

http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/article23145.ece
---------------------------------[抜粋]
A friend revealed that Lindsay was planning to come home next month ? as she found Japanese men “creepy”.
Toby Wheeler, 30, who worked with Lindsay in Tokyo, said: “She found Japanese men weird. Some made inappropriate gestures and sexual remarks.
---------------------------------[抜粋]


この二つの記事内には『リンゼイさんが市橋達也からストーキング行為を受けていた』という直接的な指摘はない。むしろ注目すべきは 〈Japanese men “creepy”〉という部分である風に思う。Japanese men、すなわちリンゼイさんが”creepy”と思ったのは複数の日本人なのである。もし〈Japanese men “creepy”〉が市橋を指しているとするならば、単数形で〈Japanese man “creepy”〉となるはずだ。これにより市橋達也以外の複数の日本人がリンゼイさんにストーキング行為をしていたと推察できるのである。ちなみにcreepyは記事では『キモい』と訳されているが、身の毛もよだつとか気色悪いといった意味もある。

では、市橋達也以外に一体誰がリンゼイさんをストーキングするというのだろうか。その答えはすでに【NOVA講師一斉逮捕はナイジェリア人逮捕を経由しリンゼイ事件につながっていく2】で示していることをあえて指摘しておく。つまり、リンゼイさんが帰国を考えるほど気持ち悪がっていたのは、市橋達也というよりも、NOVAの英会話講師陣をターゲットにした警視庁組織犯罪対策5課の捜査員ではなかったか。リンゼイ事件の裏側でNOVA講師一斉逮捕に端を発したNOVA講師陣への捜査は行われていたのは揺るぎない事実であり、リンゼイさん本人、もしくはリンゼイさんの親しい講師仲間にマル暴の行確が入っていた可能性は否定出来ないのである。


■ 市橋達也はリンゼイさんを護衛していたのではないか。

捜査当局が見立てた事件五日前のエピソードというのは、あまりにも荒唐無稽で根拠が破綻した虚構である。では、一体なにが真実か?と問いかけた場合、最も整合性がある結論が、『市橋達也はリンゼイさんを護衛していたのではないか?』というものだった。NOVA講師をターゲットにした警視庁組織犯罪対策5課の捜査員にリンゼイさんは気づいていたのではないか。NOVAに不穏な空気が流れていたのは、成人女性が仕事をサボタージュし一日二日自宅に帰らないだけでNOVA関係者が捜索願を届出したことからも見て取れる。事件五日前の20日深夜から21日未明にかけて、社宅で二人でいるところを目撃したNさんは市橋達也はフレンドリーだったと証言している。二人は傍目からみても親しい関係にあったのではないか。ではなぜ、リンゼイさんは市橋を「帰りに声をかけられた」、「水を飲ませてほしいと頼まれた」と部屋にあげた理由をルームメイトに説明したのだろうか。あなたにフィアンセがいるとして、この時と同じようなシチュエーションに遭遇した場合、ルームメイトになんて説明するのだろうか。リンゼイさんはフェイスブックという公開型SNSで英国の家族や、フィアンセといつでもコミュニケーションがとれる状態にあったのである。もちろん、ルームメイトがフェイスブックに市橋のことを書き込んだりしてしまう可能性をも考えば、リンゼイさんと同じように口から出まかせでその場しのぎをしたりするのではないか。

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恋人で婚約者でもあるライアンガーサイトさんとリンゼイさんのツーショット写真

最後に今年3月9日に毎日新聞から配信された記事を転載しておく。たまたまコピペが残っていたのだがアドレスは失念無念。というか追跡しても検索に引っかからないので本記事はすでに削除されているようなので省略する。注目すべき点は、悪徳ベンゴダンが二人の関係を「互いに顔見知り」と言及していることと、手記の印税について、遺族への被害弁償に充てる旨を認めた書面が裁判所で証拠採用されたことだ。念には念をいれて、悪徳ベンゴダンは謀略の限りをつくしているのである。


市川の英女性殺害:市橋被告、争点が確定--公判前手続き /千葉

 ◇殺意の有無と強姦致死罪
 市川市で07年、英国人女性の英会話講師、リンゼイ・アン・ホーカーさん(当時22歳)の遺体が見つかった事件で、殺人や強姦(ごうかん)致死罪などに問われている住所不定、無職、市橋達也被告(32)の第15回公判前整理手続きが8日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)であり、殺意の有無と強姦致死罪が成立するかどうかを争点とすることが確定した。

 弁護団が整理手続き後に取材に応じ、明らかにした。初公判は7月初旬に開かれる予定だが、期日は決まらなかった。

 殺意の有無について、検察側は「ある」と認定して殺人罪で起訴した。だが、弁護側は殺害する理由が不明だと指摘。主任弁護人の菅野泰弁護士は「互いに顔見知りで、事件当日にレッスンがあったことは同僚も知っていた。殺意があったと納得できる動機が検察側から示されていない」と疑問を表明した。

 一方、強姦致死罪については、性的暴行と殺害の二つの行為が時間的に近接していることが同罪成立に必要とされ、検察側は両行為がほぼ同時に行われたと主張。これに対し、弁護側は性的暴行とリンゼイさんの死亡が時間的に離れ、殺意もなかったとして強姦と傷害致死罪の成立にとどまると主張している。

 このほか、市橋被告が出版した手記の印税について、遺族への被害弁償に充てる旨を書面で遺族代理人に申し入れ、この申し入れ書を千葉地裁が証拠採用することが決まった。公判は7月上旬から2~3週間かけて裁判員裁判で行われる。

 起訴状によると、市橋被告は07年3月25日ごろ、市川市内の自宅マンションでリンゼイさんの顔などを殴り、手首を縛って性的暴行を加え、首を圧迫して窒息死させ、ベランダに置いた浴槽に遺体を遺棄したとされる。次回期日は16日。【駒木智一】

毎日新聞 2011年3月9日 地方版
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Tag:英国人女性殺害事件 冤罪 整形捏造 

Category:市橋達也の冤罪検証

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ベクテル社の企み??人工地震の可能性について!

2011/04/29/(Fri) 12:11

べクテル社の企み??人工地震の可能性について!
http://oujyujyu.blog114.fc2.com/blog-entry-547.html#comment136

べクテル社の事を知らせたくて検索していたらここにたどり着きました。

べクテル社は日本政府、国土交通省と協力して関西、成田、羽田国際空港工事長野冬季オリンピックなどの工事も手がけています。これからは日本の道路建設等も手がけて行く方針だそうです。

そして一番重要な点は、この会社アメリカ104箇所の原子力発電所をも建設している事!

1)次世代の原子力発電small modular nuclear power plantsを世界に売り込もうとしている。
2)老朽化した原発のスチームジェネレーターの交換も手がけている。最短68日で工事が完成!


http://www.bechtel.com/assets/files/PDF/brief0699.pdf
P23参照(工事図)

福島原発の復帰工事にべクテル社が関わって来たとしたら、余りに話が出来すぎています。

①べクテル社が関わった工事あと地付近で地震が多発する。
②地震&津波による交通網の破壊→ベクテル社が仙台空港の工事及び高速道路等の工事を請け負う。
③原発が危ない時にべクテル社が現れて日本の危機を救う。
(実際にはスチームジェネレーター工事は68日で終了する安全な工事)
④安全だと言って次世代原子力発電small modular nuclear power plantsを売り込む筋書き!


①~④が全部起きたら、今回の地震は自然災害ではないです。

2011-03-26 16:08 : kiki URL : 編集


2011/04/30追加

123. ハタ次男 2011年4月30日 05:59:05: IaSqJ4vGVcXGY : 3UWyUeUgH2

ベクテルは老朽化した原子炉を交換する工事すら請け負うわけだか、浜岡ダメ、柏崎ダメ、じゃあ夏の電力はどうするんだ?という話になり、68日で老朽化して保険が恐ろしく高い原子炉を新品に交換できるベクテル社の出番になるわけで。「夏本番が来る前に、原子炉交換はいかがっすか?」とベクテル社が日本の電力会社に売り込みに来たとき、それこそ人工地震である揺るぎない証拠ではないか?と思えてしまう。

アメリカ(石油マフィア)は地下核実験をネバダで800回行い、核爆発の人工地震利用のノウハウを学んだのだろう。それはアラスカの孤島で行なわれたプロジェクトカニキンにつながっていくわけだが、プロジェクト・カニキンが行なわれる前の1968年、メガトン級地下核実験により断層にひびが入りアメリカ本土でのメガトン級地下核実験が禁止された。日本で初めての実用炉は東海村で1965年。アメリカがメガトン級核弾頭の地震効果を実験する最中、日本では原発建設ラッシュの真っ最中であった。

地震が少ないアメリカ大陸で設計された原子炉を、地震大国日本で推進してきたのは、間違いなくアメリカ自身である(CIA、多国籍企業ともいえるが)。メガトン級核弾頭の人工地震(津波)利用を軍事機密として隠しながら、耐震的に脆弱な原発を日本で推進していったアメリカの意図を福島第一原発事故が教えてくれているように思うのだが。


日本の老朽化した原子炉を新品に交換しませんか?

また津波来たら洒落にならないっすよね?

68日で工事が終わるから今着工すれば夏に間に合いますよ~

とベクテル社(あるいはベクテル社につながる企業)が揉み手しながら近づいてくるかもしれない。68日で仕上がるならば夏本番までには稼動させたいし5月中には契約着工したいと考える。したがって5月一杯はベクテル社の動向に注目するべきである。


以上は、
阿修羅の凄いデータ見つけた。コレは人工地震確定でしょう。(yok-blog.com) 会員番号4153番
http://www.asyura2.com/11/jisin17/msg/264.html
に当方が書き込んだコメントを抜粋。





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Tag:地下核実験 プロジェクト・カニキン 人工地震 闇政府 

Category:震源深さ10キロメートルの地震とTPPと311東日本大震災

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低線量率放射線は民族断種のプロパガンダか?

2011/04/25/(Mon) 17:20

しきい値という概念がある。敷居とも書くらしいが、ようは、ある一定のラインにより、善悪や大小、強弱の区別をつける考え方だ。例えば、”酒は百薬の長”という言葉があるが、アルコールは大量に毎日飲めばアル中になるが、ちびちび飲めばむしろ健康に良いと考えられている。このように、毒にも薬にもなる物質には閾値の概念が必ず存在する。

discrim.jpg

一般認識をいえば、放射線は有害だと考えられている。だからこそ国際放射線防護委員会(ICRP)の定める数値にはしきい値の概念がないのだが、そこに一石を投じたのが低線量率放射線効果である。低線量率放射線効果を謳う専門家はがんや白血病にもしきい値を設けるべきなのだといい、現在、ICRPが決めるところの暫定基準値を非科学的だと切り捨てている。つまるところ、ICRPの定める数値にはしきい値の概念がなく、容認できるレベル=暫定規制値が低すぎると難癖つけているようだ。

02-05.jpg
がんや白血病、遺伝等にはしきい値は設けられていない。

低線量率放射線のホルミシス効果、つまり自然石が発する程度の弱い放射線であればむしろ身体に良い影響を与えるという考え方は確かに一理ある。ラドン温泉の効能等、微量の放射線が身体に良いことはよく知られていることだ。しかし、低線量率放射線効果を前提に安心安全デマを提唱する彼らの言うことは、当方は両手を挙げて賛成はできない。

というのも、基本的に、政府や東電のプロパガンダ(数値や状況説明)を鵜呑みにしているし、福島第一原発の原子炉が今後原子炉損傷を伴う爆発や再臨界が起こらないことを前提にしている節があるからだ。もっといえば、彼らは放射線を無害だと言い切るばかりではなく、現在計測される放射線量はむしろ身体に良いと言ってのけるのであるが、今回の福島原発事故ですら低線量率放射線効果を当てはめるのには些か疑問がある。チェルノブイリで見られた内部被曝による深刻な影響すら考慮していない風にも思える。

福島第一原発の敷地内からはこれまでに数度プルトニウムが検出されている。これは原子炉に亀裂やヒビが入っている可能性、あるいは使用済燃料プールが損傷を受けている可能性を示している。

今月4月8日に1号炉の原子炉放射線量が一気に毎時100シーベルト(毎時100000ミリシーベルト)を超え計器が故障した。原子炉容器圧力のグラフを見れば、今現在も明らかに上昇傾向にある。

Kazumoto Iguchi's blog : 福島原発 1号機の状態:いつまでもつのか?
http://quasimoto.exblog.jp/14665853/

東電グラフ

原子炉圧力

4月8日は福島第一原発の廃炉が正式に決定した日である。4月12日、福島第一原発事故は国際原子力事象評価尺度(INES)の暫定評価がチェルノブイリ事故同等のレベル7に引き上げられた。4月17日にロボットが検測した数値は毎時250ミリシーベルトであった。もはや、人は原子炉に近づけないのである。今はとにかく離れた場所から注水するしか手立てはない。これらをみても、1号炉が何らかの異常をきたし、それを修復すらできない自家撞着に陥っているのはある程度推測できる。今日までの間、再臨界でしか発生し得ないクロム38が検出され、検測間違いだと訂正記事が配信された。カバーアップされ何が本当なのか見えてこないが、一号炉がふつふつと圧力を上げているのは事実である。

・福島第一原発事故は未だ予断を許さない状況である。

・東電・政府が正確な数字を隠蔽している(可能性がある)。

・放射線が生殖機能に影響することはすでに証明されている。


低線量率放射線は無害だから安心安全だと主張する前に、今現在の福島第一原発の深刻な状況をも認識しなければ見誤る可能性があるし、鵜呑みにしてはいけないと思う。

さらに、低線量率放射線のホルミシス効果で論ずる専門家は学術論文を盾に論ずるが、全てマウス実験である。二世代、三世代への影響を追跡調査して得た結論ではないのである。これはあまりにもお粗末ではないか。日本医学放射能学会理事を務める中村仁信氏は動画の中で対人臨床試験は経ていないと暴露しているが、笑って聞き逃せる話ではない。


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■ チェルノブイリの真実

チェルノブイリ事故の影響により、0歳から20歳までの人口がゼロに近いと言われているチェルノブイリで、ようやく二世代に与える影響が分かってきたばかりである。それによれば、胎児死亡、先天性奇形や障害の増加はもとより、著しい知能の低下が見られたという。

チェルノブイリ・百万人の犠牲者 動画+日本語キャプチャー 知的能力に影響 西側世界の目に触れるのは初めての資料 てんさい(い)
http://www.asyura2.com/11/genpatu9/msg/753.html


WHOと供託した原発推進のIAEAが発表したチェルノブイリ事故での犠牲者は4000人だと言うが、実際は100万人だという。チェルノブイリ障害者団体は150万人だと発表している。

ウクライナ犠牲150万か チェルノブイリ原発事故
http://www.47news.jp/CN/200504/CN2005042401003588.html

チェルノブイリで甲状腺癌が大量にでたのは事故から四年後とされている。少なくとも四年間は妊婦や幼児、成人女性へは警鐘をならすべきだ。何か別の意図があるのではと勘ぐらずにはいられない。



ただ、TPP不参加への道筋をつけるためにも、福島県の農林水産物の安全性を確立させる必要があるとは思っている。もちろん、放射能汚染された食べ物は食いたくないが、無害であるのに余計な箍をハメられて復興にストップをかけられることは避けてもらいたい。ただチェルノブイリから学んだことは少なからずあるのであり、妊婦、幼児、子どもが欲しい成人女性には放射能汚染された可能性のある食物を食さないよう政府が注意を促すべきではないか。


***


ふと思い出したことがある。一年半前の新型インフル(N5H1)騒動である。このときWHOは先導をきって新型インフルの警鐘を鳴らしたわけだが、丁度政権交代がかかった解散総選挙直前であった。暑かった。通常秋冬に流行るインフルエンザを思えば些か不可解であった。新型インフルのワクチンは、流行る前に薬害エイズに関わったバクスター社がすでに特許を取っていた。エイズは割礼していれば罹らないというが本当だろうか。

新型インフル騒動のとき、日本政府は新型インフル対応の輸入ワクチン9900万本の契約を結んだ。日本国民、一人一本打てる計算だ。効能期限は一年から二年であった。バグスター社が薬害エイズで反省したかは定かではないが、特許の元で生産される輸入ワクチンにはアジュバンドという免疫増強剤が含まれている。このタンパク質が人間に不妊化作用をもたらす可能性については以前のブログエントリーで触れた。謂うなれば、新型インフル騒動は民族断種の危機であった。他方、新型インフル騒動はパンデミックだパンデミックだと喧伝した割には、あまり犠牲者はなかった。当時厚生労働相大臣であった長妻氏は輸入ワクチンの臨床試験の結果が出ていなかったこともあり、認可については首を縦に振らなかった。圧力があったかは知らないが、「ブラジルで臨床試験の結果が出ているんだから認可しろ」と理不尽なお声がかかり、輸入ワクチンは特例認可された。しかし丁度その時分はすでに新型インフル騒動は沈静化しつつあった。輸入ワクチンの入荷にさいし日本政府は全国自治体に出荷の要請をしたが、ほとんどの自治体に入荷を拒否られた。ほとんど廃棄される予定であったが、任期中であった長妻氏が、民族断種ワクチンであるアジュバンド入りの製造元から300億近く取り返した。そのことを評価するメディアはなかった。ここにメディアの腐敗を見るのである。

2012年12月末にマヤのロングカレンダーが終わる。そこに託けて、ヤツらは世界中にある原発をメルトダウンしようとしているのではないか。最後の審判と称して民族浄化を図ろうとしているのではないか。彼らは生物兵器によるインフル流行に失敗し、アジュバンドによる民族浄化に失敗した。次の始まりが福島原発事故ではないか?目的は放射能汚染による生殖機能破壊。世界中の原発を破壊してエリア51の地下にある超巨大なシェルターに逃げこむつもりではないだろうか。福島原発事故とアジュバンドに相通じるものがあると思うのは当方だけだろうか。
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東海村JCO臨界事故とは一体なんだったのか

2011/04/20/(Wed) 21:53


福島第一原発・三号機の爆発。一号機とは違い、三号機ではMOX燃料が使用されている。



1999年9月30日、茨城県那珂郡東海村に所在する住友金属鉱山の子会社の核燃料加工施設、株式会社JCOの核燃料加工施設内で、核燃料を加工中に、ウラン溶液が臨界状態に達し核分裂連鎖反応が発生、この状態が約20時間持続した。これにより、至近距離で中性子線を浴びた作業員3名中、2名が死亡し667名の被曝者を出した。これがいわゆる東海村JCO臨界事故、別名・バケツ臨界事故である。

東海村JCO臨界故は、高速増殖炉の研究炉「常陽」用核燃料を加工する中間工程で、JCOのずさんな作業工程管理により、ウラン溶液が臨界状態になり、中性子線等の放射線が大量に放射されたものであるが、このときまでの日本の原子力産業において死者をだした始めての事故であった。国際原子力事象評価尺度はレベル4で、事業所外への大きなリスクを伴わない事故と認知された。レベル7はチェルノブイリ事故と福島第一原発事故。

ウラン化合物の粉末を溶解する工程では、国の管理規定に沿った正規マニュアルでは、ウランの粉末を硝酸で均一に溶かすために使用する臨界管理されたタンク、「溶解塔」を使用するのだが、事故当日のJCOではステンレス製のバケツを用いた手順で作業が行われていた。ウラン製品を均質化する作業でも、通常は臨界状態に至らないよう形状制限がなされた容器を使用するのだが、このときは背丈が低く内径の広い、冷却水のジャケットに包まれた容器を用いていた。

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これらにより、濃縮度18.8%の硝酸ウラニル水溶液を不当に大量に貯蔵した容器の周りにある冷却水が中性子の反射材となり溶液が臨界状態となり、大量の放射線が作業員を直撃することになる。


放射線のイメージ。他にもガンマ波とかは目に見えないがびゅんびゅん出ているらしい。

この時、作業に当たっていたのが大内久さん(当時35歳)であった。大内さんは事故から83日後に多臓器不全で死亡するのだが、その記録が以下の動画である。













一言、悲惨である。大内さんが推定16-20シーベルト以上を被爆したとされている。その結果、染色体が破壊され、新しい細胞ができなくなり、やがては死に至るのである。大内さんと一緒に作業をしていた篠原理人さん(当時40歳)推定6-10シーベルトを被爆し、事故から211日に死亡した。同様に目も当てられない状態であった。

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大量の放射線を被爆した結果、身体のあらゆる部分が再生されなくなり、最先端医療も為す術が無いまま、死すことしかできなくなるのである。

福島第一原発事故と東海村臨界事故を比べるというのも極端かもしれない。だがしかし、「安心です。安全です。ただちに影響はありません」としたり顔で言ってのける日本国政府は極端かもしれないが東海村臨界事故の大内さんや篠原さんのケースをも考えなければいけないのではないか。

チェルノブイリ事故の死者というのは公式発表は4000人だという。だが、それは原発を世界中に推進したいWHOとIAEAの極めて矮小化した数字を根拠にしている。本当の死者は100万人はいるという。当方は、どうみても後者が真実だとしか思えない。



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はだしのゲンのヒトコマ。被爆により、致命傷を負った人たちが水を求めて川に積み重なったという。

今、僕らは福島第一原発事故という、四つの人類絶滅爆弾を目の当たりにしている。今、福島原発では、原子炉格納容器の爆発だけは避けようと多くの人が必至に作業に当たっている。今は原子炉に水をかけ、容器自体を冷やすことしか手立てはない。注水を止めれば、すなわち原子炉の爆発が待っている。

福島原発事故の内部で作業する人に対し、一年間に受ける放射線量の限度はこれまで100ミリシーベルトだった。今後さらに250ミリシーベルトまで引き上げるという。愚かしいことに、福島原発事故の作業員だけに通常の250倍の放射線量が許容されると、国が勝手に決めてしまったのである。人の年間被曝線量限度は1ミリシーベルトであるというのに、このあからさまな差別は一体なんなのか。


福島第一の作業員、被ばく線量限度引き上げ
http://www.news24.jp/articles/2011/03/16/07178558.html
< 2011年3月16日 18:03 >

 東日本大地震による福島第一原発の事故を受けて、厚労省は、この原発の内部で作業にあたる人に限り、一年間に受ける放射線量の限度を現在の100ミリシーベルトから250ミリシーベルトに特例的に引き上げた。

 厚労省によると、緊急作業にあたる作業員に認められる放射線量の限度は年間100ミリシーベルトで、福島第一原発の作業員は15分程度で交代する必要があるが、一人当たりの作業時間を延ばすために、やむを得ない場合に限り、年間250ミリシーベルトに引き上げることを決めた。

 引き上げについて厚労省は、国際放射線防護委員会(ICRP)が「重大事故の際、年間約500ミリシーベルトを超えないようにすべき」と勧告していて、それより低い基準にしたと説明している。

[転載ここまで]


ちなみに、福島原発原子炉建屋内に潜入したロボットが計測した値は毎時250ミリシーベルトである。毎時である。福島原発事故にあたる作業員の放射線量限度一年分を一時間で被爆する量である。というか、毎時250ミリシーベルトを一年間放射し続けるとすれば、250×24(時間)×365(日)=2190000ミリシーベルト・・・2190シーベルトでいいんですかね。そんなわけないですよね。


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311東日本大震災の本当の目的は5000億円分の軍用機だった!なんてオチは聞きたくない・・・

311東日本大震災を乗り越えた後、福島第一原発事故が待っていた。一号機から四号機まで原子炉建屋が爆発で吹っ飛んでしまうという未曽有の大惨事は見通しが全く経っていない。政府や御用学者たちが声高に「安全です。安心です」と叫んでいるが、何を根拠に言っているのか甚だギモンだ。チェルノブイリ事故で何を学んだというのだろうか。

かつて日本は広島に、そして長崎に原子爆弾が投下された。そして計30万人の命が消えていった。二つの爆弾が残した記憶は、けして記憶から消し去ることはできないのである。非核三原則に日本人は平和を願い託した。その裏で日本列島を包囲するように原子力発電所は建設されていった。このダブルスタンダードを今こそ疑うべきである。もう、「しょうがない」で済ます時ではないのである。



【おまけ】
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もしも岡田幹事長に怒鳴られたらシリーズ二部作+大資本に弄ばれる東電市況

2011/04/14/(Thu) 10:41

2011/04/15加筆修正

【311東日本大震災前】

時事ドットコム:民主、「学級崩壊」の様相=代議士会で内輪もめ
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201102/2011022400681

 「もう少し言い方を気をつけたらどうだね。そんな言い方あるのかね」。民主党が24日に国会内で開いた代議士会で、執行部が配布した政策ビラの内容をめぐってやじが飛び交い、岡田克也幹事長が激高する場面があった。小沢一郎元代表に近い議員の会派離脱表明などで混乱する中での内輪もめで、党内対立の深刻さが浮き彫りとなった。

 代議士会では、小沢氏に近い大谷啓氏が、機関誌「プレス民主」の政策ビラにかみついた。ビラには菅直人首相夫人の伸子さんが漫画で登場し、民主党政権の「実績」を紹介しているが、大谷氏は「地方議員からすると、票を落とすというか、逆効果じゃないか。われわれは菅伸子さんを広告塔にすると決めた覚えはない」などと発言した。

 高山智司広報委員長代理が説明に立ち、「ご活用いただければ…」などと理解を求めたが、場内には「もういい」「何を言ってるんだ」と罵声が飛び交った。

 たまりかねた岡田氏が「今しゃべった人、立ってください!」。激しくやじった若手議員3人を前列に呼び出すなど、代議士会はさながら「学級崩壊」の様相。ある議員は「恥ずかしい」と苦笑していた。 

(2011/02/24-16:54)
[転載ここまで]

【311東日本大震災後】

菅、岡田降ろしが本格化 代議士会で公然と降板要求
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110412/plc11041223400033-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110412/plc11041223400033-n2.htm
2011.4.12 23:38

 統一地方選前半戦での民主党惨敗を受け、菅直人首相(党代表)と岡田克也幹事長に辞任を求める動きが本格化した。2人は責任を棚上げし居座りを決め込むが、東日本大震災や東京電力福島第1原子力発電所事故での対応の不手際もあいまって辞任要求は強まるばかり。平成23年度第1次補正予算成立後の5月の連休明けがヤマ場となる公算が大きい。(加納宏幸)

 「厳しい結果で真摯(しんし)に受け止めたい。後半戦が終わった段階で党の方で検証するのでそれを待ちたい」

 首相は12日夕の記者会見で地方選惨敗についてこう語り、退陣をきっぱり否定した。ただ、納得する者はほとんどいない。

 「選挙に負け続けている。企業経営では決算が一つの結果責任だが、政治の世界では選挙がまさにそれだ。1次補正が一段落すれば復興に向け挙国一致の政治体制をつくることが大きな課題となる」

 民主党の小沢鋭仁前環境相は12日、自らのグループの会合で首相と岡田氏に自発的な退陣を促した。

 震災発生を機に民主党内の「菅降ろし」の動きは止まっていたが、1カ月が過ぎ解禁された感がある。震災で首相の「破れかぶれ解散」が封印されたことも大きい。

 12日午後の民主党代議士会。役員報告終了直後に大きなヤジが飛んだ。

 「幹事長はいつまでそこに座っているんだよ!」

 岡田氏が「誰だ! いま言ったのは」と怒鳴り返すと、1回生の山本剛正衆院議員が「俺だ!」と立ち上がった。

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山本剛正議員・一回生

村上史好衆院議員も「野球でもサッカーでも成績が振るわなければ監督、コーチが代わる。執行部は勇気ある決断を」と公然と退陣を求め、約30人が拍手で同調。

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村上史好議員・一回生

さすがに岡田氏も「結果が伴わなかったのは申し訳ない。執行部の力不足だ」とわびたが、進退には触れなかった。

 菅政権の責任回避は今に始まった話ではない。昨夏の参院選で大敗しても首相は枝野幸男幹事長(当時)の辞任を拒んだ。9月の代表選後に幹事長に就任した岡田氏も10月の衆院北海道5区補選で敗れたが「相手は大物だったが、こちらは新人で知名度不足だった」と総括しただけ。こうした無責任体質への批判がここにきて一気に噴出した。

 そんな中、小沢一郎元代表も動きだした。午後の衆院本会議には姿を見せなかったが、夕方には都内で鳩山由紀夫前首相と会談。政府が福島第1原発事故の評価をレベル7に引き上げたことについて声を荒げた。

 「チェルノブイリ並みになるのは分かっていたのに今さら何だ。遅い!」

 12日夜には東京都世田谷区の自宅に自らを支持する「一新会」のメンバー18人を招集。「今は国難であらゆる面で厳しい。政府の対応はバラバラだ。このままでは政治家として放っておけない」と倒閣への決意をにじませた。

 一新会の一人は自信たっぷりにこう語った。

 「1次補正が成立したら首相は退陣すべきだ。自ら辞めないのならば、両院議員総会で代表辞任を求める動議を可決させるしかないな…」

[転載ここまで]

笑わせてもらったついでに言わせてもらうが、せめて311の前に民主議員は菅政権倒閣に動き出すべきだったのではないか。もう一つ、当方は政治家になんの期待もしていないのだが、被災した地域の人たちの中には放っておかれたら死んでしまうものもいるだろう。彼らに手を差し伸べずして、何が政治家だと言いたい。


【おまけ】
素人目線からみても東電(9501)市況は笑えるほど乱高下中

181 名前:山師さん@トレード中[sage] 投稿日:2011/04/15(金) 15:37:51.65 ID:RosU7mHS0
【9501】東京電力(株)
3月10日 2153円
3月11日 2121円 ●午後2時46分頃地震発生
3月14日 1621円 ストップ安1日目
3月15日 1221円 ストップ安2日目
3月16日. 921円 ストップ安3日目
3月17日. 798円 一時は値幅制限の下限(715円)まで到達
3月18日. 948円 ストップ高1日目
   3連休
3月22日 1098円 ストップ高2日目
3月23日 1049円
3月24日. 902円
3月25日. 846円
  週末休場
3月28日. 696円 ストップ安 株主配当権利付き最終日
3月29日. 566円 ストップ安 株主配当権利落ち日


3/30 東電 466円



3/31 東電 466円


4/1 東電 449円


4/4 東電 442円


4/5 東電 376円


4/6 東電 292円←前場 337円←終値

4/8 東電 420円←ストップ高


4/11 東電 500円←ストップ高


4/12 東電 539円(前場引け)


4/12 東電 450円


4/13 東電 495円(前場引け)


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カッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎

2011/04/14/(Thu) 00:10

カッパドキアと四国徳島・剣山を結びつけるのは、やはり、”超秘密政策による歴史改竄と隠蔽工作”の痕跡である。両者は人工建造物(大杉博氏は剣山が人工建造物である確証を得たと明言している)でありながら数百年の間、その存在すら気付かせなかったのである。

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剣山山頂


■ 四国徳島の剣山で発掘されたミイラの記事が消されている??

1950年8月26日、山本英輔という海軍大将が徳島・剣山でミイラ100体を発見したという記事が徳島日報で配信されたのだが、徳島日報で当記事が配信された新聞ごと消されているという。これは非常に興味深い。剣山に関するやりとりは動画の四分あたりから。

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http://www.youtube.com/watch?v=yyEGBHxAQHU


飛鳥昭雄氏がいう剣山で発掘されたミイラ100体について詳述したブログを見つけたので引かせていただく。これが事実だとすれば、唸らずにはいられない。やもすれば、剣山の地下に、カッパドキアに匹敵する地下都市が存在するかもしれないことを示唆しているようにも思えるからだ。


7、アークは剣山に眠る!? その1
http://www.fushigido.net/ancient/item.php?id=12

---------------------------------[抜粋]

昭和11年、剣山の険しい山道を、黙々と登る男の姿があった。男の名は、高根正教(たかね・まさのり)。神奈川県の尋常高等学校の校長を務めた名士で、聖書研究家だった。

続く男は資産家の内田文吉と、角田清彦の2人。高根をリーダーとした3人の男たちの目的は、剣山山頂部の発掘。表向きには「剣山鉱区地質調査」だったが、本当の目的はまったく別のところにあった。「ソロモンの財宝」の発掘だ。

高根さんは神道のいわゆる「言霊」(ことだま:言葉には魂が宿っているという考え)に精通していて、言霊を使って旧約聖書を解き、剣山にアークが眠るという結論に辿り着いたらしい。

高根さんが注目したのは、山頂付近にある「鶴岩」と「亀岩」だった。高根さんは同士とともに、亀岩の下を数年間かけて約150mも掘り進んだ。

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剣山・鶴岩亀岩

結論からいうと、アークこそ出なかったものの、131m地点で巨大な球体型をした「太陽岩」を発見。さらにその4m奥でも同じ球体の岩を発見。さらには、大理石でできたアーチ門や高さ15mほどのピラミッド型の空間までも発見した!

これが今の世だったら世界的大ニュースになるところだけど、いまから70年以上前の話。この情報は瞬く間に「政府」の耳に届き、高根さんの発掘はココでストップをかけられる。発掘品は一部を除き、すべて没収されてしまう...。

しかし、高根正教の冒険のウワサは、日本中の男たちの心に火をつけることになる。戦後、その
価値8000億円ともいわれるソロモンの財宝を求めて、多くの冒険家たちが剣山を目指した!

その中でも、高根正教以上の発見をした男がいた。元海軍大将・山本英輔である。山本は、高根たちの「穴」を特定し、さらに奥へと掘り進んだ。そして掘り進むこと16日目、とんでもナイモノを発見することになる。なんと、レンガ作りの回廊の奥に、100体以上のミイラが眠っていたのだ!

結局、山本も資金繰りやいろいろな問題に邪魔されてアークまでは行き着かなかったが、高根、山本他、たくさんの男たちによって、剣山が「人工」の山であり、山頂付近には、なにか「遺跡」のような「地下施設」があることが判明したのだ。

---------------------------------[抜粋]

8、アークは剣山に眠る!? その2
http://www.fushigido.net/ancient/item.php?id=13

---------------------------------[抜粋]

最近は、剣山自体が国の国定公園に指定されて、発掘は全面的に禁止されている。自衛隊が調べているとか、夜な夜な米軍がウロついているとか、色んなウワサがあるけど、どれも定かではない。

2003年にインタビューさせてもらった、大杉博(おおすぎ・ひろし)準教授も、アークは確実に剣山にあると断定している。しかし、大杉氏は「高根さんは、結構、見当違いなところを掘っている。アークがあるのはあそこではない。行場にある」と言う。

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剣山行場マップ

オレら東京グーニーズは、大杉氏にインタビューで聞いた位置と、現存する資料を照らし合わせ、ある位置を特定した。それは、剣山山頂から登山ルートとはちょっと違う位置に降りたあたり。自然道の修行僧が修行していたという、いわゆる「行場」だ。この「行場」のどこかから、「地下施設」に入れる「穴」を探すことにした。怪しい場所は、大きく分けて3つ。

1つは、「古劔神社」という行場にある小さな社の上のガケを登ったところにある「穴」。

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古劔神社・古剣神社・こつるぎじんじゃ

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プレハブ作りのチープな社だが。

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横からみた古劔神社。うっ、洞が見える…

ココは、弘法大師・空海が作ったと言われる「地下施設」への抜け穴だと大杉氏は言う。しかし、入ってスグのところで、落盤で埋まってしまっている。岩盤のスキマからは、かすかに冷たい風が吹き抜けていて、奥に空洞があるのが分かる。でもココを掘るのはめっちゃキケンだ。ただでさえやわらかい石灰岩でできた層なのに、落盤でガタガタなところを掘ったりしたら、ペシャンコになるのは目に見えてる。

もし、ココを掘るんだったら、NASAとかよくわかんないけど、そーとースゴい機材を使わないとムリだろう、きっと。予算もナニもない、スコップくらいしか使えないオレらにとっては、一番非現実的。ココを掘って「穴」に入るのは、オレらにはムリ。

2つ目は、「鶴の舞」と呼ばれる巨石からナナメ上に伸びているケモノ道をあがったところ。

鶴の舞
剣山・鶴の舞

ココは、いわゆる「聖域」と呼ばれていたところらしいが、いまはもう忘れ去られていて登山ルート案内にも載ってない。ホトンド90度の崖っぷちを登ると、そこには巨石でつくられた古代の
「神殿」が残っている。きっと、なにかの「儀式」で使われていた「祭壇」かなんかだろうか。

「聖域」と呼ばれるだけあって、ココには尋常じゃない神がかった空気が漂っている。オレらの見解はつまり、こうだ。「古劔神社の穴」が塞がって入れないんだったら、そのちょうど上に位置する聖域に「縦穴」を掘れば、「古劔神社の穴」の途中に縦から入れるんじゃないか?というワケ。バカバカしく聞こえるカモしれないけど、実際、大杉さんも掘ったことがあるらしい。6m近く掘ったところでバレちゃって埋めさせられてしまったらしいけど、途中、勾玉のような石や、湾曲した、どうみても人工的な石が出て来たらしい。

2003年、剣山調査から帰って来たばかりの頃は、もう一度、今度はスコップを持って聖域を掘るぞ!と息巻いていたんだけど、掘るとなったら、それなりの日数が必要だろう。1週間、イヤ、ホンキで掘るんだったら1ヶ月はキャンプを張って掘り続けなくちゃ。

パクられたらどーする? もうイイ年だろ…とか、1ヶ月も仕事休めないッスよ?っていう人がホトンドで(当たり前だけど)、結局実現しないまま、今に至る。

---------------------------------[抜粋]


剣山の地下がカッパドキアの地下都市のようだったら、と妄想してしまう。しかし、興味深いですな。


※おまけ

宇野正美講演会2000-0119

内容が面白すぎて必見。

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Tag:カッパドキア 地下都市 剣山 鶴亀 

Category:カッパドキアと剣山雑考

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カッパドキア雑考・月と殿下とウランガラス

2011/04/13/(Wed) 12:43

2011/04/21加筆修正

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帯重なるごとく地下に洞が築かれ、通気孔が地上から地下水脈に到達するまで穿てられ、横穴で地下都市間が連結され、地上に出る必要のない完全な都市機能を備えた地下ネットワーク。トルコ・カッパドキアの奇岩地帯の地下に築かれた巨大な地下都市は推定100万人収容可能と言われている。

カッパドキアの地下都市建造は、かつては西暦三世紀ごろに移り住んだ、当時ローマ帝国やイスラム教徒から迫害されたキリスト教徒の遺構だとするのが通説であった。されど、キリスト教徒の遺物は全て地上部の洞窟寺院や修道院から出土されているものだ。地下都市から発掘されたわけではない。地下都市にはキリスト教徒の痕跡はおろか、居住した痕跡すら見あたらないという。さらに、西暦四世紀に入りローマ帝国はローマ勅令でキリスト教に改宗したので迫害される理由がない。紀元前五世紀に当時の歴史家が”アナトリア地方の地下都市に11万人住んでいた”という文献を遺している。キリスト教徒が建造したという通説では説明付かないことも多く見受けられたが、他に説明つかなかったという。

キリスト教徒が定住したとき、すでに地下都市は存在したと考えられているようで、今は地下都市建造はヒッタイト人によるものだとするのが主流だという。旧約聖書に出てくるヘト人はヒッティ、ヒッタイト人。もう一つ加えれば秦(ハタ)。製鉄技術を独占、門外不出としたヒッタイト人であるならば大掛かりな地下都市建造も可能かもしれない。ただ、紀元前1800年から前1200年までの話だ。この頃、日本では土器、貝塚、高床式の縄文時代にあたる。地下に住もうなんて発想すら湧かないのではないか。

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戦車に乗るヒッタイト人

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ヒッタイト象形文字

地元では地下都市の存在に触れる言い伝えは残されていたという。いわゆる口頭伝承である。カッパドキアの地下都市の調査は1965年からだという。少なくとも数百年間、巨大な遺構の存在は気づかれることすら無かったのである。”超秘密政策による歴史改竄と隠蔽工作”ではないか。

では、なぜヒッタイト人はトルコ・アナトリア高原の地下に巨大な地下都市建造を思いついたのか。なぜ”超秘密政策による歴史改竄と隠蔽工作”で封印したのか。


■ 三笠宮殿下とトルコを結ぶ線

二元論というのがある。表があり裏がある、善があるから悪がある、光があるから影がある、神がいて悪魔がいる。民主党と共和党。白と黒。剣とペン。文武両道。2つの対照的な物事は表裏一体だという考えをいう。日本とトルコの間にある二元論といえば、国旗に注目したい。日本は日の丸で光・陽を示し、トルコは月と星で夜・闇を示している。陽があれば陰もある。見事な二元論である。

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さらにトルコはTurkeyと書き、そのまま読めばツルキ=鶴亀=剣(つるぎ)になる。語原は英語のTurkey(七面鳥)だというが、そもそもトルコには七面鳥は生息していなかった。トルコ生息のホロホロ鳥を七面鳥と勘違いしTurkeyと名付けたというのだが、国名の語原が勘違いというのは些か腑に落ちない点でもある。Turkeyは月とも読めるのだが、はたして偶然だろうか。

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日本・トルコ協会名誉総裁の三笠宮崇仁殿下。中近東文化センターの生みの親。

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現日本・トルコ協会総裁の仁親王殿下。

皇室、三笠宮殿下は日ユ同祖論の研究者として有名だが、日本・トルコ協会名誉総裁でもある。さらに、トルコのヒッタイト帝国時代の遺跡と言われるカマン・カレホユック遺跡を日本の中近東文化センターが1985年以来発掘作業を続けているのだが、中近東文化センターというのは三笠宮殿下の発意で発足した研究機関である。古代オリエント学と称して日本とユダヤの研究を続けておられる三笠宮殿下はトルコに何を見たのだろうか。

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ヒッタイト帝国時代の遺跡・カマン・カレホユック遺跡。俯瞰すれば亀のようだ。名前もKaman-Kalehoyuk…カマンが亀と読めなくもない。不思議な符合だ。ようし、鶴嘴(ツルハシ)担いで・・・


■ 剣山の麓にある美馬市


カッパドキア(Cappadocia)は「美しい馬の地」を意味するペルシア語だという(Katpatukに由来、トルコ語:Kapadokya、ギリシア語:Καππαδοκ?α)。カッパドキアが美しい馬の台という意味ならば、徳島・剣山の麓にある美馬市は無関係といえるだろうか。美馬市にはアインシュタインが戦争の犠牲になった三宅医師に捧げられた友情碑がある。三宅との友情はアインシュタインが船旅の最中急病を患い、偶然居合わせたことがきっかけだと説明するが、はたして、理由はそれだけだろうか。徳島県美馬市の郵便番号は『777××××』。七七七は喜と読み七七歳で迎える喜寿の語原である。

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剣山の麓にある美馬市。伊射奈美神社やアラタエ用の大麻を管理する三木家が有名。

美馬市 アインシュタイン

美馬市 郵便番号


■ 照明はウラン精製品??

ヒッタイト人にせよキリスト教徒にせよ、地下都市を建造開始した古代では、どうやって明かりを得ていたのだろうか。カッパドキアが完全な都市機構を備えた遺構だとして、その建造を手がけたのが電気もガスも水道もない時代である。松明、提灯、ロウソク等を照明にするとしても、燃料や酸欠の問題もある。火を燃やし明かりを得る発想は、インフラが整っていない古代の地下都市にいたっては実用的ではない。では何で明かりを得ていたのか。光る石でもあれば良いのに、と思ったのだが、

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ウランガラス。紫外線を当てれば発光する、微量のウランを含んだガラス製製品である。

ウランガラスというのがあった。へえ、ウランって光るのか。当方はウィキペディアにあるような黒褐色の粘土だと思っていたのだが、”紫外線を当てれば光る”リン銅ウラン鉱などを混ぜ合わせればウランガラスの様に紫外線を当てれば発光する不思議なガラスをも作りうるのだ。

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ウラン ウィキペディアより

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リン銅ウラン石。ペンダントにすればダビデの星になりそうだが…

ウランガラスはウランの性格を知り得つつガラス精製の技術があれば作成可能であろう。ヒッタイト帝国時代(紀元前1400~前1200年)の遺跡からガラス容器が発掘されていることからも、ヒッタイト人がガラス精製の技術を得ていたと認識されている。



トルコ・ヒッタイト時代の精巧ガラス、トルコで出土
http://escapee.jp/wp/archives/5924
---------------------------------[抜粋]

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 トルコ・アナトリア高原のヒッタイト帝国時代(紀元前1400~1200年頃)のビュクリュカレ遺跡を発掘調査している中近東文化センター(東京都三鷹市)は、当時ガラス製作の先端地域だったメソポタミアに匹敵する技術で作られたガラス容器を発見した。
 容器は、紀元前14世紀の宮殿とみられる建物の床の上で見つかった。直径約4センチの細長い首と、同約10センチの洋梨形の胴部を持つつぼで、高さ約15センチ(全長は推定約25センチ)。不透明な白地に、白や濃紺の細いガラスひもを、ねじったり、波形にしたりして張り付けた、精巧な装飾が施されている。
 ガラス容器の生産は、紀元前16世紀にメソポタミアで始まったとされる。ヒッタイト時代のアナトリアでは、ガラスの小片が数点見つかっているだけだった。
---------------------------------[抜粋]

■ 早川メモが示唆する燐光するウラン石の存在

りん銅ウラン鉱は日本でも産出されている。岡山県と鳥取県にまたがる人形峠で産出される人形石の二次生成物がリンカイウラン石と言われている。

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人形石

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燐灰ウラン石

日本でも珍しいウラン鉱床である人形峠はオウム真理教の幹部、早川紀代秀が残したメモ、いわゆる早川メモの中にも登場する。岩上安身氏の早川メモに触れた記事では〈人形とうげ→調べる〉と書かれている。

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http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/aum2.htm

さらに、早川メモの中には

<*塩湖のそばがある。 *小さな塩湖の中にある。 →ドライエリアにある。 *2~3mの軟い石の中(軟い土地)に入っている *燃灰ウラン鉱が見つかったらその下に硬いウランが出る。>
という記述があるというのだが、言外に、リン銅ウラン石、燐灰ウラン石とは別種のウラン石の存在を示唆しているようにもみえる。つまり、それこそ紫外線を当てなくとも燐光する光る石なのではないかと想像してしまう。リン重土ウランというのがあるらしいが、それのことだろうか。


さらに、これには驚いたのだが、人形峠はウラン鉱床発見前は「打札(うちふだ)」と呼ばれていたという。「打札」とは正しく、”超秘密政策による隠蔽工作”の痕跡ではないか。ウラン鉱床の露頭が発見されたのが1955年だとされている。それ以前、恐らく古代日本でウランを知り尽くした何者かが、人形峠に人が立ち入らぬよう魔除けの札を打ったのだ。カッパドキア・四国徳島剣山に相通じるものを感じるのは当方だけだろうか。


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奇岩地帯の地下に広がるオーパーツ 謎の地下都市、カッパドキア2

2011/04/06/(Wed) 06:42

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神秘の奇岩地帯、カッパドキア

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トルコ・アナトリア高原に位置する謎の奇岩地帯、カッパドキアに広大な地下都市がある。標高1000メートル級の不毛な荒地の地下に、200から400の地下都市が穿てられており、それらの地下都市間は横穴で連結しているという。収容人数は推定10万人以上とも言われている。前回のブログエントリーで貼りつけた動画では、東京都より広く100万人収容可能とナレーターが言っていたように、巨大な地下都市ネットワークが、ヨーロッパと西アジアにまたがるトルコ(Turkey)の地下にあるのである。

存在してはいけない遺物。まさしくオーパーツではないか。さらに地下深くに地下都市は広がっている可能性すらあるというのに、まだ全容把握はできていないという。この後ろ向きさこそ、そこに何かが隠されているからだろう。直感的に思えた。

311東日本大震災を経て、今後の展開を予想する上で、カッパドキアの謎解きに迫ることは重要だと考えているようになった。ただ、素人には無謀であった。あまりにも奥が深すぎた。

カッパドキアの地下に散在する地下都市とは一体何か。まずはそこから初めてみたい。


■ 恐ろしいほど広大で完璧な機能を備えた地下都市・カッパドキア

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カイマクル・デリンクユ・オズコナークの地下都市はカッパドキアを代表する場所だ。


カッパドキアの地下都市はトルコ・アナトリア高原に位置する謎の奇岩地帯にある。東京都より広い敷地の地下に、200から400の地下都市があり、地下都市間が横穴で連結しているという。この100万人規模の収容人数をほこる巨大な地下都市ネットワークの存在が認識されたのは1900年代初頭といい、発掘が開始されたのは1965年。地下都市の存在は口頭伝承されていたというが、近代に到るまで、その存在が数百年もの間、この壮大な地下世界が秘匿されてきたことに驚くばかりだ。

---------------------------------[抜粋]
 トルコ政府の探索隊は、用心深く地下へ降下していったが、いくら進んでも先があるのに驚かされた。地下にあったのは自然の大洞窟ではなく、明らかに人間によって造られたもので、それも八層から十六層にも折り重なった、とんでもない規模だったのである。そこには、まるで、映画『インディ・ジョーンズ』に出てくるような世界が広がっていたのだった。
 その後の調査の結果、地底都市は農夫が発見したカイマクルだけではなく、ギョズテジン、デリンクユなど、カッパドキア南部にいくつも発見された。さらに近年、マヴルージャンやオズコテークなどでも続々、地底都市が発見された。まだまだ未発見の地下都市はあると見られている。
 地底十六層というと、約一五〇メートルになる。荒涼たる大地の底に住み着いていた人々は、いったい何の目的でこのような地底都市を築かなければならなかったのだろうか。
[以下省略]
---------------------------------[抜粋]
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デリンクユ地下都市のエリアマップ。
---------------------------------[抜粋]
(地下都市は)最大の物ではなんと地下8階建て(一説では地下20階)の構造をもっており、当時ここに住んでいた人口は推定で1万5千人をくだらないと言う。
 この調査の他には、同じ1965年に行われた調査では、推定収容人口6000人のデリンクユ地下都市、あまりにも深すぎて推定人口の特定も無理であったギョズテジン地下都市があった。
 カイマクル地下都市とデリンクユ地下都市は、互いに9キロ以上に渡り、トンネルで繋がっている(図B)、この長さは、日本の1962年まで日本最長であった清水トンネル(9072メートル)に匹敵する。
 その後、さらに収容人口が六万人と推定されるオズコナーク地下都市が発見され、マヴルージャンと言うところにも地下都市が存在する事が、明らかになった。
 この調査でわかっているだけでも合計8万5千人の人がここで暮らしていた事になる、さらにカッパドキアには現地住民の話では無数の地下都市がまだまだ他にも存在し、地下都市は約450個あるとみられ、数十万人の人が暮らしていたという事になる。しかし、地下なだけに調査が難しく調査がなかなか進んでいないのが現状らしい。
---------------------------------[抜粋]

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デリンクユ地下都市の平面図

カッパドキアの地下に穿てられた洞窟はイェラルトウ・シェヒルと呼ばれ、1965年の調査以降次々と発見されていったのだが、地下に張り巡らされた巨大なアリの巣は、10万人以上収容可能と推定される巨大な地下都市ネットワーク、そのスケールもさることながら、さらに驚愕すべきは、カッパドキアの地下都市は、地下都市として機能しうる完璧な設備が備えられていたということだ。つまり、地上にでなくても生活できるのである。

---------------------------------[抜粋]
 通気孔は、地下の最下層より穿たれており、優に百メートル以上はあった。この通風孔には、横穴が開いており、地下都市の各部分に通じていた。
 デリンクユに関しては、現在までに、地下8層までが確認されてはいるものの、地下12層まであるらしく、未だに未発掘の状態である。通風孔の長さは、実に120メートルを越すものと見られている。デリンクユには、このような井戸が52本もあり、6千人もの人間が住んでいたという。この地下都市には、少なくとも5本以上の非常用のトンネルが穿たれており、その内の一本は、9キロもあり、隣のカイマクル地下都市に通じていたらしい。精密機械のないこの時代に、数十メートルならいざ知らず、いかにして地底を9キロも穿って地下都市同士を連結させることが出来たのかは大きな謎と言うしかない。
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 これらの地下都市は、地下都市として考えられる限りの完全な施設を持っていたのである。
 この推定人口1万5千人のカイマクル地下都市についての調査報告書の一部を見てみると、
 「まず、最重要な通気孔(エア・コンディショナー)が、都市の中央部を地下70mにある地下水脈まで垂直に貫いている。そして、その通気孔の上端には、多分見張り台を備え付けたと思われる跡が残っていた。各階層は階段または傾斜した通路で互いに繋がり、通路と部屋との境目の所々には、輪状の石碑(図C)が備え付けられていた。
この輪状の石は内部の石で作られたのではなく、外で作られて竪穴の通気孔からおろされた物であった
 井戸もあった。共同炊事場もいくつかあった。共同炊事場には、汚水処理設備の溝と、煙を通気孔の方に導くベンティレーション(換気装置)とがそなえつけられており、そのかたわらには岩塩を粉砕するためと見られる石盤もおかれていた。
 また、燃料や証明器具の油を貯蔵するためと見られる部屋や、家畜を飼育するための部屋、その飼料を作るサイロなどの跡もあった。寝室や仕事場は言うに及ばない。それどころか、ワインを醸造する部屋や、できあがったワインを貯蔵する壷を備え付ける場所まできちんと設けられていたのである。」(埋もれた秘境カッパドキア 著立田洋司 より)
 各部の役割については、付いていた跡からの想像が大部分であるが、それにしても驚くべき遺構である。
---------------------------------[抜粋]

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さて、このカッパドキアの地下都市がいつ建造されたかについて考えてみたい。ただ、この建造された時代については論争が続いており、未だ結論は出ていない。近年までは、三世紀頃にキリスト教徒(修道院)が避難所として定住したというのが通説であった。奇岩を刳り抜き洞を穿った寺院や修道院が多数発見されていて、それらは千を超える数で、キリスト教徒の一味・修道士が住み着いた形跡は洞窟寺院や礼拝堂の壁画として遺されているからだ。

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奇岩を穿ち洞を築いたとみられる遺構は千を越えるという。


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カッパドキアにある洞窟寺院の壁画


---------------------------------[抜粋]
 この当時、ローマ帝国の皇帝は、キリスト教徒に、ありとあらゆる災いの罪を着せて迫害していた。中でも、ネロは、ローマの大半を焼き尽くした大火をキリスト教徒の仕業だとして、片っ端から信者を殺害した。歴史家タキツスは述べている。「処刑はスポーツのようだった。信者は、獣の皮を被せられ、猛犬にかみ殺された。また、コロッセウムでライオンの餌にされた。十字架に縛られて、生きたまま焼き殺された・・」しかも、ローマを焼き尽くした大火は、ネロが自ら火を放ったものであった。
---------------------------------[抜粋]


時代背景的に合致はする。イスラム=アラブに迫害されていたという説もある。キリスト教徒がカッパドキアに定住したのは確かなことだろう。ただし、遺構はすべて地上部の話だ。地下都市からはキリスト教徒の遺物は見つかっていないという。キリスト由来の遺物は全て地上部から発見されている地下にはキリスト教徒の遺物はおろか、生活の痕跡すらなかったようだ。


---------------------------------[抜粋]
 以前はこの地下都市は、地上にあるAD3世紀頃ローマ帝国の迫害に追われたキリスト教徒達によって作られたと考えられていた。 
[中略]
 地上の洞窟と地下の都市の違いは、地上の物にはキリスト教徒による生活の跡があり、キリスト教徒が書いたとわかる宗教壁画が礼拝堂にあるのに対して、地下都市には生活を思わせる物だけではなく、一つの宗教壁画も残っていなかったと言う点である。
 第一そのころローマの迫害を逃れたキリスト教徒は1万人にも満たなかった、そしてAD200年から続いていたキリスト教徒弾圧はAD313年にミラノ勅令にて終わりを告げる。そこからは特に地下に逃げる必要も無くなったわけである。
 ここには、(元々不毛の荒野で定住した民族はなく)キリスト教徒を助ける者もいなかったし、もし何とか地下都市を作り上げても、そこに住むべき人がいないと言う事になってしまうのである。
 地下都市もキリスト教徒が作ったとするのはある意味暴挙であったが、他に可能性が無いので発見当時はそういわれていた。
---------------------------------[抜粋]

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これらの遺構はカッパドキアの地上部から発掘されている。地下都市にはキリスト教徒の遺構は残されていない。

さらにいえば、3世紀以前よりもずっと前に地下都市が存在していたことは歴史家ヘロドトスやクセノフォンが遺している。紀元前5世紀の話である。それらはキリスト教徒が定住する以前に、地下都市は建造されていた可能性を示している。


---------------------------------[抜粋]
 紀元前5世紀の歴史家クセノフォンが、小アジア遠征記「アノ・バシス」に残した文献によると、11万人が住む東アナトリアの地下都市を訪ねてと言う題目で、紹介しているのでそれ以前から存在していたことは間違いないといわれている。
---------------------------------[抜粋]


キリスト教徒が地下都市建造に着手したのでないならば、一体いつ、誰が建造を始めたというのだろうか。問題は、誰が地下都市の建造を始めたかである。もちろん、キリスト教徒が地下都市の存在に気付き、拡張していった可能性もある。万里の長城だって現存する状態になるまで2000年かかったとされている。紀元前5世紀以前に、何者かが、ある目的をもって、この不毛な荒地に地下都市を建造したのである。やはり、建造が始まった時代が重要である。

そこで浮上したのが鉄の民族ヒッタイト人である。ヒッタイト人は紀元前1800年前にトルコアナトリア地方に現れた民族で、製鉄技術を門外不出として独占していたと言われている。五世紀の間栄華を極めたヒッタイト人は紀元前1200年頃に忽然と姿を消すことになる。一説には「海の族」に滅ぼされたと言われているが、その詳細はベールに包まれたままである。

---------------------------------[抜粋]
 旧約聖書には、「ヘテ」という民族が登場する。古代バビロニア帝国の首都バビロンを滅ぼしたことで知られる民族で、古代エジプトのラメセスを滅ぼしたのもヘテではないか、といわれている。ヘテは、その後五世紀もの間、エジプトやバビロニア一帯を支配し、強大な勢力だったという。
 しかし、「この地底都市を築いた民族こそ、ヘテだったのではないか」とする説がある。ヘテを英語読みにするとヒッタイトになる。ドイツの考古学者フーゴ・ヴィンクラーが『カッパドキア文書』として知られる粘土板を解読したところ、そこには「ヒッタイトの首都はアナトリア平原(つまり、カッパドキア一帯)にあった」と書かれているのを発見している。
 そうしたことから、現在では、「ヘテはヒッタイトではなかったか」とみなす説が考古学の主流になっているのである。

 ヒッタイトといえば、初めて鉄を使いこなした民族として知られている。つまり、たいへんに優れた技術力をもった民族だった。その技術力から推し量れば、地底都市の建造も可能だったのかもしれない。
 現在、地底都市は、そのいくつかが一般に公開されている。入り口はとても狭く、中には人がやっと通れるくらいの竪穴を通って、地下へ降りていくのである。その様子から、この地底都市は危害から逃れるためのシェルターだったのではないか、という説も無視できない。

---------------------------------[抜粋]


ヒッタイトであるならば製鉄技術を持っているのだから鶴嘴(ツルハシ)も加工可能だということなのだが、しかしながら乱暴な気がする。紀元前1800年に、約四千年前に、鶴橋で地下都市造成を思いつくか?という話である。3世紀に定住したキ拡張したとしよう。迫害から解放されたのに、なぜ地下に都市を建造したのだ?13世紀にはアナトリア地方をイルハン国が襲来、統治しているし、トルコはイスラム教国だ。9世紀にはキリスト教徒は姿を消しているという。以降1965年の調査まで、全く気付くこともできなかったのである。こんな可笑しい話はない。9世紀にしたって13世紀にしたって電気も発明されていない時代である。カイクマルとデリンクユの都市間は9キロのトンネルで連結しているが、人一人が頭をかがめてようやく通れる大きさであるからして、一人か二人しか作業はできない。都市間を連結するにしたって、適当に掘ればいいというわけではない。当然精密機械もない。照明もない時代である。どうやったら掘り進めらることができるのだろうか。通風孔を100メートルも穿ち、地下水脈まで貫通させる技術というのは、当時存在したのだろうか。宇宙人が作ったとか、魔法で洞を穿ったとか、そんなことを言っているのではない。100万人が住み暮らせる広大な地下都市が1000年もの間誰一人として気付くことができなかったことがどうしても納得できないのである。

前回のブログエントリーで貼りつけた動画にも出演していたオメル・デミル博士は、

「カッパドキアの地底都市は、紀元前5000年から紀元前2000年の間に初めて築かれたもの。そして、もっとも発展したのは紀元前1500年頃ではないか」

という説を展開している。紀元前5000年前というのもこれまた驚きだ。紀元前5000年といえば、日本は竪穴式住居や貝塚に象徴される縄文時代前期で、古代エジプトでは新石器時代である。先史時代である。電気もガスも水道も燃料も、鉄も銅も製法の技術が確立されていない時代に地下都市を造ろうとはたして思うのだろうか。

さらにオメル博士はカッパドキアの地下都市を建造した時代について紀元前5000年から紀元前2000年の間と幅を持たせているが、紀元前1800年ころに現れたとされているヒッタイト人建造説を言外に否定しているようなにも取れる。製鉄の技術を独占、門外不出にしたヒッタイト人であるならば地下都市の建造は可能に思えたが、でははたして、ヒッタイト人以前に誰が建造したかが重要になる。オメル博士は、紀元前1500年に発展(規模面積の拡大、地下都市ネットワークの拡張)したとヒッタイト人が拡張に関与したことは示しているものの、何かの根拠をもって、それ以前に建造された可能性を仄めかしているのだろう。

地下都市について、最後に一つ触れておきたい。3世紀頃に住み着いたキリスト教徒であるが、地下都市にはキリスト教に由来する遺物は発見されていないことは示してきたが、なんと、人か生活した痕跡が無いのだという。うそーん。

---------------------------------[抜粋]
 しかし、この地下都市からは、今のところこのような基本機構の他は何の遺物も出土していないのである。つまり、生活を思わす物、例えば物を貯蔵する壷・服・収納タンス・食器・ゴミなどだ。他には、埋葬の跡が見られるもののそこを掘ってもなにも出てこない。(最近は少しづつみつかっているらしく先史時代から使われてたのではないかと言う説も出ている)
 どうやらここに住んでいた人達は、皆何らかの理由があって、自らの痕跡を残さないように逃走してしまったのである、いったいなぜそんな事をする必要があったのであろうか。
---------------------------------[抜粋]


カッパドキアの地下都市はピラミッドに匹敵するオーパーツである。にもかかわらずその全容は解明されていない。さらに地下深くにトンネルが穿てられている可能性は否定出来ない。なぜ、解明に後ろ向きなのか。不可解というほかない。


[参照ページ、及び抜粋先]

http://www14.plala.or.jp/mrchild/kpadkia.html

http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_q.html

世界遺産・消えた文明のミステリー: 王朝・都市・民族の繁栄はなぜ終わったのか
著者: 平川陽一




まとめ
○カッパドキアの地下都市は100万人収容可能な地下都市ネットワークである。
○地下都市として機能しうる完全な機能をそなえている。
○3世紀に定住したキリスト教徒が地下都市を建造したというのが通説であったが、紀元前五世紀に地下都市が存在したという文献が残っている。通説より800年前である。
○キリスト教徒の遺物は洞窟寺院や修道院で見つかっているが、地下都市からはキリスト教徒の遺物は発見されていない。
○今は紀元前1800年頃にトルコ・アナトリアに現れたヒッタイト人が地下都市建造を開始したという説が主流。
○しかし、オメル博士はそれ以前に建造されていたという見方を示している。7000年前の紀元前5000年から紀元前2000前だという。
○9世紀以降、少なくても13世紀以降から1965年に調査を開始するまで1000年もの間、地下都市の存在を誰一人として知らず見つけ出すことができなかった。ただ、地下都市に触れた言い伝えは残されていたという

紀元前50世紀~前20世紀 カッパドキアの地下都市建造開始(オメル博士の説)
紀元前18世紀 トルコ・アナトリア地方にヒッタイト人が現れる。
紀元前12世紀 ヒッタイト人が滅亡。製鉄の技術が世界に広まる。
紀元前5世紀 当時の歴史家が文献でアナトリアの地下都市に触れている。
西暦3世紀 迫害されたキリスト教徒が定住する。
西暦9世紀 洞窟寺院や修道院はこのころに造られたものとされている。
西暦1965年 本格的な調査が始まる。



奇岩地帯の地下に広がるオーパーツ 謎の地下都市、カッパドキア1
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-218.html


次のブログエントリーではカッパドキアの地下都市を造ろうとした動機にスポットを当ててみたい。目的はズバリ、最後の審判(ハルマゲドン)を見据えたノアの方舟である。何も核戦争に限ったわけではないとみている。311東日本大震災を経験した今、アララト山4000メートルの地点で発見されたノアの方舟の意味を考えてみなければならない。鶴亀の謎がヒントだ。


2011/04/15加筆修正
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311東日本大震災とは一体なんだったのか。2

2011/04/03/(Sun) 04:28

311東日本大震災とは一体なんだったのか。
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-216.html



動画版

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おそらく、巨大な津波にカメラを向け、結果として逃げ遅れてしまった人も、少なくないだろう。


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奇岩地帯の地下に広がるオーパーツ 謎の地下都市、カッパドキア1

2011/04/02/(Sat) 08:40

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カッパドキア カイマクル デリンクユ


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311東日本大震災とは一体なんだったのか

2011/04/01/(Fri) 19:48


2011年3月11日午後2時46分、三陸沖で発生した震度7の地震により、大惨事は始まった。地震、津波、さらには福島第一原発事故も重なり、311東日本大震災は未曽有の被害を東北沿岸部にもたらした。4月1日現在の死者は1万1578人、行方不明者は1万6451人。死者数、行方不明者数は計2万8千人を超え、避難所生活を贈る人は17万433人、二万戸以上の建物が全壊、流失した。そのほとんどが巨大津波がもたらしたものであった。

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死者・行方不明者2万8029人 1日午前10時現在 警察庁
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110401/dst11040111010026-n1.htm
2011.4.1 11:00 
 警察庁によると、1日午前10時現在、12都道県警が検視などで確認した死者は1万1578人、家族らから届け出があった行方不明者は1万6451人で、計2万8029人になった。
 岩手、宮城、福島3県の死者のうち、ほぼ全員の1万1498人の検視を終え、80.5%の9260人の身元が確認された。遺族や自治体に引き渡されたのは9043人。
 都県別の死者数は、北海道1人▽青森3人▽岩手3396人▽宮城7058人▽山形1人▽福島1064人▽東京7人▽茨城22人▽栃木4人▽群馬1人▽千葉17人▽神奈川4人。
 17都県2231所の避難所で暮らす人は17万433人。建物被害は全壊・流失が9都県で2万44戸。このうち岩手が6割以上を占めており、宮城と福島では依然、把握が難しい状況が続いている。
[転載ここまで]


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3月13日の死者数は977人、不明者数は739人。
3月15日は死者数は3373人、不明者数は6746人。
3月20日の死者数は7508人、不明者数11680人。
3月25日の死者数は10035人、不明者数は17443人。
4月1日の死者数は11578人、不明者数は16451人。
数字は落ち着いてきたが、今後も死者数は増えていくだろう。

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本震の震源域の内側でタイミングよく発生した余震が相乗的に津波を巨大化させ、数万の人びとは為す術も無く、されるがままに飲み込まれていった。

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目を開け眠る老婆

今回の大災害における死者、行方不明者のほとんどは巨大津波によるものである。死者数にカウントされていながら、まだ身元の確認が取れていない死体が2千ほどあるという。その他、数字に加わらない犠牲者はまだまだいるはずだ。家族もろとも波にさらわれ誰も捜索を申し出ないケースや、津波による住居の流失が住所の特定すらさせず、家屋内で発見された遺体の身元確認が困難なケースもあるだろう。

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この惨たらしく、凄まじい光景は、戦争を知らない世代だからこそ、記憶に焼き付けておく必要がある。見たくなければ、見なければいい。

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人間は無力である。

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2011/04/02追加分


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僕達の命はなぜ存在し、育んでいるのだろう。津波にさらわれ、沖合にさらわれていった幾千の人は、この世に生きた痕跡すら残せないまま消えていった。戦後最大のクライシスを乗り越えた先に、一体なにがあるのだろうか。
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Category:震源深さ10キロメートルの地震とTPPと311東日本大震災

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