北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 1 蓮池透が『北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ』と主張し続けた意味。
2012/11/09(Fri) 07:41
蓮池透。1978年に拉致されたとされる蓮池薫の兄で、1997年から2005年まで北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の副代表を務めていた。福島第一原発事故以降、自らが東電社員だったことをカミング・アウトし、各地の講演会に引っ張りだこである。
蓮池透 - Wikipedia

プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その3 事件発生当日の正午ごろに購入した二個のサラダという記事の最後の方でも軽く触れたが、蓮池透は安全審査における東電側の責任者で通産省のカウンターパートでもあった。他方で東電OL殺害事件の被害者である渡辺泰子さんは通産大臣渡辺美智雄のカウンターパートであったことでも知られている。
蓮池透の経歴の中で、最も看過できないのは、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会の事務局長を務めていた当時、日本原燃に出向していたことである。日本原燃といえば悪名高きMOX燃料の製造販売元で、蓮池透は四年間日本原燃に出向した後、東電の原子力燃料サイクル部長の座についている。いわば、日本の核燃サイクル推進に深く関わっていたのである。
「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」
「戦争状態になっても仕方ないと覚悟はできています」
「万が一の時はこちらだってやるべきことはある」
「拉致は国家テロなんですから、日本は集団的自衛権を発動してもいい」
無論、原子力業界は斜陽であった。あいも変わらず、再処理工場から排出される高レベル放射性廃棄物の最終処分問題は棚上げにされたまま、原発ではウラン燃料を燃やし続けていた。そんな中、MOX燃料の促進に携わる立場にいる蓮池透は核武装をも辞さない構えで拉致問題の解決に取り組むよう過激な発言を繰り返していた。今一度、その意味を考える必要がある。
311以前、日本で核武装の議論が盛んに行われていた。少なからず、北朝鮮による日本人拉致問題の影響を受けていたはずだ。つねづね拉致被害者家族会、救う会は北朝鮮拉致に対し力づくで奪還せよ、と過激な発言を繰り返していた。核アレルギーが根強い日本で核武装に対する議論が巻き起こったのも、拉致問題に業を煮やしてのことであったわけだし、核武装を議論する土台づくりに一役買ったことはいうまでもない。
救う会、家族会の真の目的
http://gankoniheiwa.tripod.com/yapparine.html
●対共和国外交で強硬派をリードする蓮池透の"危険思想"
所謂拉致問題の過熱とともに、「家族会」事務局長としてその発言力を増し、いつのまにかこの国の対共和国外交を左右するほどの存在になった蓮池透。
だがその明らかな公人いついても、マスコミはタブーに怯え口をつぐみ続けた。
『噂の真相』だから書くことのできた所謂拉致問題のキーマンの知られざる正体。
共和国による拉致被害者といわれている人たちが帰国して約半年―――。所謂被害者の家族たちで組織された「家族会」の危険な言動は、ますますエスカレートしている。米国務副長官のアームテージに共和国への強硬姿勢を提言したかと思えば、政府に対しては経済制裁を執拗に迫り、マスコミや外務省には口汚く罵詈雑言を浴びせる。そのしせいはまるで、「被害者の救出」という本来の目的をすっかり忘れてしまったかのようだ。
そして、そんな政治集団と化した「家族会」の中心的存在となっているのが、所謂拉致被害者・蓮池薫さんの兄「家族会」で事務局長としてメディアや政府に対して徹底した強硬路線を陽動し、今や、この国の共和国外交を左右する存在にまでなっているのだ。しかもここにきて、『奪還 引き裂かれた二十四年』(新潮社)と題する手記まで出版する有様―――。
だとしたら、メディアもそろそろ、この蓮池兄、蓮池透という人物をきちんと検証してみるひつようがあるのではないか。今や蓮池兄は世論はもちろん所謂拉致問題や朝日関係の行方にも大きな影響を与えるオピニオンリーダーなのだ。もはや立派な「公人」たる人物の思想や言動を検証するのは、ジャーナリズムとして当然の社会的責務ではないのか。
いや、それ以上に、この蓮池兄を検証しなければならない大きな理由がある。それは、この人物の言動がまさに、「所謂拉致問題の解決」とは別の危険な目的を持っているのではないか、と思わせるものだからである。
●共和国との戦争まで口にしはじめた蓮池透
たとえば、そのひとつのあらわれがマスコミに対する異常なまでの「報道統制」のやり方だろう。大手社会部記者が振り返る。
「『家族会』や『救う会』はこれまで、意にそぐわない報道に、恫喝としか思えない行動を繰り返しているが、実はそれを主導してきたのは蓮池さんなのです。フジや朝日、毎日がキム・ヘギョンをインタビューした際は、報道した3社を記者会見や取材から締め出せとまで言っていたし、『週間金曜日』の曽我ひとみさんの家族へのインタビューの時も、『一マスコミが出過ぎたことをするな』とまで言い放っていたほどですからね」
もっとも、当初はこうしたマスコミに対する強硬しせいも、帰国した5人の所謂被害者を守るための熱意のあまりだと思われていた。だが、その後、当の所謂被害者達が口を開きはじめると、蓮池兄の動機はまったく別のところにあることがわかってきたのである。
「当の所謂被害者はその後の会見で『(子ども達のインタビューは)ありがたい』と発言してましたからね。ようするに蓮池さんたちは、共和国を利するということがいやだっただけなんじゃないか。『週間朝日』の地村保志・富貴恵さんインタビューの一件で、激怒したのもそう。あのインタビューの中で、地村さんたちが共和国を擁護するような発言をしたことが許せなかったというのが理由でしょう。実際、蓮池さんはマスコミの報道を統制する一方で、共和国を攻撃するためには、薫さんのプライバシーを公開したり、彼らを窮地に追い込むような情報を流していますからね」(前出・大手紙社会部記者)
こうした理不尽な圧力はマスコミに対してだけではない。周知のように、「家族会」の会長である横田滋さんがこれまで、3度にわたって訪朝の意思を表明しながら、その都度、断念に追い込まれているが、これもすべて蓮池兄による強硬な反対の結果なのだ。内情に詳しいジャーナリストもこう首をひねる。
「『家族会』は所謂被害者の家族のために作った組織なんですから、当然、本人達の意向を優先すべきだし、結果的には横田さんの訪朝が所謂拉致問題の解決を促進する可能性もある。ところが、蓮池兄は『救う会』の佐藤勝巳会長らとともに横田さんに『共和国を利するだけだ』とプレッシャーをかけまくり、横田さんが訪朝の断念を表明せざるをえない状況に追い込んでしまったんです」
そして、きわめつけともいえるのが、訪米や経済制裁のようきゅうといった最近の動きだろう。
この行動は、核開発をめぐる多国間協議がはじまった状況で、一歩間違えば、米ブッシュ政権の共和国への武力により侵略を後押しする、きわめて危険なもの。しかも、蓮池兄は問題解決とは逆の結果を招くとしか思えないこの「経済制裁」というようきゅうに固執し、その言動をエスカレートさせていっているのだ。
「そもそも3月の訪米も言い出したのは蓮池さんなんですが、この時、蓮池さんはアーミテージから『拉致はテロ』との言質を得たことに勢いづいて、『外務省にも同じことをいわせろ!』と川口外相との面会をようきゅうするんです。しかも、川口がテロ認定や経済制裁を拒否すると、蓮池さんは激怒。逆にその言動を激化させていった。しかし今、『経済制裁』なんかをやれば、共和国がさらに態度を硬化させるばかりか、共和国にいる所謂被害者の肉親を窮地に追い込むようなことになりかねない。こんな政策をようきゅうするというのは、もはや蓮池さんは所謂拉致被害者の奪還よりも共和国と戦争をしたがっているとしか思えませんね」(大手紙政治部記者)
そう。蓮池兄の目的は「所謂拉致問題の解決」ではなく、この国と共和国との対立を激化させることにあるのではないのか―――。そんな疑念が拭いきれないのである。実際、すでに蓮池兄は様々なメディアで「共和国との戦争」を容認すような発言をおこなっている。
「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」「戦争状態になっても仕方ないと覚悟はできています」「万が一の時はこちらだってやるべきことはある」・・・・・。
そして、最近のある論壇誌のインタビューでは、こんな台詞なで口にした。
「拉致は国家テロなんですから、日本は集団的自衛権を発動してもいい」
●蓮池透の知られざる危険な「本業」
とうとう、共和国への武力攻撃まで主張しはじめた蓮池兄―――。
しかし、である。だとすれば、こうした彼の発言は一体、どこから来るのか。
以前から蓮池兄を取材している地元記者がこう語る。
「当然、金正日体制打倒を目的とする『現代コリア』や『救う会』の影響もあるでしょうが、それだけではない。蓮池さん自身にも、そういう体質、つまり国家主義的な『思想背景』があるんですよ。というのも、蓮池さんの勤務先はあの会社ですからね」
あの会社―――。そう。インタビューや著書などでは自分の職業を「エネルギー関連」としかいわずに詳細を伏せている蓮池兄だが、実はあの「東京電力」の社員なのである。
「蓮池さんは1977年に東京理科大学を卒業後、東京電力に入社し、現在も社員として同社に在籍しているはず。蓮池さんの実家のある新潟県柏崎市は原子力発電所がある所で知られていますが、電力会社は地元の融和のために原発のある地域の住民を積極的に採用していますからね」(前出・地元記者)
蓮池兄はたんに巨大電力会社の社員というだけではない。東京電力といえば、昨年、福島や柏崎の原子力発電をめぐってトラブル隠しが次々に発覚。世論の厳しい批判を浴びているが、彼がこの会社でやっている仕事というのはまさにその原子力発電、それも最も問題が多いといわれる「核廃棄物(使用済燃料)再処理」に関わるものなのだ。
たとえば、ここに本誌が入手した資料があるが、それによると、蓮池兄のここ数年の所属部署・肩書きは以下のようなものである。
1997年 東京電力・原子燃料リサイクル研究室 副研究室長兼主管研究員
1988~1999年 同 バックエンドグループマネージャー 主管研究員
2000年 同・原子力技術部 リサイクル技術センターリサイクルグループ グループマネージャー
2001年 同・原子力技術部 フロントエンド技術グループ マネージャー
そして、2002年から蓮池兄は「JNFI」という、各電力会社などが出資して設立した核廃棄物関連企業に出向。現在は同社で、燃料製造部副部長の職にある。
その仕事の内容について東京電力関係者がこう証言する。
「蓮池さんはこの数年、プロトニウムの生産や使用につながると大きな問題になっている核廃棄物再処理に関するプロジェクトを一貫して担当しているんです。とくにJNFIに出向してからは、例の国家的プロジェクトである『プルサーマル計画』の中心的役割を担っている。というのも、現在、JNFIは『六ヶ所再処理工場』内にプルサーマル計画に不可欠な『MOX』という燃料の加工工場建設を計画しているんですが、蓮池さんはその許認可申請の担当者なんです」
なんということだろう。「六ケ所再処理工場」といえば、周知のように、青森県六ヶ所村に現在建設中の「プルトニウム生産工場」で、「この国で最悪の核施設」と呼ばれる場所。そして、その中でも蓮池兄が担当している「プルサーマル計画」というのは、そのとてつもないデタラメぶりと危険性から、今、原発反対派のもっとも激しい批判を受けている計画ではないか。
原子力問題に詳しい評論家がその危険性をこう解説する。
「六ケ所再処理工場は核廃棄物からプルトニウムを排出する施設なんですが、このプルトニウムというのは、通常の原発が燃料として使っているウランの1億倍の毒性を持つうえ、少量で簡単に原子爆弾が作れるというきわめて危険なシロモノ。また、その過程では、通常の原発1年分の放射能がたった一日で出るといわれており、英仏では周辺に白血病が多発しているという事実もあります。しかも、政府と電力会社が97年に立ち上げた『プルサーマル計画』はこの六ヶ所村で抽出したプルトニウムを使ってMOXという燃料を生産、それを既存の原発の燃料に使用するという計画なんです。既存の原発は燃料がウランであることを前提に作られているのに、それにプルトニウムを使うというんです。実際、専門家からは『プルサーマル計画』によってチェルノブイリ級の事故が起きる可能性も指摘されていますし、この方式は大量の放射性廃棄物を発生させるという問題もある。実際、この国以外のほとんどの国はその危険性を考えて、すでに『核廃棄物再処理』や『プルサーマル計画』から撤退しはじめているのが実情なんですから」
まさに百害あって一利なし、国民の生命を脅かすだけの最悪の計画ということらしい。そして繰り返すが、蓮池兄はその国民の生命を脅かす最悪の計画の許認可申請の担当者、つまり旗ふり役なのである。
●蓮池透とこの国のプルトニウム保有
だが、本誌が今回、蓮池兄の職業に注目したのは、単純に危険なプロジェクトの旗振り役を平気で務めるそのメンタリティを指弾したかったからではない。実を言うと、この蓮池兄がかかわっている「核廃棄物再処理」「プルサーマル計画」という実情そのものが、まさにその国家主義的思想にもとづいている部分があるからだ。先の評論家が語る。
「実は今、政府や電力会社が強引に進め、蓮池さんが旗ふり役を務める核廃棄物再処理やプルサーマル計画というのはあん全だけでなく、コスト的にもまったくメリットがないんです。だからこそ、他国は次々と撤退しはじめているわけですが・・・・・。ところが、この国だけはかくも無謀な計画に今も突き進もうとしている。そしてその背景には、政府の『まずプルトニウム保有ありき』という方針があるんです。敗戦国であるこの国はIAEA(国際原子力機関)から民生品目的以外のプルトニウム保有を禁じられていますから、その保有のための大義名分をたてなければならない。それで無理矢理なんのメリットモないプルトニウムを使った発電に固執しつづけてきたというわけです。では、なぜ政府がそこまでプルトニウム保有に意る___。答えは一つ、プルトニウムが核兵器製造に不可欠な原料だからでしょう。政府は将来の核武装に備えて、どうしてもプルトニウムを保有しておきたんですよ」
核武装のためのプルトニウム保有?にわかには信じがたい話だが、しかし、これは思い込みでも陰謀史観でもない。
あるベテラン政治家評論家も、この国のプルトニウムによる発電計画が核武装の意思と密な関係にあることをこう指摘する。
「この国ではじめてプルトニウムを使った原発(高速増殖炉)の計画が立ち上げられたのは、岸信介が首相だった58年。直前に、岸は国会で『我国は核兵器を保有できる』と発言して物議をかもしているが、この計画は、明らかに将来の核武装を見越してのものだった。冷戦下で自主独立を勝ち取る、核武装は不可欠と考える岸に、戦前の国策社会的体質を引きずる電力会社が全面協力していったという図式だよ。しかも、このプルトニウム使用路線は、その後も佐藤栄作、中曽根康弘という『核武装論者』によってより推進・強化されていったという経緯がある。当然、今も、自民党や経済産業省の官僚、そして電力会社の幹部にこうした最初の動機は受け継がれているはずだ」
ようするに、この国も核開発が指摘されている共和国を責められない状況かにあるというわけだが、問題は、蓮池兄がその「核武装」という国家主義的動機に裏打ちされた計画のど真ん中で仕事をしてきたという事実だろう。原子力産業の関係者もこう語る。
「実際、原発や核廃棄物再処理にかかわっているキャリアや技術者には、国家主義的な考え方をする人間が多い。中には実際に『核武装』を口にする人間もいますしね。また一方では、反対運動の矢面に立たされてきたために、平和主義者に対する憎悪が激しいのも特徴です(笑)。蓮池さんもこういう連中の中にいたわけですから、そういうものの考え方に感化されていても不思議はありません」
しかも、蓮池兄にはもう一つ、勤務先の東京電力という問題もある。
たとえば、蓮池兄が東京電力の一社員でありながら、ここまで所謂拉致問題に専念していることに対して「仕事のほうは大丈夫なのか」という心配の声をよく聞くが、どうもこの「家族会」事務局長の活動の背景には、「会社のお墨付き」があるようなのだ。
当の東電社員がこう語る。
「そう聞いています。それもウチの社長が蓮池さんを直接、社長室に呼び、自ら『仕事のことは気にしなくていいから、思いっきりやってくれ』といった、と」
これだけを聞くと心温まるエピソードだが、この「お墨付き」がほんとうに人道的な理由によるものかどうかはきわめて疑わしい。というのも東電は数ある電力会社の中でも、そのすさまじい情報操作や謀略体質でつとに知られている企業だからである。実際、東電の内情に詳しい経済誌編集幹部はこう語る。
「たしかに、東電の幹部連中は蓮池さんの過激な政治的発言にも眉をひそめるどころか、むしろ大喜びしているからね。本人の意思とは関係なく、蓮池さんを政治的に利用しようとしている可能性は考えられる。たとえば、蓮池さんの担当している『プルサーマル計画』は現在、導入が予定されている高浜、福島、柏崎刈羽などの各原発の地元で、市民団体の猛烈な反対が起こり、頓挫状態だが、蓮池さんを使って地元の柏崎刈羽を突破口にするという作戦もありえるし、将来的には、彼を政界に送り込んで、電力業界と核保有勢力の代弁者にすることも考えられる」
●蓮池透の宣伝部隊と化したマスコミ
次から次へと出てくる蓮池兄の危険なバックボーン―――。しかも、すでに「共和国との戦争」「集団的自衛権の発動」といった台詞がこの人物自身の口から出てきていることを考えれば、こうした危険なバックボーンがこの先、一気に全面に出てくる可能性も十分にあるうるだろう。原発におけるプルトニウムの使用、そして核武装・・・・・。
ところが、この国のマスコミはこんな危険な人物の言いなりとなって、いまだに足元に平伏してしまっているのが実情なのだ。
「いや我々も気がついてはいるんです」
こう語るのは民法報道局関係者だ。
「たしかにその報道統制ぶりや政治的発言については、我々の間でも『やりすぎだ』という批判の声が根強い。でも、だからと言って蓮池さんの意にそぐわない報道をしたらそれだけで取材拒否ですからね。下手をしたら、『週間朝日』のように、バッシングを仕掛けられて、ボロボロになりかねない。だから分っていても、批判やスキャンダルなんて絶対にできないんですよ」
最近では蓮池兄をめぐってこんなことが起きている。実は数か月前から蓮池兄が毎週末に新橋場外馬券場で馬券を買っているという噂が囁かれていたのが、ここにきて『週間ポスト』と『フライデー』が場外馬券場を張り込み、蓮池兄の撮影に成功したというのだ。ところが、2紙ともせっかく撮った写真を自主規制でボツにしてしまったのだという。
また、この3月中旬には、NHKがよりによってセミナーの講師に蓮池兄を招聘。こんな政治性の強い人物に社員の研修をさせたあげく、メディア批判まで語らせたという。
「実はNHKは、朝日首脳会談以前に蓮池兄に2時間以上もインタビューしたことがあったんですが、彼の政府批判が偏り過ぎていたので放映ではまったく使わなかったんです。そのため、それ以降取材拒否を宣伝され、関係が悪かった。そこで所謂共和国による拉致の報道ができなくなると焦ったNHKは透さんに平謝りし、何とか取材拒否を取り下げてもらったんです。セミナー講師を依頼したのは、つまり彼のゴマすりというわけですよ」(NHK関係者)
いやはや涙ぐましいまでの気の遣いよう、自粛ぶり―――。
ようするに、この国のメディアはこんな危険な人物の批判をタブーにしているどころか逆に宣伝部隊になりさがっているのである。
実際、例の手記『奪還』をめぐっても、テレビ・新聞・雑誌がこぞってインタビューつきでこれを紹介する特集を組み、今や蓮池兄の顔を見ない日はないという状態だ。
「発行元の新潮社が蓮池インタビューとセットにして、各社に手記のパブリシティ企画を持ちかけてきているんですが、どこも今後のことがあるので、その申し出を断れないんです」(前出・民放報道局関係者)
だが、この「家族会」事務局長がほんとうに将来、共和国への武力による侵略、さらにはプルトニウム使用や核武装実現に向けて政治的影響力を持つようになったら、マスコミは一体どう責任をとるつもりなのか。
今からでも遅くはない。マスコミはこの共和国との戦争を叫ぶ人物の正体をそろそろ見極めて、その危険性をきちんと指摘すべきではないのか。
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http://gankoniheiwa.tripod.com/yapparine.html
●対共和国外交で強硬派をリードする蓮池透の"危険思想"
所謂拉致問題の過熱とともに、「家族会」事務局長としてその発言力を増し、いつのまにかこの国の対共和国外交を左右するほどの存在になった蓮池透。
だがその明らかな公人いついても、マスコミはタブーに怯え口をつぐみ続けた。
『噂の真相』だから書くことのできた所謂拉致問題のキーマンの知られざる正体。
共和国による拉致被害者といわれている人たちが帰国して約半年―――。所謂被害者の家族たちで組織された「家族会」の危険な言動は、ますますエスカレートしている。米国務副長官のアームテージに共和国への強硬姿勢を提言したかと思えば、政府に対しては経済制裁を執拗に迫り、マスコミや外務省には口汚く罵詈雑言を浴びせる。そのしせいはまるで、「被害者の救出」という本来の目的をすっかり忘れてしまったかのようだ。
そして、そんな政治集団と化した「家族会」の中心的存在となっているのが、所謂拉致被害者・蓮池薫さんの兄「家族会」で事務局長としてメディアや政府に対して徹底した強硬路線を陽動し、今や、この国の共和国外交を左右する存在にまでなっているのだ。しかもここにきて、『奪還 引き裂かれた二十四年』(新潮社)と題する手記まで出版する有様―――。
だとしたら、メディアもそろそろ、この蓮池兄、蓮池透という人物をきちんと検証してみるひつようがあるのではないか。今や蓮池兄は世論はもちろん所謂拉致問題や朝日関係の行方にも大きな影響を与えるオピニオンリーダーなのだ。もはや立派な「公人」たる人物の思想や言動を検証するのは、ジャーナリズムとして当然の社会的責務ではないのか。
いや、それ以上に、この蓮池兄を検証しなければならない大きな理由がある。それは、この人物の言動がまさに、「所謂拉致問題の解決」とは別の危険な目的を持っているのではないか、と思わせるものだからである。
●共和国との戦争まで口にしはじめた蓮池透
たとえば、そのひとつのあらわれがマスコミに対する異常なまでの「報道統制」のやり方だろう。大手社会部記者が振り返る。
「『家族会』や『救う会』はこれまで、意にそぐわない報道に、恫喝としか思えない行動を繰り返しているが、実はそれを主導してきたのは蓮池さんなのです。フジや朝日、毎日がキム・ヘギョンをインタビューした際は、報道した3社を記者会見や取材から締め出せとまで言っていたし、『週間金曜日』の曽我ひとみさんの家族へのインタビューの時も、『一マスコミが出過ぎたことをするな』とまで言い放っていたほどですからね」
もっとも、当初はこうしたマスコミに対する強硬しせいも、帰国した5人の所謂被害者を守るための熱意のあまりだと思われていた。だが、その後、当の所謂被害者達が口を開きはじめると、蓮池兄の動機はまったく別のところにあることがわかってきたのである。
「当の所謂被害者はその後の会見で『(子ども達のインタビューは)ありがたい』と発言してましたからね。ようするに蓮池さんたちは、共和国を利するということがいやだっただけなんじゃないか。『週間朝日』の地村保志・富貴恵さんインタビューの一件で、激怒したのもそう。あのインタビューの中で、地村さんたちが共和国を擁護するような発言をしたことが許せなかったというのが理由でしょう。実際、蓮池さんはマスコミの報道を統制する一方で、共和国を攻撃するためには、薫さんのプライバシーを公開したり、彼らを窮地に追い込むような情報を流していますからね」(前出・大手紙社会部記者)
こうした理不尽な圧力はマスコミに対してだけではない。周知のように、「家族会」の会長である横田滋さんがこれまで、3度にわたって訪朝の意思を表明しながら、その都度、断念に追い込まれているが、これもすべて蓮池兄による強硬な反対の結果なのだ。内情に詳しいジャーナリストもこう首をひねる。
「『家族会』は所謂被害者の家族のために作った組織なんですから、当然、本人達の意向を優先すべきだし、結果的には横田さんの訪朝が所謂拉致問題の解決を促進する可能性もある。ところが、蓮池兄は『救う会』の佐藤勝巳会長らとともに横田さんに『共和国を利するだけだ』とプレッシャーをかけまくり、横田さんが訪朝の断念を表明せざるをえない状況に追い込んでしまったんです」
そして、きわめつけともいえるのが、訪米や経済制裁のようきゅうといった最近の動きだろう。
この行動は、核開発をめぐる多国間協議がはじまった状況で、一歩間違えば、米ブッシュ政権の共和国への武力により侵略を後押しする、きわめて危険なもの。しかも、蓮池兄は問題解決とは逆の結果を招くとしか思えないこの「経済制裁」というようきゅうに固執し、その言動をエスカレートさせていっているのだ。
「そもそも3月の訪米も言い出したのは蓮池さんなんですが、この時、蓮池さんはアーミテージから『拉致はテロ』との言質を得たことに勢いづいて、『外務省にも同じことをいわせろ!』と川口外相との面会をようきゅうするんです。しかも、川口がテロ認定や経済制裁を拒否すると、蓮池さんは激怒。逆にその言動を激化させていった。しかし今、『経済制裁』なんかをやれば、共和国がさらに態度を硬化させるばかりか、共和国にいる所謂被害者の肉親を窮地に追い込むようなことになりかねない。こんな政策をようきゅうするというのは、もはや蓮池さんは所謂拉致被害者の奪還よりも共和国と戦争をしたがっているとしか思えませんね」(大手紙政治部記者)
そう。蓮池兄の目的は「所謂拉致問題の解決」ではなく、この国と共和国との対立を激化させることにあるのではないのか―――。そんな疑念が拭いきれないのである。実際、すでに蓮池兄は様々なメディアで「共和国との戦争」を容認すような発言をおこなっている。
「これは戦争ですよ。アメリカならそうするでしょう」「戦争状態になっても仕方ないと覚悟はできています」「万が一の時はこちらだってやるべきことはある」・・・・・。
そして、最近のある論壇誌のインタビューでは、こんな台詞なで口にした。
「拉致は国家テロなんですから、日本は集団的自衛権を発動してもいい」
●蓮池透の知られざる危険な「本業」
とうとう、共和国への武力攻撃まで主張しはじめた蓮池兄―――。
しかし、である。だとすれば、こうした彼の発言は一体、どこから来るのか。
以前から蓮池兄を取材している地元記者がこう語る。
「当然、金正日体制打倒を目的とする『現代コリア』や『救う会』の影響もあるでしょうが、それだけではない。蓮池さん自身にも、そういう体質、つまり国家主義的な『思想背景』があるんですよ。というのも、蓮池さんの勤務先はあの会社ですからね」
あの会社―――。そう。インタビューや著書などでは自分の職業を「エネルギー関連」としかいわずに詳細を伏せている蓮池兄だが、実はあの「東京電力」の社員なのである。
「蓮池さんは1977年に東京理科大学を卒業後、東京電力に入社し、現在も社員として同社に在籍しているはず。蓮池さんの実家のある新潟県柏崎市は原子力発電所がある所で知られていますが、電力会社は地元の融和のために原発のある地域の住民を積極的に採用していますからね」(前出・地元記者)
蓮池兄はたんに巨大電力会社の社員というだけではない。東京電力といえば、昨年、福島や柏崎の原子力発電をめぐってトラブル隠しが次々に発覚。世論の厳しい批判を浴びているが、彼がこの会社でやっている仕事というのはまさにその原子力発電、それも最も問題が多いといわれる「核廃棄物(使用済燃料)再処理」に関わるものなのだ。
たとえば、ここに本誌が入手した資料があるが、それによると、蓮池兄のここ数年の所属部署・肩書きは以下のようなものである。
1997年 東京電力・原子燃料リサイクル研究室 副研究室長兼主管研究員
1988~1999年 同 バックエンドグループマネージャー 主管研究員
2000年 同・原子力技術部 リサイクル技術センターリサイクルグループ グループマネージャー
2001年 同・原子力技術部 フロントエンド技術グループ マネージャー
そして、2002年から蓮池兄は「JNFI」という、各電力会社などが出資して設立した核廃棄物関連企業に出向。現在は同社で、燃料製造部副部長の職にある。
その仕事の内容について東京電力関係者がこう証言する。
「蓮池さんはこの数年、プロトニウムの生産や使用につながると大きな問題になっている核廃棄物再処理に関するプロジェクトを一貫して担当しているんです。とくにJNFIに出向してからは、例の国家的プロジェクトである『プルサーマル計画』の中心的役割を担っている。というのも、現在、JNFIは『六ヶ所再処理工場』内にプルサーマル計画に不可欠な『MOX』という燃料の加工工場建設を計画しているんですが、蓮池さんはその許認可申請の担当者なんです」
なんということだろう。「六ケ所再処理工場」といえば、周知のように、青森県六ヶ所村に現在建設中の「プルトニウム生産工場」で、「この国で最悪の核施設」と呼ばれる場所。そして、その中でも蓮池兄が担当している「プルサーマル計画」というのは、そのとてつもないデタラメぶりと危険性から、今、原発反対派のもっとも激しい批判を受けている計画ではないか。
原子力問題に詳しい評論家がその危険性をこう解説する。
「六ケ所再処理工場は核廃棄物からプルトニウムを排出する施設なんですが、このプルトニウムというのは、通常の原発が燃料として使っているウランの1億倍の毒性を持つうえ、少量で簡単に原子爆弾が作れるというきわめて危険なシロモノ。また、その過程では、通常の原発1年分の放射能がたった一日で出るといわれており、英仏では周辺に白血病が多発しているという事実もあります。しかも、政府と電力会社が97年に立ち上げた『プルサーマル計画』はこの六ヶ所村で抽出したプルトニウムを使ってMOXという燃料を生産、それを既存の原発の燃料に使用するという計画なんです。既存の原発は燃料がウランであることを前提に作られているのに、それにプルトニウムを使うというんです。実際、専門家からは『プルサーマル計画』によってチェルノブイリ級の事故が起きる可能性も指摘されていますし、この方式は大量の放射性廃棄物を発生させるという問題もある。実際、この国以外のほとんどの国はその危険性を考えて、すでに『核廃棄物再処理』や『プルサーマル計画』から撤退しはじめているのが実情なんですから」
まさに百害あって一利なし、国民の生命を脅かすだけの最悪の計画ということらしい。そして繰り返すが、蓮池兄はその国民の生命を脅かす最悪の計画の許認可申請の担当者、つまり旗ふり役なのである。
●蓮池透とこの国のプルトニウム保有
だが、本誌が今回、蓮池兄の職業に注目したのは、単純に危険なプロジェクトの旗振り役を平気で務めるそのメンタリティを指弾したかったからではない。実を言うと、この蓮池兄がかかわっている「核廃棄物再処理」「プルサーマル計画」という実情そのものが、まさにその国家主義的思想にもとづいている部分があるからだ。先の評論家が語る。
「実は今、政府や電力会社が強引に進め、蓮池さんが旗ふり役を務める核廃棄物再処理やプルサーマル計画というのはあん全だけでなく、コスト的にもまったくメリットがないんです。だからこそ、他国は次々と撤退しはじめているわけですが・・・・・。ところが、この国だけはかくも無謀な計画に今も突き進もうとしている。そしてその背景には、政府の『まずプルトニウム保有ありき』という方針があるんです。敗戦国であるこの国はIAEA(国際原子力機関)から民生品目的以外のプルトニウム保有を禁じられていますから、その保有のための大義名分をたてなければならない。それで無理矢理なんのメリットモないプルトニウムを使った発電に固執しつづけてきたというわけです。では、なぜ政府がそこまでプルトニウム保有に意る___。答えは一つ、プルトニウムが核兵器製造に不可欠な原料だからでしょう。政府は将来の核武装に備えて、どうしてもプルトニウムを保有しておきたんですよ」
核武装のためのプルトニウム保有?にわかには信じがたい話だが、しかし、これは思い込みでも陰謀史観でもない。
あるベテラン政治家評論家も、この国のプルトニウムによる発電計画が核武装の意思と密な関係にあることをこう指摘する。
「この国ではじめてプルトニウムを使った原発(高速増殖炉)の計画が立ち上げられたのは、岸信介が首相だった58年。直前に、岸は国会で『我国は核兵器を保有できる』と発言して物議をかもしているが、この計画は、明らかに将来の核武装を見越してのものだった。冷戦下で自主独立を勝ち取る、核武装は不可欠と考える岸に、戦前の国策社会的体質を引きずる電力会社が全面協力していったという図式だよ。しかも、このプルトニウム使用路線は、その後も佐藤栄作、中曽根康弘という『核武装論者』によってより推進・強化されていったという経緯がある。当然、今も、自民党や経済産業省の官僚、そして電力会社の幹部にこうした最初の動機は受け継がれているはずだ」
ようするに、この国も核開発が指摘されている共和国を責められない状況かにあるというわけだが、問題は、蓮池兄がその「核武装」という国家主義的動機に裏打ちされた計画のど真ん中で仕事をしてきたという事実だろう。原子力産業の関係者もこう語る。
「実際、原発や核廃棄物再処理にかかわっているキャリアや技術者には、国家主義的な考え方をする人間が多い。中には実際に『核武装』を口にする人間もいますしね。また一方では、反対運動の矢面に立たされてきたために、平和主義者に対する憎悪が激しいのも特徴です(笑)。蓮池さんもこういう連中の中にいたわけですから、そういうものの考え方に感化されていても不思議はありません」
しかも、蓮池兄にはもう一つ、勤務先の東京電力という問題もある。
たとえば、蓮池兄が東京電力の一社員でありながら、ここまで所謂拉致問題に専念していることに対して「仕事のほうは大丈夫なのか」という心配の声をよく聞くが、どうもこの「家族会」事務局長の活動の背景には、「会社のお墨付き」があるようなのだ。
当の東電社員がこう語る。
「そう聞いています。それもウチの社長が蓮池さんを直接、社長室に呼び、自ら『仕事のことは気にしなくていいから、思いっきりやってくれ』といった、と」
これだけを聞くと心温まるエピソードだが、この「お墨付き」がほんとうに人道的な理由によるものかどうかはきわめて疑わしい。というのも東電は数ある電力会社の中でも、そのすさまじい情報操作や謀略体質でつとに知られている企業だからである。実際、東電の内情に詳しい経済誌編集幹部はこう語る。
「たしかに、東電の幹部連中は蓮池さんの過激な政治的発言にも眉をひそめるどころか、むしろ大喜びしているからね。本人の意思とは関係なく、蓮池さんを政治的に利用しようとしている可能性は考えられる。たとえば、蓮池さんの担当している『プルサーマル計画』は現在、導入が予定されている高浜、福島、柏崎刈羽などの各原発の地元で、市民団体の猛烈な反対が起こり、頓挫状態だが、蓮池さんを使って地元の柏崎刈羽を突破口にするという作戦もありえるし、将来的には、彼を政界に送り込んで、電力業界と核保有勢力の代弁者にすることも考えられる」
●蓮池透の宣伝部隊と化したマスコミ
次から次へと出てくる蓮池兄の危険なバックボーン―――。しかも、すでに「共和国との戦争」「集団的自衛権の発動」といった台詞がこの人物自身の口から出てきていることを考えれば、こうした危険なバックボーンがこの先、一気に全面に出てくる可能性も十分にあるうるだろう。原発におけるプルトニウムの使用、そして核武装・・・・・。
ところが、この国のマスコミはこんな危険な人物の言いなりとなって、いまだに足元に平伏してしまっているのが実情なのだ。
「いや我々も気がついてはいるんです」
こう語るのは民法報道局関係者だ。
「たしかにその報道統制ぶりや政治的発言については、我々の間でも『やりすぎだ』という批判の声が根強い。でも、だからと言って蓮池さんの意にそぐわない報道をしたらそれだけで取材拒否ですからね。下手をしたら、『週間朝日』のように、バッシングを仕掛けられて、ボロボロになりかねない。だから分っていても、批判やスキャンダルなんて絶対にできないんですよ」
最近では蓮池兄をめぐってこんなことが起きている。実は数か月前から蓮池兄が毎週末に新橋場外馬券場で馬券を買っているという噂が囁かれていたのが、ここにきて『週間ポスト』と『フライデー』が場外馬券場を張り込み、蓮池兄の撮影に成功したというのだ。ところが、2紙ともせっかく撮った写真を自主規制でボツにしてしまったのだという。
また、この3月中旬には、NHKがよりによってセミナーの講師に蓮池兄を招聘。こんな政治性の強い人物に社員の研修をさせたあげく、メディア批判まで語らせたという。
「実はNHKは、朝日首脳会談以前に蓮池兄に2時間以上もインタビューしたことがあったんですが、彼の政府批判が偏り過ぎていたので放映ではまったく使わなかったんです。そのため、それ以降取材拒否を宣伝され、関係が悪かった。そこで所謂共和国による拉致の報道ができなくなると焦ったNHKは透さんに平謝りし、何とか取材拒否を取り下げてもらったんです。セミナー講師を依頼したのは、つまり彼のゴマすりというわけですよ」(NHK関係者)
いやはや涙ぐましいまでの気の遣いよう、自粛ぶり―――。
ようするに、この国のメディアはこんな危険な人物の批判をタブーにしているどころか逆に宣伝部隊になりさがっているのである。
実際、例の手記『奪還』をめぐっても、テレビ・新聞・雑誌がこぞってインタビューつきでこれを紹介する特集を組み、今や蓮池兄の顔を見ない日はないという状態だ。
「発行元の新潮社が蓮池インタビューとセットにして、各社に手記のパブリシティ企画を持ちかけてきているんですが、どこも今後のことがあるので、その申し出を断れないんです」(前出・民放報道局関係者)
だが、この「家族会」事務局長がほんとうに将来、共和国への武力による侵略、さらにはプルトニウム使用や核武装実現に向けて政治的影響力を持つようになったら、マスコミは一体どう責任をとるつもりなのか。
今からでも遅くはない。マスコミはこの共和国との戦争を叫ぶ人物の正体をそろそろ見極めて、その危険性をきちんと指摘すべきではないのか。
---------------------抜粋
蓮池透は弟蓮池薫帰国後も、拉致問題解決に取り組み、時に当時の米国国務長官アーミテージに直談判したこともあった。武力攻撃すら主張した。
北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ。時に過激に発言し、強硬路線を主張する蓮池透は、今世紀最大の嘘である核燃サイクル推進に深く関わっていた。この事実は、けして無視できるものではなかった。続く。
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Category:北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線
北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 2 蓮池透の東電での経歴。
2012/11/09(Fri) 09:31
北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 1 蓮池透が『北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ』と主張し続けた意味。前回のエントリでは北朝鮮による日本人拉致問題で、核武装や武力攻撃を過激に主張していた蓮池透が斜陽であった原子力産業の核燃サイクル、MOX燃料推進に深く関わっていたことを指摘した。北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ。北朝鮮はテロ国家であり拉致被害者奪還のためには武力攻撃も辞さない構えで取り組むべきだ。日本の核武装議論にも繋がる過激な主張を繰り返していた中心人物が、実は原子力ムラの役者だったのである。
なぜ、蓮池透は弟蓮池薫帰国後も拉致問題に関わり続けるのか。拉致被害者家族連絡会から除名された後、何かの心変わりがあったのだろうか、強硬路線から一転、対話を重視する柔軟な論調を主張するようになる。
余談であるが、2009年8月に「安全保障と防衛力に関する懇談会」が「防衛大綱の見直しに向けて報告書を提出している。「安全保障と防衛力に関する懇談会」は麻生総理の私的諮問機関であったが、座長をつとめていたのが東電会長の勝俣恒久であった。なぜ、日本の安全保障の諮問機関の座長が東電会長なのか。東電が日本一のプルトニウム保有企業だからである。
この視点に立つと、蓮池透がなぜ強硬路線をもって拉致問題解決を訴えてきたのか。拉致問題を軍事的課題にすり替えて武力攻撃や日本の弱腰外交や安全保障の問題に口を出してきたのか、おぼろげに見えてくるものがある。
福島第一原発事故が起きて、蓮池透は間もなく、自身が東電社員であったことをカミング・アウト、、『私が愛した東京電力』を著した。本の中では東電での経歴が詳しく記されている。以下は、『私が愛した東京電力』からの抜粋である。なおタイトル括弧内は記載ページ、注釈は註を付けて示した。ちなみに、MOX燃料推進の旗本である日本原燃で何をしていたのかについては、その内容には一切触れていなかった。
一度目の福島第一原発勤務-入社後二週間で(P35)
入社して二、三週間くらい全体研修があり、それが終わると福島第一原発へ行けという辞令をもらいました。一九七七年のことです。~中略~ 配属は保修課という東電特有の名称の課で、いまはないと思いますが、そこで計測制御装置のメインテナンスをすることになりました。~後略
計器類のメインテナンスが仕事(P40)
一回目の福島への赴任の間の保修課での仕事は、大きく分けて運転中と点検中の作業がありました。水位計などの計器は非常に繊細なものなので、基本的には運転中は触らないのですが、故障があったりすると、運転員から修理してくれと要請が来ます。それを直すのが保修課の仕事です。 ~後略
私たちは「計装グループ」と呼ばれていました。「計装」とは、計測制御装置の「計」と「装」で、略語です。大きく分けると、プロセス計装と核計装というものがあり、さきほどの水位や圧力、流量等はプロセス計装に属します。核計装というのは、原子炉のなかの中性子を測る計器等を意味します。そういうものをメインテナンスするのですが、校正だけでなく、修理したり交換したりします。原子力施設のなかには、ほかにいろいろな放射線計測器がありますが、そういうものを校正して、正しい値を示すような作業をしていました。
私たちが福島第一原発にいたころは、SCC(ストレス・コロージョン・クラック、応力腐食割れ)というトラブルがあり、原子炉近くの配管に相当その症状が出ていて、補修工事の最盛期でした。そういう工事が大々的に行われていたので、発電所とは名ばかりでほとんど発電しておらず、稼働率は大変低かったのです。それに、SCCの原因がわからず、対策をどう打ったらいいのかがわからない状況が続き、やっと対処方法が見つかり、新しい組成の金属に取り替えようという工事を盛んにやっていたのです。その後SCCは克服して、だんだん稼働率が上がっていったのです。発電しない原発は”金食い虫”ですから、稼働率を上げろというのが至上命令です。稼働していれば一日に何千億円か何百億円かを生み出すはずが、稼働しなければマイナスです。~中略~
換気空調系の制御設備について、私が点検工事を起案して、稟議書を書いて予算を付けて初めて点検したということもありました。みんなぼろぼろに錆びていて、「何だ、この錆は?」と、ボンッと蹴飛ばしたら、バラバラと落ちたことがありました。それまでは空調系の制御設備は点検をしていなかったのですが、GE社の説明書を見るとちゃんと手順が書いてあるわけです。やはり検査を受けないといけないのではないかと思って、急いで説明書を翻訳して、どうやって試験をするか考えました。
輸入された技術=原発 (P42)
いま、福島第一原発で事故が起きて、その問題点は何かが分析されていますが、原発の技術がアメリカから輸入されたものであって、日本で育った技術ではないという問題も指摘されています。原子炉の設計をしたのは、初期ではGE社で、後に日本の日立、東芝、三菱が担当するようになりますが、東電はそれをオペレーションしているにすぎず、今回の事故処理にも設計側の企業があまり入っていなかったことも、問題だといわれています。
一号機はすべてGE社にお任せでした。車や建売り住宅と同じで、自分たちは何もしないでただお金を出してプラントを買うのです。「ターンキー契約」といって、GE社が全部プラントをつくり、最後に「どうぞ」とキーをもらうわけです。日本側は運転員が「起動」といって、キーを差し込んで運転を開始します。引き渡しのときに運転マニュアルやメインテナンス・マニュアルを置いて行くのですが、全部英語でした。定期検査をやるにしても、まず手順書や要領書がない。そういうものを作る必要がありました。GE社の説明書を翻訳して日本の試験手順書にするのです。私もけっこうつくりました。旧通産省の立会い検査がよくありますから、立会い検査手順書もつくらないといけないので、日々それに追われていました。とにかく原子力は英語ばかりで、その上略語が多く、覚えないと仕事にならないところがあり、苦労しました。(註・フクイチのメインテナンスマニュアルを蓮池透自身が翻訳し作り上げたという部分は注目に値する。そもそもアーミテージに直談判するぐらいだから、英語はペラペラなようだ。)
本店勤務---安全審査、コスト削減の嵐 (P47)
その後七年間本店勤務になりました。一九八〇年に原子力開発研究所に異動になったのです。高速増殖炉の研究をやれといきなりいわれて、畑が違うので面食らってしまいました。福井県敦賀市に建設予定の高速増殖炉「もんじゅ」(旧動力炉・核燃料開発事業団)の安全審査がさかんに行われている時期でした。
そこで私は、高速増殖炉やプルサーマルの研究に携わることになりますが、ここで得た知見が、のちに「原発は自滅する。フェイドアウトするしかない」と私に確信させるベースになりました。そのことについては、次の章でお話することにします。
研究所といっても名ばかりで、自分の手で研究するわけではなく、すべて外注で、メーカや研究所に委託研究するのです。せいぜいで共同研究です。委託研究というのは一〇〇%費用を東電が出すのですが、共同研究は五〇%を東電が、五〇%をメーカも出すものです。私がしていたのは、早くいえば予算管理のようなものです。委託手続きを契約して、打ち合わせして報告書をもらい、それが契約書に合っているかどうかをチェックして、成果が出たかどうかを確認する、その繰り返しです。研究所にいる人は、研究員とか主任研究員といった名前は付いていますが、原子力技術の研究者というわけではないのです。実験室があって実験しているわけでも何でもない。研究所というのが恥ずかしい思いがしました。
そこに三年間いた後に、原子力計画化に異動になりました。本店内異動で、そこで今度は、旧通産省対応をやることになりました。安全審査です。研究所にいたころは、メーカから見ると私がお客さんで、だから偉そうにしていられたわけですが、相手がお役所になると偉そうにしていられないのです。「あれしろ、これしろ」といわれて、「はいはい」と言うしかなくて、大変でした。
安全審査とは、基本的には原発の設置の許可を得るための審査です。今あるプラントの変更もありましたが、中心は増設でした。このころは、原発がどんどんできた時期です。それと同時にコストダウンの嵐が吹き荒れていたときでした。これ以上安くできない、これ以上削ったら安全性に影響が出るくらいのギリギリのところまでやらされました。何十億削減とか、何パーセント削減といった目標が上からおりてくるのです。自分たちで考えるのですが、考えても埒が開かないときにはメーカにコストダウンのアイディア提供を頼みました。メーカも自分で売る物を安くするなどということはやりたくないので、まともにはやってくれないだろうと思いながらも、こちらは真剣でした。
原発の設計というのは、常に多重性を求められていて、安全評価をするときには「単一故障」を考えています。つまり、一台は故障をするという前提があるので、二台ないと機能は発揮できない設計思想になっているのです。私たちはコスト削減のために、そこに手をつけたのです。例えば安全系、非常用炉心冷却系とか、ポンプとか、機械類は必ず二つがセットになっています。ポンプやモータ、ファンといった「動的機器」と、配管などの「静的機器」がありますが、動的機器と静的機器の故障率を比較すると、もちろん動的機器の方が圧倒的に高い。ですから動的機器はどうしても二台必要です。しかし静的機器は故障率が低いから、二ついらないじゃないかということになり、そこを削ったのです。
原子炉格納容器のなかにスプレイするリング状の配管がありますが、それまでは一つのポンプから一個のリングに、もう一つのポンプから二個目のリングにというように、別々に水を送っていました。ところが静的機器は故障しないからリングは一個でいいだろうということになり、リングを一つ減らして、二台のポンプで一つのリングに水を送るようにし、コストダウンしたのです。そのリングが壊れたら全然水が来なくなりますが、「壊れない」という論理です。そういうものを減らす理屈をこねてコストダウンして本当にいいのか、という思いはありました。しかし、とにかく原子力部門はお金を使い過ぎだという批判が社内的にあり、原子力関連の人は問題視されていましたから、コスト削減を頑張らなければならない雰囲気がつくられていました。
原発のコストダウンの嵐が吹き荒れた後に、ABWR(改良型沸騰水型軽水炉)が入ってきました。この改良型はもともと従来の型よりも建設費は安いといわれていました。しかしだんだん高くなってきて、どんどん比べる相手を変えていきました。より高いものと比べるようになっていったのです。
その後は、ほとんど増設がないので、運転期間延長とか、あるいは定期検査の短縮とか、運用面で力を入れ、稼働率を高めることをしてきました。アメリカには「何年何月まで」という原発の「運転許可」制度があります。今回の福島第一原発の事故後、もう延長は認めないと決定した州もあります。しかし、日本の安全規制には「いつまで」という期限がありません。ですから極端な話、可能ならば一〇〇年運転してもいいのです。運転延長は”究極のコストダウン”と言うことができます。福島第一原発一号機の寿命は四〇年という暗黙の了解がありましたが、稼働率を高めるために一〇年間の延長を経産省に申し出て、承認を得たのです。そうしたら運転開始四〇年目の今年、ああいう事故が起きたのです。
二度目の福島第一原発勤務(p51)
トータルで三二年間東電に勤めたなかで、五年半ほど福島第一原発勤務で、残りの二六、七年が本店勤務、あるいは本店付の電力中央研究所、日本原燃など、どちらかというと東京勤務の方が多かったです。
一回目の福島勤務が三年半で、また七年たってから福島で勤務することになりました。一九八九年(註・蓮池透34歳)のことでした。東電内部では副長(一般の会社で係長)というのですが、現場の副長は管理職ではありませんでした(本店では副長以上は管理職)。二度目の福島にいる間はずっと副長でした。そのときはメインテナンスはやらずに、技術系の筆頭課である技術課という部署で、技術系部門をとりまとめる窓口をしていました。いわゆる何でも屋で、見学者対応、VIPが来る時の対応、定期検査の計画を各部から出してもらい旧通産省に説明に行くとか、定期検査報告書を各担当部から集約して旧通産省に報告に行くとか、そういうことをやっていました。
もう一つの大きな業務は、発電所に関する図画、取り扱い説明書、許認可関係の資料などの図書管理でした。発電所の図書館のような業務です。ライブラリの受付の女性にこういう資料を出してほしいとお願いすると、検索して出してくれるという、普通の図書館と同じシステムでした。発電所にはけっこうな量の図書があるのです。発電所の図面は改良工事が入ると変わります。変わったものをおおものと図面に反映しなければなりません。その改訂履歴をつけて、何年何月の第何回の定期検査で改良したと、図面をプロに書き換えてもらうとか、簡単なものは自分たちで行うとか、そういうことをやっていました。何かを新設したりすると、新設図面も入ってくるので、それをまたライブラリに登録・追加する作業もやっていました。こういう作業も関連子会社への委託でやっているのですが、図書が膨大なので、大変でした。~中略~ この赴任のときにあまりにも健康志向に走ったせいか、福島にいる最後の方で逆に体調を崩して、自律神経が少しおかしくなってしまいました。そういうなかでまた本店に戻りました。一九八九年のことでした。(註・つまり二度目の福島第一原発勤務は一年満たない期間であったようである。その理由として体調不良を挙げているが、本当の理由は別にあると睨んでいる)
本店では原子力計画課という、技術系の総括的な部署で仕事をしました。いわゆる技術系の筆頭課でした。
---------------------抜粋
入社して二、三週間くらい全体研修があり、それが終わると福島第一原発へ行けという辞令をもらいました。一九七七年のことです。~中略~ 配属は保修課という東電特有の名称の課で、いまはないと思いますが、そこで計測制御装置のメインテナンスをすることになりました。~後略
計器類のメインテナンスが仕事(P40)
一回目の福島への赴任の間の保修課での仕事は、大きく分けて運転中と点検中の作業がありました。水位計などの計器は非常に繊細なものなので、基本的には運転中は触らないのですが、故障があったりすると、運転員から修理してくれと要請が来ます。それを直すのが保修課の仕事です。 ~後略
私たちは「計装グループ」と呼ばれていました。「計装」とは、計測制御装置の「計」と「装」で、略語です。大きく分けると、プロセス計装と核計装というものがあり、さきほどの水位や圧力、流量等はプロセス計装に属します。核計装というのは、原子炉のなかの中性子を測る計器等を意味します。そういうものをメインテナンスするのですが、校正だけでなく、修理したり交換したりします。原子力施設のなかには、ほかにいろいろな放射線計測器がありますが、そういうものを校正して、正しい値を示すような作業をしていました。
私たちが福島第一原発にいたころは、SCC(ストレス・コロージョン・クラック、応力腐食割れ)というトラブルがあり、原子炉近くの配管に相当その症状が出ていて、補修工事の最盛期でした。そういう工事が大々的に行われていたので、発電所とは名ばかりでほとんど発電しておらず、稼働率は大変低かったのです。それに、SCCの原因がわからず、対策をどう打ったらいいのかがわからない状況が続き、やっと対処方法が見つかり、新しい組成の金属に取り替えようという工事を盛んにやっていたのです。その後SCCは克服して、だんだん稼働率が上がっていったのです。発電しない原発は”金食い虫”ですから、稼働率を上げろというのが至上命令です。稼働していれば一日に何千億円か何百億円かを生み出すはずが、稼働しなければマイナスです。~中略~
換気空調系の制御設備について、私が点検工事を起案して、稟議書を書いて予算を付けて初めて点検したということもありました。みんなぼろぼろに錆びていて、「何だ、この錆は?」と、ボンッと蹴飛ばしたら、バラバラと落ちたことがありました。それまでは空調系の制御設備は点検をしていなかったのですが、GE社の説明書を見るとちゃんと手順が書いてあるわけです。やはり検査を受けないといけないのではないかと思って、急いで説明書を翻訳して、どうやって試験をするか考えました。
輸入された技術=原発 (P42)
いま、福島第一原発で事故が起きて、その問題点は何かが分析されていますが、原発の技術がアメリカから輸入されたものであって、日本で育った技術ではないという問題も指摘されています。原子炉の設計をしたのは、初期ではGE社で、後に日本の日立、東芝、三菱が担当するようになりますが、東電はそれをオペレーションしているにすぎず、今回の事故処理にも設計側の企業があまり入っていなかったことも、問題だといわれています。
一号機はすべてGE社にお任せでした。車や建売り住宅と同じで、自分たちは何もしないでただお金を出してプラントを買うのです。「ターンキー契約」といって、GE社が全部プラントをつくり、最後に「どうぞ」とキーをもらうわけです。日本側は運転員が「起動」といって、キーを差し込んで運転を開始します。引き渡しのときに運転マニュアルやメインテナンス・マニュアルを置いて行くのですが、全部英語でした。定期検査をやるにしても、まず手順書や要領書がない。そういうものを作る必要がありました。GE社の説明書を翻訳して日本の試験手順書にするのです。私もけっこうつくりました。旧通産省の立会い検査がよくありますから、立会い検査手順書もつくらないといけないので、日々それに追われていました。とにかく原子力は英語ばかりで、その上略語が多く、覚えないと仕事にならないところがあり、苦労しました。(註・フクイチのメインテナンスマニュアルを蓮池透自身が翻訳し作り上げたという部分は注目に値する。そもそもアーミテージに直談判するぐらいだから、英語はペラペラなようだ。)
本店勤務---安全審査、コスト削減の嵐 (P47)
その後七年間本店勤務になりました。一九八〇年に原子力開発研究所に異動になったのです。高速増殖炉の研究をやれといきなりいわれて、畑が違うので面食らってしまいました。福井県敦賀市に建設予定の高速増殖炉「もんじゅ」(旧動力炉・核燃料開発事業団)の安全審査がさかんに行われている時期でした。
そこで私は、高速増殖炉やプルサーマルの研究に携わることになりますが、ここで得た知見が、のちに「原発は自滅する。フェイドアウトするしかない」と私に確信させるベースになりました。そのことについては、次の章でお話することにします。
研究所といっても名ばかりで、自分の手で研究するわけではなく、すべて外注で、メーカや研究所に委託研究するのです。せいぜいで共同研究です。委託研究というのは一〇〇%費用を東電が出すのですが、共同研究は五〇%を東電が、五〇%をメーカも出すものです。私がしていたのは、早くいえば予算管理のようなものです。委託手続きを契約して、打ち合わせして報告書をもらい、それが契約書に合っているかどうかをチェックして、成果が出たかどうかを確認する、その繰り返しです。研究所にいる人は、研究員とか主任研究員といった名前は付いていますが、原子力技術の研究者というわけではないのです。実験室があって実験しているわけでも何でもない。研究所というのが恥ずかしい思いがしました。
そこに三年間いた後に、原子力計画化に異動になりました。本店内異動で、そこで今度は、旧通産省対応をやることになりました。安全審査です。研究所にいたころは、メーカから見ると私がお客さんで、だから偉そうにしていられたわけですが、相手がお役所になると偉そうにしていられないのです。「あれしろ、これしろ」といわれて、「はいはい」と言うしかなくて、大変でした。
安全審査とは、基本的には原発の設置の許可を得るための審査です。今あるプラントの変更もありましたが、中心は増設でした。このころは、原発がどんどんできた時期です。それと同時にコストダウンの嵐が吹き荒れていたときでした。これ以上安くできない、これ以上削ったら安全性に影響が出るくらいのギリギリのところまでやらされました。何十億削減とか、何パーセント削減といった目標が上からおりてくるのです。自分たちで考えるのですが、考えても埒が開かないときにはメーカにコストダウンのアイディア提供を頼みました。メーカも自分で売る物を安くするなどということはやりたくないので、まともにはやってくれないだろうと思いながらも、こちらは真剣でした。
原発の設計というのは、常に多重性を求められていて、安全評価をするときには「単一故障」を考えています。つまり、一台は故障をするという前提があるので、二台ないと機能は発揮できない設計思想になっているのです。私たちはコスト削減のために、そこに手をつけたのです。例えば安全系、非常用炉心冷却系とか、ポンプとか、機械類は必ず二つがセットになっています。ポンプやモータ、ファンといった「動的機器」と、配管などの「静的機器」がありますが、動的機器と静的機器の故障率を比較すると、もちろん動的機器の方が圧倒的に高い。ですから動的機器はどうしても二台必要です。しかし静的機器は故障率が低いから、二ついらないじゃないかということになり、そこを削ったのです。
原子炉格納容器のなかにスプレイするリング状の配管がありますが、それまでは一つのポンプから一個のリングに、もう一つのポンプから二個目のリングにというように、別々に水を送っていました。ところが静的機器は故障しないからリングは一個でいいだろうということになり、リングを一つ減らして、二台のポンプで一つのリングに水を送るようにし、コストダウンしたのです。そのリングが壊れたら全然水が来なくなりますが、「壊れない」という論理です。そういうものを減らす理屈をこねてコストダウンして本当にいいのか、という思いはありました。しかし、とにかく原子力部門はお金を使い過ぎだという批判が社内的にあり、原子力関連の人は問題視されていましたから、コスト削減を頑張らなければならない雰囲気がつくられていました。
原発のコストダウンの嵐が吹き荒れた後に、ABWR(改良型沸騰水型軽水炉)が入ってきました。この改良型はもともと従来の型よりも建設費は安いといわれていました。しかしだんだん高くなってきて、どんどん比べる相手を変えていきました。より高いものと比べるようになっていったのです。
その後は、ほとんど増設がないので、運転期間延長とか、あるいは定期検査の短縮とか、運用面で力を入れ、稼働率を高めることをしてきました。アメリカには「何年何月まで」という原発の「運転許可」制度があります。今回の福島第一原発の事故後、もう延長は認めないと決定した州もあります。しかし、日本の安全規制には「いつまで」という期限がありません。ですから極端な話、可能ならば一〇〇年運転してもいいのです。運転延長は”究極のコストダウン”と言うことができます。福島第一原発一号機の寿命は四〇年という暗黙の了解がありましたが、稼働率を高めるために一〇年間の延長を経産省に申し出て、承認を得たのです。そうしたら運転開始四〇年目の今年、ああいう事故が起きたのです。
二度目の福島第一原発勤務(p51)
トータルで三二年間東電に勤めたなかで、五年半ほど福島第一原発勤務で、残りの二六、七年が本店勤務、あるいは本店付の電力中央研究所、日本原燃など、どちらかというと東京勤務の方が多かったです。
一回目の福島勤務が三年半で、また七年たってから福島で勤務することになりました。一九八九年(註・蓮池透34歳)のことでした。東電内部では副長(一般の会社で係長)というのですが、現場の副長は管理職ではありませんでした(本店では副長以上は管理職)。二度目の福島にいる間はずっと副長でした。そのときはメインテナンスはやらずに、技術系の筆頭課である技術課という部署で、技術系部門をとりまとめる窓口をしていました。いわゆる何でも屋で、見学者対応、VIPが来る時の対応、定期検査の計画を各部から出してもらい旧通産省に説明に行くとか、定期検査報告書を各担当部から集約して旧通産省に報告に行くとか、そういうことをやっていました。
もう一つの大きな業務は、発電所に関する図画、取り扱い説明書、許認可関係の資料などの図書管理でした。発電所の図書館のような業務です。ライブラリの受付の女性にこういう資料を出してほしいとお願いすると、検索して出してくれるという、普通の図書館と同じシステムでした。発電所にはけっこうな量の図書があるのです。発電所の図面は改良工事が入ると変わります。変わったものをおおものと図面に反映しなければなりません。その改訂履歴をつけて、何年何月の第何回の定期検査で改良したと、図面をプロに書き換えてもらうとか、簡単なものは自分たちで行うとか、そういうことをやっていました。何かを新設したりすると、新設図面も入ってくるので、それをまたライブラリに登録・追加する作業もやっていました。こういう作業も関連子会社への委託でやっているのですが、図書が膨大なので、大変でした。~中略~ この赴任のときにあまりにも健康志向に走ったせいか、福島にいる最後の方で逆に体調を崩して、自律神経が少しおかしくなってしまいました。そういうなかでまた本店に戻りました。一九八九年のことでした。(註・つまり二度目の福島第一原発勤務は一年満たない期間であったようである。その理由として体調不良を挙げているが、本当の理由は別にあると睨んでいる)
本店では原子力計画課という、技術系の総括的な部署で仕事をしました。いわゆる技術系の筆頭課でした。
---------------------抜粋
ターンキー契約の件や運転延長の件は当事者としての重みがありなかなか興味深いのだが、ここでは蓮池透の東電での経歴を見てみたい。蓮池透は1977年に東電入社して福島第一原発保修課の計装グループに配属、原発のメンテナンスを主に担当していたようだ。そこから原子力開発研究所に出向し、高速増殖炉やプルサーマルの研究に携わることになり、本店復帰後は原子力計画課に配属されることになる。ここで蓮池透は安全審査における旧通産省(現経済産業省)のカウンターパートになる。安全審査とは原発を増設するための設置許可を得るための審査である。原発はECCSなどの重要安全設備は二台ないと機能は発揮できないのだが、蓮池透はコスト削減のために、ここに手をつけたと明言していることは注目に値する。穿った見方をすれば、原発事故を起こしやすくするために「壊れない」という理屈をつけて無駄という決めつけのもと、設計から排除していったのである。ここに福島第一原発事故との接点を見出すことかできる。原発プラントの設計にある安全設備の配管は「絶対に壊れない」から、二本あるうちの一本は無駄であるから設計から外すといった意思決定に蓮池透は関わっていたのである。
さて、前回、今回と、北朝鮮による日本人拉致問題で弟を拉致された蓮池透について取り上げた。北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故をむすぶ点と線の本題に入る前に外堀を埋めた格好だ。参考までに頭の片隅にいれておいて欲しい。続く。
Category:北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線
北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 3 オウム真理教は日本各地の原発に信者を200人以上、潜り込ませていた。
2012/11/10(Sat) 00:11
最近、オウム真理教と関係が深かったとされる石原都知事が2年半の任期を残して辞任した。衆院が解散していないのに、『次期衆院選に出馬するために』急遽都知事の職を辞するのだと説明するが、どうも合点がいかない。この不可解な辞め方については石原慎太郎が踏んだ虎の尾。 に書いた。ここにきて、アレフやひかりの輪が全国一斉で立ち入り調査が行われたと報じられている。
アレフ・ひかりの輪本部など一斉立ち入り検査 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121101-OYT1T00592.htm
公安調査庁は1日午前、団体規制法に基づき、オウム真理教主流派の「Aleph」(アレフ)の本部(埼玉県越谷市)や、教団から分派した「ひかりの輪」の本部(東京都世田谷区)など、15都道府県の計29施設を対象に立ち入り検査を始めた。
教団関連施設に対する全国一斉の立ち入り検査は、昨年8月以来。
(2012年11月1日11時49分 読売新聞)
--転載ここまで--
大阪のアレフ施設立ち入り 公安調査庁 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121011/crm12101112090013-n1.htm
2012.10.11 12:08
公安調査庁は11日、団体規制法に基づき、オウム真理教から改称した教団主流派「アレフ」の生野施設(大阪市生野区)を立ち入り検査し、使用状況などを確認した。
公安庁によると、施設はアレフの近畿地方の拠点。数人の出家信者が住み込みで修行し、在家信者を指導しているという。
--転載ここまで--
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20121101-OYT1T00592.htm
公安調査庁は1日午前、団体規制法に基づき、オウム真理教主流派の「Aleph」(アレフ)の本部(埼玉県越谷市)や、教団から分派した「ひかりの輪」の本部(東京都世田谷区)など、15都道府県の計29施設を対象に立ち入り検査を始めた。
教団関連施設に対する全国一斉の立ち入り検査は、昨年8月以来。
(2012年11月1日11時49分 読売新聞)
--転載ここまで--
大阪のアレフ施設立ち入り 公安調査庁 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/121011/crm12101112090013-n1.htm
2012.10.11 12:08
公安調査庁は11日、団体規制法に基づき、オウム真理教から改称した教団主流派「アレフ」の生野施設(大阪市生野区)を立ち入り検査し、使用状況などを確認した。
公安庁によると、施設はアレフの近畿地方の拠点。数人の出家信者が住み込みで修行し、在家信者を指導しているという。
--転載ここまで--
アレフが何かをしたわけではない。きけば団体規制法による立ち入り調査だという。容疑である団体規制法についてはウィキに無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律 - Wikipediaがある。公安調査官が立入検査することが認められている。いわば慣例行事だとも言えるのだが、特別指名手配犯の相次ぐ逮捕からオウムと関係が深い都知事の不可解な辞任からの一連の流れの中にアレフの立入検査をとらえると、脳裏をよぎるのは、未遂に終わったオウムの国家転覆計画である。オウム真理教が国家転覆した際に担ぎ上げようとしたのが石原慎太郎だと言われている。つまり、総理大臣になるために都知事を辞めたとも受け止められるのであるが、衆院解散が明確でない時期に、次期衆院選に出馬するために辞職するという不可解な説明までは説明することはできない。
極秘のUS-イスラエルによる核兵器移動が福島の爆発をひきおこした(島津論文)
島津論文では、オウム真理教は海外諜報機関のフロントだと説明されている。オウム真理教を宗教団体だと決めつけることがそもそも誤認であり、実体はどこぞやの国の諜報組織の工作機関である。もはや宗教ですらない。ただ、熱心に訓練する信者や、全財産をオウムに寄付し出家する信者は多数いた。メディアは諜報機関たるオウム真理教の姿は一向に映さず、辺鄙な修行に取り組む信者ばかりを映した。オウム真理教にかかわる一連の事件は全てオウム信者が引き起こしたとされているが、なぜ、熱心で真面目な信者が凶悪犯罪に手を染めることになったのかを説明する際に盛んに用いられたのが洗脳(マインドコントロール)であった。
ところで、麻原は、何を発見したのか。『ヨガと瞑想でオナニーする体験』である。昨今巷を賑わしている2012年終末説に関連してアセンションという言葉をよく見かけるが、アセンションという言葉を使い出したのはオウム真理教が最初である。最終解脱とは、アセンション(次元上昇)の疑似体験である。苫米地英夫に名指しで批判されている中沢新一が著した『虹の階梯』はチベット密教のニンマ派の教義を主題にしたものだが、ニンマ派が口頭伝承する秘儀の中身は瞑想でオナニーすることであった。
そもそもオウム真理教はヨガサークルであった。麻原は自身が発見したヨガと瞑想でオナニーする方法をヨガサークルで教えていた。コーチの立場であった。ただのヨガサークルがオウム神仙の会になりオウム真理教になった。いつの間にか麻原はグルと持ち上げられ絶対的な教祖に持ち上げられた。
教祖麻原の発見はそれほどに刺激的であった。苫米地英人に言わせれば、麻原の空中浮遊はクンダリニー・ヨーガと瞑想で肛門と睾丸の中間にあるチャクラをああやって刺激しているのだといい、結果、光が見えたり異常な体験をするのだという。オウム初期の頃からいた信者の中にも、少なからず光が見えたという証言もある。オウムの初期メンバーはみな光をみているらしい。ひかりの輪代表の上祐史浩は、『瞑想はオナニーより気持ちがいい』とコメントしている。
麻原がヨガと瞑想でオナニーする方法を発見できたのは、盲であったからだ。ただ、健常者には一筋縄ではいかなかった。麻原は、なんとか最終解脱までの道程を短縮簡略化できないか、と考えた。そこで持ちだしたのがランナーズ・ハイに通じる限界を維持し続ける精神であり、ひたすら水中で息を止めたり、わざと過酷な状況においたりと試行錯誤していた。メディアもこぞってその部分だけを取り上げた。
最終解脱へのプロセスを簡略短縮化する方法を模索する中に、脳に電磁波で刺激を与えればどうなるのかということで編み出されたのがヘッドギアである。真っ暗な独居房で永遠教祖のテーマを聴かせるなんて修行もあったが、それも人の精神に極限状態を味合わせるためである。すべてヨガと瞑想でオナニーする体験、最終解脱を短縮簡潔化するため試行錯誤した結果で生み出されたものだ。苫米地英人はオウム真理教が謀略機関ではないというスピンドクターである。
麻原はヨガサークルのコーチに過ぎなかったが、オウム真理教が生まれた頃からグル教祖に持ち上げられ、そして一気にはしごを外された。小菅拘置所の中で、今や廃人と化し、口も聞けず公判では糞尿を垂れ流しているという。オウム真理教は宗教ではない。あるとき他国の謀略組織に乗っ取られ、新興宗教の看板を掲げたのである。麻原は何も知らなかった可能性すらある。
オウム真理教と北朝鮮の関係はかねてから噂されているものであるし、教団がロシア製のヘリを購入し東京上空にサリンを撒こうとしていたことや、国家転覆を図ろうと武装していたことも分かっている。もはや宗教などではなく謀略、工作機関と考えたほうが妥当である。
さて、前置きが長くなったが、本題に移りたい。これまで蓮池透をメインに取り上げてきた。
北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 1 蓮池透が『北朝鮮にいる拉致被害者を力づくで奪還せよ』と主張し続けた意味。
北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線 2 蓮池透の東電での経歴。
はじめに高沢皓司氏という潜入ルポライターが書いた記事を紹介しておく。オウム真理教幹部村井秀夫刺殺を扱った記事なのであるが、1995年のオウム真理教事件当時、オウム真理教は各地の原発に作業員を潜り込ませていたことに触れている。その数200人以上だというから驚きだ。もしかしたら、今もどこかの原発でスリーパーとして勤めあげているかもしれない。スリーパーとは平時は定年まで勤めあげ、指示があればスイッチを捻る工作員である。有事だけ目覚める完璧に仕事をこなす。理想的なテロリストである。
「オウムと北朝鮮」の闇を解いた10
http://senmon.fateback.com/hantou/kitachousen/oumu_kita10.html
(週刊現代 1999年10月22日号)
サリン開発の責任者だった「化学技術省」刺殺事件の全真相 中編-村井秀夫が極秘指令「原発の機密をスパイせよ!」
高沢皓司(ノンフィクション作家)
村井刺殺犯の徐裕行が、高度に訓練されたテロリストであることは、先週号で指摘した。では、村井はなぜ口封じをされなければならなかったのか。その謎を解くカギとなる驚くべき事実があった。村井は信者たちに、日本各地の原発に労働者として潜り込み、スパイ活動を行うように指示していたのである。
村井が口をすべらせかけた秘密
あまりにも多くの謎に満ちた、オウム真理教「科学技術省」のトップ・村井秀夫刺殺事件。
実行犯・徐裕行は逮捕後の取り調べで、上祐(史浩)でも、青山(吉伸)でも誰でもよかった」と供述している。
しかし、当日の徐の行動を詳細にたどってみると、この供述には多くの矛盾点が浮かび上がる。やはりこの暗殺者は、ターゲットを明確に村井秀夫「科学技術省」長官に置いていた。
では、なぜ村井秀夫だったのか。.村井でなければならなかったのか?
刺殺事件の直前にテレビに出演した村井が、ふたつの重要な秘密について口をすべらせかけたことは前回の記事の中でも述べた。つまり1000億円という途方もない資金の所在についてと、地下鉄サリン事件で用いられた毒ガスは、じつはサリンではなかった、という驚くべき証言である。
教団武装化を推進しはじめたオウム真理教の資金源に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のからむ偽ドル疑惑があることはこれまでにも指摘してきたが、第二の「サリンが、ほかの毒ガスか」という疑問については、もう少しだけ言葉を足しておかねばならないだろう。
村井は、地下鉄の毒ガス事件で使われたガスの種類について、「サリンではなく別のガスだ。アメリカの研究所でもそのことを証明してくれるはずだ」と、確信をもって話している。この言葉が本当に意味していたのは、どのような内容だったのだろうか。
1994年6月27日、長野県松本市、午後10時45分、突然散布された毒ガスで住民はパニックに陥った。
蒸し暑い夜で、窓を開けたまま眠りに入ろうとしていた人も多い。この事件では窓が開けらかていたかどうかが、生死の分岐点になっている。マンションの窓を開けたまま眠りに入ろうとしていた住民は、そのために命を落と.したのである。この毒ガスは、空中を漂い、広がり、薄められてなお人の生命を奪った。その毒性が、きわめて強力だったことを、この「松本サリン事件」は教えている。
別の「製造元」のサリンか?
その事件発生の1時間半くらい前、事件の現場から250mくらい南西に位置する開智2丁目付近で、帰宅途中の会杜員は奇妙な光景を目撃した。「銀色の宇宙服のようなものを着ていました。夢を見ているようで、不思議な光景でした」
この銀色をした宇宙服のようなものが、毒ガスに対する防護服であったことは明らかだが、このことは毒ガス(サリン)散布の実行犯たちが、あらかじめ毒ガスの強力な毒性について、正確に認識していたことを示している。
純粋なサリンは常温では液体状だがきわめて揮発性が高く、ほぼ瞬時に拡散してしまう。その霧粒が呼吸器に入るとほぼ即死状態に近く、一粒の霧粒が肌に付着しただけでも、毛穴から体内に浸透し数十分以内に死亡する、とされている。
ところが、翌年3月20日に引き起こされた東京での「地下鉄サリン事件」では、複数の実行犯の誰もがこのような防護策を講じていない。さらに、散布方法についても傘の先で「サリン」を入れた袋を突き破るという杜撰な方法がとられている。 また地下鉄車内の床に濡れたような痕跡すら残している。地下鉄の車内およびプラットホームという閉鎖空間では、松本サリン事件の例からすると、さらに被害の規模は大きくなるはずだった。
ところが、数千人にのぼる被害者を出したとはいえ、地下鉄の事件では、その規模と程度には大きな隔たりがある。このことから分かることは、地下鉄事件で使用された毒ガスが、世間一般に伝えられているように「サリン」ではなく、まったく別種の毒ガスであった可能性が濃厚なのである。それがVXガスあるいはタブンなどの別種の毒ガスであったのかは、村井の口が封じられてしまった以上、オウム真理教側から証言をするものは誰もいない。
しかし、少なくとも事件の状況から見ただけでも、松本市で散布された「サリン」と、地下鉄事件で使用された「サリン」は、まったく別の製造元でつくられた、あるいは純度に大きな隔たりがあった、と考えられるのである。
刺殺される直前に、村井が語りはじめた、
「まったく別のガスだ」
という言葉は、そのことを指し示していた。
しかし、村井はそのことの詳細を語ることなく、一命を落とした。なぜなら、オウム真理教内で「サリン」製造責任者だった村井のその発言は、さまざまな不都合を関係各方面に呼び起こすことになるからだ。
製造元が違うということが明らかにされれば、その製造元がどこか、どこの国かが問題にされるだろう。これは、当の製造国だけにとどまらず、日本政府にとっても利害関係は奇妙に一致していた、と考えざるを得ないのである。
それが国内で製造されたものではない、とされれば、製造国、搬入ルート、入手ルート、さまざまな部分が一挙に複雑になり、国際謀略の壁にぶつかってしまうことは必至である。オウム真理教第7サティアンのサリン・プラント設備では、高純度のサリン製造が不可能とされつつも、この問題が曖昧な形で封印されているのは、どうやらそのあたりに原因がありそうである。村井の発言は、その封印されるべきストーリーを一挙に解きかねない危険性を持っていた。
専門家も「すごい資料だ」
しかし、村井が知っていた事実、語りすぎてしまうかもしれなかった事実はオウム真理教「科学技術省」トップという彼の立場を考えたときに、偽ドル、サリンだけにはとどまらず、さらに深い第三の秘密まで白日のもとにさらけ出す危険性を、じつははらんでいたのである。
ここに取材班が入手した、膨大な機密書類の束がある。
一枚一枚をめくっていくと、さまざまな図面、設計図、人員配置表、各種のメンテナンスのマニュアル、作業工程表などが混在しているのがわかる。表題の打たれていないものも多いが、いくつかの文書には次のような文字が見える。
「原子カプラント定検および増設・改良工事」
「原子カプラント主要工程表(社外秘)」
「5号機R/B地階サーベイ記録」
「原子炉PCV全体図」
「原子炉班体制業務分担表2号機」
「標準部品表示基準」
実はこの書類は、現在稼働中の日本の原発についての、膨大な機密書類の束なのである。われわれが入手したのは、東京電カ福島第一原発、同第二原発と、中部電力浜岡原発(静岡県)、さらには、石川島播磨重工業原子力事業部などの研究施設のものだ。いずれも公開されているものではない。書類は、原子炉のボルトの位置、管の口径、内寸、メ一ターの位置、全体図におよぶ。
民間の原発監視機関でもある原子力資料情報室(東京)の上澤千尋氏に、いくつかの資料を見てもらい、コメントを寄せてもらった。
「これはすごいですね。一般公開されているものでは、ここまで詳しく書かれているものはありません。しかし、これには部品の材料配分、どういうステンレスを使っているかが明記されています。私もはじめて見ました。また、ここに含まれている詳細な検査記録のようなものは、情報公開の対象にもなりません。なぜなら、検査をして問題がなければ、問題がなかったという事実だけが重要であって、作業工程や数字を公開するのは意味がないという孝え方からです。もちろん、それは原発側、企業側の言い分なんですがね」
一般の目にふれる原発関係の資料は、重要な部分はすべて真っ白なのだという。原子力資料情報室の所有する資料でも、枠取りだけが印刷されて、各原子力発電所の次のような文面の判が押されているものが多い。『この資料はメーカーの未出版特許情報、ノウハウ等の機密情報を含んでおりますので、該当部分については非公開とさせて頂きます』と。
「要は、企業秘密なんですよ。寸法、計算プログラム、設計図面、材料の分量などは、すべて“白ヌキ”の対象になるんです」
さらに目を通してもらう。
「これはBWR型。(東芝・日立・石川島播磨の3社産業グループのつくる沸騰水型原発)のものですね。作業過程のチェック・シートとか運転記録などは、運転技術レベルの低い国にとっては非常に参考になるでしょう。この資料を見ただけで、いつ、どこで、どの原発がどのような処理を施されたかがわかります。その上、配管とバルブの位置もわかります。どのバルブがどれだけ腐食していたのかが、記録に残っています」
どうやら、かなりの機密資料であることだけは間違いがなさそうである。
出所を明らかにしてしまえば、これらの機密書類は、オウム真理教の中から出てきたのである。
オウム真理教「科学技術省」では、組織的に原発の機密資料を入手しようとしていた。'90年代のはじめ頃から、常時、各地の原発に下請け要員などの資格で作業員を潜入させていた。オウムの信者たちは、下請け作業員として各地の原発をまわり、あるいは研究員を教団に勧誘することを行っていた。そして、これらの原発、原子炉についての機密データの収集を命じたのは、他ならぬ「科学技術省」長官の立場にいる村井秀夫だった。
「カルマが落ちる」と言われ
当時、その村井の指示のもとに、原発作業員として各地の原発に潜入していた元オウム信者の、次のような証言がある。
「ある時、村井さんとの雑談のなかで原発の話が出ました。私が原発で仕事をしたことがあると言うと、『今度、行くときにはどんな資料でもいいから持ってこい写真もとってこい、これはいいデータとして使える。持ってくれば、カルマが落ちるぞ。救済につながるから、頑張れ。行くときが決まったら直接、私に連絡しろ。具体的な原発の名前と仕事の内容も知りたい』と言われました。
原発は意外と管理が甘くて、資料などを外部に持ち出すことや出入りも簡単でした。
私は結局、次に行く機会がなくて駄目でしたけど、村井さんはほかの信者にも、『原発に働きに行く人間はいないか』と聞いたりしていました。
原発で働くと給料がいいものですから、それだけ教団に多くのお布施もできるのです。
私には原発のなにが役に立つのか、参考になるのか、まったくわかりませんでしたが、村井さんは、『オレは専門だから、たいていのことは見ればわかる』と話していました。
これは、別の信者の話ですが、ある信者が。『科学技術省』のスタッフに原発から持ってきた数枚の資料を渡したときに、『よくやったぞ。功績があれば、ステージもあがるぞ』と村井さんに言われたそうです。
村井さんは亡くなる3~4ヵ月前にも、『原発にはもっと人を送ってもいいな』と言っていました」
原発で働いていたもうひとりのオウム信者の証言は、さらに衝撃的である。
「オウムから原発に働きに行っていたのは、200人はくだらないですね。きっかけは山口県の信者でUさんという人が、人材派遣業をやっており、その会社が原発からの仕事を受けていたからです。当時、信者の間では、お布施がたっぷりできる仕事がある、と噂になっていました。それが原発でした。近所の安いアパートとか下宿に泊まり込みで、仕事をします。一度行くと、3~4ヵ月働きました。給料は月に40万~50万円くらいになりましたね。Uさんは全国各地の原発に多くの人間を送り込んでいました。原発は、意外なことに管理がいい加減で、資料のコピーもとり放題でしたし、施設内の出入りも自由。原発の中心部のプールも、写真撮影できると思ったほどでした。また、その気になれば爆弾を仕掛けるくらいのことはいくらでもできました。金属探知機はあるにはあるのですが、プラスチック爆弾なら問題はないですし、そんなことをしなくても、金属探知機を通るときには、荷物は探知機の横からいくらでも手渡しできましたから。私は上く配管検査をやらされましたが、最初に赤い液体を塗ってから、次に白い液体を塗って配管の不備を調べます。ほんとうは資材とかが必要な部分もあるのでしょうが、まったく要求されたことはありません。もし、麻原がそのことを知り、目をつけていれば、大変なことになったのではないでしょうか」
資料が北朝鮮に流れた可能性
取材班は、この証言のなかにでてきたUという人材派遣会社および科学機器検査会社の社長であり、もとオウム信者とされている人物に何度か連絡をとろうとしたが、現在までのところ行方が不明である。しかし、ここに紹介した元オウム信考の証言と手もとの機密書類の束だけでも、オウム真理教が各地の原発の機密資料収集に手を染めていた事実は疑いえないだろう。
9月末に茨城県東海村で起こった核燃料の臨界事故、その数日後にとなりの韓国・慶尚北道で起こった月城原子力発電所3号機の事故と同じような事件が、オウムの言う「ハルマゲドン」として実際に引き起こされたとしても不思議ではなかったことを、この事実は教えている。
しかし、オウムはそのことを実行に移さなかった。このことはすべての資料と情報が村井「科学技術省」長官のもとに、留め置かれたことを示している。
なぜか?
村井は、これらの資料を大量に収集し、どのように使おうとしていたのだろうか。ここで、思い出さねばならないのは、村井が早川紀代秀「建設省」長官とともに、たびたびロシアに出国していたという事実である。
さらに早川はロシアを経由して、たびたび北朝鮮に渡り、その北朝鮮側の窓口が朝鮮労働党の「第二経済委員会」であったであろうことも指摘した。
オウム真理教の総勢200人にのぼる信者によって収集された日本の原発の機密資料が、じつは、この早川ルートによって北朝鮮に流出していた可能性が、ここに浮かび上がってきたのである。
さらに、このルートを通じて流出した機密資料は、じつは原発の資料だけにとどまらず、さまざまなハイテク技術、最先端科学技術の膨大なデータであった可能性が、闇のなかから浮かび上がってきたのである。
オウム真理教「科学技術省」長官・村井秀夫刺殺事件の背景には巨大な国際謀略が渦を巻いていた。
(文中敬称略、以下次号)
■取材協力 時任兼作、今若孝夫、加藤康夫(ジャーナリスト)
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http://senmon.fateback.com/hantou/kitachousen/oumu_kita10.html
(週刊現代 1999年10月22日号)
サリン開発の責任者だった「化学技術省」刺殺事件の全真相 中編-村井秀夫が極秘指令「原発の機密をスパイせよ!」
高沢皓司(ノンフィクション作家)
村井刺殺犯の徐裕行が、高度に訓練されたテロリストであることは、先週号で指摘した。では、村井はなぜ口封じをされなければならなかったのか。その謎を解くカギとなる驚くべき事実があった。村井は信者たちに、日本各地の原発に労働者として潜り込み、スパイ活動を行うように指示していたのである。
村井が口をすべらせかけた秘密
あまりにも多くの謎に満ちた、オウム真理教「科学技術省」のトップ・村井秀夫刺殺事件。
実行犯・徐裕行は逮捕後の取り調べで、上祐(史浩)でも、青山(吉伸)でも誰でもよかった」と供述している。
しかし、当日の徐の行動を詳細にたどってみると、この供述には多くの矛盾点が浮かび上がる。やはりこの暗殺者は、ターゲットを明確に村井秀夫「科学技術省」長官に置いていた。
では、なぜ村井秀夫だったのか。.村井でなければならなかったのか?
刺殺事件の直前にテレビに出演した村井が、ふたつの重要な秘密について口をすべらせかけたことは前回の記事の中でも述べた。つまり1000億円という途方もない資金の所在についてと、地下鉄サリン事件で用いられた毒ガスは、じつはサリンではなかった、という驚くべき証言である。
教団武装化を推進しはじめたオウム真理教の資金源に、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)のからむ偽ドル疑惑があることはこれまでにも指摘してきたが、第二の「サリンが、ほかの毒ガスか」という疑問については、もう少しだけ言葉を足しておかねばならないだろう。
村井は、地下鉄の毒ガス事件で使われたガスの種類について、「サリンではなく別のガスだ。アメリカの研究所でもそのことを証明してくれるはずだ」と、確信をもって話している。この言葉が本当に意味していたのは、どのような内容だったのだろうか。
1994年6月27日、長野県松本市、午後10時45分、突然散布された毒ガスで住民はパニックに陥った。
蒸し暑い夜で、窓を開けたまま眠りに入ろうとしていた人も多い。この事件では窓が開けらかていたかどうかが、生死の分岐点になっている。マンションの窓を開けたまま眠りに入ろうとしていた住民は、そのために命を落と.したのである。この毒ガスは、空中を漂い、広がり、薄められてなお人の生命を奪った。その毒性が、きわめて強力だったことを、この「松本サリン事件」は教えている。
別の「製造元」のサリンか?
その事件発生の1時間半くらい前、事件の現場から250mくらい南西に位置する開智2丁目付近で、帰宅途中の会杜員は奇妙な光景を目撃した。「銀色の宇宙服のようなものを着ていました。夢を見ているようで、不思議な光景でした」
この銀色をした宇宙服のようなものが、毒ガスに対する防護服であったことは明らかだが、このことは毒ガス(サリン)散布の実行犯たちが、あらかじめ毒ガスの強力な毒性について、正確に認識していたことを示している。
純粋なサリンは常温では液体状だがきわめて揮発性が高く、ほぼ瞬時に拡散してしまう。その霧粒が呼吸器に入るとほぼ即死状態に近く、一粒の霧粒が肌に付着しただけでも、毛穴から体内に浸透し数十分以内に死亡する、とされている。
ところが、翌年3月20日に引き起こされた東京での「地下鉄サリン事件」では、複数の実行犯の誰もがこのような防護策を講じていない。さらに、散布方法についても傘の先で「サリン」を入れた袋を突き破るという杜撰な方法がとられている。 また地下鉄車内の床に濡れたような痕跡すら残している。地下鉄の車内およびプラットホームという閉鎖空間では、松本サリン事件の例からすると、さらに被害の規模は大きくなるはずだった。
ところが、数千人にのぼる被害者を出したとはいえ、地下鉄の事件では、その規模と程度には大きな隔たりがある。このことから分かることは、地下鉄事件で使用された毒ガスが、世間一般に伝えられているように「サリン」ではなく、まったく別種の毒ガスであった可能性が濃厚なのである。それがVXガスあるいはタブンなどの別種の毒ガスであったのかは、村井の口が封じられてしまった以上、オウム真理教側から証言をするものは誰もいない。
しかし、少なくとも事件の状況から見ただけでも、松本市で散布された「サリン」と、地下鉄事件で使用された「サリン」は、まったく別の製造元でつくられた、あるいは純度に大きな隔たりがあった、と考えられるのである。
刺殺される直前に、村井が語りはじめた、
「まったく別のガスだ」
という言葉は、そのことを指し示していた。
しかし、村井はそのことの詳細を語ることなく、一命を落とした。なぜなら、オウム真理教内で「サリン」製造責任者だった村井のその発言は、さまざまな不都合を関係各方面に呼び起こすことになるからだ。
製造元が違うということが明らかにされれば、その製造元がどこか、どこの国かが問題にされるだろう。これは、当の製造国だけにとどまらず、日本政府にとっても利害関係は奇妙に一致していた、と考えざるを得ないのである。
それが国内で製造されたものではない、とされれば、製造国、搬入ルート、入手ルート、さまざまな部分が一挙に複雑になり、国際謀略の壁にぶつかってしまうことは必至である。オウム真理教第7サティアンのサリン・プラント設備では、高純度のサリン製造が不可能とされつつも、この問題が曖昧な形で封印されているのは、どうやらそのあたりに原因がありそうである。村井の発言は、その封印されるべきストーリーを一挙に解きかねない危険性を持っていた。
専門家も「すごい資料だ」
しかし、村井が知っていた事実、語りすぎてしまうかもしれなかった事実はオウム真理教「科学技術省」トップという彼の立場を考えたときに、偽ドル、サリンだけにはとどまらず、さらに深い第三の秘密まで白日のもとにさらけ出す危険性を、じつははらんでいたのである。
ここに取材班が入手した、膨大な機密書類の束がある。
一枚一枚をめくっていくと、さまざまな図面、設計図、人員配置表、各種のメンテナンスのマニュアル、作業工程表などが混在しているのがわかる。表題の打たれていないものも多いが、いくつかの文書には次のような文字が見える。
「原子カプラント定検および増設・改良工事」
「原子カプラント主要工程表(社外秘)」
「5号機R/B地階サーベイ記録」
「原子炉PCV全体図」
「原子炉班体制業務分担表2号機」
「標準部品表示基準」
実はこの書類は、現在稼働中の日本の原発についての、膨大な機密書類の束なのである。われわれが入手したのは、東京電カ福島第一原発、同第二原発と、中部電力浜岡原発(静岡県)、さらには、石川島播磨重工業原子力事業部などの研究施設のものだ。いずれも公開されているものではない。書類は、原子炉のボルトの位置、管の口径、内寸、メ一ターの位置、全体図におよぶ。
民間の原発監視機関でもある原子力資料情報室(東京)の上澤千尋氏に、いくつかの資料を見てもらい、コメントを寄せてもらった。
「これはすごいですね。一般公開されているものでは、ここまで詳しく書かれているものはありません。しかし、これには部品の材料配分、どういうステンレスを使っているかが明記されています。私もはじめて見ました。また、ここに含まれている詳細な検査記録のようなものは、情報公開の対象にもなりません。なぜなら、検査をして問題がなければ、問題がなかったという事実だけが重要であって、作業工程や数字を公開するのは意味がないという孝え方からです。もちろん、それは原発側、企業側の言い分なんですがね」
一般の目にふれる原発関係の資料は、重要な部分はすべて真っ白なのだという。原子力資料情報室の所有する資料でも、枠取りだけが印刷されて、各原子力発電所の次のような文面の判が押されているものが多い。『この資料はメーカーの未出版特許情報、ノウハウ等の機密情報を含んでおりますので、該当部分については非公開とさせて頂きます』と。
「要は、企業秘密なんですよ。寸法、計算プログラム、設計図面、材料の分量などは、すべて“白ヌキ”の対象になるんです」
さらに目を通してもらう。
「これはBWR型。(東芝・日立・石川島播磨の3社産業グループのつくる沸騰水型原発)のものですね。作業過程のチェック・シートとか運転記録などは、運転技術レベルの低い国にとっては非常に参考になるでしょう。この資料を見ただけで、いつ、どこで、どの原発がどのような処理を施されたかがわかります。その上、配管とバルブの位置もわかります。どのバルブがどれだけ腐食していたのかが、記録に残っています」
どうやら、かなりの機密資料であることだけは間違いがなさそうである。
出所を明らかにしてしまえば、これらの機密書類は、オウム真理教の中から出てきたのである。
オウム真理教「科学技術省」では、組織的に原発の機密資料を入手しようとしていた。'90年代のはじめ頃から、常時、各地の原発に下請け要員などの資格で作業員を潜入させていた。オウムの信者たちは、下請け作業員として各地の原発をまわり、あるいは研究員を教団に勧誘することを行っていた。そして、これらの原発、原子炉についての機密データの収集を命じたのは、他ならぬ「科学技術省」長官の立場にいる村井秀夫だった。
「カルマが落ちる」と言われ
当時、その村井の指示のもとに、原発作業員として各地の原発に潜入していた元オウム信者の、次のような証言がある。
「ある時、村井さんとの雑談のなかで原発の話が出ました。私が原発で仕事をしたことがあると言うと、『今度、行くときにはどんな資料でもいいから持ってこい写真もとってこい、これはいいデータとして使える。持ってくれば、カルマが落ちるぞ。救済につながるから、頑張れ。行くときが決まったら直接、私に連絡しろ。具体的な原発の名前と仕事の内容も知りたい』と言われました。
原発は意外と管理が甘くて、資料などを外部に持ち出すことや出入りも簡単でした。
私は結局、次に行く機会がなくて駄目でしたけど、村井さんはほかの信者にも、『原発に働きに行く人間はいないか』と聞いたりしていました。
原発で働くと給料がいいものですから、それだけ教団に多くのお布施もできるのです。
私には原発のなにが役に立つのか、参考になるのか、まったくわかりませんでしたが、村井さんは、『オレは専門だから、たいていのことは見ればわかる』と話していました。
これは、別の信者の話ですが、ある信者が。『科学技術省』のスタッフに原発から持ってきた数枚の資料を渡したときに、『よくやったぞ。功績があれば、ステージもあがるぞ』と村井さんに言われたそうです。
村井さんは亡くなる3~4ヵ月前にも、『原発にはもっと人を送ってもいいな』と言っていました」
原発で働いていたもうひとりのオウム信者の証言は、さらに衝撃的である。
「オウムから原発に働きに行っていたのは、200人はくだらないですね。きっかけは山口県の信者でUさんという人が、人材派遣業をやっており、その会社が原発からの仕事を受けていたからです。当時、信者の間では、お布施がたっぷりできる仕事がある、と噂になっていました。それが原発でした。近所の安いアパートとか下宿に泊まり込みで、仕事をします。一度行くと、3~4ヵ月働きました。給料は月に40万~50万円くらいになりましたね。Uさんは全国各地の原発に多くの人間を送り込んでいました。原発は、意外なことに管理がいい加減で、資料のコピーもとり放題でしたし、施設内の出入りも自由。原発の中心部のプールも、写真撮影できると思ったほどでした。また、その気になれば爆弾を仕掛けるくらいのことはいくらでもできました。金属探知機はあるにはあるのですが、プラスチック爆弾なら問題はないですし、そんなことをしなくても、金属探知機を通るときには、荷物は探知機の横からいくらでも手渡しできましたから。私は上く配管検査をやらされましたが、最初に赤い液体を塗ってから、次に白い液体を塗って配管の不備を調べます。ほんとうは資材とかが必要な部分もあるのでしょうが、まったく要求されたことはありません。もし、麻原がそのことを知り、目をつけていれば、大変なことになったのではないでしょうか」
資料が北朝鮮に流れた可能性
取材班は、この証言のなかにでてきたUという人材派遣会社および科学機器検査会社の社長であり、もとオウム信者とされている人物に何度か連絡をとろうとしたが、現在までのところ行方が不明である。しかし、ここに紹介した元オウム信考の証言と手もとの機密書類の束だけでも、オウム真理教が各地の原発の機密資料収集に手を染めていた事実は疑いえないだろう。
9月末に茨城県東海村で起こった核燃料の臨界事故、その数日後にとなりの韓国・慶尚北道で起こった月城原子力発電所3号機の事故と同じような事件が、オウムの言う「ハルマゲドン」として実際に引き起こされたとしても不思議ではなかったことを、この事実は教えている。
しかし、オウムはそのことを実行に移さなかった。このことはすべての資料と情報が村井「科学技術省」長官のもとに、留め置かれたことを示している。
なぜか?
村井は、これらの資料を大量に収集し、どのように使おうとしていたのだろうか。ここで、思い出さねばならないのは、村井が早川紀代秀「建設省」長官とともに、たびたびロシアに出国していたという事実である。
さらに早川はロシアを経由して、たびたび北朝鮮に渡り、その北朝鮮側の窓口が朝鮮労働党の「第二経済委員会」であったであろうことも指摘した。
オウム真理教の総勢200人にのぼる信者によって収集された日本の原発の機密資料が、じつは、この早川ルートによって北朝鮮に流出していた可能性が、ここに浮かび上がってきたのである。
さらに、このルートを通じて流出した機密資料は、じつは原発の資料だけにとどまらず、さまざまなハイテク技術、最先端科学技術の膨大なデータであった可能性が、闇のなかから浮かび上がってきたのである。
オウム真理教「科学技術省」長官・村井秀夫刺殺事件の背景には巨大な国際謀略が渦を巻いていた。
(文中敬称略、以下次号)
■取材協力 時任兼作、今若孝夫、加藤康夫(ジャーナリスト)
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オウム真理教が所有していた機密書類は白抜きがされていない未修正の書類である。原子力資料情報室の人も『初めて見ました』と驚いているように、原発プラント関係の機密書類は一般公開される時、数値や固有名称は白抜きされる。真っ黒に塗りつぶされた事故時操作手順書が良い例である。白抜きされていない機密書類は、無論、関係者以外は入手不可能である。

ひとまず、高沢皓司氏の記事の中段にはこんなことが書かれている。『ここに取材班が入手した、膨大な機密書類の束がある。一枚一枚をめくっていくと、さまざまな図面、設計図、人員配置表、各種のメンテナンスのマニュアル、作業工程表などが混在しているのがわかる。』
他方で、蓮池透は東電で何をやっていたのか。福島第一原発で配属された計装グループで、英語のメンテナンスマニュアルを定検用に翻訳したり、副長として図面や資料、マニュアルなどの図書管理を業務の一つとして携わっていたのである。
そういうものをメインテナンスするのですが、校正だけでなく、修理したり交換したりします。(註・修理するときにはさまざまな図面が必要になる)
引き渡しのときに運転マニュアルやメインテナンス・マニュアルを置いて行くのですが、全部英語でした。定期検査をやるにしても、まず手順書や要領書がない。そういうものを作る必要がありました。GE社の説明書を翻訳して日本の試験手順書にするのです。私もけっこうつくりました。
(1989年福島第一原発に異動になって担当した)もう一つの大きな業務は、発電所に関する図画、取り扱い説明書、許認可関係の資料などの図書管理でした。~中略~ 何かを新設したりすると、新設図面も入ってくるので、それをまたライブラリに登録・追加する作業もやっていました。
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引き渡しのときに運転マニュアルやメインテナンス・マニュアルを置いて行くのですが、全部英語でした。定期検査をやるにしても、まず手順書や要領書がない。そういうものを作る必要がありました。GE社の説明書を翻訳して日本の試験手順書にするのです。私もけっこうつくりました。
(1989年福島第一原発に異動になって担当した)もう一つの大きな業務は、発電所に関する図画、取り扱い説明書、許認可関係の資料などの図書管理でした。~中略~ 何かを新設したりすると、新設図面も入ってくるので、それをまたライブラリに登録・追加する作業もやっていました。
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蓮池透が福島第一原発に再び異動になり、原発関係の図画や書類、資料などの図書管理に携わることになった。1989年である。二度目のフクイチ勤務の時、肩書きは副長であった。東電の副長は係長以上管理職未満だということだが、蓮池透当時34歳である。随分と若い印象を受けた。オウム真理教は1987年に新興宗教の看板を掲げ、オウム真理教の一連の事件は1995年のことである。蓮池透は自律神経失調症で体調を崩し一年経たずに東京本社に呼び戻されることになる。福島第一原発で保修課に配属され計装グループに属していた蓮池透の主な仕事はメンテナンスであったわけだし、英語が堪能であったこともありGE社のメンテナンスマニュアルの翻訳にも携わっていたわけだから、機密書類が流出したら真っ先に疑われる立場である。無論、オウムに渡った原発の機密書類を流出させたのは蓮池透であるという風に断定することはできないが、時期的にはありえない話ではない。
日本赤軍の妻たちを追いかけ北朝鮮に潜入ルポしたこともある高沢皓司氏に『高度に訓練されたテロリスト』だと言わしめた村井秀夫刺殺犯、徐であるが、2007年出所、311クライシス直後にはボランティアとして被災地入りしていた。鈴木邦男などが明らかにしているが、徐は、村井刺殺を誰に頼まれたかについては、未だに口を開かないという。複数台のテレビカメラが待ち構え、多数のやじうまが押しかけるという公衆の面前で、包丁一本で村井秀夫の急所を貫き暗殺するというミッションをクリアし、依頼者については一切口を閉ざし、満期出所。徐が訓練された完璧な工作員であることは疑いようがない事実である。
そんな彼はブログで何を発信しているのか。北朝鮮の拉致問題である。なぜ村井刺殺犯が北朝鮮拉致問題の解決に向けて署名を集めているのか。北朝鮮による拉致問題がもはや虚構なのではないかと思えてならない。本当に拉致されたのは金正日が認めた横田めぐみさんだけなのではないか。
徐裕行のブログ
http://ameblo.jp/jo-hiroyuki/
2005年小泉訪朝時に帰国した蓮池薫については、こんな話がある。信ぴょう性はともかくとして、一つの情報としては非常に興味深い内容である。
蓮池薫氏に拉致されそうになった人の証言 kerogaso
http://www.asyura2.com/0610/asia6/msg/539.html
http://blog.goo.ne.jp/sekiseima/e/e66b9f6c2bbf87a8c467b6c69bdbcb95
正直に言います
今さら隠していても仕方がありませんので、私が知っていることをすべて言います。
私(横井邦彦)は1986年に日本で蓮池薫氏に会っています。
正確には、拉致されそうになったという方が正しい言い方だと思います。
拉致被害者が日本で拉致未遂事件を起こしていたなどという話は、にわかに信じがたいからこれまで黙っていたのです。
テレビで蓮池薫氏が飛行機のタラップから降りてくるのを見たときには、「あのヤローだ」ということはすぐに分かりましたが、この時期は私とマルクス主義同志会の関係が極端に悪くなっており、最終的に私がマルクス主義同志会から追い出され、赤星マルクス研究会をつくり、ホームページを立ち上げるという私の人生の大きな転回点だったので、私自身が拉致問題どころではなかったということも大きな理由の一つです。
それに、赤星マルクス研究会を立ち上げてすぐに、「実は私は」などと名乗り出ることは、私自身の売名行為のようで気に入らなかったし、あの頃はまだ蓮池薫氏の家族が北朝鮮に残っており、彼に「お前、あの時のヤツだろう」などというのも酷だと思ったので黙っていました。
しかし、今の私は失うものは何もないです。だから正直に言います。
私は、1986年当時愛知県の小学校の教師でした。私の勤務していた小学校は愛知県西春日井郡西春町にある鴨田小学校という学校でした。
3月の下旬のことでしたが、その時私は視聴覚担当をしていたので、鴨田小学校の体育館で、卒業式の練習を終えて、一人で会場の放送用具の整理をしていました。蓮池薫氏はそこへやってきました。
そこで30分ぐらい彼と話をしました。彼の話は彼が拉致被害者であるということと、いろいろな理由で北朝鮮につれてこられたり、自分の意志で北朝鮮に来たりした日本人は100人以上いるということ、自分はそういう人たちの“面倒を見る立場”に置かれているということ、北朝鮮の赤軍派で内部闘争があり、北朝鮮当局が田宮を指導部からはずしたがっているということ、北朝鮮に来れば田宮の代わりに私を指導部に入れたいということ、私を北朝鮮に連れて行くために、“潜水艦ではない船”で秘密裏に日本にやってきた等々でした。
もちろん私ははっきりと蓮池薫氏の申し出を断りました。日本の革命運動を北朝鮮でやるということの意味がまったく分からない、日本の革命運動は日本でしかできないのではないかということと、私と北朝鮮政府の見解は大きく異なっており、私は北朝鮮を社会主義国家だと思ったことはないというのが断った主な理由でした。
そうしたら蓮池薫氏は、ここまで秘密を漏らしたらこのまま返すことはできない、力ずくでも北朝鮮に連れて行く、というとんでもないことをいいだしたのです。
しかし、残念なことに蓮池薫氏はそれを実行することはできませんでした。
私は蓮池薫氏に彼が私を拉致することができない理由をはっきりと説明しました。
いうまでもないことですが、私は3月いっぱいで小学校を退職し、社労党(社会主義労働者党)から参議院愛知地方区に立候補することが正式に決まっており、それはもう記者会見を開いてマスコミにも伝えていたからです。
国政選挙の立候補予定者が突如としていなくなることの意味を考えなくてはならない、これは普通の人がいなくなるのとはまったく意味が違うのだと、しかも私は労働者階級の利益を守るために立候補するといっているのだから、私を拉致することは朝鮮労働党が日本の労働者階級にケンカを売るのと同じだと、朝鮮労働党が日本の労働者階級の敵となってなお生存を続けることは絶対的に不可能であるというようなことを言った記憶があります。
私と蓮池薫氏が話をしている間に、夕方だったのではっきりとは見えませんでしたが、私たちのまわりには数名(二、三人)の不審な人物がいました。蓮池薫氏は私の話を聞いて、その中の指揮者とおぼしき人物のところに相談に行って、数分の間、話をした後で私のところへ戻ってきて、今回はあきらめるといって去っていきました。
(なお、「指揮官とおぼしき人物」は横田めぐみさんのダンナ称する人物とよく似ていたような気がしますが、蓮池薫氏のように数十㎝の至近距離で直接言葉をやりとりしたわけではないのではっきりと断言できません。)
この時、蓮池薫氏は私にくだらない脅し文句をいくつか言ったような気がしますが、それはすべて忘れてしまいました。
以上が私が知りえた出来事のすべてです。
それで拉致被害者が全部は死んではいないという根拠ですが、一つは、蓮池薫氏は拉致被害者の中でも多くのことを知りうる立場にあり、彼が私に言ったことの多くはそれなりに当たっていたということ。
二つ目は、蓮池薫氏のように北朝鮮で特別の任務を与えられて生きていた拉致被害者は彼だけではなく、その他にもいるのではないかということ。そして、そういう人々は殺されたり強制収容所に送られる理由はないので、彼らがいまだに生きている確率は高いということです。
なお、こういうことは被害者である私が語るよりも、加害者である蓮池薫氏が語るべきことがらなのではないですか。何しろ彼は当事者であり、すべてを語ると言っているのだから、私の拉致未遂事件を含めて、すべてを語る責務は私にではなく、彼の方にあると思います。
なお、蓮池薫氏が私のところに来た理由は、彼が私を赤軍関係者と誤解したためです。
この誤解についてですが、実は、浅間山荘事件で逮捕された連合赤軍のK氏はどういうわけか、浅間山荘で逮捕されたとき、私の名前と住所と電話番号を書いたメモを持っており、そのことで私の実家にはパトカーが2台も来た。
そこで私が不思議に思うのは、田宮たちが北朝鮮に渡ったのは1969年で、連合赤軍事件が起こったのは1972年であり、この事件の関係者たちはすべて長期投獄されている。
したがって、蓮池薫氏が私を赤軍関係者と誤解するというのは、理解しがたいものである。日本国内の赤軍関係者ならば、私と彼らがまったく異なる政治的な立場に立っていることぐらい私が説明しなくても彼ら自身が一番よく知っている事がらであるし、北朝鮮の赤軍派ならば私の存在自体を知らないはずである。
むしろこういう誤解は、私の実家に来たバカなパトカーの関係者のものであったろうし、私に対する拉致計画そのものが、客観的に見れば、社労党(社会主義労働者党)の選挙運動に対する悪質な選挙妨害以外の何ものでもなかったのだから、この計画の主たる発案者は、むしろ北朝鮮政府ではなく、日本国内にいるわれわれ社労党(社会主義労働者党)の参議院選挙への参加をこころよく思っていない勢力なのではないかと考えるのが妥当であろう。
そういう点ではこれは語られなければならない、闇に葬ってはならない政治的な事件だったと思います。
北朝鮮政府(金正日政権)が、日本の反動勢力とつるんで、日本の労働者階級の選挙闘争を圧殺しようとしたという事実は歴史の中にどうしても書き残さなければならない重大な出来事であると私は思うからあえて真実を語るのです。
--転載ここまで--
にわかには信じがたい話ではあるが、実際に週刊現代に取り上げられ記事になった。もし、この話が事実であれば、蓮池透はなぜ北朝鮮に武力での解決を主張していたのかという部分について簡潔に答えを導き出せる。核アレルギーが著しい日本国民に核武装への議論を喚起させるためである。MOX燃料の旗振り役で核燃サイクルやプルサーマル計画という今世紀最大の嘘を推進し続けてきた原子力ムラの役者が核武装しろとアジテートする意味をちゃんと考えなければいけない。当時、原子力業界は斜陽であった。使用済み核燃料問題、しいては高エネルギー放射性廃棄物の最終処分問題を棚上げにし、原発で核燃料を燃やし続けていた。いずれ解決策が発明される。核燃サイクルの関係者は信じて疑わなかったが、何ひとつも解決には至らず、311クライシスが引き金となり、福島第一原発事故が起こった。日本が大量に保持しているプルトニウムを抑止力としてアピールするために、北朝鮮による拉致問題がでっち上げられたとは考えられないか。
311前はNHKすら核武装に対する議論を番組で取り上げていた。そもそも非核三原則がある日本で、なぜ、核武装が議論されるのか。蓮池透を含めた拉致家族会、救う会が声高に強硬路線を叫ぶことにより、北朝鮮による日本人拉致はいつの間にか軍事問題にすり替えられていた。自国民が拉致され悲惨な目にあっているのに、日本政府はなぜ救出に乗り出さないのか。北朝鮮の拉致は安全保障の脅威だ戦争だ、いざとなればアメリカが守ってくれるし、日本も核武装を検討するべきだ。拉致問題のスピーカーたちは過激に主張した。今一度、何が真実なのかを疑ってみるべきだ。そもそも、日本には非核三原則があり、核武装が実現化されるわけがない。
オウム真理教という新興宗教を語った他国の諜報組織に乗っ取られた工作機関は、日本各地の原発に200人以上の作業員を潜り込ませていたという。オウム真理教にかかわる一連の事件から16年が経ち、福島第一原発事故が起きた。それまでの間、オウム真理教が原発に潜り込ませた工作員は息を潜めてただひたすらに指令がくるのを待っていたのではないか。
福島第一原発では311クライシスをきっかけに原発事故に発展する仕掛けが施されていた。本震から津波襲来までの間に所内側遮断機の不具合により外部電源が喪失されていたこと。本震当日の夜中までの一切のデータが残っていないこと。外部電源の一つである夜の森線の鉄塔が倒壊したこと等等、福島第一原発事故は未だ全容解明に至っていない部分が多くある。オウム真理教が原発に潜り込ませたスリーパーが原発事故を起こすために粛々と準備を進めていた可能性は否定出来ないのである。
北朝鮮による日本人拉致事件、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線。最後に一つ、どうしても無視できなかった蓮池透の一言を紹介する。『私が愛した東京電力』で収録されている、紛争問題解決のスペシャリスト伊勢崎先生との対談の中で発した一言である。
テロと原子力 〈P156〉
伊勢崎 テロリストが自動車に爆弾を積んで突っ込んできて爆破されると困るわけでしょう。
蓮池 困りますね。
伊勢崎 東電でお仕事をされていたときに、そういうことは予想されていたわけですか。警備体制などはどうなっていたのでしょう。
蓮池 もちろんフィジカル・プロテクション(物的防護、PP)というものがありました。ちゃんと柵で囲んであり、IDをチェックしないと入れないようになっています。
海外の原子力発電所は、だいたい、というよりすべてですが、入り口の門に機関銃を持った兵士が立っているのです。一方、日本は丸腰なのです。これでいいのかと思ったことはありました。ただ、テロリストだって、原発の構造をそんなに知っている人はいないわけです。われわれ技術者だったら、制御室に行って、こことあそこをパチン、パチンと切れば大変なことになることはわかります。私は計測制御系の仕事をしていたのでなおさらです。しかし、テロリストが来ても、そういうことはできないだろうなとは思っていました。爆弾を積んで自爆テロをしても、外で爆発する分には建屋に突っ込んでも、炉心溶融までは行くわけはないなと思っていました。
伊勢崎 原子炉自体が強いから、それ自体が破壊されることはないわけですね。
蓮池 相当な破壊力のある爆弾でないとダメでしょう。
伊勢崎 これからはどう考えますか。
蓮池 今回の事故は、テロリストにすごいヒントを与えたと誰かが言っていました。
伊勢崎 電源設備だけで……。
蓮池 べつにミサイルを打ち込む必要はない。どこかに行って全部電源をなくしてしまえば、炉心が溶けて大変なことになることを教えてしまったという意味では、危ないのです。
伊勢崎 日本も警備の仕方を変えるでしょうかね。他の国だったら軍が防衛するでしょう。
蓮池 機関銃を持っている兵士と、警備会社の人が立っているのでは、大変な違いです。
伊勢崎 一番いいのは、技術者を買収して、なかに潜伏させてその人にやらせることでしょうね。それが最も簡単な話ですね。
蓮池 でもそんな買収される人は多分いないと思いますよ。
伊勢崎 テロリストが自動車に爆弾を積んで突っ込んできて爆破されると困るわけでしょう。
蓮池 困りますね。
伊勢崎 東電でお仕事をされていたときに、そういうことは予想されていたわけですか。警備体制などはどうなっていたのでしょう。
蓮池 もちろんフィジカル・プロテクション(物的防護、PP)というものがありました。ちゃんと柵で囲んであり、IDをチェックしないと入れないようになっています。
海外の原子力発電所は、だいたい、というよりすべてですが、入り口の門に機関銃を持った兵士が立っているのです。一方、日本は丸腰なのです。これでいいのかと思ったことはありました。ただ、テロリストだって、原発の構造をそんなに知っている人はいないわけです。われわれ技術者だったら、制御室に行って、こことあそこをパチン、パチンと切れば大変なことになることはわかります。私は計測制御系の仕事をしていたのでなおさらです。しかし、テロリストが来ても、そういうことはできないだろうなとは思っていました。爆弾を積んで自爆テロをしても、外で爆発する分には建屋に突っ込んでも、炉心溶融までは行くわけはないなと思っていました。
伊勢崎 原子炉自体が強いから、それ自体が破壊されることはないわけですね。
蓮池 相当な破壊力のある爆弾でないとダメでしょう。
伊勢崎 これからはどう考えますか。
蓮池 今回の事故は、テロリストにすごいヒントを与えたと誰かが言っていました。
伊勢崎 電源設備だけで……。
蓮池 べつにミサイルを打ち込む必要はない。どこかに行って全部電源をなくしてしまえば、炉心が溶けて大変なことになることを教えてしまったという意味では、危ないのです。
伊勢崎 日本も警備の仕方を変えるでしょうかね。他の国だったら軍が防衛するでしょう。
蓮池 機関銃を持っている兵士と、警備会社の人が立っているのでは、大変な違いです。
伊勢崎 一番いいのは、技術者を買収して、なかに潜伏させてその人にやらせることでしょうね。それが最も簡単な話ですね。
蓮池 でもそんな買収される人は多分いないと思いますよ。
Category:北朝鮮による日本人拉致、オウム真理教、そして福島第一原発事故を結ぶ点と線