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原子力業界の不思議な事件・福島便槽内変死事件

2011/09/08(Thu) 11:22


東電OL殺人事件やもんじゅに係わる幹部二人の自殺を見てもわかるように、原子力業界の闇は深い。前者は東電エリート管理職だったキャリアOLが渋谷円山町のアパート内で変死体で発見された事件であるが、被害者が反原発の論文を書き賞をもらっていることが最近知ることになる。逮捕されたゴビンダさんのDNA型とは違う型の体液が発見されていたという信じられないニュースが最近になって出てきたりもした。当方は原発推進派の見せしめ殺人であると睨んでいるが、誠天調書様が鋭い考察をなさっているのでそちらを参考にしていただきたい。

誠天調書 サイト内検索→東電 勝俣

誠天調書: 何故に渡邊泰子は消されたのか?死後も徹底的に貶められたのか?だって、彼女はタイミングによっては政治的な爆弾となる恐れがあったからね。

もんじゅではナトリウム漏れ事故の際に事故調査チームの責任者が自殺(を偽装した他殺)し、先の中継装置落下事故ではもんじゅの炉内交換システムの特許を持っていた燃料環境課の課長が自殺(こちらは情報がない。東芝の秘密警察か?)した。詳しくは拙稿をご覧いただきたい。

1995年のもんじゅナトリウム漏れ事故、責任者の不可解な自殺

2010年8月もんじゅ中継装置落下事故、燃料環境課課長の不可解な自殺

他にも、原子力業界の不思議な事件というのは数多ある。例えば、福島県の現職知事であった佐藤栄佐久氏が収賄容疑で逮捕された事件も不思議である。蓋を開ければ被害額はゼロ円なのである。そもそも収賄が成立するかどうか疑問である。佐藤栄佐久氏は一審、控訴審ともに執行猶予付きの判決であったが、上告中である。佐藤栄佐久氏が逮捕された同時期に宮崎県知事であった安藤忠恕氏が、和歌山県知事であった木村良樹氏がこれもまた官製談合事件で逮捕されているが、原子力業界をめぐる不思議な事件だと見ていい。安藤忠恕知事は宮崎串間原発誘致に真っ向から反対していた人物で、同様に木村良樹知事も日置原発誘致に反対の立場をとっていた。佐藤栄佐久氏同様に、両者とも原子力業界の不思議な事件に巻き込まれたのではないか。

このブログエントリーでは、原子力業界の極めて不可解な事件を一つ紹介する。福島・阿武隈山地の一角で起こった福島便槽内変死事件である。



福島便槽内変死事件

【福島女性教員宅便槽内怪死事件】 - 未解決事件・失踪/行方不明事件・印象に残った事件 - livedoor Wiki(ウィキ)

郡山から車で1時間ほどの阿武隈山地に位置する福島県田村郡都路村(現田村市)。
山間の静かな村にある教員住宅で事件は起こった。

平成元年(1989年)2月28日の18時ごろ、村内の小学校に勤める女性教員のAさん(23)が、
住まいとしている教員住宅に帰宅し、トイレに入って何気なく中を覗くとなんと靴のようなものが見える。
(※靴のうち1足が頭部付近にあった。もう一足はなぜか自宅付近の土手に落ちていた)

驚いて外の汲み取り口へ周ると蓋が開いていて、確認すると人間の足が見えた。

Aさんはただちに教頭先生ほか同僚の教員を呼び、同僚が警察へ通報する。
駆け付けた三春署員と村の消防団員は、便槽から人物を引っ張りだそうとするも
狭くて出すことができず、周りを重機で掘り起こして便槽を壊しどうにか取り出すことができた。
(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)

便槽の中の人物はすでに死亡しており、遺体は真冬なのに上半身裸で、
着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。



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体はその場でホースの水で洗われ、さらに運ばれた消防団の詰所で洗われ医師による検案が行われた。

死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定。狭い場所で圧迫され凍死してしまったとの見解である。

体にはヒジ、ヒザにすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。争った形跡も無い。

死後硬直の状況から26日頃に死亡したものと思われた。

遺体の身元はすぐに判明した。村の青年会に所属するSさん(26)だったからである。

警察はSさんが覗き目的で便槽内に侵入し、狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。


事故死として警察に処理されたこの事件だが、村内では疑問を呈する声が囁かれた。

死亡したSさんは村に両親と祖母の4人暮らし。スポーツと音楽が好きな好青年。
高校時代は仲間とバンドを組んでギターを弾き、自ら作詞もして、
自作の詩を書いたノートを何冊も残している。

(そのひとつは
「俺の言葉に泣いた奴が一人/俺を恨んだ奴が一人/
それでも本当に俺を忘れないでいてくれる奴が一人/
俺が死んだら、くちなしの花を飾ってくれる奴が一人/
だがみんなあわせてたった一人/それは、誰、誰、誰なのだ」
といったものである)

仕事は隣町の原発保守を行う会社で営業主任を勤めていて、
村では青年会のレクリエーション担当部長として中心的存在。

明るく人望もあり、結婚式では司会をよく頼まれ、
村の村長選挙では応援演説を頼まれるほどの存在だったからだ。

そんなSさんが覗きをするために便槽に忍び込むとは考えられない、
彼を知る誰もがそう話していた。


Sさんの足取りにも疑念が残る。

遺体で発見される4日前から足取りが途絶えていたのだ。
5日前の23日に先輩の送別会に出席、翌24日深夜1時ごろに店を出た。
その日の午前10時ごろ、父親は居間でテレビを見ていると、
「ちょっと行ってくるからな」という声を聞いたのを記憶している。
そこから遺体発見までのSさんの足取りは4日間プッツリと途絶えてしまっているのだ。

車は農協の駐車場でカギを付けた状態で発見されている。

靴が片方土手で発見されているのも不可解ではある。

そして死亡推定日が26日。行方不明から2日程は生きていたことになるのだ。

Sさんはその間何処でどうしていたのだろうか?



事件後、村内ではある噂が囁かれていた。。
Sさんも応援演説した村長選挙は、近年まれに見る非常に厳しいものであった。
Sさんはその選挙に絡んで殺されたのではないか?という噂だ。

噂が噂を読んでしまいには「だれだれが怪しい」といた怪情報まで飛び交うにいたって、
真相解明を求める署名活動が起こり、1ヶ月あまりで集まった4000人あまりの署名を、三春警察署へ提出している。

しかし警察はあくまで事件性が無いとして取り合わず、捜査は行われなかった。
たしかに村長選挙が原因で殺人を犯すとは普通考えにくく、この件は無関係であろう。



もうひとつ気になる事実がある。
Sさんと教師のAさんとは、Aさんの恋人男性を通じて知り合いだったというのだ。
そして、Aさんがいたずら電話に悩まされていたことがあったが、
その際は恋人と一緒にいたずら電話を録音し、警察に届け出ていた。
結局、この件で警察は動いてくれなかったが、
Sさんの知人によると、Sさんは犯人が誰だかほぼ突き止めた様子だったという…
このことに意味があるのかは謎のままである。

※尚、この事件を題材にした『バリゾーゴン』(渡邊文樹監督)という映画が作られたが、
ドキュメンタリーとは名ばかりの、現実とはかけ離れた内容である。

--転載ここまで--


1989年2月に発覚した福島便槽内変死事件。この不可思議な変死体を目の前に、警察の見立ては死者を貶める愚かなものだった。変死した男性が女性教師の排便する姿をのぞき見ようと汲み取り口(屋外にあるバキュームカー吸い取り用開口部)から忍び込み、待ち構えていたにも関わらず、そのうちに便槽内に凍死、つまり変態趣味がこうじた不慮の事故だったと言いたいのである。

事件現場となった女性教師宅の便槽は、今現在も被害者の遺族が保管している。

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どうあがいても警察の見立てはありえない。、便器側(最大幅20センチ)から忍び込むのは不可能である。かといって、バキュームカー汲み取り口から忍び込むにしたって相当のモチベーションがなければ無理だ。いや、ぐいぐいと誰かが足で押し込んでいかなければU字型土管である便槽の奥には入っていかないだろう。

しかしながら、どうしたら糞尿の中をかき分けてでも女の排便が見たいというのだ。警察の見立ては、”変態趣味がきっかけになった不慮の事故”というものだが、極めて死者を貶めるものであり、さらに『捜査すらしない』というのは論外である。

福島便槽内変死事件の被害者が原発保守の会社の営業主任で、福島第二原発を担当していたことと同年1月の福島第二原発三号機事故をも併せて考える必要がある。でなければ、この不思議な事件の謎は解けない。


福島便槽内変死事件の2ヶ月前、福島第二原発の三号機で部品脱落事故が発生した。前年暮れから3回も警報がなっていたのにもかかわらず警報を無視して営業を続けた結果、原子炉再循環ポンプ内部のインペラー(回転翼)が破断し炉内に金属片が流出してしまったのである。


佐藤栄佐久前福島県知事は「反原発派」だったから逮捕されたのか 福島原発事故隠蔽で国と対立した直後に捜査 | 伊藤博敏「ニュースの深層」 | 現代ビジネス [講談社]

 この事故というのは、1989年1月6日に発覚した福島第二原発3号機の部品脱落トラブルである。原子炉冷却水再循環ポンプ内にボルトや座金が脱落、それが原子炉内に流入していた。前年暮れから3回も警報が鳴っていたのに東電は事故を隠し続け、1月6日の異常警報でようやく県に報告した。

--転載ここまで--


この事故は国際原子力事象評価尺度(INES)でいえば、レベル2の事故である。1989年といえば、まさに佐藤栄佐久氏が知事現職の時代であり、福島第二原発の事業主、東京電力はどうしても事故を隠したかったのだろう。


ここから本題に入る。

U字型土管の下部に押し込まれるような形で発見された便槽内変死事件の被害者であるが、実は福島第二原発三号機事故を間近で見ていた可能性がある。少なからず、どういった経緯で事故に至ったか知っている立場にあったはずである。被害者は『原発保守を担当する会社の営業主任』であった。そう、勤務先はもちろん福島第二原発である。

原子力業界の不思議な事件である福島便槽内変死事件を取り上げた映画がある。『バリゾーゴン』である。監督の渡邊文樹氏は異端のドキュメンタリー映画監督で、『御巣鷹山』、『天皇伝説』等の代表作がある。

興味深いのが、渡邊文樹監督が『バリゾーゴン』の中で福島第二原発三号機の事故を盛り込んでいることだ。



動画は1~9まであるが、全部を見るのはちょい厳しいので、この動画の2:30辺りからだけでも見て欲しい。一番重要な部分。福島第二原発の話が始まる。最後の方に大学の講義中であろう最中に演説を打つ場面が描かれているが、講義を乗っ取ったのは恐らく主人公だろう。




『青年(便槽内変死事件の被害者)と共に働いていた運転管理の責任者が上野駅で自殺しているのがわかった。』このニュースは実際に(ベタ記事扱いだが)大手新聞で報じられたそうである。動画中五分くらいで政治家(役者)が出てくるが、おそらく渡辺ニセ肛門その人だと思われる。



『バリゾーゴン』では、福島便槽内変死事件の真相を、『原発誘致がかかった町長選における青年部の対立から集団リンチに発展、やむなく被害男性を死亡させ、地元警察をも巻き込んで町ぐるみで事件を隠蔽したのではないか?』と見立てて、渡邊文樹監督自体が主役(追求者)になり、事件に加担したと思われる人物を片っ端から追求していく。矛盾に満ち満ちた警察の見立てに納得せず、自ら追求者となって関係者を責め立てる様は、別の意味で面白い。

そして、実に興味深いのが、福島便槽内変死事件の被害者と”福島第二原発三号機事故の責任者”が同僚だったというのである。さらに、福島便槽内変死事件の被害者の同僚で、福島第二原発三号機事故の際責任者だった、その同僚は、1989年1月4日に上京した帰り、上野駅で列車に飛び込み自殺したというのである。

1月4日というのは、福島便槽内変死事件の2ヶ月前で、福島第二原発三号機事故の二日前である。

渡邊文樹監督は『バリゾーゴン』の劇中、福島第二原発三号機事故の際の責任者が上野で飛び込むシーンで、主人公(便槽内変死事件の被害者)を暗殺者として描いている。しかし、当方はそう見ていない。



『バリゾーゴン』は一応映画なので話を盛りすぎている感がある。なので当事者に話を聞いてみることにした。ツイッターでフォローしているTwitter民の中に、

東京電力では、最初福島第二原発に配属となり、
・研修    1988.5 ~ 1989.1 運転員(大晦日、正月は3直で、中操で迎えました)
・第一保修課 1989.1 ~ 1993.3 タービングループ

現在内科医という異色の経歴の持ち主@onodekitaさんがいる。医者の見地からと原発従事者の見地からのつぶやきがとかく興味深いのだが、本人がブログでも書いているがしょっちゅう工作員の襲来に見舞われているようだ。叩かれる人は叩かれるだけの意味がある。でたらめ言っているのなら、事実、誰も相手にしないだろう。注目されるわけがないのである。これもつまりそういうことだ。

というわけで、@onodekitaさんに福島便槽内変死事件の話を振ってみた。最初の返信は『知りませんでした』ということだったので渡辺文樹監督の『罵詈雑言』を紹介した。その感想が以下のツイートである。

Twitter    onodekita  2F 3の話は本物。作業員の話も本物。アラームメータ ...

Twitter    onodekita  2F 3 の事故が起きたのは、 1989.1.1 定 ...

Twitter    onodekita  出た警報の内容は「原子炉再循環・ンプ振動大」(たしか ...

Twitter    onodekita  それは中身が全く分かっていないから、しかも定期検査が ...


福島第二原発三号機での事故だが、@onodekitaさんによれば、前年暮れから異常警報が鳴り続けていたのにもかかわらず、1月6日に迎える定期検査まで出力を下げて運転することでしのいだことが原因で重大事故にまで発展したというのが真相らしい。そして、『再循環ポンプ振動大』、前年暮れから鳴っていた異常警報に無視して出力を下げて運転を継続させた責任者が、事故に発展する前の1月4日、東京電力本社帰りに上野駅で飛び込み自殺した、便槽内変死事件の被害者の同僚だということになる。

とにかく、原子炉プラントの異常を知らせる警報が鳴っているにもかかわらず、もう目の前に控える定期検査まで持ちこたえさせようと、出力を下げて原子炉を動かし続けた結果、再循環ポンプの部品が壊れ、炉内に破片が流入してしまうという、逸脱せざるを得ない事故に発展した。原子炉班が出払っている中、異常警報に対応した責任者に運転継続を指示したのは、間違いなく事業主である東京電力である。出力を下げて運転を継続させるという大事な判断を、専門外の一個人の判断でできるわけがない。東電は、『警報を受けた当時の責任者は原子炉班以外の職員で専門外。異常警報の原因が良くわからなかった。結果として、責任者が『出力を下げて運転すれば大丈夫だ』と勝手に判断し、運転を継続。責任者は1月4日に東京本社に立ち寄った帰り、上野駅で飛び込みました。』と言いのがれて、営業から逸脱せざるを得ない損害を国に泣きつき保証させたというのが真相ではないか。



そもそも、福島便槽内変死事件を当時福島第二原発で働いていた@onodekitaさん本人が知らなかったというのは、なんとも奇妙な話であるが、それのみならず、同年1月4日にベタ記事で報じられたという1989年福島第二原発三号機事故責任者の自殺すら知らなかったようである。

Twitter    onodekita   jhatajinan これは全く知りません。社内で ...


国際原子力事象評価尺度(INES)2の責任者が本社帰りに飛び込み自殺したことは社内でも話題にならなかったのだという。東京電力の隠蔽体質、ここに極まれり。といった感である。当然、社外では誰も気にも咎めなかったに違いない。


ところで、『バリゾーゴン』で印象的なものの中に、『実際に六本指の子供が生まれてきているんです』と恐らく主人公であろう若者が演説を打つシーンがある。

なぜ、渡邊文樹監督は福島便槽内変死事件の被害者が反原発思想の持ち主だったことを描いたあのシーンを映画に盛り込んだのだろうか。

そして福島便槽内変死事件の被害者は、事件の2ヶ月前に発覚した福島第二原発三号機の事故に近しい立場にあった。福島第二原発の原発保守会社で営業主任だったのである。

福島第二原発三号機事故が発覚する二日前に、本社帰りに上野で飛び込み自殺した責任者は同僚であった。


----想像----


1989年1月6日、福島第二原発三号機で、再循環ポンプの部品が破砕、原子炉内に金属片が流入していたことが発覚する。

前年暮れから三号機では、原子炉際循環ポンプ振動大の異常を知らせる警報が鳴っていたが、
無視して、出力を下げて運転を継続した結果、INESレベル2の事故に発展してしまうのであった。

原子炉際循環ポンプの異常を知らせる警報は前年1988年暮れから1月6日までに3度鳴っていた。

しかし、原子炉班は正月休みで全員出払っていた。

警報に対処した責任者は意味がさっぱり分からず、

東電の指示に従った。指示は、『振動を抑えるべく出力を下げて運転せよ』というものだった。

3度も警報を無視したのは、三号機は1月6日に定期検査が控えていたからだ。

結果、1月6日に、莫大な損害を被る逸脱宣言をする事態が発覚する。



間違いなく、責任者に運転継続を指示したのは東電である。



便槽内変死事件の被害者の同僚で、異常警報が鳴り止まぬ三号機の責任者だった男が上京したのは1月4日のことである。正月休みで出払っていた原子炉班にとって変わって責任者として三号機を任されていた本人から説明を受ける東電幹部たち。―振動が日増しに大きくなってきています。―このまま警報を無視して運転を続けて取り返しのつかないことになります。顔をこわばらせていく東電幹部立ち。とにかく定期検査(1月6日事故当日)までは黙らせたい。すべての聴取が終わったあと、静かに席を立ち、どこかに電話をかける一人の男・・・

そして、三号機事故の責任者だった便槽内変死事件の被害者の同僚は、本社に寄った帰り、上野駅で飛び降り自殺した。

大手新聞のベタ記事扱いだった事故責任者の死を、
原発問題で揺れる阿武隈山地を舞台にした不思議な事件を、
福島第二原発で働いていた人ですら知らなかった。



もしかしたら、福島便槽内変死事件の被害者は東電を敵に回してしまったのではないか―

同僚の死の真相を追求しようとして、虎の尾を踏んでしまったのではないか―

福島第二原発三号機の故障の深刻さを、責任者であった同僚の死の疑惑を、世に告発しようとしていたのではないか―

福島便槽内変死事件は、原発推進側の見せしめ&口封じ殺人ではなかったか。

反原発思想に見、せしめるために、便槽内に捨てられたのではないか。

そして、福島便槽内変死事件の被害者は福島第二三号機事故に近しい立場にあった。変死事件2ヶ月前に発覚した福島第二原発三号機事故の顛末を知る者として、口封じのために消されたのではないか?
福島便槽内変死事件の被害者は、変態扱いされ異常者のレッテルをはられた今日に至っている。

東電OL殺人事件の被害者である渡邉泰子さんと同様に、

福島便槽内変死事件の被害者も、死後の尊厳は傷つけられたままである。



--想像--


事故を隠したい側にいたらどう思うだろうね。311を経験すれば、出鱈目な数字を並び立て「安全です安心です」を繰り返す政府、政府に説明する東電、無いだの不明だの確認させてくださいだのを繰り返して一億総国民に無駄な被曝をさせてきたことをも重ねあわせれば、福島第二原発三号機事故の際の不可解な二人の死は、『事故隠し、口封じじゃねえの?それに見せしめ』と思ってしまうのは邪推だろうか?

福島第二原発三号機で起こった、東電の過失が問われるべき事故。しかも本来警報に対応するはずの原子炉チームが正月休みで出払っている中、何が起こっているかさっぱりわからない代理の職員がスクラムできず放置したゆえに招いたヒューマンエラー。当事者である二人の不可解な死を見過ごしていいのだろうか。ついでに謂えば東電の免責は論外である。
2011/09/16 加筆修正
2011/09/24 加筆修正



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Tag:福島第一原発事故 

Category:原子力業界の不思議な事件

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原子力業界の不思議な事件・311以降のまとめ

2012/03/30(Fri) 14:38

原子力業界の不思議な事件・福島便槽内変死事件
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-315.html



最近になってこんな話が出てきた。

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石井紘基議員が刺殺された理由は、石川県の原発用地買収を調べていたからだという。石井紘基刺殺事件は2002年10月に発生したのであるが、中部・関西・北陸電力と三電力会社キモ入りで推し進めてきた珠洲原子力発電所の白紙凍結は2003年12月である。真偽はともかく、石井議員がすっぱ抜いていても不思議ではないし、石井紘基刺殺事件自体が原子力業界の不思議な事件であっても不思議ではない。

今回のブログエントリでは311以降の原子力業界の不思議な事件をまとめてみたい。




2012年2月19日、「週刊東洋経済」編集長が東京都迷惑防止条例違反(いわゆる痴漢)で逮捕された。20代と30代の女性会社員の下半身を触った疑いである。


時事ドットコム:「週刊東洋経済」編集長を逮捕=電車内で女性の下半身触る-警視庁
http://www.jiji.com/jc/zc?k=201202/2012021900015

 電車内で女性の下半身を触ったとして、警視庁大森署が東京都迷惑防止条例違反容疑で、「週刊東洋経済」編集長の三上直行容疑者(46)=横浜市磯子区峰町=を現行犯逮捕していたことが18日、同署への取材で分かった。容疑を否認し、「酒を飲んでいて覚えていない」と供述しているという。
 逮捕容疑は17日午後11時すぎ、JR京浜東北線の大井町-大森駅間を走行中の電車内で、20代の女性会社員の下半身を触った疑い。
 同署によると、三上容疑者は電車内で30代の女性会社員の下半身も触っていたという。男性会社員に取り押さえられ、同署員に引き渡された。(2012/02/19-01:28)

--転載ここまで--


これはただの痴漢事件なのだろうか。どうも胡散臭い。

「週刊東洋経済」編集長は17日(金曜日)深夜23時に逮捕されたのだが、その週の月曜日、2月13日発売の号では『東京電力 偽りの延命』と題し、福島第一原発事故の当事者であり事業主の東京電力を糾弾する特集が組まれているのである。


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2月13日発売の号の中吊り
↓↓
虎の尾を踏む
↓↓
編集長逮捕
↓↓
翌週の「週刊東洋経済」
5843b927.jpg
2月20日発売の号の中吊り




この、分かりやすいはなんというか。




「週刊東洋経済」の中で何かが変わったことは確かなようだ。痴漢容疑で逮捕された編集長は東京電力という虎の尾を踏んでしまったのだろう。逮捕されたのはJR大井町駅~大森の間であるが、大井町駅の隣が、かの植草一秀氏が嵌められた品川駅である。「週刊東洋経済」は編集長が逮捕されて明らかに何かが変わった。雑誌の中吊りを二枚並べてみれば、それは一目瞭然である。

「週刊東洋経済」の編集長は嵌められたのか?

誰だってそう勘繰りたくなる。



次は2012年1月4日に報じられた三重県南伊勢町議、上村康広さんが変死した事件である。この事件は自殺として片付けられたが、いかんせん不可解である。


南伊勢町議が車内で死亡 散弾銃が暴発か

 3日午後2時45分ごろ、三重県南伊勢町古和浦の牧場の駐車場で、同町議上村康広さん(64)が乗用車の運転席で胸に銃弾を受け、血を流して倒れているのを家族が見つけ、119番した。上村さんは搬送先の病院で死亡が確認された。

 伊勢署によると、上村さんが所有する散弾銃が車外の運転席近くで見つかった。薬きょうが近くに残されるなど直前まで銃を使っていた形跡があり、車の外から撃たれた跡がないことなどから、伊勢署は銃が暴発した可能性が高いとみて調べている。

 同署によると、上村さんは3日午前10時半ごろ、カラス駆除のため、経営する牧場に1人で自宅から出掛けた。胸のほかに目立った外傷や衣服の乱れはなかった。車内から天井に向け弾が当たった痕があり、発見時に車のドアは開いていたという。

 上村さんは1991年6月に旧南島町議として初当選し、99年6月に同町議会議長に就任。地元に中部電力が建設を計画し、後に断念した芦浜原発の反対運動を主導した。(共同)

--転載ここまで--


銃身が長い散弾銃で自殺できるだろうか。

上村さんは中部電力芦浜原発の建設を主導した、いわば反対のリーダー的存在であった。本当に自殺だろうか。そもそも散弾銃で自殺などできるのだろうか。

原発建設反対派の主導的立場にあった町議が変死体で発見され、自殺として片付けられる。まさしく、原子力業界の不思議な事件である。




もう一つ、2012年1月26日に報じられた千葉科学大学危機管理学部の小川信行教授が神戸市中央区で変死した事件を取り上げておきたい。今回の中で、最も象徴的な原子力業界の不思議な事件である。


千葉科学大教授が北野の路上で病死 神戸 - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/region/news/120126/hyg12012602050002-n1.htm

2012.1.26 02:04

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 25日午前2時55分ごろ、神戸市中央区北野町の路上で「急病の男性がいる」と通行人(25)から119番があった。生田署員が駆けつけたところ、男性が倒れており、病院に搬送されたが死亡が確認された。

 同署によると、男性は千葉科学大(千葉県銚子市)危機管理学部の小川信行教授(68)。行政解剖の結果、死因は病死と判明した。小川教授は独立行政法人「防災科学技術研究所」(三木市)で24日午後に開かれた会合に出席するため23日から同区北野町のホテルに宿泊していた。

 同大によると、小川教授は地震工学が専門で、日本原子力学会などに所属しているという。

--転載ここまで--


小川教授は日本原子力学会に所属し、核燃料安全専門審査会に名を連ねている。

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これだけでも原子力業界の不思議な事件なのであるが、小川教授はこれだけではなかった。原子力プラントの耐震に関する研究、さらには聞き配管系の耐震安全裕度評価に関する研究をしていたのである。

東電は相も変わらず『想定外の津波が福島第一原発の三炉が壊れた原因』だと言って憚らない。多くの専門家が津波到達前に地震で壊れていたのではないかと指摘しているし、外部電源喪失だって重要な原因の一つである。しかし東電は地震も外部電源喪失も福島第一原発事故の主因であることを頑なにまで認めようとしないのである。







とにかく東電は、「想定外の津波で原発が壊れた」ことにしないといけないのである。地震と外部電源喪失が事故の要因であっては困るのである。

以前エントリした福島第一原発事故の真相に迫る! 8 主蒸気逃し安全弁が機能不全に陥ったわけで触れたが、福島第一原発の一号機に関しては地震や津波、外部電源喪失以外に、もう一つ原因があるのではないかと考えている。非常用復水器の戻り配管が接続されている再循環ポンプ配管がその部分である。

311の本震によりスクラム停止した1号機は津波到達までに非常用復水器が起動した。その際に、非常用復水器タンクに貯められていた冷却水(常温水)は接続先である再循環ポンプ配管に向かって一気に流入することになる。

1号機の非常用復水器は作業員が55℃/hを遵守すべく手動で止めたと説明されている。だが、当方はそうは見ない。理由は、非常用復水器を起動させた時の再循環ポンプ入り口の温度差である。


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150℃と130℃。非常用復水器が起動し、再循環ポンプが常温の水で一気に冷やされたのだが、55℃/hどころの騒ぎではない。脆性破壊と老朽化を踏まえれば、再循環ポンプ配管は致命的なダメージを受けていても不思議ではない。しかし、悲しいかな、東電も事故調も、このことには全く触れていない。

小川信行教授は、非常用復水器起動による再循環ポンプ配管の配管破断に触れてしまい、暗殺されたのではないか。そう考えるのは邪推だろうか。



Tag:福島第一原発事故 

Category:原子力業界の不思議な事件

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プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その1

2012/06/17(Sun) 20:30



東電OL殺害事件の容疑者であったネパール人・ゴビンダさんが、この度、東京高裁は再審開始決定を受けて釈放された。


マイナリさん14日出国か 再審開始受け、18年ぶり故郷へ-北海道新聞[道外]
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/dogai/379865.html

(06/13 19:42)
 東京電力女性社員殺害事件で再審開始決定を受け、釈放されたゴビンダ・プラサド・マイナリさん(45)が15日にも故郷ネパールへ向け出国することが13日、関係者への取材で分かった。帰国は約18年ぶり。東京入国管理局が11日、強制退去命令を出していた。

 マイナリさんは1997年5月に入管難民法違反(不法残留)罪で有罪が確定。釈放後に収監先の横浜刑務所から東京入国管理局横浜支局(横浜市)に移送されていた。

 関係者によると、マイナリさんは同支局から成田空港に移され、航空機に搭乗。バンコクを経由しネパールの首都カトマンズに向かう。

--転載ここまで--


マイナリさん:バンコク経由で18年ぶり帰国へ- 毎日jp(毎日新聞)
http://mainichi.jp/select/news/20120616k0000m040103000c.html

毎日新聞 2012年06月16日 01時14分(最終更新 06月16日 01時31分)

001 (5)
(チャーミングな笑顔である。)

 東京電力女性社員殺害事件の再審開始決定で釈放されたゴビンダ・プラサド・マイナリさん(45)が15日、ネパールに向け成田空港を出発した。1997年3月の逮捕から約15年間身柄を拘束され、祖国の地を踏むのは約18年ぶり。

 来日していた妻ラダさん(42)と長女ミティラさん(20)、次女エリサさん(18)も同乗。バンコクを経由し、16日にネパールの首都カトマンズに到着する。

 支援者によると、カトマンズでは高齢の母親や兄と再会。ラダさんや娘との同居を始める。マイナリさんの兄によると、帰国後、カトマンズで記者会見をする予定。(共同)

--転載ここまで--


東電OL殺害事件は、確かに捜査の杜撰さや、無罪判決が下されたのに入管先で再拘留するという強引なやり方に批判はあろう。だが、事の本質はそこではない。メディアを使って印象操作し、捜査当局にすら圧力をかけて真犯人から目を背けさせ、事件の真相を闇に葬り去ろうと暗躍している何かを突き止めなければいけない。

東電企画部経済調査室の副長という立場にあった渡邉泰子さんはどうして殺されなければならなかったのだろうか。警察を批判して終わってしまっては、奴らの手口までは知ることはできない。


1997年2月、プルサーマル計画が閣議了解された。東電OL殺害事件が発覚するひと月前である。


プルサーマル計画は、核燃料サイクルの根幹を為すもので、行き場のない使用済み核燃料からプルトニウムを取り出しMOX燃料として再利用するといったものだ。MOX燃料は使用済み核燃料に含まれているプルトニウムを再利用したものである。福島第一原発事故で3号機の爆発が飛び抜けて凄まじいのはMOX燃料が原因ではなかったかと疑っている。

プルサーマル計画が閣議了解されたという背景を考えると、1997年のあの当時は原発から出る使用済み核燃料をどう処分するかが深刻な問題であり、とかく『トイレのないマンション』と例えられるように、原発のバックエンド問題は未解決のままである。

渡邉泰子さんは東電企画部経済調査室副長であった。もしかしたら彼女は危険なMOX燃料を軸にしたプルサーマル計画の危険性、さらには核燃料サイクルの詭弁を知ってしまったのかもしれない。そして、原発に反対しながらも代案として太陽光発電や風力発電、地熱発電の開発促進を提唱していたのではないか。また、そのような論文を書いていたのではないか。彼女の立場を考えれば、時の政治家に進言していたとしてもおかしくはない。

渡邉泰子が殺害されるに至った背景を探る上でヒントとなる記事を3つ紹介する。阿修羅に投稿されたtaked4700さんの記事と、誠天調書の二本の記事である。

佐藤栄佐久前福島県知事の裁判と二つの事件、日本のエネルギー政策を左右する影 taked4700
http://www.asyura2.com/09/eg02/msg/155.html

誠天調書: 何故に渡邊泰子は消されたのか?死後も徹底的に貶められたのか? だって、彼女はタイミングによっては政治的な爆弾となる恐れがあったからね。
http://mkt5126.seesaa.net/article/216024133.html

誠天調書: 東電企画部は闇の世界に関わるセクションである
http://mkt5126.seesaa.net/article/219778049.html


1997年
 2月プルサーマル計画閣議了解
→3月東電OL殺害事件
→4月地熱発電の促進を補助の対象から除外。


1997年当時、通産省内で地熱発電推進派と原発推進派の戦いがあった。そんな中で東電OL殺人事件があり、つまり、地熱発電推進派が敗北を喫したのである。原発依存を深めるか、もしくは原発依存から脱却するか。結果として原発依存を深めることになり、2011年3月11日、福島第一原発事故が起こったのである。(続く)


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東電OL殺害事件の現場アパート



Category:原子力業界の不思議な事件

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プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その2 ショルダーバッグの取っ手は40kg程度の荷重で千切られていた

2012/06/17(Sun) 22:26

プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その1
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-432.html

誠天調書: 「東電OL殺人事件」もしくは「東電女性社員殺人事件」の被害者の渡邊泰子は 何故に消されなければならなかったのか?
http://mkt5126.seesaa.net/article/273980987.html



東電OL殺害事件の被害者である渡邉泰子さんの遺体の傍らに、口が開かれたショルダーバックがあった。そして、ショルダーバッグの取っ手の金具部分は千切れていた。科学鑑定によれば、40kg程度の荷重がかかったそうである。


東電OL殺人事件東京地裁無罪判決
http://tamutamu2011.kuronowish.com/toudennolmuzaihannketu.htm

(一) 本件実況見分時には、本件ショルダーバッグは、本件死体頭部左側に接着し、開口部を上にしてその口が開いた状態で置かれているのを発見されたが、本件ショルダーバツグには肩紐及び取っ手が付いており、取っ手は金具付近で千切れたように切れており、その断面は鋸断状様を呈していた。取っ手内には針金が入っており、その切断面は、工具で切断されたように先端が左右から押しつぶされ尖った状態となっていた。そして、科捜研物理研究員中村昌義が、取っ手を引っ張った場合にどの程度の荷重で破断するかについての鑑定を行ったところ、引張破断荷重は35.6㎏fから42.0㎏fと判定された。なお、被害者が甲野と接触した際には、本件ショルダーバッグの取っ手は千切れていなかったことが明らかである。

---------------------抜粋


彼女は何と戦い、何を守ろうとしたのだろうか。

このことに触れて、当方は2つの事件を重ね合わさずにはいられなかった。石井紘基刺殺事件とシルクウッド事件である。


石井紘基刺殺事件 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E4%BA%95%E7%B4%98%E5%9F%BA%E5%88%BA%E6%AE%BA%E4%BA%8B%E4%BB%B6

石井が国会議員や官僚の腐敗を徹底追及していたことから「暗殺された」との見方もある。10月28日に予定されていた国会質問を前に、石井議員は「これで与党の連中がひっくり返る」と発言したという事実などが挙げられている。

中略

事件当日、石井の鞄には国会質問のために国会へ提出する書類が入っていたが、事件現場の鞄からは書類が無くなっており、未だに発見されていない。一方、石井代議士の懐にあった現金30万円は盗まれていなかった。また石井の左手中指が外側から切断されており、鞄は持ち手を手で握っていたら、開かない状況になっていたこと、石井は左手で鞄を持っていたとする石井の妻の証言から、犯人は石井が持っていた鞄を開けるために左手中指を切った可能性がある。
---------------------抜粋



シルクウッド事件とは
http://www32.ocn.ne.jp/~everydayimpress/Video/Silkwood.htm

 シルクウッドは、Kerr-MaGee社で、労働者の多数がプルトニウム被爆に晒されていることに心を痛め、その証拠収集に乗り出すことになる。しかし証拠を集めはじめるとすぐ、シルクウッドは数々のいやがらせ(電話の盗聴など)を受けるようになる。そして、死の直前1週間には、まったく説明のつかない強度のプルトニウム被爆を2回も経験することになる(このことは映画で詳しく描かれている)。

 そして1974年11月13日、シルクウッドは不可解な死を遂げることになる。その日、シルクウッドは、アメリカを代表する新聞ニューヨーク・タイムズの記者と会い、集めた証拠を渡す手はずになっていた。しかしシルクウッドは、その日、組合集会を終え、記者のいる場所へ向かう途中、自動車事故を起こして死亡した。死後の解剖では、体内から、通常使用される量の2倍の催眠薬が検出され、警察はこれを居眠り運転として処理した。

 しかしシルクウッドの死については、記者に会いに行く前にどうしてそんなに大量の睡眠薬を飲む必要があったのか、記者に渡すとされた資料がまったく見つかっていない、など数多くの疑問が生じている。
---------------------抜粋


石井議員は「これで与党の連中がひっくり返る」と事件前に語っていた。他方でシルクウッドは核施設の作業員がプルトニウム被曝にさらされている実体を世に告発しようとしていた。石井議員のカバンから持ち去られた書類はオウム関係や特別会計、RCC問題など諸説あるが、自民党がアメリカ(CIA)の言われるがまま原発を推進し、原発に依存していく基盤を作ったのは事実であるし、石川県の珠洲原発の用地買収を巡ってヤクザと自民党の関係、自民党とヤクザと原子力業界の関係を国会で質問しようとしていたとしても不思議ではない。シルクウッドにいたっては、シルクウッドが暴こうとしていたことが事実だったから抹殺されたのだろう。それは、原子力業界にとって大ダメージを受ける事実であったはずだ。

つまり、渡邉泰子さんは原子力業界がひっくり返るぐらいのネタをマスコミに告発しようとしていたのではないか、ということである。それは並々ならぬ決意であった。もしかしたら、彼女と同じく東電幹部だった父親の遺志を受け継いだのかもしれない。彼女の父親は東電幹部時代、脱原発の態度を明確にしてから左遷され、癌で命を落とした。

彼女は原子力業界を震撼させるネタを握っていたのではないか。そのネタをショルダーバッグに入れて持ち歩いていたのではないか。石井議員と同じように告発に命をかけていたからこそ、暗殺者に取っ手から引きちぎられるほど身を呈して守ろうとしたのではないか。




原子力業界の不思議な事件・福島便槽内変死事件
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-315.html

原子力業界の不思議な事件・311以降のまとめ
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-394.html

補足
【忘れられないように】 【転載】 『不可解な事件~原発関係者の不審死~』 : nYoの どうにも、真実が気になる。
http://blog.livedoor.jp/bettycat530-shinjitsu/archives/7483699.html


プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その1
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-432.html

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プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その3 事件発生当日の正午ごろに購入した二個のサラダ

2012/06/19(Tue) 09:00

プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その1


東電OL事件の被害者である渡邉泰子さんは、事件現場で発見された時、ツーピースの中にブラウスを着て、ベージュのコートを羽織っていた。下着とストッキングも身に着けた状態だった。現場でレイプされ殺害されたのではない。

「本件死体の頭部、顔面部等に打撲傷、擦過傷があるほか、下顎底部から前頸部及び左右胸鎖乳突筋部にわたる範囲に頸部圧迫痕が認められ、頸部軟部組織出血・甲状腺出血を伴っており、かなり強い力で頸部を圧迫したものと思われる。」

検死報告では、渡邉泰子さんは首を絞められ、一瞬のうちに死に至らしめられたことを想像させる。

口が開いたショルダーバッグの取っ手は、金具部分が40kgの負荷をもって千切られていた。

プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その2 ショルダーバッグの取っ手は40kg程度の荷重で千切られていた

ショルダーバッグの中には財布、コンドーム、そして、手帳が入っていた。

犯人は渡邉泰子さんの手帳に手を加え、内容を改竄したのではないか。そう疑うのも、彼女の髪の毛に絡まるように、ボールペンが発見されているからだ。

この手帳こそ、渡邉泰子さんを街娼たらしめた根拠の一つであり、一審判決でも「本件手帳には、日付欄に当該日の被害者の売春の相手名が記載され、その右側に売春料金が併記されるなどしている。」と触れている。

東電本社企画部経済調査室副長であった渡邉泰子さんは通産省と東電を結ぶパイプ役だった。経済的なエネルギー政策を政府に進言するシンクタンクのような部署の管理職だった彼女の手帳には、接待の予定がびっしり書かれていただろう。

犯人は手帳の内容を街娼の記録のように書き換え、未使用のコンドームを入れた。死後も街娼として貶められるように現場に細工を施し、渋谷区円山町のボロアパートの空き部屋に死体を放置した。このように考えるのは邪推だろうか。

とにかく、渡邉泰子さんのことは死後もスキャンダラスに報じられた。


東電OL殺人事件
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/touden.htm

昼のエリート・キャリアウーマンには全く別の夜の顔があった。それを知ったマスコミが放っておくわけがなく、泰子のプライバシーは滅茶苦茶にされた。

マスコミは円山町周辺の取材をして、泰子が通りかかった男に声をかけているところや男と腕を組んで歩いている姿を目撃したという話を書いた。東電の管理職である泰子が金目当てで売春しているとは考えられないと、スポーツ新聞や週刊誌はいろんな憶測記事を書き、ある週刊誌は全裸写真まで掲載した。泰子の母親は耐え切れず警察に抗議した。東京法務局は、行過ぎた内容は人権侵害に当たるとして再発防止の異例の勧告を行った。その後、少しは沈静化したようだった。

---------------------抜粋


彼女の体内から精液が検出され、死の直前に性交渉があった。

現場の部屋のトイレから使用済みのコンドームが発見された。

円山町の街頭に立つ渡邉泰子さんの姿が目撃されている。

だから捜査側は『被害者は街娼として客を捕り、事件現場のアパート一室が空き部屋になっていることに目を付けて利用していたに違いない』というストーリーを見立てた。

結果として渡邉泰子さんの死後の尊厳は無茶苦茶に貶められた。本当に無茶苦茶である。

なぜ、渡邉泰子さんは死後も貶められなければならなかったのか。

そもそも、渡邉泰子さんは本当に円山町で客を引く街娼だったのだろうか。



渡邉泰子さんは平成三年頃から円山町で客を取っていたという。しかし、ここに疑問がある。渡邉泰子さんは杉並区西永福在住であり、井の頭線を利用して本社(千代田区内幸町)に通勤していた。企画部経済調査室副長という立場を考えてみても、東電渋谷支社に立ち寄ることもあっただろう。

東電渋谷支社は東京電力館の隣にある。渋谷と原宿の中間辺りに位置するファイアーストリートの一角だ。事件現場と目撃情報、東京電力渋谷支社などを地図にプロットしたのが以下である。

東京都渋谷区円山町16-8 - Google マップ 35.657067 139.694542   Google マップ

東電渋谷支社は井の頭線渋谷駅から距離にして1キロ弱ぐらいだ。徒歩で10分の距離だが、タクシーを利用することもあったろうし、彼女の肩書きを考えれば渋谷支社側が迎えを寄越す可能性もある。

東電渋谷支社にタクシーで向かう場合、道玄坂に出れば簡単に捕まえることができるが、一車線の道路で終日混雑し、脇にそれると複雑に一方通行が絡み合っていることからUターンに適していない。必然的に道玄坂を渡った向こう側で車を待つことになる。そこが道玄坂、少し南に下れば円山町と呼ばれる界隈である。円山町での目撃証言というのは、実に東電渋谷支社に向かおうとする車待ちの彼女を見かけただけに過ぎないのではないか。街娼として客引きをしていたかどうかはともかくとしても、目撃情報ぐらいはあって当然だろう。


渡邉泰子さんは本当に円山町で客を取っていたのだろうか。それとも、彼女の主張もろとも永遠に葬り去ろうとして徹底的に貶められているのか。彼女は誰を敵に回したのであろうか。

渡邉泰子さんは結果として死後も徹底的に貶められた。犯人(を雇った組織)はメディアを使い、円山町の街娼としての虚像を作り上げた。東電に務める傍ら、夜は円山町の街頭で客を取り、奇行を繰り返していた、それはそれは、発案者の品格すら疑うストーリーである。



東電OL殺人事件東京地裁無罪判決
http://tamutamu2011.kuronowish.com/toudennolmuzaihannketu.htm

(三) 本件死体は、身長169センチメートル、体重44キログラムであり、頭
部を東側、下肢を西側に向け、仰向けの状態で、顔面をやや横に向け、上肢は両手を広げた状態であり、下肢は両足をそろえて閉じた状態であった。着衣は、ブラウスの上にツーピース、その上にベージュ色のトレンチコートを着用していたほか、パンティストッキング、ブラスリップ、パンティーを着用していた。
(四) 本件死体頭部左側には、頭毛に接してショルダーバッグ(黒色皮製、開口
部がキンチャク式のもの、以下「本件ショルダーバッグ」という。)が開口部分を上にした状態で置かれており、その中には、V名義の会社発行の勤務証、現金473円が入っている2つ折り財布(以下「本件財布」という。)、現金60円、包装されて未使用の状態のコンドーム28個等が入っていた。なお、後述のとおり、本件ショルダーバッグの取っ手の部分は千切れていた。また、本件死体頭部付近には、容器入リサラダ2個在中の青色ビニール製手提げ袋や、おでん等の食品類等在中の黒色布製手提げ袋も置かれていた。


二 被害者の身上及びその失踪状況

1 遺留されていた前記勤務証等により、直ちに被害者はVであることが判明した。
被害者は、東京都杉並区に暮らしており、大学卒業後の昭和55年4月に会社に入社し、前記井の頭線等を利用して会社に通勤しており、平成9年3月当時は、各種論文を作成するなどの業務に従事していた。また、被害者は、右会社勤務の傍ら、平成3年ころからは、勤務終了後に、東京都渋谷区円山町界隈の街頭に立って客を誘って売春をしたり、なじみの常連客と待ち合わせて、渋谷付近のホテルで売春をするようになったほか、平成8年6月ころからは、東京都品川区西五反田のSMクラブに在籍し、勤務先の休日である土日及び祭日の午後零時30分ころから午後5時30分ころまで稼動し、その後は渋谷区円山町界隈で深夜まで売春婦をしていた。

2 被害者の失踪等(犯行時刻の特定)
(一) 3月8日の被害者の行動
(1) 被害者は、土曜日であった3月8日の午後零時30分ころ、百貨店の食品売場において購入したサラダ等を携行して、前記五反田のSMクラブに出勤したが、客がつかなかったため、午後5時30分ころ、同店を出た。その後の行動は明確ではないが、午後7時ころ、常連客の甲野と約束したJR渋谷駅ハチ公口前で落ちあい、渋谷区円山町のコンビニエンスストア「セブンイレブン渋谷円山町店」に立ち寄っておでんを購入し、午後7時13分ころから午後10時16分ころまで、甲野とともに付近のホテル「プリンス」に滞在して売春行為に及び、道玄坂派出所前の交差点で甲野と別れた。その後、被害者は、午後10時30分すぎころ、渋谷区円山町の青果店前で売春の客引きのため佇立しているところを目撃されたり、同町萩原ビル前付近の道玄坂において4、5人の男に売春目的で声をかけるなどしているのを目撃されたりしていた。

~中略~

(二) 翌9日からの失踪
被害者は、帰宅時間は遅かったものの、それまで無断外泊したことは一度もなかったところ、3月8日に家を出てからは帰宅することもなく、連絡も取れない状態に陥り、翌9日に出勤予定の前記五反田のSMクラブヘも姿を現さず、月曜日である3月10日には勤務先も無断で欠勤してしまった。

三 被害者の所持金の紛失
1 被害者は、甲野と別れる際、同人から、売春代金3万5000円を受領したことが認められるが、甲野の供述によると、被害者に対して1万円札4枚を手渡したところ、被害者からお釣りとして千円札5枚が返されたので受け取ったというのであり、しかも、甲野は、その1万円札4枚を被害者が本件財布の中に入れるのを直接現認していたというのである。
2 被害者は、1万円札4枚を甲野から受け取った後に101号室へ移動していることになるが、その間に、被害者が右現金を費消してしまったことをうかがわせる形跡は皆無である上、本件の犯人とされる者以外の第三者が101号室内に立ち入って右現金を奪ったということも考えられない状況にあった。

---------------------抜粋


渡邉泰子さんは、3月8日当日の正午ごろ、渋谷の百貨店の食品売場において2つのサラダを購入した。彼女は、サラダ2つを購入した直後に拉致されたか、あるいは殺害されたはずだ。というのも、

「 また、本件死体頭部付近には、容器入リサラダ2個在中の青色ビニール製手提げ袋や、おでん等の食品類等在中の黒色布製手提げ袋も置かれていた。 」

2つのサラダは手をつけられずに彼女の遺体の傍らにあった。サラダは買って直ぐに食べるものだ。

他方で目撃者の証言によれば、彼女が最終的に目撃されたのは3月8日夜22時30分頃。サラダを買ってから10時間以上が経過しているのだ。甲野や目撃者の証言が事実であれば、渡邉泰子さんは夜22時半までサラダ2つを持ち歩いていたことになり、生鮮品であるサラダを10時間も食べずに持ち歩くことなんて有りうるかという話になる。

サラダは誰かと一緒に食べるために二個買ったのだろう。渡邉泰子さんは、誰かの元へと向かったはずであり、その道中に拉致されたとも考えうる。




渋谷区円山町 - Google マップ

事件現場が円山町というのも象徴的だ。円山町はかの宰相大平正芳が愛人と密会を交わした場所だ。大平正芳が愛人に産ませた子が、大平明だという。大平明は、事件当時、渡邉泰子さんの直属の上司だった人物で、彼女と恋愛していたと目されるキーマンである。

福岡一家四人殺害事件の犯人が家の表札を持ち帰ったように、仕事を完了した証拠として持ち去った定期入れを暗殺者は依頼主に仕事完了の証明として手渡したのかもしれない。そして、3月12日、彼女の定期入れは巣鴨5丁目で発見される。大平正芳の誕生日も3月12日だ。象徴的な符号を見せる。


誠天調書: 何故に渡邊泰子は消されたのか?死後も徹底的に貶められたのか?だって、彼女はタイミングによっては政治的な爆弾となる恐れがあったからね。
http://mkt5126.seesaa.net/article/216024133.html

http://plaza.rakuten.co.jp/atsushimatsuura/diary/200904250004/ リンク切れ

東電時代、彼女と同じ職場に勤務していた大平明に会ったときにも感じた。

元総理の大平正芳の三男の大平明は現在、大正製薬の副社長となっているが、
慶応の経済学部を卒業した昭和四十四(一九六九)年に東電入りし、
一時期、彼女の勤務する企両部経済調査課(現・企両部経済調査室)で、
上司として一緒に机を並べた。

捜査当局が押収した彼女の手帳のなかには、
「客」と、それ以外の人物をあわせ、
大平ほか十五名の名前と電話番号が書かれていた
といわれている。

私が大平に会ったのも、
その点について本人から直接確認をとるためだった。

大正製薬の一室で会った大平はソフトな物腰ながら、この点に関しては真っ向から否定した。

「彼女の手帳には、私の名前も携帯電話の電話番号も載っておりません。
私が噂になっていることを心配した私の友人が
捜査当局に連絡をとって問題の手帳を人を介してみてもらった

その結果、私の名前も電話番号もなかったと連絡がありました。
ですから間違いありません。
もちろんこの件で警察の事情聴取を受けたこともありません」

註・証拠品がみれるというのは、それ相応の組織に属し、それ相応の特権の持ち主である。そのような組織は、そんなには多くない。

その後の取材で、警察が押収した泰子の九六年度の手帳にはアドレス帳も含めて、
大平明の名前は載っていなかったことが判明した。

しかし警察が押収した泰子の手帳は九六年度のもの一冊ではないので、
これだけをもって泰子の手帳に大平明の名前がなかったとは言い切れない。

---------------------抜粋


東電OL事件が発生した1997年当時、通産省(現経産省)と東電を結ぶ窓口であった渡邉泰子さんは、通産省内を二分する、原子力エネルギーへの依存を深めていこうとする側と、バックエンド問題で行き詰っていた原子力エネルギーから脱却し、太陽光発電や地熱発電を促進しようとする側の潰し合いを間近で見ていたのであろう。それは、無論、日本のエネルギー政策の分水嶺にあった。結果として地熱発電への補助は打ち切られ、原発依存を深めていくことになった。地熱発電は温泉の延長線上にあり、世界有数の温泉国として知られる日本で有効利用しない手立てはない。なのに、環境省
(国交省)は国立公園法を縦にボーリング調査すら行わせようとしなかった。今日に至るまで地熱発電には消極的である。それはなぜか。通産省内の、かつての内紛時に徹底的に潰されたからだ。

現在は大正製薬の社長である大平明が事件に関わっているかどうかは知る由もない。ただ、C○Aにお友達がいるようなので、事件の真相を知っている可能性はあるだろう。




余談であるが、もう一人、怪しいと睨んでいる人物がいる。その人物は東電OBで、渡邉泰子さんの三年先輩であった。原燃に出向しMOX燃料の促進に深い関わりを持ち、安全審査での通産省とのパイプ役だった男だ。ゴビンダさん釈放の日に、全く事件のことに触れないので、一言ぶつけてみた。


Twitter - jhatajinan- @1955Toru 初めまして-


残念ながら、返事はまだ来ていない。



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プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その4 犯人がおでんに込めた意味

2012/06/22(Fri) 12:19

プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その1
プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その2 ショルダーバッグの取っ手は40kg程度の荷重で千切られていた
プルサーマル計画と地熱発電と東電OL殺害事件 その3 事件発生当日の正午ごろに購入した二個のサラダ

渡邉泰子さんの遺体の脇には、取っ手が千切られ口が開いたままのショルダーバッグ、3月8日の正午ごろに購入したと思われる二個のサラダ、そしておでんが入った黒い革製の手提げ袋があったという。二個のサラダはレジ袋に入っていたのに対し、おでんは革製の手提げ袋に入っていた。そもそも、とっくに傷んでいるだろうサラダをいつまでも持ち歩き、円山町のセブンイレブンでおでんも買うというのは、奇行でしか説明付かない部分である。

おでんは犯人の偽装ではないか。だとしたら、おでんにはしるしが込められているはずだ。

高橋お伝。犯人がおでんで黙示するメッセージは、明治政府に利用され、稀代の毒婦に仕立て上げられた高橋お伝ではなかったか。


殺人博物館~高橋お伝
http://www5b.biglobe.ne.jp/~madison/murder/text_japan/oden.html

 この事件の市井での評判を耳にした明治政府は、道徳教育にお伝を利用することを思いついた。すなわち、貞節の尊さを説くためにお伝を稀代の毒婦に仕立て上げたのである。仮名垣魯文の『高橋阿伝夜叉譚』は政府の要請を受けて執筆されたものだったのだ。かくして、夫を毒殺しただの、強盗を働いていただのといった歪められたお伝の虚像が流布されるに至った次第である。その実像は何処にでもいる薄幸の女に過ぎなかったのだ。

---------------------抜粋


もちろん、単なる偶然かもしれない。考え過ぎかもしれない。ただ、死後に徹底的に貶められた渡邉泰子さんと、死後に稀代の毒婦に仕立て上げられた高橋お伝のエピソードは恐ろしいほどに似ているのである。まるで、『この女は死後に貶められるだろう』と宣言しているような錯覚すら覚える。



この度、ゴビンダさんの再審開始決定に至ったのは渡邉泰子さんの乳房と唇からゴビンダさんと甲野ではない第三者のDNA型が検出されていたのにもかかわらず捜査当局が隠していたことが判明したからである。

つまり、ゴビンダさんと甲野と関係がない、第三者が犯人である可能性が明確になったわけだ。

甲野とは、以下に出てくる、渡邉泰子さんの”なじみの客”であり、事件発生当日(3月8日)の彼女の足取りの大半を証言した人物である。

http://tamutamu2011.kuronowish.com/toudennolmuzaihannketu.htm


甲野の証言は、よくよく考えれば捜査当局の見立てに迎合するものであることがわかる。例えば、ゴビンダさんに強盗殺人の嫌疑が掛けられたのも、甲野が『渡邉泰子さんに売春の代金3万5000円を払い(1万円札を四枚払い、五千円札一枚を受け取る)、財布に入れているところを見た』という証言が元になっている。財布には500円に満たない小銭しか無く、警察は『渡邉泰子さんの財布には4万円入っていたはずだ』と強盗殺人で見立てることになったわけだ。

さらに、甲野が、売春行為に際し『コンドームをしなかった』と証言したことから、渡邉泰子さんの体内に残された精液は甲野と同じO型だと判明し、重要視されなかった。今回再審が決定されたきっかけは渡邉泰子さんの体内から検出された精液は甲野と同じO型だけれど、DNA型は同一ではないという鑑定結果にある。結果的に甲野の証言は真犯人をカモフラージュする隠れ蓑になった。

現場に落ちていた体毛や渡邉泰子さんの体内に残された精液も、第三者のDNA型と同じだったという。つまり、捜査当局は真犯人が別にいる可能性を掴んでおきながらひた隠し、ゴビンダさんに強盗殺人という重罪を押し付けていたのである。

捜査当局は愚かしいことに、未だにゴビンダさんが犯人だと信じて疑わないようである。無実の人を15年間も檻の中に閉じ込めた反省はそこには無い。あるのは保身と組織のエゴである。


渡邉泰子さんの体内から検出された精液のDNA型は、現場に残された体毛のDNA型と一致し、なおかつ口と乳房から採取された唾液のDNA型と一致した。それはゴビンダさんでも渡邉泰子さんの馴染みの客である甲野のものでもない、第三者のものだ。ただ、当方は、このDNA型を持つ人物が犯人だとは思っていない。渡邉泰子さんが一緒にサラダを食べようと考えていた人物である。39歳の彼女に恋人がいたって不思議ではない。


ゴビンダさんは渡邉泰子さんが遺体で発見された円山町喜寿荘の隣の粕谷ビル401号室にネパール人仲間4人と住んでいた。オーバーステイを自覚していたゴビンダさんは、警察を避けるような態度を取っていたという。だから、逮捕した。ここまでは分かる。解せないのは、捜査当局はゴビンダさんではない第三者が犯人である可能性を掴みながらもひた隠し、ゴビンダさんが犯人であると頑なに譲らなかったのかである。

手帳の改ざんを疑われずに済む外国人であれば犯人は誰でも良かったのではなかったか。





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彼女を示すものとしてはネット上にこの一枚しかない。一見して垢抜けない田舎臭いこの顔写真は高校の卒業アルバムから抜き取ったものだという。この事実を知った時、渡邉泰子さんは街娼ではないと確信することができた。39歳の彼女が、なぜ、高校の卒業アルバムを使われなければならなかったのだろうか。東電時代の写真や、慶応大学時代の写真は一枚もなかったのだろうか。街娼という虚像を既成事実化するために、他の写真は全て握りつぶしたのではなかったか。



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