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奇岩地帯の地下に広がるオーパーツ 謎の地下都市、カッパドキア1

2011/04/02(Sat) 08:40

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カッパドキア カイマクル デリンクユ


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Tag:カッパドキア 地下都市 動画 鶴亀 

Category:カッパドキアと剣山雑考

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奇岩地帯の地下に広がるオーパーツ 謎の地下都市、カッパドキア2

2011/04/06(Wed) 06:42

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神秘の奇岩地帯、カッパドキア

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トルコ・アナトリア高原に位置する謎の奇岩地帯、カッパドキアに広大な地下都市がある。標高1000メートル級の不毛な荒地の地下に、200から400の地下都市が穿てられており、それらの地下都市間は横穴で連結しているという。収容人数は推定10万人以上とも言われている。前回のブログエントリーで貼りつけた動画では、東京都より広く100万人収容可能とナレーターが言っていたように、巨大な地下都市ネットワークが、ヨーロッパと西アジアにまたがるトルコ(Turkey)の地下にあるのである。

存在してはいけない遺物。まさしくオーパーツではないか。さらに地下深くに地下都市は広がっている可能性すらあるというのに、まだ全容把握はできていないという。この後ろ向きさこそ、そこに何かが隠されているからだろう。直感的に思えた。

311東日本大震災を経て、今後の展開を予想する上で、カッパドキアの謎解きに迫ることは重要だと考えているようになった。ただ、素人には無謀であった。あまりにも奥が深すぎた。

カッパドキアの地下に散在する地下都市とは一体何か。まずはそこから初めてみたい。


■ 恐ろしいほど広大で完璧な機能を備えた地下都市・カッパドキア

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カイマクル・デリンクユ・オズコナークの地下都市はカッパドキアを代表する場所だ。


カッパドキアの地下都市はトルコ・アナトリア高原に位置する謎の奇岩地帯にある。東京都より広い敷地の地下に、200から400の地下都市があり、地下都市間が横穴で連結しているという。この100万人規模の収容人数をほこる巨大な地下都市ネットワークの存在が認識されたのは1900年代初頭といい、発掘が開始されたのは1965年。地下都市の存在は口頭伝承されていたというが、近代に到るまで、その存在が数百年もの間、この壮大な地下世界が秘匿されてきたことに驚くばかりだ。

---------------------------------[抜粋]
 トルコ政府の探索隊は、用心深く地下へ降下していったが、いくら進んでも先があるのに驚かされた。地下にあったのは自然の大洞窟ではなく、明らかに人間によって造られたもので、それも八層から十六層にも折り重なった、とんでもない規模だったのである。そこには、まるで、映画『インディ・ジョーンズ』に出てくるような世界が広がっていたのだった。
 その後の調査の結果、地底都市は農夫が発見したカイマクルだけではなく、ギョズテジン、デリンクユなど、カッパドキア南部にいくつも発見された。さらに近年、マヴルージャンやオズコテークなどでも続々、地底都市が発見された。まだまだ未発見の地下都市はあると見られている。
 地底十六層というと、約一五〇メートルになる。荒涼たる大地の底に住み着いていた人々は、いったい何の目的でこのような地底都市を築かなければならなかったのだろうか。
[以下省略]
---------------------------------[抜粋]
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デリンクユ地下都市のエリアマップ。
---------------------------------[抜粋]
(地下都市は)最大の物ではなんと地下8階建て(一説では地下20階)の構造をもっており、当時ここに住んでいた人口は推定で1万5千人をくだらないと言う。
 この調査の他には、同じ1965年に行われた調査では、推定収容人口6000人のデリンクユ地下都市、あまりにも深すぎて推定人口の特定も無理であったギョズテジン地下都市があった。
 カイマクル地下都市とデリンクユ地下都市は、互いに9キロ以上に渡り、トンネルで繋がっている(図B)、この長さは、日本の1962年まで日本最長であった清水トンネル(9072メートル)に匹敵する。
 その後、さらに収容人口が六万人と推定されるオズコナーク地下都市が発見され、マヴルージャンと言うところにも地下都市が存在する事が、明らかになった。
 この調査でわかっているだけでも合計8万5千人の人がここで暮らしていた事になる、さらにカッパドキアには現地住民の話では無数の地下都市がまだまだ他にも存在し、地下都市は約450個あるとみられ、数十万人の人が暮らしていたという事になる。しかし、地下なだけに調査が難しく調査がなかなか進んでいないのが現状らしい。
---------------------------------[抜粋]

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デリンクユ地下都市の平面図

カッパドキアの地下に穿てられた洞窟はイェラルトウ・シェヒルと呼ばれ、1965年の調査以降次々と発見されていったのだが、地下に張り巡らされた巨大なアリの巣は、10万人以上収容可能と推定される巨大な地下都市ネットワーク、そのスケールもさることながら、さらに驚愕すべきは、カッパドキアの地下都市は、地下都市として機能しうる完璧な設備が備えられていたということだ。つまり、地上にでなくても生活できるのである。

---------------------------------[抜粋]
 通気孔は、地下の最下層より穿たれており、優に百メートル以上はあった。この通風孔には、横穴が開いており、地下都市の各部分に通じていた。
 デリンクユに関しては、現在までに、地下8層までが確認されてはいるものの、地下12層まであるらしく、未だに未発掘の状態である。通風孔の長さは、実に120メートルを越すものと見られている。デリンクユには、このような井戸が52本もあり、6千人もの人間が住んでいたという。この地下都市には、少なくとも5本以上の非常用のトンネルが穿たれており、その内の一本は、9キロもあり、隣のカイマクル地下都市に通じていたらしい。精密機械のないこの時代に、数十メートルならいざ知らず、いかにして地底を9キロも穿って地下都市同士を連結させることが出来たのかは大きな謎と言うしかない。
---------------------------------[抜粋]
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---------------------------------[抜粋]
 これらの地下都市は、地下都市として考えられる限りの完全な施設を持っていたのである。
 この推定人口1万5千人のカイマクル地下都市についての調査報告書の一部を見てみると、
 「まず、最重要な通気孔(エア・コンディショナー)が、都市の中央部を地下70mにある地下水脈まで垂直に貫いている。そして、その通気孔の上端には、多分見張り台を備え付けたと思われる跡が残っていた。各階層は階段または傾斜した通路で互いに繋がり、通路と部屋との境目の所々には、輪状の石碑(図C)が備え付けられていた。
この輪状の石は内部の石で作られたのではなく、外で作られて竪穴の通気孔からおろされた物であった
 井戸もあった。共同炊事場もいくつかあった。共同炊事場には、汚水処理設備の溝と、煙を通気孔の方に導くベンティレーション(換気装置)とがそなえつけられており、そのかたわらには岩塩を粉砕するためと見られる石盤もおかれていた。
 また、燃料や証明器具の油を貯蔵するためと見られる部屋や、家畜を飼育するための部屋、その飼料を作るサイロなどの跡もあった。寝室や仕事場は言うに及ばない。それどころか、ワインを醸造する部屋や、できあがったワインを貯蔵する壷を備え付ける場所まできちんと設けられていたのである。」(埋もれた秘境カッパドキア 著立田洋司 より)
 各部の役割については、付いていた跡からの想像が大部分であるが、それにしても驚くべき遺構である。
---------------------------------[抜粋]

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さて、このカッパドキアの地下都市がいつ建造されたかについて考えてみたい。ただ、この建造された時代については論争が続いており、未だ結論は出ていない。近年までは、三世紀頃にキリスト教徒(修道院)が避難所として定住したというのが通説であった。奇岩を刳り抜き洞を穿った寺院や修道院が多数発見されていて、それらは千を超える数で、キリスト教徒の一味・修道士が住み着いた形跡は洞窟寺院や礼拝堂の壁画として遺されているからだ。

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奇岩を穿ち洞を築いたとみられる遺構は千を越えるという。


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カッパドキアにある洞窟寺院の壁画


---------------------------------[抜粋]
 この当時、ローマ帝国の皇帝は、キリスト教徒に、ありとあらゆる災いの罪を着せて迫害していた。中でも、ネロは、ローマの大半を焼き尽くした大火をキリスト教徒の仕業だとして、片っ端から信者を殺害した。歴史家タキツスは述べている。「処刑はスポーツのようだった。信者は、獣の皮を被せられ、猛犬にかみ殺された。また、コロッセウムでライオンの餌にされた。十字架に縛られて、生きたまま焼き殺された・・」しかも、ローマを焼き尽くした大火は、ネロが自ら火を放ったものであった。
---------------------------------[抜粋]


時代背景的に合致はする。イスラム=アラブに迫害されていたという説もある。キリスト教徒がカッパドキアに定住したのは確かなことだろう。ただし、遺構はすべて地上部の話だ。地下都市からはキリスト教徒の遺物は見つかっていないという。キリスト由来の遺物は全て地上部から発見されている地下にはキリスト教徒の遺物はおろか、生活の痕跡すらなかったようだ。


---------------------------------[抜粋]
 以前はこの地下都市は、地上にあるAD3世紀頃ローマ帝国の迫害に追われたキリスト教徒達によって作られたと考えられていた。 
[中略]
 地上の洞窟と地下の都市の違いは、地上の物にはキリスト教徒による生活の跡があり、キリスト教徒が書いたとわかる宗教壁画が礼拝堂にあるのに対して、地下都市には生活を思わせる物だけではなく、一つの宗教壁画も残っていなかったと言う点である。
 第一そのころローマの迫害を逃れたキリスト教徒は1万人にも満たなかった、そしてAD200年から続いていたキリスト教徒弾圧はAD313年にミラノ勅令にて終わりを告げる。そこからは特に地下に逃げる必要も無くなったわけである。
 ここには、(元々不毛の荒野で定住した民族はなく)キリスト教徒を助ける者もいなかったし、もし何とか地下都市を作り上げても、そこに住むべき人がいないと言う事になってしまうのである。
 地下都市もキリスト教徒が作ったとするのはある意味暴挙であったが、他に可能性が無いので発見当時はそういわれていた。
---------------------------------[抜粋]

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これらの遺構はカッパドキアの地上部から発掘されている。地下都市にはキリスト教徒の遺構は残されていない。

さらにいえば、3世紀以前よりもずっと前に地下都市が存在していたことは歴史家ヘロドトスやクセノフォンが遺している。紀元前5世紀の話である。それらはキリスト教徒が定住する以前に、地下都市は建造されていた可能性を示している。


---------------------------------[抜粋]
 紀元前5世紀の歴史家クセノフォンが、小アジア遠征記「アノ・バシス」に残した文献によると、11万人が住む東アナトリアの地下都市を訪ねてと言う題目で、紹介しているのでそれ以前から存在していたことは間違いないといわれている。
---------------------------------[抜粋]


キリスト教徒が地下都市建造に着手したのでないならば、一体いつ、誰が建造を始めたというのだろうか。問題は、誰が地下都市の建造を始めたかである。もちろん、キリスト教徒が地下都市の存在に気付き、拡張していった可能性もある。万里の長城だって現存する状態になるまで2000年かかったとされている。紀元前5世紀以前に、何者かが、ある目的をもって、この不毛な荒地に地下都市を建造したのである。やはり、建造が始まった時代が重要である。

そこで浮上したのが鉄の民族ヒッタイト人である。ヒッタイト人は紀元前1800年前にトルコアナトリア地方に現れた民族で、製鉄技術を門外不出として独占していたと言われている。五世紀の間栄華を極めたヒッタイト人は紀元前1200年頃に忽然と姿を消すことになる。一説には「海の族」に滅ぼされたと言われているが、その詳細はベールに包まれたままである。

---------------------------------[抜粋]
 旧約聖書には、「ヘテ」という民族が登場する。古代バビロニア帝国の首都バビロンを滅ぼしたことで知られる民族で、古代エジプトのラメセスを滅ぼしたのもヘテではないか、といわれている。ヘテは、その後五世紀もの間、エジプトやバビロニア一帯を支配し、強大な勢力だったという。
 しかし、「この地底都市を築いた民族こそ、ヘテだったのではないか」とする説がある。ヘテを英語読みにするとヒッタイトになる。ドイツの考古学者フーゴ・ヴィンクラーが『カッパドキア文書』として知られる粘土板を解読したところ、そこには「ヒッタイトの首都はアナトリア平原(つまり、カッパドキア一帯)にあった」と書かれているのを発見している。
 そうしたことから、現在では、「ヘテはヒッタイトではなかったか」とみなす説が考古学の主流になっているのである。

 ヒッタイトといえば、初めて鉄を使いこなした民族として知られている。つまり、たいへんに優れた技術力をもった民族だった。その技術力から推し量れば、地底都市の建造も可能だったのかもしれない。
 現在、地底都市は、そのいくつかが一般に公開されている。入り口はとても狭く、中には人がやっと通れるくらいの竪穴を通って、地下へ降りていくのである。その様子から、この地底都市は危害から逃れるためのシェルターだったのではないか、という説も無視できない。

---------------------------------[抜粋]


ヒッタイトであるならば製鉄技術を持っているのだから鶴嘴(ツルハシ)も加工可能だということなのだが、しかしながら乱暴な気がする。紀元前1800年に、約四千年前に、鶴橋で地下都市造成を思いつくか?という話である。3世紀に定住したキ拡張したとしよう。迫害から解放されたのに、なぜ地下に都市を建造したのだ?13世紀にはアナトリア地方をイルハン国が襲来、統治しているし、トルコはイスラム教国だ。9世紀にはキリスト教徒は姿を消しているという。以降1965年の調査まで、全く気付くこともできなかったのである。こんな可笑しい話はない。9世紀にしたって13世紀にしたって電気も発明されていない時代である。カイクマルとデリンクユの都市間は9キロのトンネルで連結しているが、人一人が頭をかがめてようやく通れる大きさであるからして、一人か二人しか作業はできない。都市間を連結するにしたって、適当に掘ればいいというわけではない。当然精密機械もない。照明もない時代である。どうやったら掘り進めらることができるのだろうか。通風孔を100メートルも穿ち、地下水脈まで貫通させる技術というのは、当時存在したのだろうか。宇宙人が作ったとか、魔法で洞を穿ったとか、そんなことを言っているのではない。100万人が住み暮らせる広大な地下都市が1000年もの間誰一人として気付くことができなかったことがどうしても納得できないのである。

前回のブログエントリーで貼りつけた動画にも出演していたオメル・デミル博士は、

「カッパドキアの地底都市は、紀元前5000年から紀元前2000年の間に初めて築かれたもの。そして、もっとも発展したのは紀元前1500年頃ではないか」

という説を展開している。紀元前5000年前というのもこれまた驚きだ。紀元前5000年といえば、日本は竪穴式住居や貝塚に象徴される縄文時代前期で、古代エジプトでは新石器時代である。先史時代である。電気もガスも水道も燃料も、鉄も銅も製法の技術が確立されていない時代に地下都市を造ろうとはたして思うのだろうか。

さらにオメル博士はカッパドキアの地下都市を建造した時代について紀元前5000年から紀元前2000年の間と幅を持たせているが、紀元前1800年ころに現れたとされているヒッタイト人建造説を言外に否定しているようなにも取れる。製鉄の技術を独占、門外不出にしたヒッタイト人であるならば地下都市の建造は可能に思えたが、でははたして、ヒッタイト人以前に誰が建造したかが重要になる。オメル博士は、紀元前1500年に発展(規模面積の拡大、地下都市ネットワークの拡張)したとヒッタイト人が拡張に関与したことは示しているものの、何かの根拠をもって、それ以前に建造された可能性を仄めかしているのだろう。

地下都市について、最後に一つ触れておきたい。3世紀頃に住み着いたキリスト教徒であるが、地下都市にはキリスト教に由来する遺物は発見されていないことは示してきたが、なんと、人か生活した痕跡が無いのだという。うそーん。

---------------------------------[抜粋]
 しかし、この地下都市からは、今のところこのような基本機構の他は何の遺物も出土していないのである。つまり、生活を思わす物、例えば物を貯蔵する壷・服・収納タンス・食器・ゴミなどだ。他には、埋葬の跡が見られるもののそこを掘ってもなにも出てこない。(最近は少しづつみつかっているらしく先史時代から使われてたのではないかと言う説も出ている)
 どうやらここに住んでいた人達は、皆何らかの理由があって、自らの痕跡を残さないように逃走してしまったのである、いったいなぜそんな事をする必要があったのであろうか。
---------------------------------[抜粋]


カッパドキアの地下都市はピラミッドに匹敵するオーパーツである。にもかかわらずその全容は解明されていない。さらに地下深くにトンネルが穿てられている可能性は否定出来ない。なぜ、解明に後ろ向きなのか。不可解というほかない。


[参照ページ、及び抜粋先]

http://www14.plala.or.jp/mrchild/kpadkia.html

http://members3.jcom.home.ne.jp/dandy2/works/works_14_q.html

世界遺産・消えた文明のミステリー: 王朝・都市・民族の繁栄はなぜ終わったのか
著者: 平川陽一




まとめ
○カッパドキアの地下都市は100万人収容可能な地下都市ネットワークである。
○地下都市として機能しうる完全な機能をそなえている。
○3世紀に定住したキリスト教徒が地下都市を建造したというのが通説であったが、紀元前五世紀に地下都市が存在したという文献が残っている。通説より800年前である。
○キリスト教徒の遺物は洞窟寺院や修道院で見つかっているが、地下都市からはキリスト教徒の遺物は発見されていない。
○今は紀元前1800年頃にトルコ・アナトリアに現れたヒッタイト人が地下都市建造を開始したという説が主流。
○しかし、オメル博士はそれ以前に建造されていたという見方を示している。7000年前の紀元前5000年から紀元前2000前だという。
○9世紀以降、少なくても13世紀以降から1965年に調査を開始するまで1000年もの間、地下都市の存在を誰一人として知らず見つけ出すことができなかった。ただ、地下都市に触れた言い伝えは残されていたという

紀元前50世紀~前20世紀 カッパドキアの地下都市建造開始(オメル博士の説)
紀元前18世紀 トルコ・アナトリア地方にヒッタイト人が現れる。
紀元前12世紀 ヒッタイト人が滅亡。製鉄の技術が世界に広まる。
紀元前5世紀 当時の歴史家が文献でアナトリアの地下都市に触れている。
西暦3世紀 迫害されたキリスト教徒が定住する。
西暦9世紀 洞窟寺院や修道院はこのころに造られたものとされている。
西暦1965年 本格的な調査が始まる。



奇岩地帯の地下に広がるオーパーツ 謎の地下都市、カッパドキア1
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-218.html


次のブログエントリーではカッパドキアの地下都市を造ろうとした動機にスポットを当ててみたい。目的はズバリ、最後の審判(ハルマゲドン)を見据えたノアの方舟である。何も核戦争に限ったわけではないとみている。311東日本大震災を経験した今、アララト山4000メートルの地点で発見されたノアの方舟の意味を考えてみなければならない。鶴亀の謎がヒントだ。


2011/04/15加筆修正

Tag:カッパドキア 地下都市 鶴亀 

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カッパドキア雑考・月と殿下とウランガラス

2011/04/13(Wed) 12:43

2011/04/21加筆修正

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帯重なるごとく地下に洞が築かれ、通気孔が地上から地下水脈に到達するまで穿てられ、横穴で地下都市間が連結され、地上に出る必要のない完全な都市機能を備えた地下ネットワーク。トルコ・カッパドキアの奇岩地帯の地下に築かれた巨大な地下都市は推定100万人収容可能と言われている。

カッパドキアの地下都市建造は、かつては西暦三世紀ごろに移り住んだ、当時ローマ帝国やイスラム教徒から迫害されたキリスト教徒の遺構だとするのが通説であった。されど、キリスト教徒の遺物は全て地上部の洞窟寺院や修道院から出土されているものだ。地下都市から発掘されたわけではない。地下都市にはキリスト教徒の痕跡はおろか、居住した痕跡すら見あたらないという。さらに、西暦四世紀に入りローマ帝国はローマ勅令でキリスト教に改宗したので迫害される理由がない。紀元前五世紀に当時の歴史家が”アナトリア地方の地下都市に11万人住んでいた”という文献を遺している。キリスト教徒が建造したという通説では説明付かないことも多く見受けられたが、他に説明つかなかったという。

キリスト教徒が定住したとき、すでに地下都市は存在したと考えられているようで、今は地下都市建造はヒッタイト人によるものだとするのが主流だという。旧約聖書に出てくるヘト人はヒッティ、ヒッタイト人。もう一つ加えれば秦(ハタ)。製鉄技術を独占、門外不出としたヒッタイト人であるならば大掛かりな地下都市建造も可能かもしれない。ただ、紀元前1800年から前1200年までの話だ。この頃、日本では土器、貝塚、高床式の縄文時代にあたる。地下に住もうなんて発想すら湧かないのではないか。

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戦車に乗るヒッタイト人

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ヒッタイト象形文字

地元では地下都市の存在に触れる言い伝えは残されていたという。いわゆる口頭伝承である。カッパドキアの地下都市の調査は1965年からだという。少なくとも数百年間、巨大な遺構の存在は気づかれることすら無かったのである。”超秘密政策による歴史改竄と隠蔽工作”ではないか。

では、なぜヒッタイト人はトルコ・アナトリア高原の地下に巨大な地下都市建造を思いついたのか。なぜ”超秘密政策による歴史改竄と隠蔽工作”で封印したのか。


■ 三笠宮殿下とトルコを結ぶ線

二元論というのがある。表があり裏がある、善があるから悪がある、光があるから影がある、神がいて悪魔がいる。民主党と共和党。白と黒。剣とペン。文武両道。2つの対照的な物事は表裏一体だという考えをいう。日本とトルコの間にある二元論といえば、国旗に注目したい。日本は日の丸で光・陽を示し、トルコは月と星で夜・闇を示している。陽があれば陰もある。見事な二元論である。

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さらにトルコはTurkeyと書き、そのまま読めばツルキ=鶴亀=剣(つるぎ)になる。語原は英語のTurkey(七面鳥)だというが、そもそもトルコには七面鳥は生息していなかった。トルコ生息のホロホロ鳥を七面鳥と勘違いしTurkeyと名付けたというのだが、国名の語原が勘違いというのは些か腑に落ちない点でもある。Turkeyは月とも読めるのだが、はたして偶然だろうか。

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日本・トルコ協会名誉総裁の三笠宮崇仁殿下。中近東文化センターの生みの親。

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現日本・トルコ協会総裁の仁親王殿下。

皇室、三笠宮殿下は日ユ同祖論の研究者として有名だが、日本・トルコ協会名誉総裁でもある。さらに、トルコのヒッタイト帝国時代の遺跡と言われるカマン・カレホユック遺跡を日本の中近東文化センターが1985年以来発掘作業を続けているのだが、中近東文化センターというのは三笠宮殿下の発意で発足した研究機関である。古代オリエント学と称して日本とユダヤの研究を続けておられる三笠宮殿下はトルコに何を見たのだろうか。

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ヒッタイト帝国時代の遺跡・カマン・カレホユック遺跡。俯瞰すれば亀のようだ。名前もKaman-Kalehoyuk…カマンが亀と読めなくもない。不思議な符合だ。ようし、鶴嘴(ツルハシ)担いで・・・


■ 剣山の麓にある美馬市


カッパドキア(Cappadocia)は「美しい馬の地」を意味するペルシア語だという(Katpatukに由来、トルコ語:Kapadokya、ギリシア語:Καππαδοκ?α)。カッパドキアが美しい馬の台という意味ならば、徳島・剣山の麓にある美馬市は無関係といえるだろうか。美馬市にはアインシュタインが戦争の犠牲になった三宅医師に捧げられた友情碑がある。三宅との友情はアインシュタインが船旅の最中急病を患い、偶然居合わせたことがきっかけだと説明するが、はたして、理由はそれだけだろうか。徳島県美馬市の郵便番号は『777××××』。七七七は喜と読み七七歳で迎える喜寿の語原である。

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剣山の麓にある美馬市。伊射奈美神社やアラタエ用の大麻を管理する三木家が有名。

美馬市 アインシュタイン

美馬市 郵便番号


■ 照明はウラン精製品??

ヒッタイト人にせよキリスト教徒にせよ、地下都市を建造開始した古代では、どうやって明かりを得ていたのだろうか。カッパドキアが完全な都市機構を備えた遺構だとして、その建造を手がけたのが電気もガスも水道もない時代である。松明、提灯、ロウソク等を照明にするとしても、燃料や酸欠の問題もある。火を燃やし明かりを得る発想は、インフラが整っていない古代の地下都市にいたっては実用的ではない。では何で明かりを得ていたのか。光る石でもあれば良いのに、と思ったのだが、

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ウランガラス。紫外線を当てれば発光する、微量のウランを含んだガラス製製品である。

ウランガラスというのがあった。へえ、ウランって光るのか。当方はウィキペディアにあるような黒褐色の粘土だと思っていたのだが、”紫外線を当てれば光る”リン銅ウラン鉱などを混ぜ合わせればウランガラスの様に紫外線を当てれば発光する不思議なガラスをも作りうるのだ。

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ウラン ウィキペディアより

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リン銅ウラン石。ペンダントにすればダビデの星になりそうだが…

ウランガラスはウランの性格を知り得つつガラス精製の技術があれば作成可能であろう。ヒッタイト帝国時代(紀元前1400~前1200年)の遺跡からガラス容器が発掘されていることからも、ヒッタイト人がガラス精製の技術を得ていたと認識されている。



トルコ・ヒッタイト時代の精巧ガラス、トルコで出土
http://escapee.jp/wp/archives/5924
---------------------------------[抜粋]

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 トルコ・アナトリア高原のヒッタイト帝国時代(紀元前1400~1200年頃)のビュクリュカレ遺跡を発掘調査している中近東文化センター(東京都三鷹市)は、当時ガラス製作の先端地域だったメソポタミアに匹敵する技術で作られたガラス容器を発見した。
 容器は、紀元前14世紀の宮殿とみられる建物の床の上で見つかった。直径約4センチの細長い首と、同約10センチの洋梨形の胴部を持つつぼで、高さ約15センチ(全長は推定約25センチ)。不透明な白地に、白や濃紺の細いガラスひもを、ねじったり、波形にしたりして張り付けた、精巧な装飾が施されている。
 ガラス容器の生産は、紀元前16世紀にメソポタミアで始まったとされる。ヒッタイト時代のアナトリアでは、ガラスの小片が数点見つかっているだけだった。
---------------------------------[抜粋]

■ 早川メモが示唆する燐光するウラン石の存在

りん銅ウラン鉱は日本でも産出されている。岡山県と鳥取県にまたがる人形峠で産出される人形石の二次生成物がリンカイウラン石と言われている。

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人形石

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燐灰ウラン石

日本でも珍しいウラン鉱床である人形峠はオウム真理教の幹部、早川紀代秀が残したメモ、いわゆる早川メモの中にも登場する。岩上安身氏の早川メモに触れた記事では〈人形とうげ→調べる〉と書かれている。

2011-04-13 11-00-01
http://www.hh.iij4u.or.jp/~iwakami/aum2.htm

さらに、早川メモの中には

<*塩湖のそばがある。 *小さな塩湖の中にある。 →ドライエリアにある。 *2~3mの軟い石の中(軟い土地)に入っている *燃灰ウラン鉱が見つかったらその下に硬いウランが出る。>
という記述があるというのだが、言外に、リン銅ウラン石、燐灰ウラン石とは別種のウラン石の存在を示唆しているようにもみえる。つまり、それこそ紫外線を当てなくとも燐光する光る石なのではないかと想像してしまう。リン重土ウランというのがあるらしいが、それのことだろうか。


さらに、これには驚いたのだが、人形峠はウラン鉱床発見前は「打札(うちふだ)」と呼ばれていたという。「打札」とは正しく、”超秘密政策による隠蔽工作”の痕跡ではないか。ウラン鉱床の露頭が発見されたのが1955年だとされている。それ以前、恐らく古代日本でウランを知り尽くした何者かが、人形峠に人が立ち入らぬよう魔除けの札を打ったのだ。カッパドキア・四国徳島剣山に相通じるものを感じるのは当方だけだろうか。


Tag:カッパドキア 地下都市 鶴亀 

Category:カッパドキアと剣山雑考

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カッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎

2011/04/14(Thu) 00:10

カッパドキアと四国徳島・剣山を結びつけるのは、やはり、”超秘密政策による歴史改竄と隠蔽工作”の痕跡である。両者は人工建造物(大杉博氏は剣山が人工建造物である確証を得たと明言している)でありながら数百年の間、その存在すら気付かせなかったのである。

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剣山山頂


■ 四国徳島の剣山で発掘されたミイラの記事が消されている??

1950年8月26日、山本英輔という海軍大将が徳島・剣山でミイラ100体を発見したという記事が徳島日報で配信されたのだが、徳島日報で当記事が配信された新聞ごと消されているという。これは非常に興味深い。剣山に関するやりとりは動画の四分あたりから。

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http://www.youtube.com/watch?v=yyEGBHxAQHU


飛鳥昭雄氏がいう剣山で発掘されたミイラ100体について詳述したブログを見つけたので引かせていただく。これが事実だとすれば、唸らずにはいられない。やもすれば、剣山の地下に、カッパドキアに匹敵する地下都市が存在するかもしれないことを示唆しているようにも思えるからだ。


7、アークは剣山に眠る!? その1
http://www.fushigido.net/ancient/item.php?id=12

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昭和11年、剣山の険しい山道を、黙々と登る男の姿があった。男の名は、高根正教(たかね・まさのり)。神奈川県の尋常高等学校の校長を務めた名士で、聖書研究家だった。

続く男は資産家の内田文吉と、角田清彦の2人。高根をリーダーとした3人の男たちの目的は、剣山山頂部の発掘。表向きには「剣山鉱区地質調査」だったが、本当の目的はまったく別のところにあった。「ソロモンの財宝」の発掘だ。

高根さんは神道のいわゆる「言霊」(ことだま:言葉には魂が宿っているという考え)に精通していて、言霊を使って旧約聖書を解き、剣山にアークが眠るという結論に辿り着いたらしい。

高根さんが注目したのは、山頂付近にある「鶴岩」と「亀岩」だった。高根さんは同士とともに、亀岩の下を数年間かけて約150mも掘り進んだ。

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剣山・鶴岩亀岩

結論からいうと、アークこそ出なかったものの、131m地点で巨大な球体型をした「太陽岩」を発見。さらにその4m奥でも同じ球体の岩を発見。さらには、大理石でできたアーチ門や高さ15mほどのピラミッド型の空間までも発見した!

これが今の世だったら世界的大ニュースになるところだけど、いまから70年以上前の話。この情報は瞬く間に「政府」の耳に届き、高根さんの発掘はココでストップをかけられる。発掘品は一部を除き、すべて没収されてしまう...。

しかし、高根正教の冒険のウワサは、日本中の男たちの心に火をつけることになる。戦後、その
価値8000億円ともいわれるソロモンの財宝を求めて、多くの冒険家たちが剣山を目指した!

その中でも、高根正教以上の発見をした男がいた。元海軍大将・山本英輔である。山本は、高根たちの「穴」を特定し、さらに奥へと掘り進んだ。そして掘り進むこと16日目、とんでもナイモノを発見することになる。なんと、レンガ作りの回廊の奥に、100体以上のミイラが眠っていたのだ!

結局、山本も資金繰りやいろいろな問題に邪魔されてアークまでは行き着かなかったが、高根、山本他、たくさんの男たちによって、剣山が「人工」の山であり、山頂付近には、なにか「遺跡」のような「地下施設」があることが判明したのだ。

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8、アークは剣山に眠る!? その2
http://www.fushigido.net/ancient/item.php?id=13

---------------------------------[抜粋]

最近は、剣山自体が国の国定公園に指定されて、発掘は全面的に禁止されている。自衛隊が調べているとか、夜な夜な米軍がウロついているとか、色んなウワサがあるけど、どれも定かではない。

2003年にインタビューさせてもらった、大杉博(おおすぎ・ひろし)準教授も、アークは確実に剣山にあると断定している。しかし、大杉氏は「高根さんは、結構、見当違いなところを掘っている。アークがあるのはあそこではない。行場にある」と言う。

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剣山行場マップ

オレら東京グーニーズは、大杉氏にインタビューで聞いた位置と、現存する資料を照らし合わせ、ある位置を特定した。それは、剣山山頂から登山ルートとはちょっと違う位置に降りたあたり。自然道の修行僧が修行していたという、いわゆる「行場」だ。この「行場」のどこかから、「地下施設」に入れる「穴」を探すことにした。怪しい場所は、大きく分けて3つ。

1つは、「古劔神社」という行場にある小さな社の上のガケを登ったところにある「穴」。

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古劔神社・古剣神社・こつるぎじんじゃ

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プレハブ作りのチープな社だが。

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横からみた古劔神社。うっ、洞が見える…

ココは、弘法大師・空海が作ったと言われる「地下施設」への抜け穴だと大杉氏は言う。しかし、入ってスグのところで、落盤で埋まってしまっている。岩盤のスキマからは、かすかに冷たい風が吹き抜けていて、奥に空洞があるのが分かる。でもココを掘るのはめっちゃキケンだ。ただでさえやわらかい石灰岩でできた層なのに、落盤でガタガタなところを掘ったりしたら、ペシャンコになるのは目に見えてる。

もし、ココを掘るんだったら、NASAとかよくわかんないけど、そーとースゴい機材を使わないとムリだろう、きっと。予算もナニもない、スコップくらいしか使えないオレらにとっては、一番非現実的。ココを掘って「穴」に入るのは、オレらにはムリ。

2つ目は、「鶴の舞」と呼ばれる巨石からナナメ上に伸びているケモノ道をあがったところ。

鶴の舞
剣山・鶴の舞

ココは、いわゆる「聖域」と呼ばれていたところらしいが、いまはもう忘れ去られていて登山ルート案内にも載ってない。ホトンド90度の崖っぷちを登ると、そこには巨石でつくられた古代の
「神殿」が残っている。きっと、なにかの「儀式」で使われていた「祭壇」かなんかだろうか。

「聖域」と呼ばれるだけあって、ココには尋常じゃない神がかった空気が漂っている。オレらの見解はつまり、こうだ。「古劔神社の穴」が塞がって入れないんだったら、そのちょうど上に位置する聖域に「縦穴」を掘れば、「古劔神社の穴」の途中に縦から入れるんじゃないか?というワケ。バカバカしく聞こえるカモしれないけど、実際、大杉さんも掘ったことがあるらしい。6m近く掘ったところでバレちゃって埋めさせられてしまったらしいけど、途中、勾玉のような石や、湾曲した、どうみても人工的な石が出て来たらしい。

2003年、剣山調査から帰って来たばかりの頃は、もう一度、今度はスコップを持って聖域を掘るぞ!と息巻いていたんだけど、掘るとなったら、それなりの日数が必要だろう。1週間、イヤ、ホンキで掘るんだったら1ヶ月はキャンプを張って掘り続けなくちゃ。

パクられたらどーする? もうイイ年だろ…とか、1ヶ月も仕事休めないッスよ?っていう人がホトンドで(当たり前だけど)、結局実現しないまま、今に至る。

---------------------------------[抜粋]


剣山の地下がカッパドキアの地下都市のようだったら、と妄想してしまう。しかし、興味深いですな。


※おまけ

宇野正美講演会2000-0119

内容が面白すぎて必見。

Tag:カッパドキア 地下都市 剣山 鶴亀 

Category:カッパドキアと剣山雑考

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イエス・キリストは人名ではなく、宇宙原理の表現であった。

2011/10/19(Wed) 17:36

人類が絶滅の危機に瀕するほどの天変地異など来るわけがないと普通は考える。実際に、人類は60億人いる。繁栄の限りを尽くしているではないか。誰一人として明日、人類殲滅の危機に遭遇するなど微塵も思っていないだろう。そう、旧約聖書のノアの大洪水はあくまで神話でなければならないのだ。

まるで311以前の日本人のごとくである。ノアの大洪水に代表される人類絶滅するほどの天変地異は、あくまで神話の中の話だと考えてしまいがちである。

少なくとも人類は、一度は全滅の危機に瀕したと考える。ノアの方舟は5000メートル強のアララト山山頂に漂着したと旧約聖書では示されている。もし、ノアの大洪水が史実だとして、生き延びた古代人類は未来に向けて何らかのメッセージを遺したはずである。

だがしかし、「人類を絶滅させてはならない。未来にも同じようなことが起こるから注意せよ」といったことを言葉や文字で遺しても、未来にちゃんと伝わる確証はない。だから古代人類は天変地異のそれを示すシンボルを未来のために遺すことになったのだ。言葉や文字ではなく、シンボルで黙示したのではなかったか。

例えば、プロビデンスの目と呼ばれるシンボルがあるが、これは、アララト山頂に漂着したノアの方舟を表していると睨んでいる。ピラミッドがアララト山を準えて、ノアの方舟を山頂に示したように思えるのである。当方の見立てでいえば、ノアの方舟をなぞらえた葦の葉の形をしたシンボリックな形状は、いつしか黒目が加わり目になった。さらに眉を加え左右の区別が付くようになった。1ドル札でいえば左目(悪魔の眼)である。イルミナティフリーメイソンの支配のシンボルとして今は認知されている。


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ホルスの眼にしてもそうだ。眉と黒目が人の目を想像させるが、右下の巻きあがった部分が洪水を表しアララト山頂に流れ着いた様子を示しているようにもみえる。


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両方共アララト山頂に漂着したノアの箱舟をなぞらえたのではないか?


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アララト山頂4600メートル付近をGoogle Earthで探索していたとき、不可思議な形状の造形物を見つけた。

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長さは130メートルあった。ノアの方舟かもしれない。


宗教ではないが、葛飾北斎の絵などは大津波を示しているとはいえないか。荒れ狂う波の向こうに富士山がある。波、山、船。大津波、大洪水の到来を黙示しているようにも見える。


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1000年、10000年、途方もなく長い時の中で、古代人類が遺したシンボルは、少しずつその真意からそれた形で受け継がれていくことになる。人類が滅亡する危機に瀕するほどの天変地異の到来に備えよという本来のメッセージが、いつしか教えに従っていれば神々は手を差し伸べ救ってくれると信じられるようになったのである。

それが宗教である。

天変地異の到来など微塵も考えない人類は古代人類からの警鐘を履き違え、宗教に信仰し教えに従っていれば自分は救われるという、個人的信仰に形を変えてしまった。何世代ものリレーの中、少しずつ変貌を遂げていき、現代では、シンボルの真意すら知らずに、人々は宗教で救済を求めるようになった。実際に起こってみなければ、なんの対策も打ちようはない。311前の日本人よろしく、天変地異の大災害など神話以外の何者でもないのである。

ユダヤ教は旧約聖書の記述に従い、生活様式を神の意志に従うことで救済を求めた。中でも過越という概念がある。旧約聖書の教えを守ろうとしない民の元を怒りに満ち満ちた神が過ぎ越した村は全滅したという。そんな中、神はユダヤ教を忠実に守る人々の前ではしるしを見つけては何もせずに通りすぎていったという。まさしく個人的な救済である。他にも拝火教(ゾロアスター教)は火を絶やさぬことで救済を求めた。回教(イスラム教)は厳しい戒律を守り日々祈りを捧げることで救済を求めた。日蓮宗は「南妙法蓮華経」とお題目を唱えることで救済を求めた。地球上の動植物を全滅させるほどの天変地異の襲来、その対策など、影も形もないほどに度外視されたのである。


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沖縄与那国の海底遺跡はなぜ海に沈んだのか。



というわけで、本題に入る。

キリスト教では、イエス・キリストは実在した人物だと考えられているのだが、異論を唱えた人物がいる。聖書研究の権威でありイギリスからオファーを受けるほどであった高根正教氏である。


高根正教・三教【四国剣山の謎】Shikoku Tsurugisan mystery - YouTube :

http://www.youtube.com/watch?v=rFvMHC2Yej8&feature=youtu.be


「四国に封印された大和民族の謎と鍵」

高根正教は教職在職中,国語教科書の五十音図に接するうち,イ・ウ・エの同一音の文字が重複していることに疑問を抱き,五十音言霊の研究に着手。当時、わが国聖書研究の第­一人者としても国内外から高い評価を受けており、一時はイギリスでもカンタベリー寺院の僧正に迎えようという動きがあったほどの「聖書の高根か高根の聖書か」と世界が認め­た権威者だった。

高根正教は四国に関する研究に没頭,四国全域の地形,風土,地名,民族伝承を,古事記・黙示録と五十音言霊によって照合し多角的に研究を重ねた結果,四国­剣山の山頂地下にユダヤ民族の神宝を収めた「契約の櫃」が埋蔵されていると言う結論に達したのである。

かくして昭和11年6月には高根正教,角田清彦,戸風正一等による第1回の発掘調査が開始されたのである。

これは,同年12月10日まで継承され,さらに翌12年,13年と発掘は進められた。この間の発掘は述総485尺の長さに及び,玉­石,大理石の鏡石,レンガで築造されたアーチ等が発見され,ここに剣山頂は神宝を秘匿する為に人工的に加工せられたものとする正教の説が見事に立証されたという。

高根三教は、父が未着手の分野を開拓、発展させて40数年研究を続ける。

昭和29年、神奈川県藤沢市の江ノ島の洞窟の発掘調査を父と共­に行い、地下九尺の地点に第二洞窟を発見、"洞窟が人工である"との学説を実際に証明。


彼こそは剣山にアークが眠っているという歴史を根本から覆すほどの新説を唱えた第一人者である。以降、彼に同調した多くの研究者が後に続いた。高根正教氏の説は宇野正美氏や大杉博氏によりイスラエル失われた十支族日本渡来説や四国邪馬台国説などの諸説が展開されることになる。神話から生まれた日本の、古事記や日本書紀でカモフラージュされた本当の歴史が目に見える形になって現れてきた。

高根正教氏の発掘品は日本政府に没収されることになるのだが、後に続いたのが元海軍大将の山本英輔である。彼が剣山の高根正教氏が掘り進んだ奥にミイラ100体を見つけたことは以前ブログで書いた。


カッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-223.html


高根正教氏は、五十音=コトダマは無始無終であり、五十音こそイエス・キリストであると結論づけた。イエスは宇宙原理の表現であり、人ではないと考えたのである。さらに、ヨハネの黙示録のヨハネは夜終(ヨ・ハネる)であり、新約聖書は五十音=コトダマで作られたものだと読み解いた。

イエスキリストは五十音である。宇宙原理の表現であり、象徴である。イエスキリストは人として存在しないのである。











高根正教氏の研究は息子三教氏に受け継がれ、高根親子が故人となった今でも、その意志は多くの研究者に受け継がれている。日本の歴史は飛鳥時代以前は神話であった。神が日本を造ったと教えられた。どこの世界に歴史が神話から始まる国があるのだろうか。こんな馬鹿な話はあるか?と思うくらい、これほどの矛盾はそうそうないのだが、日本の本当の歴史はなんだったのか、読み解く鍵がここにあるように思えてならない。


カッパドキア雑考・月と殿下とウランガラス
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-222.html


2011/10/27加筆修正

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ウランを手にいれた一族の話と中国の神獣、龍の話/ウイングメーカーとカッパドキア

2011/10/27(Thu) 16:56

WingMakers LLC ~ウイングメーカー
http://www.voice-inc.co.jp/documents/wm/index.html

ウイングメーカー壁画一覧
http://www.voice-inc.co.jp/documents/wm/chamber.html

ウイングメーカーとは?
http://www.voice-inc.co.jp/documents/wm/wingmaker.html


奇岩地帯の地下に広がるオーパーツ 謎の地下都市、カッパドキア2
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-220.html




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ウイングメーカーの壁画。

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この背景はトルコのカッパドキアではなかったか。

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カッパドキアの奇岩群

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奇岩群の下には超大な地下都市が存在する。未だに全ての発掘を終えていないという。

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右の女性器を象った画面の奥にカッパドキア。

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地下都市の入り口らしきも見て取れる。

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カッパドキアの地下都市の入り口は巨大な太陽石で塞がれていたという。

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これもカッパドキアの風景に似ている。

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少し強引に天皇家とウランを結びつけてみる。

2012/03/05(Mon) 04:49

イランとイスラエルに見る、世界規模のクライシスの予感 | 憂いの果てに ~次男坊のアフォリズム~


 

今、イスラエルが影の戦争を仕掛けている。いわゆる諜報戦争。諜報専門の工作部隊による、情報戦争である。

イスラエルは四国ほどの大きさの国だ。建国したのは1948年。今から64年前である。元々はイギリス委任統治領であり、パレスチナ人が住んでいた。

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イスラエル建国により、パレスチナ人の多くが土地を奪われ難民となった。その数、70万~80万人だったとされている。パレスチナ人にとっては不条理極まりないことだ。なにしろ、イスラエルはユダヤ人にとって神に約束された土地だから出てってくれと、なんだか分けのわからない宗教観を持ちだしては土地を追われ、時には強奪されるのだから溜まったものではない。パレスチナ自治区はヨルダン川西岸地区、ガザ地区に分断されているのだが、ユダヤ人入植問題の着地点は今のところ定まっていない。

イスラエルとパレスチナ自治区の国境には高さ10メートルの分離壁が延々と並んでいる。とかくガザ地区はイスラエルから飲料水や燃料を買っていることもあり、完全に生殺与奪の権を握られてしまっている。

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本題に入る。

イスラエル王国滅亡以降イスラエル民は離散することになるのだが、神と約束された土地であるのに二千年余の間、放置した理由は一体何だろうか。当方は、イスラエルは古代イスラエルの時代に猛烈な大規模放射能汚染に晒され、人が住めなくなったのではないかと考えている。アッシリアや新バビロニアなどによってイスラエルは滅亡したのだが、バビロン捕囚やジェノサイドもあっただろうが、確実なことは、ユダヤ人がイスラエルを離れたことである。世界各国に離散したユダヤ人がイスラエルに帰還したとき千年王国が始まるという。千年王国とはイエスキリストの分身が地球に君臨したあとの千年間であり、シオニスト運動の根底にある。では、ユダヤ人は、古代イスラエルの終焉を迎え、二千余年の年月を、多民族が住み着くまで放置した理由は一体何なのか。

イスラエルは神と約束された土地だというがユダヤ人が古代イスラエルを去ったのは史実である。イスラエルは古代イスラエルの時代に大規模な放射能汚染に見舞われせたのではないか。

もっと言えば、古代イスラエルの時代にウランが核爆発したのではないのかとすら思っている。

原子力の原理の中でもウランやプルトニウムの核爆発は至ってシンプルである。一定量を集めれば臨界を起こし爆発するのである。放射性同位体の中でもウラン235、プルトニウム239は明確な臨界質量がある。だからこそ、臨界、核爆発を制御することができるのである。

臨界質量は、ウラン235は液体状態で800グラム、金属状態で22キログラムである。プルトニウムはもっと少なくて液体状態で500グラム、金属状態で5キログラムである。

仮に、古代イスラエルの時代にウランによる核爆発が起こっていたとしよう。時代は紀元前である。2千年以上前だ。ウラン技術を手にすることが出来るだけの土台はあるのだろうか。その辺りは、実はよくわからない。
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古代イスラエルの時代、イスラエルは北と南に分かれていた。イスラエル北王国とユダ南王国である。

紀元前722年、北王国がアッシリアに滅ぼされる。そしてユダ王国は紀元前586年、新バビロニアに滅ぼされる。興味深いことに、北王国を滅ぼしたアッシリアも南王国を滅ぼした新バビロニアも100年経たないうちに文明を滅亡させているのである。アッシリアなどは1400年間の歴史に終止符を打つ形になった。

イスラエルを滅ぼすほどの民族(文明)が、なぜ、一世紀経たずに滅ぶことになったのか。古代イスラエルの時代に猛烈な放射能汚染にさらされた土地に根付いたからこそ淘汰したのではないだろうか。

イスラエルの失われた十支族は、イスラエル北王国がアッシリアに滅ぼされた時、消息を絶った10の支族である。それぞれの支族には以下のようなシンボルマークがある。

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中でも『アシェル族』の紋章に注目したい。これは、オリーブの木を象ったものだという。


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当方には別な物に見えて仕方がない。核爆発によるキノコ雲である。
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オリーブの木


アシェル族のシンボルマークが、核爆発によるキノコ雲をモチーフにしていたとするならば、イスラエルの失われた十支族とは、祖国を不毛の地にしてしまったウラン技術(文明)を人類が手の届かない所へ秘匿するために、その存在を消したのではないかとも考えうる。

イスラエルの失われた十支族が日本に来ていたとする説がある。いわゆる日ユ同祖論の根拠の一つでもあるが、ガド族=
帝(ミ・カド)=天皇家と解釈し天皇家の始祖になったとするものである。

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ガド族のシンボルマークは宿営を象ったものだという。

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ガド族のシンボルマークにそっくりなものが、かつての伊勢神宮にはあった。

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伊勢参詣曼荼羅という17世紀に描かれた伊勢神宮には内宮、外宮共に三つの社が描かれている。これはガド族のシンボルマークと符合する。はたして、偶然なのだろうか。

天皇家は125代続いているという。そして、天皇家の初代から八代まではベールに包まれている。欠史八代である。日本の歴史書で代表的なものに古事記や日本書紀などがあるが、大体神話が歴史などふざけた教育はするべきではない。史実は事実に基づいた物語である。ヒストリーである。淡路島を生んだだのヤマタノオロチだののメタソロジーは神話であり、事実ではない。神話が史実になっていることは、日本の悲劇の一つである。

欠史八代に代表されるように、万世一系125代男系で継承されてきた天皇家の始祖はベールに包まれているのだが、始りは皇紀として認定されている。皇紀は、今年は2672年である。

失われた十支族のガド族がアシェル族(つまりウラン技術)と共にイスラエルを離れ日本に流れ着き天皇の始祖になったのではないか。その根拠である。

紀元前660年である。

イスラエルの北王国がアッシリアに滅ぼされたといわれているのが紀元前722年である。ユダ南王国が新バビロニアに滅ぼされたとされるのが紀元前584年である。

つまり、722年→660年→584年と、イスラエル北王国が滅び、十支族が姿を消して、ユダ南王国が滅亡するまでの間に、皇紀元年が日本で生まれているのである。少なくとも、天皇家=イスラエルの失われた十支族のガド族だとする説に矛盾はない。

ユダヤ教とは様式的信仰である。旧約聖書に記されてある戒律を生活の中で再現し、神の選別を請うものである。他方で、ユダヤ人とは神と約束を交わしたアブラハムの血統だと考えるむきがある。旧約聖書にそう書かれているからだという。

日本の始祖となった天皇家はガド族でアシェルの技術であるウランを八代かけて封印したのではないか。神話が歴史だと馬鹿げたことをのたまうよりも数段妥当性があるのではないか。

天皇家は同族婚姻をくり返し、側室を設けて血脈継承に固執してきた。側室とは愛人と同意である。本妻で男子に恵まれなければ、愛人の子が万世一系を保った。125代万世一系を男系で継承するとは、そういうことである。アブラハムの直系であるイスラエル北王国のガド族であったとするならば、旧約聖書に従い血脈継承に固執しただろう。

天皇は序列の中で世界最高位にあるという。ただ一人の祭祀王である。そんな天皇家が掲げているシンボルマークが以下である。

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菊の十六弁である。一文字という弁を14~16弁つける菊を擬えたと云われているが、これは、放射能が縦横無尽に放射線を放出する様を示したのではないだろうか。

そして、ウラン技術を人類の目から永遠に隠匿するために、イスラエルの地を離れ、アークに乗せて日本に持ち込んだのではないか。ウランは有害な放射線を放出し続けるゆえ、人は手で運ぶことはできないが、臨界質量をちゃんと管理すれば爆発することはない。隠した場所はもちろん、四国の剣山である。

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霧箱の中で放射線を放つ様子(ポロニウム)。菊の16弁そっくりである。

2ぷる

2012/03/09加筆修正

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鶴と亀が黙示するウランの隠し場所

2012/04/21(Sat) 00:41

鶴亀。鶴と亀はいつも一緒にいる。

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亀は海辺川辺に生息し、鶴は湿地帯に生息する。鶴の足元に亀がいることなど無いと思うのだが、鶴と亀は同じフレームの中で描かれ、縁起物として知られている。

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鶴は千年。亀は万年。長寿の象徴である。

初夢に鶴亀を見ると縁起がいいらしい。

災が振りかかってきた時には『鶴亀鶴亀』。落語では魔除け変わりに鶴亀を二回唱える。

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鶴は枝に止まる鳥ではないゆえに、亀の甲羅には乗らない。

鶴は千年、亀は万年にしても、確かに鶴も亀も比較的長い寿命を持つ生物であるが、千年も一万年も生きられない。

鶴亀はよく考えれば矛盾する話ばかりである。

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おとぎ話の浦島太郎は、最後に玉手箱を開けてしまい老人になってしまうのだが、別バージョンでは鶴になって羽ばたいたともなっている。

浦島太郎と全く同じストーリーなのが鶴の恩返しである。

両者は情に報いるストーリーだが見るなのタブーに類される。

とにかく鶴亀は2つで一つ、ワンセットである。

鶴亀を一つにする。そのヒントは馴染み深い童謡にも示されている。

かごめかごめ 籠の中の鳥は
いついつ出やる 夜明けの晩に
鶴と亀が滑った 後ろの正面だあれ?

滑ったではなく、鶴と亀が統べった。鶴と亀は一緒にいてこそ成立するのである。


四国徳島の剣山はかつて鶴亀山と呼ばれていた。山頂には契約の箱、聖櫃が眠っていると根強く言われている。


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剣山。鶴岩と亀岩。


50音(ことだま)から聖櫃は剣山にあると読み解いた高根正教は剣山山頂にある鶴岩亀岩に目をつけた。実際に掘り進めること地下130メートル付近で人工遺跡の痕跡を発見した。その後も軍人であった山本英輔がミイラ100体を見つけたが、闇の中に葬られた。詳しくはカッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎イエス・キリストは人名ではなく、宇宙原理の表現であった。を参照のこと。


古代イスラエルの時代、忽然と姿を消したのがイスラエル12支族の内の十支族である。存在は知られているものの記録が一切残っていない。

他方で、日本では欠史八代という歴史の欠落がある。天皇家は万世一系125代を数えるが、欠史八代の天皇の名前は判明しているのに関わらず記録には残されていない。行動の記録がごっそり抜け落ちているのである。

失われた十支族と欠史八代が隠そうとしていたもの。それがウランなのではないか。

失われた十支族がウランの技術を隠すために忽然と姿を消したとするならば、ウランを絶対に人類の手に渡らせないために隠蔽工作に八代を費やしても不思議でない。

三種の神器の一つである八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)こそウランをペレット状に加工したものだと睨んでいる。ウランは強烈な放射線を出すため、水を張るための壺が必要だった。勾玉(ウラン)を入れるための壺がマナの壺。マナの壺が倒れないように支えていたのが二枚の石版で、それらを収めた箱があかしの箱、聖櫃である。


鶴亀はウランの有りかを黙示する。

例えば栃木県日光東照宮の家康公御墓所である。

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御墓所の中にウランが。。。

家康公の御墓所は日光東照宮の奥まった場所にある。御墓所の傍らにある目を引く造形物が亀の甲羅に乗った鶴の燭台である。この御墓所は徳川家康の墓ではあるが、霊体の墓である。実体はない。それゆえに、徳川埋蔵金が眠っているとも噂されるが、御墓所自体、詳細な調査は行われていないという。おそらく今後も発掘調査は行われないだろう。鶴亀の黙示するものはウランである。徳川埋蔵金こそウランの暗示なのかもしれない。


浦島太郎物語の原型になったのは山幸彦海幸彦の物語だと言われている。山幸彦は元の世界に戻るときに海神から潮満玉と潮干玉をもらう。ここで満、干がそれぞれ亀、鶴に対応する。これは『鶴は千(干)年、亀は万(満)年』から導き出せる。

源平合戦の舞台になった壇ノ浦、瀬戸内海側に満珠島(亀)干珠島(鶴)はある。

Google マップ - 地図検索 
島が亀甲の形をした満珠島。

満珠島 - Google マップ  満珠島 - Google マップ2 
鶴の形をした干珠島。


下関市の瀬戸内海に浮かぶ満珠島・干珠島は壇ノ浦の戦いの舞台になった島である。源義経率いる源氏軍が本陣を構えた場所として知られているが、満珠島が亀に対応し、干珠島が鶴に対応していることは島そのものの形からもうかがえる。

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両島は忌宮神社の飛び地所有地で国の天然記念物に指定されている。満珠島は小豆島の皇子神社の社叢のようなピラミッド型をしている。忌みすべき存在=ウランを埋蔵するために小高く島を盛ったのではなかろうか。

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鶴と亀が黙示するウランの隠し場所2 ―勾玉と八咫鏡と源義経―

2012/04/25(Wed) 23:08

カッパドキア雑考・月と殿下とウランガラス
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カッパドキア雑考・剣山で発見されたミイラ100体の謎
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-223.html
ウランを手にいれた一族の話と中国の神獣、龍の話/ウイングメーカーとカッパドキア
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-334.html
少し強引に天皇家とウランを結びつけてみる。
http://hatajinan.blog61.fc2.com/blog-entry-380.html


鶴と亀が黙示するウランの隠し場所
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旧約聖書の中で神ヤハウェはことあるごとに町や村を全滅させている。これを過越という。血統的ユダヤ人(古代イスラエル人)はヤハウェとの約束で過ぎ越しから逃れることを許された。アブラハム、ヤコブ、イサクの血統、古代イスラエル12支族(シメオン族、ベニヤミン族、ガド族、エフライム族、ユダ族、アシュル族、ダン族、イッカサル族、ゼブルン族、ナフタリ族、ルベン族、マナセ族)+レビ族である。

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もし、古代イスラエルの時代にウランが発見されていたとして、臨界質量を知り得ていたとしたならば、極端な話、村事全滅させるのは容易である。臨界質量に達したウランの周りに村人全員を集めれば、臨界による中性子線被曝で致命傷を負う。たちまち死体で溢れるだろう。

ウランを制したものこそが王になれる。

ウランは神である。




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では、古代イスラエルではウランはどのように加工されていたのか。ガラス加工されペレット状に焼き固められていたのではなかろうか。ガラス加工の技術自体は古代にも存在した技術である。紀元前1400年、ヒッタイト帝国時代に築かれたとされる遺跡でもガラス加工製品が発掘されている。古代イスラエルの時代には確立された技術であるともいえる。

ガラスにウランを混ぜ合わせる工法はウランガラスが有名だ。


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燐灰ウラン石燐銅ウラン石


燐灰ウランは紫外線を当てると光る。画像中央に立っているのが燐灰ウランを混ぜたウランガラス製品だ。燐灰ウランの発光する部分を丹念にかき集めればウランは採れる。採れたウランをガラス加工でペレット状に焼き固める。そうすればウランとて管理に容易いのではないか。

日本に伝わる三種の神器の一つである八尺瓊勾玉こそ、ウランをガラスに混ぜ焼き固めたものではなかったか。

ヒスイ勾玉各種1



八咫鏡(やたのかがみ)、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とともに八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)は三種の神器の一つである。勾玉はとも呼ばれ、天叢雲剣の併せて剣璽とも呼ばれる。そして三種の神器は神璽と呼ばれていた。神璽については後述する。

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さて、八尺瓊勾玉にある『八尺』であるが、メートル換算で1.8メートル。これは勾玉一つの大きさとしては考えにくく、様々な解釈が生まれている。

仮に八尺瓊勾玉がウランをペレット状にしたものだとしよう。勾玉の穴に糸を通し、1.8メートルの長さにつなぎあわせた時、臨界質量分のウランになるのではないか。

日本には八尺様という伝説がある。八尺様に魅入られると数日のうちに取り殺されてしまうというものだ。これこそ八尺分の勾玉の威力(臨界量に達したウランによる致死的被曝)を暗に示しているのではないか。


ウランを操るコツはただ一つ。臨界質量を知ることだ。ウラン235という全体の0.7%しかないウラン同位体あれば、純度100%だとして液体で800グラム、金属体で15キロで臨界、もしくは核爆発を起こす。形状はどうであれ、ウランは臨界質量分を一箇所に集めれば臨界、もしくは核爆発を起こす物質なのである。

茨木県東海村JCO臨界事故を例に挙げれば、ウラン235の濃縮率20%のウラン溶液20リットルを一箇所に集めてしまったものだから臨界が発生した。

ウランは臨界質量に達すると高レベルの中性子線を放出する。直撃を受ければ、生物はやがて死に至る。核爆発が起きれば、広島長崎の例を出すまでもなく、街を死滅させる。ウランの臨界質量を知れば、攻め入る村を血で汚さずに全滅させることも可能である風に思う。ゆえに、王であり神の証なのである。



ウランをガラスで焼き固めたペレットは、原発プラントの燃料プールにある使用済み核燃料のように、水の中で保存していたのではないか。放射線を遮るためである。ともなればイスラエルの失われた十支族と共に消えた宝の一つであるマナの壺の用途が見えてくる。ウランを水に浸け置くための容器だとも考えうる。

日本最大の前方後円墳である仁徳天皇陵古墳は、鍵穴式古墳としても知られているが、一説によればマナの壺を模しているとも言われている。

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マナの壺にウランのペレットを入れ、水を入れて保管していたとしよう。持ち運ぶときには水が溢れないように蓋をする必要がある。

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その蓋こそが、いわゆる八咫鏡なのではないか。

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古代の鏡の裏面の中心には突起物がある。これは蓋を着脱するときにつまむ取っ手ではないか。

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マナの壺の形状からいって大小2つの蓋があれば、運ぶ出すときにわっさわっさ揺らしても水を零さずに運ぶことができただろう。


マナの壺、アロンの杖モーセの十戒石板を収めた箱が契約の箱、いわゆる聖櫃である。聖櫃はイスラエルの失われた十支族と共に今現在も行方不明である。

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日本の神輿との類似性には目を引くものがある。とかく日光東照宮の二荒山神社にある金の神輿に注目したい。

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マナの壺を運ぶためだとすれば、サイズ的にもジャストサイズである風に思う。


八咫鏡、八尺瓊勾玉、天叢雲剣、三種の神器を総称して『神璽』と呼ばれていた。そして、およそ1000年前、日本では『神璽』の争奪戦が勃発した。いわゆる源平の戦いである。

平清盛率いる平家から『神璽』を奪い取ったのが、牛若丸こと源義経である。義経は源平合戦ののちに鎌倉幕府を開くことになる源頼朝に追われることになるのだが、神璽を奪い返した一番の功労者である。なぜ義経が兄である頼朝に逆賊扱いされ、追われることになったのか。当方は、源義経が奪い取った神璽を朝廷に戻さずに逃げ出したのではないかと見ている。

源頼朝に追われた源義経は奥州藤原氏に匿われることになるのだが、頼朝の追及を受けた藤原泰衡に攻められ衣川館で自刃したというのが通説であるが、一方でモンゴルに渡りジンギスカンになったという説もある。すなわちモンゴルの王になったわけである。もし、平家から奪い返した神璽を朝廷に戻さずに逃げ出したとするならば、ウランを手に入れて王になったのである。

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四国徳島剣山の山頂は、かつては『平家の馬場』と呼ばれていた。平家を滅亡に追いやった壇ノ浦の戦いで源義経は瀬戸内海に浮かぶ満珠島に本陣を張ることになる。上空から見て亀の甲羅の形をした尖山の島である。満珠島の西に、2つのこぶのような小山がある干珠島がある。海岸から干珠島の2つのこぶの間に満珠島を見る。干珠島、満珠島の直線上に太陽が昇った時、さも剣山の場所を示しているように思えるのは、はたして気のせいであろうか。

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鶴と亀が黙示するウランの隠し場所 | 憂いの果てに ~次男坊のアフォリズム~


イエス・キリストは人名ではなく、宇宙原理の表現であった。


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草薙剣はウランで出来ていた?!

2012/05/05(Sat) 22:54

カッパドキア雑考・月と殿下とウランガラス
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ウランを手にいれた一族の話と中国の神獣、龍の話/ウイングメーカーとカッパドキア
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少し強引に天皇家とウランを結びつけてみる。
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鶴と亀が黙示するウランの隠し場所
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鶴と亀が黙示するウランの隠し場所2 ―勾玉と八咫鏡と源義経―
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今回は日本に伝わる三種の神器の中で草薙剣に触れてみたい。天叢雲剣=剣璽である。


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熱田神宮。右は熱田神宮HPにあるボーイスカウト募集。


愛知県名古屋の熱田神宮は草薙剣=天叢雲剣=剣璽が祀られている神社として知られている。草薙剣の実体はどんなものなのかと調べてみたら、興味深いエピソードを見つけた。


草薙の剣 - 呪術・呪物について語るスレまとめwiki - livedoor Wiki(ウィキ)
http://wiki.livedoor.jp/spell_fetish/d/%C1%F0%C6%E5%A4%CE%B7%F5

荒俣宏の『帝都物語』でも少しバラされてるけど、先の大戦末期に機密勅令によって全国の主だった寺社でルーズベルト米大統領調伏のための儀式修法が同時一斉に行われたんだよね。

その時、高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修された。

熱田神宮に至っては政府中枢からの相当強硬な圧力により、 天皇さんや大宮司でも見ることさえかなわぬ草薙神剣がついに開封され、大宮司による機密御仕の主依とされたという。 草薙剣の話については、当時の大宮司の孫(あれ?ひ孫だったかも) が大学で同級でそいつから詳しく話を聞いたんだが、相当ヤバい話…あまり聞きたくない話だった。

…で、結果はというと、ルーズベルト、本当に死んじゃったんだよな。

これが偶然だったのか必然だったのかはともかく、結果として神風だの本土決戦だのを本気で妄想する連中を増長させることになったのだけは確かだろう。

スレ違いは承知の上なんだけど(スマソ)リクエストが多かったので前回は敢えて伏せておいた部分について。

まず、草薙剣本体の材質について。

社伝ではかつて一度、新羅僧に盗まれ再び封印された際の『剣』の描写が残っているが、再封印後、現代に至るまで御神剣は一切錆を被っていないとの伝説、あくまでも伝説があったが、六十年前にその勅儀のために封印が解かれたとき、思わぬ象で伝説の根拠が明らかになった。

つまり御神剣は「錆びることのありえない素材」=金のムクで、もとより剣としての実用に耐えぬ、あくまでも祭祀用の具として造られたと思われる。

そして最も問題だったのは御神剣の形そのもの。

社伝では中空の矛のような短銅剣とされていたのだが、実際には、とても《剣》とは言いがたい、異様な形状の御体だったという。

喩えることのできるものがあるならば、国宝・石上神宮七支刀にやや近いというべきだったらしいが、七つに別れたその先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げ、これまた、そもそもこれが《剣》として造られたものでないことを示していたという。 (ちなみに、後年、俺のその同級生の曽祖父=当時の大宮司は、自らの日記の中で、御神剣が七支の形状をなしていた事実と、記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの伝承を結び合わせ、ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の七支の穂先と幹の突端になったのではないか、との自説を記しているという。…なるほどね。)

で、問題の儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、祭殿の左、西の方角に向けて自らいざりはじめそのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、御神剣を押しとどめようとした禰宜職が御体に触れた途端、口より青い炎を上げて体が燃え上がり、骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。

あまりのことに、神職・禰宜らが取り乱す中、何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。

なお、その時も爾後も、その大宮司の一の弟子だったのが、神社本庁・前総長だった鶴岡八幡宮の白井前宮司で、存命中の方でその儀式に立ち会っていた数少ないお人だそうなので、当時の‘’ナマの様子を聞きたい方は訪ねてみては、 との友人のことばでした。

…以上が、今から13年前に、京大文学部史学科の某助教授の研究室で、そのセンセと私ほか2名の前で語られた内容の大筋です。

---------------------抜粋

この神がかり的な不思議なエピソードもウランと臨界で説明できる。

禰宜職賀茂氏系の神官)が黒い炭になったエピソードなどはまさしく臨界である。骨までがベーポライズしてしまうほどの熱線は臨界しか説明できない。この話が事実であれば草薙剣=剣璽というのは臨界量に迫るウランが含有されていることになる。ちょっとした衝撃で臨界に達してしまうぎりぎりの量だ。臨界質量以下でも衝撃を与えてしまえば臨界になってしまう。プルトニウムの塊にタングステンのレンガや、あるいはドライバーを落としてぶつけた時、臨界が発生し何人かの研究者が犠牲になった。かの有名なデーモン・コアである。

さらに言えば、熱田神宮にある草薙剣は赤土が敷き詰められた三重の箱の中に厳重に収められていたという。


草薙の剣
http://www.a-namo.com/ku_info/roman/kusanagi.htm

このご神体は、5尺(約1.5m )ばかりの木の箱に入っていて、木箱の中に石の箱があった。二つの箱の間には赤土がしっかり詰めてあった。さらに石の箱の中に樟の箱があって、その中にご神体が入っていた。そして石箱と樟の箱の間も同じように「赤土にてよくつつめり」となっていた。

---------------------抜粋


刺激を与えれば臨界質量に達するほど濃縮されたウランであればこそ、この厳重さの説明が付く。剣璽を収めた石箱に十戒が刻まれていれば、それこそモーセの石板に他ならない。

剣璽=草薙剣の容姿であるが、戦う剣の類ではなく、ユダヤの燭台、メノラーのような形をしていたという。


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日本の桐の紋も逆さまにすればメノラーが隠れている。


実のところ、璽という漢字は、水に沈められた玉に七支のメノラーのような物を指している風に見える。

璽


勾玉が水につけられた壺、すなわちマナの壺の中に臨界量ぎりぎりのウランを含有した天叢雲剣を刺すことでことで、臨界を操れたのではないか。臨界量ぎりぎりだからこそ致死量の放射線を避けるために、石の板で囲ったのではないか。そこにウランの奥義を操る前段階として心構え、十戒を記した。

先の話に出てくる熱田神宮に近しい京大の同級生というのは簡単に特定できた。この人物で間違いはないと思う。


フリーメーソン日本最高幹部極秘リスト
http://www.asyura.com/2002/bd19/msg/123.html

先日、以前、某平和神軍の集会で偶然知り合った自称・元近衛連隊伍長の高崎廣さんというおじいさんに東京タワー横の“本家”フリーメーソン本部につれていってもらいました。おじいさんはここの元幹部だそうで今回は特別に私を案内してくれたそうです。
本部の中はどこか教会の中のようで、メーソンがキリスト教に対抗しているようにもみえましたが、おじいさんの説明はチンぷんカンプン、と言うより、このおじいさん、ボケてしまってるようで少し困惑してしまったのですが、最後におじいさんが、「実はこれが日本地区のフリーメーソンの最高幹部、つまり今の日本を支配している影の連中のリストだ」といって、コピー2枚分の”内部資料”らしき書類をくれました。その時はおじいさんのボケッぷりもあって、内容の信憑性など信じていなかったのですが、昨日になって、八重洲ブックセンターで、高崎広おじいさんが実はメディア・ワークス社からメーソン内部告発本「日本に君臨するもの」を出版されており、私が渡された“内部資料”中の人物名も実在のメーソン大幹部として何人かこの本の中でインタビューを受けているので、おそらく、これは“本物”だな、と思い、ここにそのまま転載させて戴くことにしました。とりあえずは、現物をどうぞ。

December 2001 Advisory Council Meeting

ILL. Joe A. Diele, 33, Grand Cross, Deputy of the Supreme
Council, 33
ILL. James L. Johnston, 33, Deputy's Representative
ILL. Chester L. Ditto, 33, Almoner
ILL. William D. Patterson, 33, Secretary
ILL. Philip A. Ambrose, 33, Treasurer
HON. Yuya Hirose, 32 KCCH, Venerable Master
ILL. Keith Hager, 33
ILL. Hideo Kobayashi, 33
BRO. Saburo Katagiri, 32
HON. Eliano S. Fiore, 32 KCCH
BRO. Robert H. Koole, 32
BRO. Henk Dennert, 32
BRO. David Tait, 32

以下、議事録か何かのようなものがつづいているのですが、黒く消されていて、高崎翁いわく、「ここから下まで漏らしたら私は本当に殺されてしまう」そうです。( 個々の人物の内、“33”は恐らく、メーソンの最高階級である第33階級を、“32”はその次の第32階級を表しているのだと分かりますが、“32 KCCH”というのは何なのかと、おじいさんに聞くと、最高階級である第33階級として将来の最高幹部となるために養成されるべく第32階級のメーソンの中から特別に選ばれて特殊な訓練を受けている特別な人材なのだそうです。)

”ILL. Philip A. Ambrose”氏は現在の“本家”フリーメーソン日本本部グランド・ロッジのホーム・ページを見る限り、グランド・マスターを務めておられるようですし、“Bro. Saburo Katagiri”氏というのは、いつもマスコミ等の取材の応対をして本やテレビにも出ている、広報委員長の片桐三郎氏のことでしょうが、彼らよりもさらに上のメーソンがいることがこのリストからは読み取れます。私が注目したのはこの最高幹部会が魔女の集会の人数である13名で構成されていることだったのですが、高崎翁いわく、「関係ない。関係ない。」むしろ、注目すべきは、メンバーのほとんどが外人で構成されている中で、僅かに含まれている日本人である、“HON. Yuya Hirose, 32 KCCH”氏、“ILL. Hideo Kobayashi, 33”氏、“BRO. Saburo Katagiri, 32”氏の3名の「エリート・メーソン中のエリート」なのだそうで、高崎氏によればこの中でも Yuya Hirose 氏は西田幾多郎で有名な京大哲学科を首席で卒業したといういわく付きの人物で、未だ20代なのに、まさに「最高階級である第33階級として将来の最高幹部となるために養成されるべく第32階級のメーソンの中から特別に選ばれて特殊な訓練を受けている特別な人材」であり、「メーソンのプリンス」、「極東のメーソンの“救世主”」とよばれていて、要注意なのだそうです

他にも、ILL. William D. Patterson, 33 と同一人物と思われるパターソン氏についても、平和神軍のホーム・ページ内のメーソン潜入レポ中に言及がありますし、内部資料としての信憑性・価値はかなり高いと思われます。むしろ、フリーパーソン日本グランド・ロッジのメイン・ホーム・ページ上でこのリストを最重要資料として公開して善意の人々に注意を促すのも、おもしろいのではないかと思います。(どうせ、もともと内部の人間が自発的に漏らしてくれたものなんだし。)

ただ、一つだけよく分からないのは、高崎翁がどうしてこういった資料をわざわざ外部にもらしたのかということ。先述の彼の暴露本を読んだ限り、どうやらこの高崎翁(温厚そうな老人で決して悪い人には見えません)はメーソンに何かの恨みがあるようだということがにおってきますが、これも隠されたメーソンの謎のひとつなのでしょうか。

P.S. この資料を手土産に私も栄えある皮肉結社フリーパーソンの“見習い”から、2階級特進で、親方にしていただけると嬉しいのですがいかがでしょうか。

---------------------抜粋


“ロッジの人、登場。超恐怖” 人魚人(にんぎょじん)
http://www.asyura2.com/0510/lunchbreak6/msg/413.html

今年の6月12日、京都・下鴨神社において「蛍石の茶会」というのが開かれた。
主宰は財団法人・糺会という組織。
茶席の主人は千玄室・前裏千家家元。
客人は下鴨神社宮司を上席にして、宮沢喜一・元首相、白井丈二・神社本庁元総長・鶴岡八幡宮宮司、
フリーメイソン広瀬祐也、西高辻・太宰府天満宮宮司、神戸のユダヤ教シナゴーグの主席ラビであるガオン氏、民主党前原誠司。
茶席の後、一同は下鴨神社社殿内陣に入り、西高辻氏と広瀬氏が何らかの奉文を詠み続け、
ガオン氏が外国語で何か別文を唱える儀式?が約一時間半続いたそうだが、このあたり詳しい内容は不明。
この後、糺会の会員と思われる男女約50名に千玄室氏から改めて茶が振る舞われ、その中には谷垣禎一財務相や京都市長もふくまれていた。
その後、さきの八人は車で吉田神社へ移動、大元宮に籠り、一夜を明かした。

という情報が流れてますな。彼らは三種神器をユダヤに受け渡す密約を交わしているとか。
民主党は神道とフリーメーソン絡みで結構怪しい噂が広まってるよ。

広瀬祐也 yuya hiroseで検索して下さい 熱田神宮大宮司の曾孫で32階級です。メイソンでは極東のメシアと呼ばれています
メーソン広瀬祐也は、京大文学部哲学科を主席で卒業したとか。
前原誠司は、京大法学部卒業なので、広瀬とは大学つながりでしょう。

---------------------抜粋

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